箱の中の人たち

キタカタ

第1話 箱の中の人々。


──いうなればこの世界とは作られるべくしてできあがった世界なのかもしれない… ※※※※・ホールデイ・リンクス



物語はある果ての世界のお話。その世界の最果てには見上げることもできないほどの大きな壁が続いている。人々はその壁について特に興味は示さなかった。

だってそれは当たり前のことだったから。生まれる前から世界の果てには壁が続き、向こう側に何があるかなんて誰も知らない。向こう側などないかもしれない。壁の向こうにも同じような物体・・が続いているのかもしれなかった。


まるでそれはあまりにも大きな箱庭だった。


壁は作られたのではない。それは元々そこにあったんだと結果、人は考えた。

悪が勝利したらどうなるのか?という考えから着想を得て書いてみた作品です↓↓↓


 遥か従前「灰の支配王」達はその膨大な力で「沈黙の王国」を向こう百年の間に創り上げ、世界中を死の灰で覆ったと云う。そして甲魔という巨大な黒銀の身体を持ち、唯一死の灰に耐える化物をその中へ放つ。彼らは超常的な存在であり「神」と迄いわれ一部では深く信仰の意を賜る。

世界のあらゆる地は死の灰によって分断され、独自の変化を遂げ、現在に至った国々の歴史を某国の人間達は「空白の百年」と呼んだ。そののち世界中で紋手者という手に力を持つ者達が現れ始め、点在する古の某国を手中にしていく。

沈黙の王国へと立ち向かう為、将軍ゼラルド・エルゴードを筆頭に大帝国軍ヘヴルスが作られ、向こう空白の百年を取り戻す大計画が進められる。

そして、空白の百年の後、数十年、灰の世界、蝕界の荒廃したある建物の中で私が目覚めた所からこの物語は始まる。【二部構成を想定してます・分割にはおそらくなりません】


※毎週金曜日八時更新を予定してます


ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。次回の更新は未定ですが、なるべく執筆量を多めにしてお届けしたいので、遅くなるかもしれません。それではまた。




