第11話 風呂とバイトとコーヒー牛乳とビール

 白壁にタイルで描いた富士山が。

 湯気で陰って、風流かな風流かな。

 ちょいやちょいや。と、来たもんだ。


「ご機嫌じゃのう。お主」

 開店前に入ってくるなよ爺さん。風呂場洗ってるの見えねえんか。

 それとももうボケたんか?

「いや、表のバアさんが入れてくれたんじゃが」

 ったく、あのババア適当な事しやがって。


「我輩としては、お主が銭湯で掃除しとるのがわからんのじゃが」

 バイトだよバイト。

 そろそろ行水だけだと頭が痒くてかなわんし。


「風呂入るのにバイトかい」

 毎日銭湯とかブルジョワの所業だろ。バイトは風呂タダなんだよ。

「このご時世、三百五十円は良心的だと思うがのう」


 お前、その三百五十円はどこから出てきたんだよ。

「そら色々よ」

 稼ぎ話あるなら一口くらいは噛むぞ。

「美味い話があるなら、もっといい風呂行くわい」

 ソープとかな。


「我輩んとこ、女衒の類は充実しとるからの。スーパー銭湯の方が楽しくてええわい」

 爺さんの歳だとそっちに方がいいんか。

「お前さんも似たようなもんじゃろ。若い身空で達観しおって」

 おれはそれなりに枯れてはいないつもりなんだがな。金が無い所にゃ女も寄り付かんだけで。


「女も近くにおらんかの。お嬢とか」

 あいつらは女とは言わんだろ。

「乳と尻がついてりゃ女じゃよ」

 流石におれも、そこまで達観は出来んわ。

「それだけ恵まれとるんじゃよ、若者よ。ときに質問があるんじゃがな」


 なんだよ。店の事ならババアに聞けよ。

「いや、表のバアさんも通してくれたからええのか? 我輩、刺青あるんじゃが」

 なんでそんなモン背負しょってんだよ?

