第39話 世界の終り

 ぐらぐらと、世界がひび割れていく。上下左右の確かでない空間に地震が起きる。


「……こりゃヤバイね」


 今まで笑ってばかりだった魔女が、シリアスな口調でそう呟いた。


「駄目だ、このままじゃ工房が崩壊する! 大爆発だみんなおじゃんだ!」

「うるせぇ! 騒いで無いでなんとかしろよ魔女野郎! てめぇはこの時の為に出張ったんだろうが!」

「いやいや違うよアデム君。僕はこれを起こさないために来たんだよ!」


 ワーワーギャーギャーと俺と魔女が言い争いを始めていると。先生がポツリとつぶやいた。


「そうか……私はまた間に合わなかったのか」

「教授」


 ハリス・リンドバーグは虚空を見つめる。その先には彼の過去が、彼の想いが粉雪の様に降り落ちていた。


「こうなる事は、想定内だ。対応策も準備してある」

「「ほんとうですか先生(ハリス君)!!」」


 胸倉をつかみあっていた俺と魔女はその言葉に教授の方へと振り向いた。


「無論。最も簡単で、最も最悪なケースだ」

「「で! その対応策は!?」」

「溢れそうな門の力をさらに圧縮する。極限まで圧縮したそのエネルギーを次元魔術により別次元へ送り込む」

「……無茶苦茶言うねぇハリス君は。そんなものブラックホールを制御しろって言ってるのと同じことだよ?」


 魔女は冷や汗を垂らしながらそう返した。


「……何言ってんだ? 説明しろ魔女」

「うふふふふ。ようするにハリス君は。湖の水を手のひらサイズまで圧縮してゴミ箱に放り込めって言ってるのさ」

「……そんな事出来るのか?」

「むーり、むりむり。圧縮することが可能だったとしても、それの制御なんて神の御業。全盛期の僕だって匙を投げるさ」

「了解。元よりこれは私の仕事だ」


 途方に暮れる俺たちを他所に、先生は何かの呪文を唱え出す。


「ちょっ! 不味い不味い不味い! 逃げるぜアデム君!」


 魔女はそう言うと俺の手を引っ張りながら後ろへと駆け出した。


「くっ、行くぞアプリコット!」


 しょうがない、こうなっちまったら逃げの一手だ。けど王都を一瞬で灰にするような爆発に、こうして逃げることに何の意味があるのか分からないが。


「教授!」


 アプリコットは先生に向けて手を伸ばす。俺はそんな彼女を無理矢理抱きかかえ一目散に後ろへと走った。





「無理だったか……」


 ハリス・リンドバーグは崩壊、いや爆散しそうな世界を紡ぎ留め、次元魔術を用いてベクトルを操作し、己のコアに向かって収縮させていた。


 それは正に己の体内でビックバンを起こすが如き代物。限りなくゼロに近い瞬間に、人間の存在など原子の塵に返ってしまう様な所業だった。


 だが、稀代の大天才である彼は、繊細極まるコントロールで、ギリギリの状態を保ちつつも、莫大なエネルギーを崩壊させることなく収縮させると言う離れ業をなしてのけた。


 それは無限に続く一瞬。

 綺羅星の如く瞬いていた無数の魔法陣は当に消え去り、漆黒の世界には、漆黒よりもなお暗い球体を己の掌に浮かべた男が一人立っていた。


 男の体は崩壊しかかり、その末端は粉雪の様に舞い散っていた。


 彼を長年支配していたのは怒りだった。それは己に対する怒り、世界に対する怒り、あらゆる理不尽に対する純粋な怒りだった。


 だがそれも……これで終わる。


「教えてくれ、ミリヤよ。私のしたことは……」


 無限のエネルギーが圧縮された極限の点、それは宇宙創成のビックバンのエネルギーに相当する。


 それは、全てを零に帰し、零から全を生むエネルギー。


「ミリヤ……私は……」


 男はその黒点を自らのコアへと、最終安全装置が刻み込まれたコアへと封じ込めた。


 全てが零に帰す極限の瞬間。

 零と壱が、限りなく近づくその瞬間。


「ああ、ミリヤ……君は……そこに……」





「「うおおおおおおお!!」


 俺と魔女は我先にと先生の家から飛び出した。それがほんの少しの悪あがきでしかないと知りつつも――。


「「あれ?」」


 だが、待っていたのは静寂だった。何時まで経っても予想された様な大爆発は起こらずに、俺たちはおっかなびっくり背後を振り向いた。

 いつの間にか粉雪は降りやんでいて、天には暗雲が立ち込める。

 だが、予測されていた崩壊は何時まで経っても起こらない。


「おい、魔女野郎。こりゃいったいどういう事なんだ?」

「はっ、ははっ、はははははは! いや参った! こいつは参った! 凄い、凄い事だぜアデム君。

 やはり彼は天才だった。ハリス君は間違いなく大天才!

