III

 説明しやすいように、と男子部員はまず三人の部員を簡単に紹介した。

 まず三年生の女子生徒は、部長である古沢ふるさわ先輩。運悪く同学年の部員がいないため、ただひとりの三年生である。

 次に、棚橋たなはし先輩は二年生の女子部員。さっきぼくと少しだけ話した、「カレン」をペンネームにしている『本番前』の作者だ。

 そして、先ほどから最もよく喋っている唯一の男子部員、阿南あなん先輩。

 その阿南先輩によると、勧誘開始当初五月号は確かに準備できていて、ブースに並べたバックナンバーの一冊として展示されていたという。新入生があまり図書室まで来ないので、時々部員たちが部誌を手に取って読んでいることもあったというが、適当に読み終えたら元通り整列させていたから、もし見当たらなくなってもすぐに確認できる状態だったらしい。

 ところが、事態が変わる一〇分間が訪れる。そのとき、部員三人のうちふたりが図書室を離れる。ひとりは阿南先輩で、新入生が来ないからと階段を下りて食堂の自動販売機までジュースを買いに行った。勧誘をしていた別の部の友達と立ち話などした時間もあって、図書室に戻ったときに時間を確認すると、一〇分ほど席を外していた。阿南先輩が立ち去ってから数分後、古沢先輩も、携帯電話に着信があったので通話をするために一旦場を離れた。思いのほか長引いたけれど、阿南先輩と同じタイミングに図書室に戻った。通話履歴が証拠になるという。

 その一〇分間、図書室に残された棚橋先輩はというと――

「人が来ないから本を読んでいたんだけれど……ほら、このブースってちょうど日当たりが良いでしょ? だからつい、うとうとしちゃって」

 読書をしながら段々と意識が遠のいて、眠ってしまっていたのだ。

 その後江里口さんがやってきて棚橋先輩は目を覚ましたのだが、同時に戻ってきた阿南先輩が五月号の紛失に気がついた。古沢先輩も含めて、とりあえず勧誘ブースの近くや文芸部の棚を調べたが見つからず、国語科準備室まで足を運んだものの甲斐なく終わった。

 図書室に戻って、万が一にと部員の荷物を調べ、そこにないとわかった結果、棚橋先輩が眠ってしまった一〇分間に盗まれたと結論したというのだ。

「確かに、図書室に来てさっと抜き取るくらいなら一瞬の出来事だし、こそこそやっていれば眠っていて気がつかない、なんてこともありそう。ありえない話じゃないよね。あたしがここに来たとき、実際眠ってたもん」

 部員の話を聞き終えた江里口さんが付け加えると、それを正面で聞かされた棚橋先輩は申し訳なさそうに肩を竦めて頷いた。その頬はわずかに桜色だ。

 棚橋先輩と同じく江里口さんの呟きを聞いていた才華は、ううん、と短く唸る。

「どれか一冊適当に取るってことなら、できるだろうね」才華はどうやら、江里口さんに意見したいらしい。「でも、抜き取られた一冊は五月号。狙って盗ったと考えたほうが自然じゃないかな?」

 江里口さんが少しむっとした表情を浮かべた。

 才華の指摘はつまり、適当に本を盗むなら、手に取りやすいところから盗るだろうということ。ところが、奪われた五月号は決してそういう位置にはなかった。部誌のバックナンバーは数年分にも及び、それが一列になっている。五月号が置かれていたのは、列の端でもなければ中央でもない。右から六冊目という中途半端な位置にあった。

「そういうことなら、傑作揃いの五月号は、予めターゲットになっていたってことだね」頷きながら、古沢先輩は犯人像を絞り込んでいく。「だとすれば、五月号の評判を知っている在校生が犯人なのかな?」

 それにはぼくも頷きかけたが、ちょっと待ってください、と江里口さんがストップをかける。癖になった口調を抑えながら、丁寧に説明する。

「そうとも限らないんじゃないですか? 新入生だって、去年の文化祭に遊びに来て五月号のことを知ったかもしれないので」

 なるほど。五月号の評価が高いという事実は、必ずしも犯人の絞り込みには使えないということか。そもそも、咄嗟に盗まれたのだとしたら、五月号の評価は犯人の目的とは無関係だ。たまたま五月号が盗まれた、という可能性は否定しきれない。

 とはいえ、傑作との評判を無視するというのも、せっかくの手掛かりを軽視しているような気がする。五月号が欲しくてたまらない犯人が狙って抜き取ったとみたほうがありそうな話だ。でも、特定の一冊を探そうと物色したら棚橋さんを起こしてしまいかねない。

 あれ?