冒険 女主人公 アクション 戦争 世界系 友情 国家 チート 主人公最強 二部構成



 この世に誰も私の事を知ってる人がいなかったとしても、きっと大丈夫だ。

 私はわたしが誰なのかさえ知らないが人間が生まれて来た事には必ず意味があるんだろう。


 わたしはそれだけを信じて闇から這出て来た一匹の獣なのだから。




プロローグ 目醒め



 暗闇の中で一つの意識が蠢き始めていた。私の一番古い記憶は糸のさきがその繊維をくねらせながら前へ向かおうと動き出している不可思議な情景。


 私は花が開くように芽生えたその動きを喜びの感情とした。


 そして意識と呼ばれるものが思考という回路を伝い、行動へと繋がって行くと次々とそれは現実味を帯びたものに変化してゆく。


 ここから出たい。


 ある思考がそれを脳に注げると命令へと転換され、行動へと実行しようとする。


 暗い部屋の中ではその物体がひとつの小さな光を灯しだしそれはだんだんと眩い光になってゆき、まるで神々しく部屋全体を照らしているようだった。


 みると照らされた部屋の中は無機質で凹凸のある何かがいくつも設置されているようであるが、どれも何百年と放置されたように古びて錆び付いて要るかの様にも見て取れる。


 様々な凸凹のその部屋の隅から全体を照らしだしていたその光はやがて光るのを止め再び元の暗闇の中に戻っていった。暗闇の中で私は目を開けてみた。


 すると自分の周りがある程度低い壁のような物に覆われていると気付いた。そしてその壁は自分の身体の周りをぴったりと覆っており私は仰向けの体制でその場にいたのだ。


───起きないと…


 私が身体を起こそうと腰を曲げると薄い膜のような者が身体にはまとわりついて来る事が分かった。


 恐らくこれは永年の物質の風化や劣化をある程度防ぐ為のものなのだろう。


 この世界のことは今は何も知らないが私には何故かその様なことがある程度分かってしまった。


 此の世に生を受け生まれ落ちた者は皆生んでくれた親に感謝し、また愛を受け色々な事を教えて貰うのだ。


 私もここから出たら親を一番に見つけちゃんと感謝し沢山愛されようとこの壁の中で考えてみた。


 しかしその為にいち早くこの膜を打ち破らなくては外には出られない。


 少し乱暴だが私は力強く前のめりになって膜を押してみた。その時、鈍いような妙な音が部屋に響く。


 膜は私を強引にまた元の位置に戻し、今度はもっときつく薄い膜が締まってくるのを感じていた。


 私の身体にさらに纏わり付き、次は絶対に動かさいないぞと締め付けてくる。



「うぅ…」

 思わず弱く小さな息が漏れる。


 これはただの薄いだけの膜ではない。永年の劣化などを抑える為にはある程度薄くても強度と密着性を持った特殊な物質で出来ていなくてはならないのだ。


 私がこれまで以上に身体をぴったりと絞め上げられ身体を縮こまらせながら、とうとう諦め掛けようとしていると、急に下半身の方が物凄い勢いで立ち上がろうとした。


 すばやく俊敏な何かが電流のように身体に伝わってくる。


 見ると私の右脚が高らかに上がっており、そのまま弧を描いて残りの膜を勝手に切り裂いた。


 骨盤等の力には一切頼らず脚は一寸の狂いも無く動く、またその動きが余りに繊細で猟奇的にさえ感じた。


 脚はまるでイイぜと言っているかの様に元の位置に下がっていき壁の内側に納まった。


 静かに身体をあげてまわりを見てみる。残った薄い箔が静かな音を立て剥がれていく。

 わたしはさっきのまだ真新しい記憶を呼び起こし暗い部屋に向かって叫んでみた。


「おとうさ、おかさん!」


 思わず出した声は詰まり、声の抑揚が震え吃ったように可笑しく響いた。


 「あ、アハ、あぅ……」


 初めて大声を出したがまだ声は上手くは回り言葉には為らない。息切れさえとても激しいものとなっていた。


 改めて部屋を見渡すと目が慣れてきたせいか、少しうすらうすらと見えてくる。中はさっきと変わらず凸凹してるが、よく目を凝らせばそれは機械等の類であった。


 いや、さっきよりも鮮明にただ多くのスイッチやレバー、それを操作して見るような巨体なモニターが存在していると云うだけであった。


 何処なんだろう、いや、それよりもここに居てはいけない。そういう思考が何故か頭の中を支配していた。ジワジワと。


 半身しか壁から出ていない身体をさらにゆっくりと持ち上げ壁から左脚を出してみる。


 じめりとした感触だけが肌を伝わる……地面は少しだけだが微かに湿って濡れており、よく脚を左右に延ばすと部屋全体にその液体に充たされている事が分かった。


 右脚を出してみる、だが私は次は 少し自信あり気に大きな一歩を踏み出そうしたため、たまたまその一歩が大き過ぎてしまった。


 体制を崩した私は右脚を大きくずらし壁の外へ一回転をして頭から思い切り打ち付けて倒れそうになった。


 途端に右肩で受け身を取ろうとしたが何故かそこにはそれが無かったためか私は激しく地面に顎を滑らした。叩きつけた上半身は下の液体にそのまま触れそれはまわりに飛び散った。


 その一回で自信を無くしてしまった。どうしてか、嫌になったんだ。


 私は暫くズプリと地面に伏していた。


 床の液体が身体の周りに纏わり私の白い身体はどす黒いヘドロかオイルのようなよく分らない液体で汚れる。


 気付くと私は簡単な下着のような物と前のボタンが外れ掛けており、大胆に胸下の露出しているとても服とも云えない物を着ていることに気付いた。


 そしてそのシャツのようなもの以外ほぼ着せられておらずそれにも泥が染み込んできてそれが直に伝わって来るので肌に吸い付きとても気持ちが悪いという感情が生まれてきた。


 しかしこれまで脱いだら本当に裸の様な姿になってしまう羞恥心と私は格闘せざるを得なかった。


 このままではだめだ…


 今はそれだけの意志が私を行動させるだけ。ゆっくりと脚を軸に身体を起こしてみる。支える為に腕を伸ばそうとするが何も反応はない。私の中ではそのもうひとつの疑問がひたすらにぐるぐると回り思考の中の邪魔をする。


 しかし脚は私がそれ以上意識はしなくても勝手にまた動き始め、私の体制を整えてくれた。


 伸びた背筋でぬくりと立ち上がり、ちょっと横に身体を預け、凭れかかると、そのまま盤面のような所へ身体が沈んでいく。


パチッ


 途端にいままでの景色は切り替わり、部屋に明かりが灯された。



「あっ」



 私は堪らず驚く、さっきまで機械しかないと思っていた部屋の中には、全体に今まで私を閉じ込めていたまるでひと一人を閉じ込めておく壁のような大きな造りのカプセルが幾つも置かれていた。


 私は恐る恐るわたしが入っていた以外のカプセルの中身を覗いてみた。



「こ、これ…」



 カプセルの中身には驚く事に私と同じ人間が入っていた。私は他にもカプセルの中の人間をみつけようと部屋の中を一周して見てみたが何故か中に何も無いものも幾つかあった。


 その中で一番最初に発見したカプセルの場所に戻って来た。カプセルの中の人物、これは男性だ。


 自分をみると分かる。自分は胸も尻も出ていてくびれもありおまけに肌も泥で汚れはしたがこの部屋の壁のように白い。


 一度でも男性が彼女に目をやればその豊かで綺麗な形をした胸や美しい乳白色の肌をした脚に魅了され目線は彼女に釘付けになる事は間違いないだろう。


 男の欲望を体現させたかのような彼女の年齢は発育も丁度成熟期を迎えそうな十六、七歳といったところにみえる。


 だが自分の身体と他を比べてみるとやはり違和感があった。そして彼女はこの瞬間にその違和感についてやっと確信を得た。



 私には腕が無かったのだ。



 どうして?と言うのが素直な反応であろう。他の者は全てどれを見ても五体満足、完璧な人間である。


 いや、完璧な人間の定義ってなんだろ。そんなもの無いのだろうが、私の身体が日常生活に支障をきたしそうなレベルでハンディを背負っている事はわかるんだ。


 彼女の腕は肩あたりからがなく、黒い金具の様なものが代わりにめり込んでいるというだけだった。


 金具は身体と直結しておりもはや一部ともいえるほど、深く減り込んでいる。


 何故目覚めてここを出ようとした自分には腕さえ与えられないのか、無理矢理出ては行けなかったのか。


 だとしても出る時に違和感などなかった。そもそもここは何処なのか、知らない知らない知らない知らない。何一つ、知らない。私が誰かも知らない。


 何か昔の事を覚えているかと言っても、頭の中の記憶はカラッポで、概念の様なものしかなく、誰と会ったとか何か有ったとか何をしていただとかそういう類のものは何にもない。記憶の一片も掴めさえしない。


 ただ私は自分のした事を最初の罪のように意識し、深く思考を凝らしていた。



 だけれど考えている内にだんだんと疲れて来てしまった。多分考え込むのはそんな好きじゃない。考えてるくらいなら真っ先に行動して、後は過ぎてからでいい。


 彼女は前にあるカプセルの中の男性にゆっくりと近付いてみた。


 茶色の短い髪型の欧米人風の風貌である。人を見ていると自分の顔も彼女は気になり始めていた。でもまずはこの男性の事を知るのが先決だ。


 起きているのかな?


 彼女はその白く程よい肉付きの脚を男性のカプセルの隅に預け上に乗ってみた。男性からは彼女が脚を大胆に開き自分の上に跨ろうとしてるかに見えるだろう。しかしこんな恥ずかしくなってしまう様な事をしてても部屋の中のカプセルでは誰一人として自分以外起きることはなかった。


 この巨大カプセルは見渡すと自分のを含めて二十ないかあるか程度であった。部屋も大きなカプセルを集約してあるだけあってそこそこの広さだ。何かの研究施設だったのだろうか?


