第18話 施術
「術式は、痕跡しか残っちゃいないわ。どんな術式か具体的な事は分からない」
チェルシーは歯噛みをしながらそう言った。
この児童書は丁寧に封がなされていた。そうしていれば大半の人は自宅に帰ってゆっくりと封を解いて読むだろう、そう言った狙いがあったと思われる。
そしてその封は魔術の痕跡を打ち消すのにもつかわれた、アレを手にした俺やチェルシーが気づかなかったのはその為だ。
いったい何のためにそんな高度な技術を使ってまで、こんなくだらない事をしたのか、ダメもとで、蚤の市の事務局である北部教会を当ってみるのも手だが、おそらくは偽名で登録しているだろう。
奴の身元を探している内に、イルヤ姉たちがどうなってしまうのか想像するだけで恐ろしい。
「解呪の方法を知るためには、どういう術式が掛けられているかが重要だわ。二人の様子とこの本を見るに、おそらく二人はこの本の中に閉じ込められてしまっている」
チェルシーはそう言って、ページをめくる、するとそこには白紙の筈の一ページ目に絵が現れていた。
「イルヤ姉! ミント!」
そこには二人の姿があった。その中で二人は、親子4人で空っぽのテーブルを前に座っていた。
「エルクイットの姉妹、冒頭のページが浮かび上がって来たわ。おそらくは時限式、そしてこの物語が進んでいくと……」
「最後には悪い魔法使いに捕まっちまうってか、ふざけた話だぶっ殺してやる」
どす黒い感情が心の中にたまっていく。くそッたれめ。今ここであの魔女が現れたら思わず誘いに乗っちまいそうだ。
「残念ながら、今の私ではこの術式を探れないわ、もっと詳しい人に話を聞きましょう」
考えれば考える程に、暗い妄想に支配されて思考の罠に嵌っていく俺とは違い、チェルシーがそう結論を出した。
「詳しい人って、誰の事だ?」
神父様もシエルさんも武闘派の聖職者だ、解呪は得意だが、こう言った魔術がらみの事は不得手かもしれない。
「そうね、お父さん……と言いたいことろだけど、お父さんは生粋の召喚師、召喚術の知識なら敵なしだけど……」
チェルシーが言いよどんだ時に、アプリコットが口を開いた。
「あの、ハリス教授ならどうでしょう」
ドンドンドン!
俺はドアを壊さんばかりにその扉をノックする。
「教授! ハリス教授いますか! 開けてください!」
ハリス教授の家はチェルシーの家の近くだった。俺はアプリコットの案内で教授の家のドアを叩く。
「こんな夜更けに何用かな?」
「いた! 良かった教授! 助けてください!」
幸運な事に教授は自宅に居てくれた。俺は焦りを抱えつつも今までの事を説明する。
「ふむ」
教授は眉間のしわを深くして、俺の話を聞いてくれた。
「それで、その2人は何処に?」
「シャルメルの家です、無理に動かすのも危険だと言う事で置いてきました」
「では、案内してもらおうか」
「ありがとうございます教授!」
教授は快く引き受けてくれた。俺は夜闇にまぎれサン助を召喚し、その背に教授を乗せてシャルメルの家まで一っ跳びする。
本来王都内ではこんな行為は許されちゃいないが今は非常事態だ。一枚、また一枚とページが進んでいく中で、一々そんな事に構っちゃいられない。
「教授! こっちです!」
シャルメルの家の中庭に降り立った俺は、教授の手を引き客前へと一直線。
「アデム、教授は!」
「いた! 来てくれた!」
姉妹はあの時から寸分たがわず仲良く眠っている。その傍らでチェルシーが色々と調べてくれているみたいだが、彼女は教授の顔を見ると、眉間のしわを解いて安心した表情を浮かべる。
「教授! この2人です!」
「ふむ」と教授は岩の様な落ち着きを見せ、静かに頷いた。
そして、2人の額に手を当て、脈を取り、魔道書と見比べてチェックしていく。
「なるほど確かに、2人の魂はこの魔道書に囚われている、実に興味深い」
教授はポツリとそう呟いて、ゆっくりとページをめくる。