 話が一歩も進展していない気がする。

「そういう話じゃないんだけどな」

 耳元の囁きに、背筋がぞっとする。

「うわ! 才華!」

 近い!

 至近距離の才華の顔に驚き、つい大声を上げて飛びのいてしまった。

 ぼくの声に周囲の視線も集まるが、心臓をバクバクさせるぼくとは正反対に、才華は平然と部誌を眺めている。一月号のようだ。

「すごいです。絵も描けるんですね」

 暢気に彼女が感想を述べたのは、部誌に載せられたイラストだった。

「うん、紙面の使い方は基本的に自由だからね」阿南先輩が再び勧誘モードになった。「昔の先輩たちの中には、本の評論だとか、科学的な論文だとか、俳句を載せた人もいたようだね。イラストは毎年必ずひとりは描く人がいるよ。ぼくは専ら小説だけど」

 そう言って振り返った先は、棚橋先輩。アイコンタクトを送られて、彼女は少し頬を赤らめて頷いた。

 実物を見せようか、と言って古沢先輩はテーブルの脇に置いてあったファイルを一冊取りだした。ポケットには大量の紙が入れられて、本体が丸く膨れてしまっている代物だ。中には印刷時の原本やボツになった原稿が保存され、部誌とは異なる形で活動記録として残されているという。

「本当だ、いろいろありますね。漫画の書評もある」ファイルを見て感心する才華。ぼくも見たいなぁ。「これでわかりました、小説を書かなくてもいいんですね。これならいくらか気楽かも」

 彼女はどこか照れたような素振りを見せながらそう言った。なんだ、文芸部に興味があったのか?

「ううん、そういうわけじゃないんだ」申し訳なさそうに、古沢先輩が才華に返す。「五月号と九月号だけは、全員が最低でも一本、小説を書くことになっているんだ。五月は新入部員のお披露目だし、九月号は、文化祭に出すからね」

 はあ、と気の抜けたような才華の返事。それから、

「弥のやつが九月号だったよね。見せて」

 とぼくの読んでいた部誌をさらってしまう。ついさっき顔を寄せたとき、ぼくの持っているものが九月号だと確認していたのだろう。『本番前』以外には何も読んでいないのに、と抗議しようとしたところ、さっと代わりに一月号を寄越された。

 開かれていたページは、カラーで印刷されていた。何かのアニメのキャラクターだろうか、見たことのない可憐な制服を着た、青色の髪の少女が描かれている。

 ぼくにはアニメとかそういう趣味はないし、正直あまり解せないのだけれど、このときばかりは見惚れてしまった。その少女は美しかった。もちろん、その美しさは作られたものであり、現実の女性のそれではない。ありえない髪の色なんかを見ればすぐにそう思ってしまう。しかし、人間離れした調和というものがあって、神秘的な力を秘めているかのようだった。

 これを手で描けるというのか? 美術部でも漫画部でもなく、文芸部にそんな実力者がいるだなんて。天保が天才の集まる場所であることを改めて思い知る。恐ろしい心地だ。

 ページの端にサインがある――カレン。

 ……おや?

 ぼくの中で何かが繋がりかけた気がしたそのとき、ブレザーの袖を引っ張られる。横で才華も引っ張られている。

「ああ、その、ごめんなさい!」早口で言葉を並べるのは江里口さんだ。「何も気が付かなくて。やっぱりお手伝いできないみたい。あ、でも、文芸部、考えておきます。家入も興味を持ったみたいですし。ちょっと、三人でまだ回りたいところがあるので行ってきますね。入部届も一応もらっておきますから!」

 ぼくと才華は江里口さんに引っ張られて図書室を出ることになってしまった。

 階段を降り、図書室からもかなり離れてしまった閑散とした廊下で、ようやくぼくらは解放された。

「いったいどうしたのさ、江里口さん」

 小柄な眼鏡の少女は、訊かれるのを待ってました、とばかりに口角を上げた。

「ちょっと想像できてきたんだよ」

 腰に手を置いて胸を張る姿を、いじらしいと思ってしまった。

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