「州兵だった頃なんじゃがな。隊の記章と隊員のイニシャルを腕に彫ったんじゃよ。死体でも誰か分かるようにの」

 じゃ、構わねえだろ。

「そういうものかの」


 やくざ者お断りってだけだからな。

「なら、そう書けばよかろ」

 連中、屁理屈抜かすんだよ。やくざじゃござせん、暴力団でござい半グレでございチンピラでござい、ってな。

「面倒な話じゃな」


 で、甘い顔するといくらでも増えるからな。

「女神様んとこの小人ゴキブリさんと同じじゃなぁ」

 もういっそ滅ぼせよ。と、掃除終わったぞ。


「それじゃあ早速、風呂をご馳走になるかの。いやぁ。全身洗えて湯に浸かって三百五十円とは破格じゃのう」

 頭洗うなら五十円追加だぞ。

「払っとるわい。しかし、それで食っていけるんかの」

 ババアの道楽半分だっつう話だぞ。


「何にせよありがたい話じゃわい」

 つうか爺さん。思ったより傷だらけだな。

「そら、それなりに修羅場くぐってきたからの。お前さんは生っ白いのう」

 修羅場なんかくぐったことねえもんよ。


「お前さんにも、そういう武勇伝あるかと思ったんじゃがな」

 ねえよ。


「ばっさり行くのう。ほれ、秘められた過去とか一族の軋轢とかそういうの、あるじゃろ」

 ねえよ。


「ねえんかい。普通の家でもいくらかはあるじゃろに」

 ねえもんはねえんだからしゃあねえわ。


「それはそれで逆に珍しいじゃろ。どんな家でも息子は父親ぶっ殺したいとか思うもんじゃて」

 お前は思ってたんか。

「そりゃあの。いつか殺してやると思いながら拳銃練習しとったわ」

 おっかねえガキだな。


「それが不思議なモンでの。殺せる段になる頃には気は失せとるんじゃよ。上手く出来てるもんじゃの」

 それはたまたまじゃねえか? 親殺すガキとかよく聞くぞ。

「それは不幸なめぐり合わせというもんじゃよ」

 結果オーライだな。


「何であるか。余が一番乗りかと思えば先客がおるではないか」

 なんでイソギンチャクがいるんだよ。


「客として来ただけであるが何かな?」

 さっき掃除したばっかりなんだから、お前入るなよ。

「ちゃんと金は払ったし、入り口の御婦人も通してくれたものであるが」


 まず、お前が三百五十円持ってるという事実が意味が分からんのだが。

「頭洗うので四百円である。これはすべて、真面目に働いて稼いだものであるぞ」

「お前さんを雇う物好きがおるのか……」

 世間ってのは分からんもんだな。


「しかし、掃除したてだと余を入れたくないというのは、どういう事であるか」

 いや、なんか汚そうだし、お前。

「なんかヌルヌルしとるしの」

「余は毎日、社の湯殿で身を清めておるのであるが」


 そのヌルヌルを塗ったくっても清めるとか言わんぞ。

「ちゃんと余の巫女どもが聖水で清めておるのであるぞ」

 聖水って、お前が言うとまともな意味にとれん。

「巫女の聖水というのがの」

「いやらしく聞こえるのは、聞いた者がいやらしいからであるぞ。地中より湧いた水を聖別した聖なる水である」


 まあ、それならいいんだが。

「我輩が言えたものでは無いが、お主がこちらで金を稼ぐというのは苦労もあったじゃろ」

「うむ。余の姿を見るや官憲は来るわ軍隊は来るわと大騒ぎであった」

 あれはえらい騒ぎだったな。


「我輩、それを見ていたから拳銃はこっちでは持ち歩かんことにしたわい」

 それが懸命だな。


「こちらの保安官は真面目すぎるくらいでの。まあ、うちの連中には爪の垢煎じて飲ませたいくらいじゃが」

「袖の下受け取らないのは驚いたものであるぞ」

 袖の下どこにあるんだよお前。


「そのおかげで、お前さんに引き取りに来てもらう事になったのであるが」

 あの時の貸しは忘れてないぞ。


「帰り道でラーメン奢ったであろうが」

「それは、ラーメン屋も驚いたじゃろうな」

 もう一声欲しいんだがなぁ。

「というか、引き取りに来れば釈放されるもんなんかの」


 あの巡査は昔からの知り合いだからな。

「とは言え、小一時間説教されたものである。この余が『お前、いつまでもこんな事してられる訳じゃないんだぞ』とな」

「身につまされるの」

 説教で済んだんだからいいじゃねえか。


「お主の将来も心配しいたものであるぞ」

 将来っつってもなぁ。今がその将来だぞ。

「中年からがまた長いんじゃぞ。枯れとる場合かい」


 あー。何で銭湯の壁は富士山書いてあるんだろうなぁ。


「露骨に話題逸しおったの」

「とは言え、であるな。ここらは風呂場に風景画を描く風習でもあるものであるか?」

 風習つうか、習慣つうか。


「最近は壁絵がある所自体減ってきておるようじゃぞ」

 銭湯自体減ってるからな。特にこういう庶民向けな所は。


「世知辛いのう」

「タイル細工も維持に金がかかるものであろう。余の社の薄浮き彫りも、維持が大変であるのでよく分かるものである」