「上手く痕跡を隠している。市販書に細工を仕込んだのではなく、一から自分で作っている」
教授は淡々と細かい分析を重ねていく。焦る俺は口を挟もうとするが、それはアプリコットに止められる。
重く苦しい空気の中、貴重な時間が刻一刻と過ぎていく。
じれったい、拳で解決できる問題なら今すぐぶん殴ってやりたい、だがこれを仕掛けた犯人は何処にいるか分からず、イルヤ姉たちを助けようとしても本の中ではどうにもできない。
「イルヤ姉たちはどういう状況なんだ、本の中で意識はあるのか?」
「意識は在れど、夢を見ている様なものだ」
俺の呟きに教授がそう反応する。
「それは、どういう事なんですか?」
「言った通りだ、自分は物語をなぞるだけ、明晰夢の様に自分の意思では動くことは敵わないと言う事だ」
物語は進み、姉妹はお菓子の家に入って行った。確かにその通り、意識がきちんと残っているなら、この様な見え見えの罠になんか嵌ったりしないだろう。
イルヤ姉たちはすうすうと穏やかに寝息を立てている。それだけを見ればおよそ死の呪いを受けているとは思えない。
救えない、俺の拳ではこの二人を救うことは出来ない、自分の無力さを痛感する。怒りと冷静にならなくてはという思いがぐちゃぐちゃになる。
「検診は終了した。隠ぺい技術には目を見張るものがあったがそれだけだったな」
「教授! 何か分かったんですか!」
俺は2人の前から立ち上がった教授に詰め寄った。
「うむ」
教授はそう言って暫し瞑目して思考を纏める。
「アプリコット・ローゼンマイン。人間を構成する3要素とは何か?」
「えっ、あっ……肉体、精神、魂ですか?」
「うむ、その通り。では君の見立てでは、この姉妹は現在どういった状況にある?」
「……魔道書によって魂が本の中に封じ込められている……ですか?」
「うむ。その根拠は?」
「……魂がその肉体に残っているならば、外部刺激にもう少し反応があってもいいと思われます。ですがその2人はどんな刺激にも反応を返しません」
「うむ、その通り。その魔道書は魂を取り込む魔道書だ、しかもその隠蔽の高度さ故に、魔道書に取り込まれた魂を外部から確認することは困難だ」
教授はアプリコットを指名すると、突然の課外授業を開始しだした。
「教授、細部は良いんです、どうやったらこの2人を助け出せるのですか?」
俺はじれったくなって口を挟む。
「肉体、精神、魂、この3つは緊密に重なり合っておりながら、それでいて容易に分離する」
だが、教授は黙々と自分のペースを崩さない。
「肉体は物質、精神は脳の電気信号、だが魂はあやふやな存在だ、それ故にこの様なトラップを仕掛ける事も用意と言う訳だ」
「教授!」
「残念だ、君の話を聞いてもしやと思ったのだが。これはそれほど複雑な謎では無かったようだ」
教授はそう言うと魔道書を持ち上げ、寝ている2人の手を重ね合わせて、その上に本を置いた。
「肉体、精神、魂は三位一体、今は魔道書の魔力で2人から魂を吸い上げているが、それは不自然な状況だ、あるべきものをあるべき場所へ、これはただそれだけの話だ」
教授はそう言って、魔道書の上に自分の手を重ね呪文を唱える。
「彷徨える魂よ、神聖なる魂よ、有るがままに、在るべき場所へ、旅は始まり、旅は終わる」
教授の全身に魔力が巡り、魔道書に重ねた掌から優しく暖かな輝きが漏れ出す。
「
輝きが一層強くなり、目を開けてはいられなくなってくる。
「くっ」
部屋中を満たしていた輝きが消え去った後。
「ふっ、2人は、どうなりましたか!」
俺は教授にそう縋り付く。
「施術は成功だ、魂は在るべき場所へと戻った」
そこには先ほどと変わらずに、穏やかな寝息を立てる2人の姿があったのであった。
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