 彼女は安心してその男性の上にもたれ掛かって身を預けてみた。男性の上に覆い被さった膜が静かに沈んでいく。特別その男性の見た目が気に入ったわけではない。今は誰でもいいから安心させてくれる存在が居てくれればそれでいい。


 だが結果は違った。男性の身体は冷たくさっきの膜が自分よりも緩めに全体に覆われていて、まるでこの場で死んで要るかのようであった。


 次の瞬間、驚くべきことが起こった。なんと男性は目を見開いたのだ。その目はジっと殆ど裸同然の私の身体を見ていた。思わず目を何度も瞬きさせ、もう一度相手を見返してみた。


 男性はさっきと変わらず目を閉じてそこにいた。私の幻覚だったのだろうか。確かに男性は目を開いていたというのに。彼への幻想が激しく私に偽りの現実を示したのかもしれない。


 私は酷く落ち込んでそのカプセルから降りた。身体を見られたというよりせっかく出会えたかもしれない仲間だったのに彼はもう目を開こうともせず動きもしない。私が目を落とすと複雑そうなカプセルの下にはどれも文字の様なものが刻まれていることが分かる。


 男性のものは英語に近いが少し違和感があり、ニュアンスそもそもが異なる言語のようにもみえたが、何故だか私には読めた。


《R-002サルーキ》


 サルーキと確かに書いてある。わたしは、そうだと思い出すように脚を動かして自分の近くのカプセルに戻った。


 また恐る恐る見ると私のカプセルにも名前が書いてあった。他と少し違う所は私のだけ金のメッキでそれが少し剥がれていて、


《018シトラ…※※※※、、》


後は読めないが、しかしシトラと書いてある。そこは読む事が可能だ。


 シトラ…シトラ…私の名前、

わたしは……シトラだ!


 記憶なんて幾ら紡ごうにも無いものなのに、その言葉、名はスッと頭の中に刻まれた。


 私は何だか急に自信が湧いてきたような気がして、部屋の中心で飛び跳ねていた。


 人間は自分の名前の意味を生まれて来てから知りたがるものなのだろうか?


 今はただ、私の名前であるというだけだが、人は自らの名前の意味を知りそこから生きる答えを導き出してゆくのだろう。名前の意味は知らないが親には一度会いたかった。きっとわたしにも居る筈だ。


 だがそれは決して容易くはない。それから私はいずれここからも出ないととだんだんと強くさっき迄の思考に駆られ、考え始めていた。だが、この部屋から出るのは案外簡単かもしれない。


 私のカプセルのすぐ近くに白に青いラインの入った丸い扉が一つあったからだ。完全密室の空間というわけじゃないみたい。


 シトラが扉に近付いて行くと、何故か不思議な気配を感じた。それは勢い良くシトラを元の場所に戻そうと彼女の身体には再び巻き付こうとする。


 シトラは伸びてきて中心に絡まりながら集まろうとする膜を頭上に勢い良く跳び上がり紙一重で脚を器用にくねらせながらかわしてみせる。


 すると彼女のしなやかな白い美脚は鋭く膜を捉えシトラの意思とはまた関係なく伸びてきた膜を弧を描きながら受け流した。

 音速の中を生きる様にわたしの脚は素早いが、無駄な動きなど一切無く次々と避けて別の行動に移っていく。



『見える』



 感覚は研ぎ澄まされ、精神は幾分にも途切れず永遠かのように持続していく。明るく照らされた広間の中でもシトラの黒い瞳が周りに激しく黄色の光を帯びて、揺らいでいる事がはっきりとわかる。


 一、二、三本の残りの薄い無色透明の膜に向かって左脚を軸にして素早く的確に捉えらえ、ほんの数秒の内に何度も右脚を振り下ろす。この数秒、彼女の見ていた世界は常人ではもう理解の範疇を超越する程の域であった。


 無色透明の膜は常人の眼に遠心している刃がそこに何枚あるのか分からない様に映るだろう。


 それは有り得ない速さの高速モーターの様に膜が伸び縮み回転しながら変形し彼女の身体を粉砕しようと襲いかかって来ている。


 一本、一番長い膜の尖端が伸びる間もなく右親指の脚の鋭い閃光に砕け散る。


 二本、再び戻した右の脚裏の無慈悲な刃のような素早さに身体は一回転し、膜はその勢いに撒き込まれ木っ端微塵になり消える。


 三本、正面から一直線に伸びて来ようと、遙か天井に振り上げ、思い切り振り落とされた最も強力なかかと落としの前にはこれも無力である。


 一瞬の内にも私の眼には脚が遺したくれた瞬間刹那の功績がまるで、スローモーションや一枚一枚の列んだ絵を次々と見ているような速度で脳裏に残っていった。


 私の研ぎ澄まされた感覚もまたこれ以上に鍛錬を続ければ一級品になるぜと云うように脚は左右とも粗利上がりながら踝を射ち鳴らす。


 脚が地面につき完全に止まると シトラの眼は勝手に元の黒地の瞳の色に戻っていた。


 彼女はそれに気付いてはいない。


 残った膜ははらりと四方に分散され力なく落ちている。そのズタズタになった膜はキチンと包装されたビニールのパックが乱暴に破かれたようにそこに有るだけだった。


 膜はそのまま白い蒸気を出しながら融けて消えていく。膜はもう私を襲っては来なかった。



「やった…」



 私の脚は意識しなくとも勝手に動いてくれる。腕や手はなくともそれ以上の効果を確実に持っているんだ。シトラは自分の逞しくも美しいこの二本脚をとても誇りに思った。それと同時に私はこの身体で必ず人並みに生きては行かなければ為らないんだと強く感じていた。


 ある程度、息を整えてこの部屋の扉に身体を押し当てると扉は意外にも簡単に開いた。外の空気が漏れ、中に強く凍えるような冷気が入ってくる。シトラは振り向きながらこの部屋としばらくのお別れをする。



「バイバイ、サルーキ元気でね…」



 カプセルの住人の一人である彼にも別れを告げると彼女は丸い扉から外へ出ていった。







シトラが扉から外へ出ると、そこには暗がりの廊下がつづいていた。廊下の気温は低く、息を吐くたび少女の小さな口から白い息が漏れる。廊下のさらに奥は何も見えず、暗闇の洞窟の最深部を見ているようで中からおどろおどろしい化物が出て来たとしてもおかしくはない雰囲気だった。


 しかし私はそれでも先に進まなくてはならない。せっかくあの暗闇から一人で出られたのだからここで止まっていてしまったらあの場所で独りだった私はまたひとりなのとは全く変わらないからだ。


あの場所の時間は何も変わらない。ただ動きもしない時間と場所に置き去りにされたみたいな異質な空間、外の世界に何があるか私にはひとつも分からなくても、あの息も詰まりそうな、ただ滅ぶ事を待つような闇の中から出られた事は大きな成果である。


どこかに光はある、わたしはそれを信じている。


 下を見るとまだあの液体が流れ続けている。厳密に言えば、廊下から流れ続けるこの液体は部屋の何処かの穴か何かから入り込むか漏れ出して、恐らく部屋に液が溜まっていたわけだ。


 私は廊下から流れてくるこの液体を脇の路に避けて無理矢理辿ってみる事にした。廊下の脇には時々ゴミか何かの残骸か分からないものがあったが、それでもソレをワザと踏み付けながら通るしかない。そしてもう転ぶのは二度と御免だ。

 しかし何よりもだ――寒い。寒過ぎるんじゃないか?