 いや、いやいやいや! そうさ、彼は最後の瞬間正しく神になったんだ!」

「よく分からんが、先生は爆発を制御できたって事なのか?」

「ああそうさ、これを神業と言わず何と言おう! 今ここに漂ってるのは唯の残り香だ、それはそれで莫大なエネルギーではあるがね。ともかく彼はブラックホールの生成制御に成功した唯一無二の人間だよ!」


 魔女はそう言って馬鹿笑いをする。そうか、間に合わなかったことを嘆いていた先生は、最後の最後で間に合ったのか。


 俺は安心しきってその場に膝から崩れ落ちる。


「ハリス教授」


 アプリコットが先生への祈りの言葉を紡ぐ。

 ともあれこれで全て終わったのだ。


 先生の家が崩壊していく。全てはあの空間の内部での出来事であったとは言え、やはり現実世界の家にもかなりのダメージは行っていたのだろう。


 べきべきと壁が崩れ、柱が落ち……落ち……落ち……。


「―――――――――!?」


 崩壊した家の後には漆黒の巨大な何かが出現していた。


「おいおいおいおいなんだ魔女! ありゃ一体何なんだ!?」

「あははははは、こりゃまたこりゃまた。あいつはヨルムンガンド、世界を飲み込む大ぐらいさ」


 それは見る見るうちに大きくそして長くなる、何かを食らってどんどんどんどん。


「ヨルムンガンドは世界の終焉に訪れる魔獣だ。ハリス君が消し飛ばしたのは一つの世界と言える、どうやらその余波に釣られて出現しちゃったみたいだね」


 しちゃったみたいだね、という軽い話ではない。あんなものが暴れ出しちまったら結局の所王都は滅茶苦茶だ。


「おい魔女! とっとと何とかしやがれ」

「あっはっはー、無茶言うんじゃないよアデム君。今の僕は立っているのがやっとのボロ人形だ。十全の状態だったら、とっくの先におさらばしてるよ」


 くっそこいつは、敵の時も味方の時も最悪だ。


「ヤバいぜアデム君、結界が食い破られる!」


 ヨルムンガンドが一吠えする。空気の振動は衝撃波となって、周囲の家々を吹き飛ばしていく。夜明けを告げる時の声としては、ちょいとばかり派手すぎる代物だ。


「やってられっか畜生この、ぶっ飛ばしてやる!」


 この怪物に比べれば、ハイドラゴンすら子竜に見えちまう。俺はやけっぱちになって拳を構える。


「魔女! お前はアプリコットと住人の避難誘導をしろ! 俺は神父様が来るまで何とか時間稼ぎをしてみる!」

「はっはー、吠えるねぇアデム君。そいつは災害クラスの規格外魔獣、十全の僕でも手を焼く天災だ、とてもじゃないがニンゲンに手のおえる相手じゃないぜ」

「うるせーぞくそったれ! そんなら尚更だ、少しでも食い止めないとハリス先生がやった事が無駄になっちまう!」


 奴はその巨体を悠々と天にたゆたわせている。俺たちの存在なんて正しく蟻んこの如しだ。


「来い! サン助!」


 翼長4mを超えるサン助の巨体でも、奴に比べれば羽虫と同様。俺は雷を帯びる翼に初めて頼りなさを感じつつも、サン助の背中に飛び乗った。


「来やがれ化け物!」


 奴は上空に漏れ出した、門の余剰魔力を食い尽くしたのか、その貪欲な視線を地面へと向ける。


「先ずは目だ!」


 初手より全力。容赦なし。

 俺を乗せたサン助は雷の矢となって、巨大な瞳に突っ込んだ。


 激突


 巨大な衝突音と共に、俺とサン助は何の防御もしていない奴の瞳に弾き飛ばされる。

 奴は何もしていない、瞼すら閉じていない、只々俺たちが一方的にやられただけだ。


 こいつは無理だ、やはり魔女の言う通り、人間に何とかできる様な魔獣ではない。


「だからって、諦められっか!!」


 俺はシャインセイバーを召喚、馬鹿の様にデカイ奴の目玉に投射する。

 投射、投射、連続投射。奴が地上に降り立つ前に、こっちに注意をむけられるように投射する。


 突風が襲う。


「釣れたか!?」


 奴の視線が俺を射抜く。ダメージなんか期待しちゃいないが、兎に角注意を引くことは成功したようだ。

 奴は地上に降り立つ前に、俺の方へ進路を変更した。


「やったぞ、逃げるぜサン助!」


 人生最大の追いかけっこの始まりだ。

 サン助は大きな鳴き声を上げて、力強く羽ばたいたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る