第35話 王命

 アプリコット魔女の案内に従い王宮の最奥、王の執務室を訪れた所で、アプリコットは糸の切れた操り人形の様に倒れかける。


「あれ? 私……えっ? ここは何処?」

「大丈夫かアプリコット!」

「あれ? アデムさん?」


 咄嗟に支えたものの、彼女は自分が何故ここに居るのか把握できていなかった。どうやら操られていた間の記憶はないようだ。

 やはりあいつは油断ならない、戦闘力が無くなったと言うのもあいつ基準の話で、俺たちにしてみれば十二分に脅威だ。


「それにしても王宮か」

「えっ? 王宮ってどういう事ですか?」


 残念ながらその答えは持ち合わせていない、いや持ち合わせているが言いたくはない。とは言えそれも時間の問題だ。


「うふふふふ、さあドアは開いてるよ」


 重く重厚な扉の向うから、嫌らしく粘つく声が聞こえて来る。ここまで来たらもう後には引けない。俺は覚悟を決めてドアを開けた。


「うむ、よく来てくれたなアデムよ」

「王様! 一体どういう事なんですか!」


 俺は王様の横に立つ見知らぬ人物、即ち魔女を指さしそう叫んだ。


「なんだ、話は付いているのではないのか?」

「あはははは。いやーアデム君ってば若いのに石頭でね、説明していたら夜が明けちゃうから、取りあえず連れてきちゃった」

「王様! そいつは、そいつだけは駄目です! そいつの所為でどれだけの人間が犠牲になったのか分からないんですか!」

「無論分かっておる。その上で傍に置いているのだ」


 王様は真剣な目でそう言ってきた。その目に濁りは無く、魔女に操られている風には見えなかった。


「何なんですかアデムさん、一体どういう……」


 俺の影に隠れるアプリコットは不安げに小声で呟く。だが俺にも説明している余裕はない。


「今はこやつの処遇については置いておくのだアデムよ。それよりも現在わが国には大きな危機が迫っておる」

「こいつよりも厄介な物は存在しないと思いますけどね」


 俺は魔女を睨みつけながらそう言うも、奴はいつも通りニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらその視線を受け止める。


「それでもだ、今は余の話を聞くが良い」


 王様にそう言われれば従うより他は無い。俺は臨戦態勢を解かないままで王様の話に耳を傾ける。


「アデムよ、其方は地下水路の工事に携わっているのだったな」

「ええ、俺にも責任はありますし」

「うむ、その忠義は評価する。だが今のままでは間に合わぬのだ」

「……間に合わない?」

「帝国に忍ばせている情報部からの報告だ、彼奴等は直ぐにでも攻めよってくる」

「そんな!」


 シャルメルの話では帝国との戦争はそう遠い話ではないと聞いた。だがそれはまだまだ先の話だと思っていた。


「うふふふふ。こっちがあっちにスパイを送り込んでるように、あっちもこっちにスパイを送り込んでてもおかしくはないだろ? むしろ自然な話だぜ」


 魔女はニヤニヤと笑いながら口を挟んでくる。確かにそれはその通り。帝国、即ち蛮族の中には人間に擬態できる奴らも大勢いるし、人間の奴隷だって沢山いる。スパイを潜り込ませるなど容易い話だろう。

 そして今、王国中の資源は地下水路の復興に集中している。帝国にすればこれ以上ない機会だろう。


「それで、俺に何をしろって言うんですか」


 俺に出来る事なんてそうは無い、そこでニヤつく魔女を排せよと言うのなら喜んでやるが、そうではないのだろう。


「うむ、其方にはハリス・リンドバーグを排除してほしい」

「「は?」」


 突如告げられた予想外の名前に、俺とチェルシーは同時に間抜けな声を上げた。





「ハリス先生が、門の力を?」

「ああそうだ、其方には再び魔女退治を行ってほしいのだ」


 王様はオリバ・メイヤーが起こした事件、その裏側を語ってくれた。

 うだつの上がらない三流魔術師であったオリバ・メイヤーに高度な魔術を教えたのはハリス先生。そしてその技術を流用することで更なる高みへと至った事。

 さらに、魔女の後釜として門の管理者へと成り代わっている事。


「余とて、ハリス・リンドバーグの様な才を無暗に潰すのは本意ではない。だが今の彼奴は我が王国にとって害であると判断せずにはいられない」


 ハリス先生はその目的をかなえるまで、門の力を手放すことは無いだろう。だがそれは夜空に浮かぶ星に手を伸ばすような果てしなく遠い確率だ。


「でも、ハリス先生から門の力を取り戻すなんて、一体どうすればいいんですか」


 門の力が正常になれば、召喚術が十全に発揮でき、工期の大幅な短縮、資源の削減が出来る事は分かった。

 だが、肝心のハリス先生から門の力を取り戻す方法が分からない。


「あっはっはっは。そんな事は簡単さ、僕にやったのとおんなじことをやればいい」


 魔女はそう言って自らの胸を指さす。

 それはすなわち、ハリス先生を殺すと言う事だ。


「そんな……」

「残念ながらこれは王命である。如何に稀代の天才とは言え、たった一人の我儘に、王国民全員の命を犠牲とするわけには行かぬ」


 それは当然の結論だった。ハリス先生がやっていることは唯の我儘だ、だが……。


「国王陛下、私に発言の許可を頂いても構いませんでしょうか」


 俺が押し黙っていると背後に隠れていたアプリコットが手を上げた。


「む? 其方は……」

「はい、私はアプリコット・ローゼンマイン、ハリス教授の元で勉学に励む学生でございます」

「ふむ、よろしい、申して見よ」

「ご厚情に感謝を」


 アプリコットはそう言って一礼した後こう続けた。


「要はハリス教授から門の力を取り戻せればよい話。ならば力で訴える前に、話をさせていただけないでしょうか」

「アプリコットそれは……」


 無茶だろう。そんな事が可能だったら、ここまで話はこじれていない筈だ。


「ふむ、アプリコットとやら、其方にはそれが可能だと?」

「正直分かりません。ですが、それで解決できれば、それ以上の結果は無いはずです」


 アプリコットは、王様の冷静な視線を真っ向に受けつつも、目をそらすことなくそう言った。

 その膝は恐怖と緊張で震えていたが、視線をそらさずにそう言いきった。


「うふふふふ。なるほどなるほど、自らの教え子ならば彼も話を聞くかもしれない。でもそう単純に事が運ぶかな?彼の強情さは教え子である君が一番よく知っているんじゃないかな?」


 魔女がそう言って茶々を入れて来る。


「分かりません、ですが、ですが国王陛下。どうか私にチャンスをお与えください」


 アプリコットはそう言って深々と頭を下げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る