 私は早く何か着る物が欲しいなと思った。衣服は外的から身を護ったり、防寒からさらに装飾や物を詰めたり、様々な効果が期待できる。私の場合はまずこのままでは人前に出る事もままならない。私は冷え切った体を温める為に足を擦り合わせるようにしながら廊下の脇を引きずるように気の乗らないままでとぼとぼと歩いた。道の右側には時々、窓の茶色い錆びれた枠取りが幾つかあった。


 立ち止まってそれを見ると少しだけ光が差し込んできている事が分かる。だが、窓の縁は杭や重そうな釘で留められており、身体で押しても開きそうにはない。無理矢理、蹴り開ける事も出来なそうではないが、今はそんな気が起きては来なかった。


 何十分、何時間経っただろうここでは時間を示す時計もないそれにここがそもそも世界のどこら辺にあるのかさえ知らない。狂いそうだ、感覚が、神経が。


 長い間、考え事をしながら暗い廊下を歩いていたが、どうしても私があの部屋で目覚めた以前の事は思い出せなかった。わたしはあの場所にどうして閉じ込められていたんだ。


それにどの人間も私と同じような格好で、あんな誰も出る事ができないような場所を作って。私は考えれば考える程それはよからぬ方向に進んで行き私の思考を乱していく。


 結果私は自分の名以外は何も知らない。それも誰が付けたのかさえわからない。でも今の私にはそれしかない。自分の身分を証明しようとも名以外何が私を認めてくれよう。



「はぁ……」



 思わずため息が零れると、私の目の前が壁になっていて、とうとう暗闇もここで終わりかともう一度、深いため息をつく。試しに光も殆ど届かないこの壁を伝い逆の路へ引き返そうとする、だが途端に壁は私を弾き返し私は道の左側の少し空いた空間に吹き飛ばされた。


 なんとか怪我をすることは免れたがなんだろう? 壁にしてはおかしな感触だった。不可思議な壁へもう一度近付いて身体を当ててはみたがただの厚い壁の感触がし、それ以上のそれは何物でもなかった。私はおかしな幻覚を見たかとまさに狐にでも摘まれた気分ではあったが思わぬ報酬でもあった。


 飛ばされた側の先は暗さでよく見えなかったが段差になっており、それは上へ続く階段であった。この階段は最近まで使われていたかのように残骸などが片付けられており、人が居そうな形跡があった。何より人に会いたかった為、上へ行くために足を急がせる。階段は一度上ると折り返しになっており、そこをまた二十段ほど登って行った。


 階段を登りきると右側に光が差し込んでおり、今度は窓の枠には杭や釘も打ち込んでおらず、ちゃんと開きそうな窓であった。恐る恐るシトラは外の世界を覗いて見る。


 これって――――。


 窓越しに見えたその眼前の景色は一面に広がった灰色の世界であった。退廃したかのようなビル群が意味も無いように建ち並び、果てしなくそれは続いていた。人のいる気配は全くない。


 地面には灰の粉のような物が絶えず落ち続け、ビル群の最上階に見られる部分の場所にさえそれは溜まっており街全体が灰色一色と化していた。依然、灰はそのままふわりと地面に積もり続けていた。雪?とは少し違う様に視える。


私が窓を押し開けると灰が逆に勢いよく飲まれ中に入り込んできた。しかし外に身体を乗り出しても風は感じられない。下を覗き込むとここが初めて二階の部分だという事が分かる。


――――降りられそうだ。


 一階の部分はそこまで高くはない、おまけに下には灰が積もっているのでクッションとなり落ちたとしても怪我はしないだろう。


 そして少し私は幼稚なことをしてみた。顔を外へ突き出し、長くも短くもない薄紅色の舌を伸ばして灰を掬ってみる。灰が口へ吸い込めれるように入っていく。眼を瞑りながらそれを転がそうとしてもそれが意外にも雪の様に冷たさはなく寧ろ空気のようにクチの中に入り込んで消えていった。


スッと口の中に消えて行ったので味は特に感じる事もできなかった。誰もが幼い時やるその行為だが彼女が子供帰りしたとしても、シトラが期待した結果とは違うものであった。再びドアを口で器用に噛みながら閉めた。


 みると二階のさらに廊下の奥には扉がひとつあった。今は先に外の世界を知るよりもこの建物の中の事を徹底的に調べてしまう事の方が先であろう。扉に寄り掛かり、少し押し開けて間の隙間から中を覗いて見る。


 中から光が漏れている、誰かいるのかな?シトラは恐怖心もなくただ純粋に誰かに会いたいという気持ちで扉を開く。自分の今の格好など気にせずに。扉はこれもまた古いためか高く耳の劈くような不快感のある音を立てて開く。


 部屋の中は明るく照らされた広間の造りに似ておりここにもたくさんのモニターが置いてあり、実験室のように設備が成されている。奥のモニターの前にイスがあり何かが寄りかかっているかに一瞬見えた。部屋の隅により音を立てないように壁沿いから近付いていく。


 途中で真ん中の青白い光を発する透明な円柱の中に不思議な布のような物が浮かんでいた。布は視る角度により、色、形を変え七色に反射しながらゆらゆらと円柱を泳いでいた。羽織るように着れば丁度私に合いそうなサイズではあったが、まずは部屋の一番奥に座る人物の前まで私は物音ひとつ立てずに近付いていて来た。