 なんか、夢の無い話だな。

「余と眷属が彼の地を制したる永劫にして暗澹たる歴史を記録した大切なものなのであるが」

「夢は無いが悪夢に出そうじゃの」


 タイル細工ならタイル替えて漆喰で固めりゃいいから大分マシだぞ。

「うむむ。そちらに切り替えを考慮に入れる時期であるやもしれぬであるな」

「迷い込んだ奴らが驚くじゃろな」

 邪神の社に迷い込んだら、富士山のタイル画見つけたらそりゃあな。

「探索者どもの驚く顔が目に浮かぶようであるな」

「そりゃ、驚くじゃろうけど。違くないかの」


「面白ければ、余としては何でも良いのである。富士山の影から余が顔を出す壁画など、どうであろう」

 浮世絵でありそうだなそういうの。


「浮世絵っちゅうとアレじゃろ。ウタマロ」

 男女の絡みが描いてあるのばっかじゃえねえぞ。

「知っとるがな。しかし、そういうイメージが強いのも確かじゃ」

 江戸時代はおおらかだったらしいからな。

「余も、性風俗が発達していた等と聞き及んでおる」

「我輩の所も人のこと言えたものでは無いしの。男がいればそんなものなんじゃろ」


 やっぱ、エロ看板とかあるんか。

「木板に絵を書いたもんが精々じゃがな。あんまり豪華なのは見かけんの」

「もっと文明化せねばならぬものであるな」

「荒野のフロンティアなんざそんなもんじゃて。ゆっくり風呂に浸かれる贅沢なんて夢のまた夢じゃ」

 こっちじゃ洗髪代込みで四百円だがな。


「いやはや文明万歳じゃ。これでサウナがあればのう」

 古い銭湯だからなぁ、ここ。昔はラドン温泉があったけどな。


「ラドンとは何奴であるか?」

 なんかよく知らんが、微量の放射能がある温泉とか書いてあったな。

「放射能とはあれであるな。浴びると巨大化したりする」


 違うがまあそんな感じだ。

「それは……大丈夫なんかの?」

 知らねえわ。そういうのが流行った時期もあったんだよ。

「おっかない流行りもあったもんじゃの」

「余としては体験してみたいものであるが」


 そんな大したモンじゃねえぞ。別部屋になっててサウナっぽくなってるくらいだぞ。

「体感あったらやばいんじゃろ。放射能って」

「やはり、巨大化とか光線吐いたりとか出来るようになるのであるか」

 そんなんなった奴の話は聞かんがな。


「触手殿がさらに巨大化したり、光線出したりするとなったら地獄じゃな」

「余の真の姿はさらに巨大であるぞ? 山とか一呑みであるぞ?」

 あくまで自己申告じゃあなぁ。

「見たいなら見せてやっても良いものであるが」

 いらんわ。


「出たら州兵来るじゃろな」

 こっちに州兵はおらんぞ。


「まあ、真の姿で脚を伸ばしてゆっくり湯に浸かるのは余の夢ではあるぞ」

 山よりでかい温泉は知らんなぁ。


「せめてその姿でゆっくり脚でも伸ばせばよろしいな」

 脚どれだよ。


「まったくまったく。いやぁ、湯で温まると生き返るようであるな」

「汗もようようかいて。上がった後の一杯が最高での」

「余はコーヒー牛乳を所望するものである」

 自分で買え。


「そこは皆で分け合いの精神を持つべきであらんか?」

 おれは風呂上がりはビールが呑みたい。


「こちらのビールが冷えてるのが良いの」

 ぬくいエールビールも嫌いじゃねえけど、風呂上がりは冷えたラガーだな。

「余はフルーツ牛乳でも良いぞ」

 だから牛乳の話してねえだろ。


「レモン牛乳というのがあると聞いたんじゃが」

 最近はコンビニにもあるぞ。

「それは気になる品物であるな」


 初めて飲んだ時には、なんか懐かしくなるような味だったな。

「帰りに買って帰るかの」

 おれもビールとサワー買って帰るかね。


 そうと決まったらちょいと上がるか。

「なんじゃ。もう上がるのか?」

「余はまだまだ余裕であるぞ」


 お前はいいダシが出るまで頑張れ。

「間違っても飲みたくないダシじゃのう」

「しかし良いのか? 余の財布には少々の余裕があるものであるぞ。コーヒー牛乳くらいなら奢ってやらんこともないが」


 それは今度にするわ。

 一応バイトの仕事しねえとババアがうるさいし、ちょっとガスの様子でも見てくるわ。

「おお、頑張るが良いであるぞ、勤労青年よ」


 うっせ。

「ではトコヨ荘でビール冷やして待っててやるからの」

 おう、頼まあ。


 脱衣婆で作業着をひっかけて裏手に回ると風呂場の中からテイさんの声がした。

 がやがやと客どもが騒ぐ声が大きくなっていく。

 バイトが忙しいのはこれからで、客が引けたら最後の一風呂浴びて、掃除しておしまいだ。

 その頃にはビールも相当美味くなっているだろう。

 美味いビールのためにも、たまには真面目に働くかね。

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