「こんにちは――」



 私から声を掛けても向こうからの反応はない、背の大きめの白い椅子の裏側を思い切って覗き込むと、また私は驚かされる。白いただの人の形を模った様な意地の悪い人形ロボットが上を向きながら座っているというだけだった。


 趣味の悪い事に人形とは気付くが顔は毛さえ生えていないのに何処かに居そうな人物の生々しい表情を表したかのようで、まるで現代アートの芸術作品かと云えるような造形をしている。

 途端に人形型のロボットは私の方を向きこう叫び出す。



「ジョルジュ、ジョルジュ、ハッピー!!ジョルジュ、オメデトー!」



 思わず私はその場に尻餅をつき周りを気にせず股を開いた状態でその場で静かに泣いてしまった。

 声も僅かに漏れ、涙は流さなかったが、眼のまわりが赤くいまにも涙が溢れそうな表情はもう泣いてしまっている事には変わりはない。


 悔しい―――。


 誰が私をこんな酷い目に合わせるんだ。こんな事をほんの悪戯だけの気持ちでやっているとしたら相当に趣味の悪い人間がいるんだろう。許せないよ。


 私はどうしてもこの何処にもやりきれない無力な気持ちと、私の精神をすり減らすような出来事が続いたので、とうとう心が折れてしまいそうであった。


私が下を向いてると何かが私の身体に触れるのが分かる。あのハッピージョルジュだ。顔を上げるとジョルジュの白い無毛頭が私の顔に近付いて来ていた。



「シアワセーオメデトー!」



 意味不明な言葉を発し少女の身体に無理矢理ロボットは抱きついてきた。ロボットは永い年月が経っていたためかボディの大半が錆びて腐っておりところどころ壊れて破片が飛び出した部分が少女の身体に掠れて傷を付けた。シトラの泥などで薄汚れた肌はところどころ擦れることで大きな怪我にはならないが少しづつ流血している。


 ロボットはとうとう壊れたのか同じ言葉を発し続け、少女の身体をずっと締め続ける。



「い、いやァ……」



 何故か脚にも身体にも力が入らず、抵抗もできなくなり、無気力な声だけが漏れてきた。


 これがあのカプセルの中のサルーキだったらまだ良かったかもしれない。彼がずっとただ抱きつくのも不気味だが、このロボットはもう他の行動をするだけの思考回路が残されておらず、古く錆びた身体がただ私を傷づけるのだ。私は身体だけではなく精神も疲れ切っていたのでもう意識が飛びそうであった。


 好きなだけだ、もう好きなだけそうしていろ。私は初めて諦めるという気分を感じていた。ここまで本当に疲れた。疲れたのだから少し休んでもいいだろう。ただ私の身体を傷付け続けるロボットを無視して私はただ部屋の天井を眺めていた。私が身体をぐったりとさせそのままにしているとそのうち意識は飛んでしまっていた。








 数時間は経っただろうか、起きると私の衣服は殆ど残っておらず引き裂かれたほんの少しの部分が私の腰や胸周りを被っている。


 ロボットは?あの私を傷つけ続けた壊れた哀れなロボットは消えていた。何だ、と最後に天井を見上げると答えはそこに残されていた。


 あの狂気の逸した暴走ロボットの上半身と下半身は分断され大きく罅割れ天井にそれぞれがめり込んでいる。あの白い無毛頭は大きく口を開け悲愴な表情を浮かべ私の左隣に落ちていた。天井にも大きな亀裂が入り、崩れた大きな破片が広間の大モニターに突き刺さっていた。まるで広間は大嵐が過ぎ去った跡の様に静かな時が流れそして荒れていた。


私がやったのか––––


 ふとそんな疑問も浮かぶが深くは詮索しない事にした。 崩れて部屋は滅茶苦茶な状態だったが、あの青白く輝く透明の円柱はまったく形を変えずそのままの形で残されていた。私は近付き、それをジッと眺めた。


 脚をその円柱の中へと伸ばし布へと絡ませる。円柱はやはり光だけで構成されていた。何故この素材を浮遊状態にし、半永久的にこの場所で保存ができるのかは流石に私の中の知識や概念だけでは認識不能である。


この布地や円柱を創り出した人達が生きていればかなり文明的にも高度な人類であっただろう。絡ませた脚の部分だけが空間から浴びせられる光に屈折してステルス化し、視えない状態になっている。姿を消せる布か。


 この布の様な物、今まできっと誰も見たこともない素材で構成されている。

ありとあらゆる化学物質を合成させ融合させた結果このような軽量でコンパクト、低予算量産化ができそうな伸縮性強度を保った特殊な布地を誰かしらが作成したとみられる。


 どっちにしろ、こんな布は私の知る限りの時代の人間は発想や技術を持っていなかっただろうし使用しなかったに違いない。物凄い科学力を持ち得て優秀な人材を集め無ければこのような代物はまず完成しない。


 しかし現段階ではこれは素材に過ぎず加工しなければ衣服や強度を保って、またそれ以外の効能は期待できないだろう。


 もしかしたら加工出来るほどの技術等を持つ文明はもうあのような外の世界では滅んでしまったのかもしれない。


 察する事に私はもしかしたらその生き残りか――


 何かを悟ったかのようにシトラからは溜め息混じりの笑いがもれ出す。

 今ある私の中に存在する感情、それは孤独。今のこの私の孤独を埋め合わせてくれるものは何も無い。あのカプセルから脱出した時点で私は孤独を背負って生きて行く事を自ら選択した。


 人類が初めて地球から脱出した時、宇宙空間で孤独を感じただろうか。


 地球は青かった――。


 それだけの言葉でこの星が青い地球であり生命の星だということが伝わってくる。なんでこんな事知っているんだ。誰が私に教えてくれたというんだ。何故だか私はカプセルからこの世界へ脱出した事と青い星、地球を脱した人類とを照らし合わせていた。


 生きること、それは自ら知ろうとし行動する事。あの場所から脱した時点で私の人生の活動は再び始まっていた。


 だがあの世界――。

 私は綺麗だとは思わなかった。あの灰色の退廃した世界。生きることを許されない不自由で怠惰が創り出したかのような世界。現在が過去から私が来たとして未来の地球だったのならば、私は灰色の星を、人類は灰色の星を美しいとは思うのだろうか。


これは私の価値観だと思うが、濁って光も発せないまま終わりを迎えたまさに死んだ星を私は綺麗だとは思えない。


 記憶ではない、誰が託したのか若しくは私がこの世に生まれる前から持っていたのか、これは一種の意志であった。今は何処でもない。


 未来の世界を救う翼となれ。


 何処かから何かが私に託してくれた。そのような信じる気持ちが湧いてくる。孤独だって構わない。


 私は自分を変え、この世界をも変えたい。その為私はもう一度あの場所へ戻らなければ、考えていても何も解決はしない。カプセルの並んだあの部屋にはもしかしたらまだ何かが隠されている。


 サルーキ達は必ず何か、自分以外の何か別の意志をもってあそこに眠り続けているのかもしれない。


 私が部屋から出ようと前へ進むと部屋全体が小刻みではなく突如大きく揺れ動き始めた。


地震か――?

 部屋全体が謎の浮遊感に包まれる。直ぐに気付いたがこれは部屋が、建物自体が沈んでいるんだ。


――このままでは危険だッ!


 咄嗟に私は先程の布を脚にも巻き付かせ、もと来た扉へ向かって足を急がせる。あと、二秒か三秒ないか。扉を蹴破るとそのまま流れる様に|窓硝子(マドガラス)に飛び込み、勢い良く外へシトラは落下した。


しかし、想像とは違い下の灰は積もっていてもクッションにはならなかった。灰はシトラ落ちた風圧で周りへ逃げて行く。そのまま彼女は地面に直撃した。ある程度もう建物が崩壊していたのでそこまで高さはなかった。


 だけれど、下に敷かれた硬く黒い砂地に建物は崩壊せずそのまま飲まれて消えていく。



「サルーキ達が!!」



 シトラが叫んだ頃には建物は飲まれ硬く黒い砂の中で消滅してしまった。何度も掘り返そうにもそこにはもう何も存在していない。


 途端に轟音とともに何かの爆発音と凄まじい風圧でシトラの身体が飛び上がり、近くの壁に叩き付けられた。



「つッ!?」



 激しい痛みが体全体へびしびしと伝わってくる。そしてそれだけではない。



なにが…何がおきているの……?



目の前のビル群の頂きではいままで誰からも聞いたことも見た事もないであろう巨大生物が建物に体を巻き付かせながら、お互い睨み合っている。二つの怪物の大きさなど何十メートルあるかさえ全く分からない。


 一方の生物が体を引き延ばそうとすれば、あの退廃したビル群とほぼ同じ長さが有るかもしれないと云うほどの大きさである。まるでそれは超巨大な百足型の蟲が地べたを這い回るそれであった。


もう一方は頭部に当たると思われる部分が巨大な単眼で身体は丸いフォルムであり、体中に黒い強靭な繊維が奔っていておまけに二本の悪魔の様な角が頭から生えていた。こちらの方がこの世に現存するには異端でありシトラの恐怖心を際立たせた。

 

 完全に私の頭が狂ったか、魔物達の巣食う異世界へ私は訪れてしまったんだ。これは恐ろしい悪夢なのか。私が望んだ世界では無く、いま解けることの無い異常な妄想で、私の脚があそこまで動いた事さえ嘘でいいと思える程だった。


 シトラはさっきの布地を体に纏わせながら、あの生物達に比べればずっと小さな体を縮こませながら一人震えていた。まだ両方の生物には自分の存在は気付かれてすらいないのは幸いなことである。


 目前にあったとしてもあの生物達からは数百メートルはここからある。静かに体を丸めていれば見つかることなんて多分ない。しかもこのステルス性の布地が私の身体と気配を極限まで透明化してくれていた。


 そうだ、私はいない。何処にも存在するただの路傍の石に過ぎないのだ。



「御前ではない。私に挑むという事は貴様は自らの死を選択したということになる……

そして御前の中の多くの者達の死を受け入れるのだな……。」



 何処かから突然響くように声がしたが、一瞬何を発したのか分からない。



「オオオオオオオオオオオオオオォォ!!」



 途端にあの巨大な蟲の生物は声を上げながら身体を反らせながら硬直した。みれば醜い薄墨の蟲の身体にはその体色とは全く真逆の白く光り輝く一角が貫いていた。



「ほぅ……」



 再び響いたあの声の主はなんと悪魔のような一つ目の化物の中から姿を現したのである。しかしそれは私と同じ人の形をしている。身体には高貴な深緑の軍服のような服を着衣していた。


 なんとも目立ったのは黒の配色に金のラインが象られており配線やチューブに近いものが幾つも頭の後ろにまわされていて口元には呼吸をするフィルターが付いたかなり大掛かりなマスクをその者が付けているからである。


 然し、彼が激しく動き回ってもそれが特別邪魔をする様な事のない精巧な作りである。

風で棚引くコートの背には正面の手の甲が写し出されていて黒く二重の円を描いた刻印になっていた。


 何処かの国の国旗のようなその大胆な印が私はとても気になった。



「全くいつ来てもここは居心地が悪い…フン…まぁいいだろう。

何故?何処で?貴様が何を持って生じたのか私は知りたい…」



 その男は手を左へ挙げ翳した。



「とうとう姿を現したようだな、王の命核を有する『羽根無』よ。」



メイカク?ハネナシ?

 シトラには理解出来ない言葉がいくつか男の口から飛び交った。次の瞬間、王と呼ばれた眩い光を発するあの生物は首の力だけで、蟲を堅い地面まで叩き落とす、凄まじい轟音と圧にまたシトラの身体が飛ばされそうになる。


 金色の一角にこびり付いていた紫色のさきほどの百足の蟲の液体は蒸発して消えてなくなっていた。


 眩い光の白い生物は逞しい四本の肢体を携えており、見た目は偶蹄目の角を持つ動物に近いかもしれないが根本的に何かが違うようにもみえる。そしてこの生物は二本の鎧のように覆われた棘が無数に生える白金色の尾を持っていた。


 最大の武器はあの頭から突起した強大な一角であろう。どんなものをも貫き通しそうなあの一角は無敵の「個」の力を主張していた。眼の周りは爬虫類の様な堅い鱗でまた覆われていて、眼は鷹のように鋭く翠緑色に妖しく輝き、あらゆる方向に睨みをきかせている。

 まさに王と呼ばれるには相応しい風格を持ち備えている。



「あの千蟲を一撃で仕留めるとはな、流石は名だたる伝説級の化物『甲魔(こうま)』達の頂点に君臨する者の所以ともいえよう。

だがな、対する私もヘヴルスの帝国では逸話の中の生ける英雄でね。我が名はゼラルド・エルゴート。そう、私の名を持って此処で貴様は死ぬ。其れを証明してやろう。いくぞッ!」



 大きく声を張り上げた人物は両の手を前に突き出し交互に翳すと、男と怪物の前にはなんと二つの竜巻が現れたのだ。突如目の前に出現した竜巻は次々と灰色のビル群を巻き込んでいく。


風が混じり合うと凄まじい音を立ててさらに大きな竜巻に変化していった。まさに天変地異でも起こしそうな程の強力なエネルギーが男の前に集まってきていた。

 建ち並んだ他の遠くのビル群もお互いに軋み合い崩れかける。



「喰らえ羽根無、貴様も終わりだ。」



 男はマスク越しでも恐らく笑っている事が解るほど自信ありげに前に突き出した手を弾いた。


 だが次に瞬間的に一角の獣は身体を回転させ後ろの二本の尾を器用に体全体に纏わせる。尾は羽の様に全身を纏いそれが棘となり全身を覆った。


 ただ一角だけを突き出したままそのままの体制で宙へと浮き上がった。正に一対の金色の槍のような姿であった。

 そして、なんと白金の獣はそのまま男と悪魔の単眼の化物の方へ回転しながら信じられないことに豪風の嵐の中へ突っ込んだ。まだ二つの巨大竜巻は一角獣の方へ向かっていた。



「貴様の羽根無……それは翼などなくともその強靭な肉体で空を自在に飛び回るが由縁――」



「そして予想はしていたがこれがもう一方の『虚無の一角』と呼ばれる由縁か――。……フフフ、まさに相手に不足はないということだァアアッ!!!」



 一角獣はそのまま竜巻を撃ち破り、男と化物の元へ突っ込んで行った。



「…小賢しいわ…だがな、虚無の一角破れたりイィッ!!」


男はまといし仮面の中にて眼を見開き瞬かせ、閉じた手をそのまま振り上げた。


 化物は男が手で合図を送ってみせると、後ろに生えた四つの小さな羽根でさらに上へ飛び上がった。一瞬の間が空いた。


 みると空中で一つ目の化物は身体中の紐のような触角を伸ばし、浮遊している。化物の周りは空間が歪んでいるように見え、色々な場所に黒い穴のようなものが出来上がり、それが広がっていた。


 もう一度、ビル群の一つを削り破壊した一角の獣は化物に向かって飛び上がって向かって行った。

 黒い化物も応戦するかの様に丸い触角の絡まった手を伸ばし黒い空間の穴を一角の獣に向けている。角の尖端とそれが交わると凄まじい力がシトラのいる場所まで届き彼女を遥か上空へ吹き飛ばした。再び地面に堕ち叩き付けられる。私はそこで意識を失いかけた。

 

 そのまま霞んだままの景色に目を向けると一角の獣は黒い化物と共に暗い空間の中へ消えて行ってしまった。


 私は意識を喪いながら黒く硬い砂の中に飲み込まれていく幾つもの建物を眺めていた。そしてそのまま私も何処かへ消えたのだった……。


























あの時もし俺の手に何も宿されて無かったのなら、彼が死んでなかったら、俺はただの平凡な少年のままだったのかもしれない――


 第1章 北の辺境




 云わせてみればそこは死の道。太陽も月も空にはありもしない。黒く厚い雲の上、そこに何があるなんて俺は知らない。なんで地面や降り注ぐ灰色の粉が毒なのかさえも、話の中でしかその憶測でしか理解を許されない。


外の世界が危ない事は当たり前の事だから。人が鳥籠の中に閉じ込められて、そうではない支配者たちに飼われている事さえ、蛙の子供が蛙にまた成り、それを巣の中の蛇が狙っている様に当然だった。


自然界の法則のようにそれは日常であり、当たり前で、そこに疑問を持つ者は誰もいなかった。


ここに居る一人を除いては……。


 俺にとってはいつもと変わらない日常、少年は簡易的な黒いマスクを付けながらただ延々と続く灰色の粉の降り注ぐ道を歩き続けていた。のそりのそりと汚れた辺境の大地を踏みしめてく。


現在、人間はこの灰の降る世界では生きていけない。理由と結果だけが取り残されている為だ。そして人類の住めなくなったこの世界にはあるひとつの話が残されている。


遥か従前、「灰の支配王ガウスマン」達は突如として地上に現れ、その膨大な力を持って「沈黙の王国ヘヴン」を向こう百年の間に創り上げ、世界中を死の灰で覆ったと云う。そして甲魔こうまという巨大な唯一死の灰に耐える化物をその中へ放った。


彼らは超常的な存在であり神と迄いわれ、一部の狂信的な人間からは深く信仰の意を賜る。


世界のあらゆる地は灰によって分断され、その後独自の変化を遂げていった。それらに至った国々の歴史の成り立ちを某国の人間たちは空白の百年と呼んだ。


ジワジワと大地は百年という時を掛けて生き物が住めないよう蝕まれていった。


それから人類は何もしなかった訳ではなかった。人々の中から力を持った人間たちが突如として現れ始めたからである。世界中で観測された彼らは手に力を持ち各々が不思議な紋様を身体に有していた為、紋手者シーカーといわれた。


そして沈黙の王国へ立ち向かうため、紋手者シーカー現最強と謳われた将軍ゼラルド・エルゴートを筆頭に大帝国ヘヴルスが創設され向こう百年を取り戻す大計画が進められた。


 外の世界、蝕界、それを調査したりするのは大変危険な事とされていて、軍の規定からも基本的に郊外へ赴くことは禁止されている。


しかしこの俺の住む北の辺境と呼ばれる場所は該当されてないんだろうか。今では外へ出る事それが俺の仕事の一部だったり。また俺の人生の余暇時間のささやかな楽しみとなっていた。俺が物心ついた頃から幾ら大帝国ヘヴルスが正義と秩序を謳ったとしても外の世界は一向に変わりはしない。


 まあ俺の生まれた町だって小汚くて夜通しで酒場で気がすむまで馬鹿騒ぎする様な連中しか殆どいないし、小さい頃から何も変わらない。朝になれば男達も薄暗い炭鉱へ仕事へ出掛ける。

また夜になれば男達は馬鹿デカい声で歌を歌い、取るに足らないくだらない話で盛り上がり、俺が隅で一人でたそがれてると誰か来て酒を山ほど浴びせられ「辛気臭え顔すんな糞美味え酒が糞不味くなる」といわれる。


それと同じなんだろう、世界というのは誰かが望んだって必死こいてあがいてもそんな劇的に変化があるわけではないんだろう。



 世界とはある一定の法則で流れ動き続いている。それが安定しているか不安定なだけ、それだけなんだと、俺の先生でありもう一人の父親的存在でもあるドクがよく俺に諭していた。


 もしかしたら、俺の一番の友人であるかもしれないドク。彼は俺の故郷の小さな町で医者をやったり子供の為に教室を開いたりしている。


だから決まって皆からは「先生」と、言われる。それと俺達の間では彼は少し見た目も異質だが、仕事を紹介したり、外との繋がりを持ったりある種町の仲介人としてとても貴重な人材な訳だ。彼にしかこなせない仕事も多いし、今では俺の父親とほぼ町の中心に立ち皆を導いている為、厚い信頼のある男だ。


そんなドクから紹介された仕事を俺は半日で終わらせて後はある特別な時間にまわす為、必死に作業に取り組んでいた。


 

 それから今年で十四歳になる。というか今日がその誕生日なわけだ。俺たちの住む町

トランヴァーグではある一定の年齢になったからといって特別な儀式や祝い事なんてのは殆ど何もない。


 まあ仕事の出来る年齢に達すればどんな人間でも一人前の仕事仲間として歓迎されるわけだ。だが今日の仕事を終えればもしかしたら町の皆は俺の誕生日を祝ってくれるのかもしれない。そんな期待とは裏腹にすこしなんだかこの年頃では照れ臭さというものもあった。


 俺の仕事は大きなものの一つとして降り積もる灰の粉を特別な除積車とシャベルを使ってキレイにする事だ。主な場所は俺が帰って来る為の道なりと、「ホール」って呼ばれる居住施設の周りの一部分を綺麗に清掃する仕事を俺は担当させてもらってる。


 仕事をしている中では俺は最年少に当たるが多くの人が使う道を綺麗にするこの仕事はとても大切なんだ。俺はもうこの仕事を十二歳の時、ドクから紹介されその時からやっているので今年で二年目になる。


 そして仕事の為、右脇にはいつも仕事の手伝いをしてくれる愛犬のヴォルが歩幅を合わせながらピッタリと横にくっついている。ヴォルはもう今年で十二才のかなりの老犬だ。


 だいぶ毛の抜けてしまった元々白く綺麗だった肌は茶色くそれすらも褪せ、その身体は確かに彼女の衰えを視覚的に表していた。子供の時からいつもヴォルと俺は一緒だった。とても頼りにしてくれてるし俺もまた信頼している。


 それとこの降り積もり続ける灰のような粉。この世界の人間は皆、共通して「蝕界」という名で呼んでいる。この世界で振る粉、これは生き物が生きている事を許しはしない。そしてこの世に現存している生物には非常に危険な物質である。


一度不注意で俺はヴォルの、彼女の子供を死なせてしまった事があった。

 あれは二年前、仕事を始めてまだ間もない頃。とても悲しい一生忘れられない事件は起きた。いつものようにホールから仕事に行く為に俺はヴォルとその子供のベルを除積車に乗せて目的地に向かっていた。


 灰を防護するフィルター付きのマスクを被り、車の扉を開けた。だが次の瞬間に俺の横脇からそれは飛び出して行ってしまった。犬用の防護マスクを先にヴォル達にするのを俺は忘れてしまっていた。ヴォルの子供はすぐさま外に飛び出し、真っ直ぐ走り出して灰の中へ消えてしまった。


 ヴォルも飛び出さないかと見ていたが、この犬は非常に賢い犬なので吠えもせずただ灰の濃霧の中に消えていく子供を彼女は悲しそうに見続けていた。俺はマスクをすぐヴォルにも装着させ、車をあとにした。


 わりと時間は掛からなかった。真っ直ぐ進んで人の通らないような灰の沢山溜まった場所に子犬のベルは蹲っていた。持ち上げると猛毒の灰を大量に吸い込んだであろう子犬の身体は黒く染まり俺の腕から、ボロボロと灰になって砕けた。

地面に着くとそれはもうベルなのか何のかさえわからなくなった。


 通常生き物がこの死の灰を吸うと一分程度で身体に黒の斑点が現れ始めそれが徐々に黒く染まっていって、死に至らしめる。この灰は生物の遺伝子を完全に破壊しようとするらしい。そしてそれを防ぐ術は今の所、人類にはたった一時間程度の持続効果を持つマスクにしか遺されていないんだ。


しかしまだこの死へ直結する原因がどのように作用し起こっているのかは殆ど解明されてはいない。だが器官の奥に入り込まなければ、重大な死に直結する様な事態は避けられる事が今は解っている。


どっちにしろこの灰の粉を一度に多く吸い込んでしまえば後々、後遺症を齎す可能性がかなり高い。結局は後者だとしても長くは生きられないという事が判明していた為、俺は諦めていた。


 彼女もボロボロになり灰の中へ消えて行った自分の子供の周りを何度もぐるぐると回り続けていた。彼女のその哀感と自身の子に愛育を注ぎ続けたであろう姿を見ていると、その子に対する想いが悲壮感として一層俺に染み込んで来る。


 それでもヴォルはそのあと俺を恨んだりはしないで忠実に従ってくれている。本当にこの犬は主に一度忠誠を誓えば絶対に破りはしない。だがその事が逆に俺をやるせない気持ちにさせる。


 通常人間の感情を汲み取ってそれを理解出来る様な犬などいない。この犬はそれができている時点でかなり賢いんだ。だからこそ俺はヴォルにとても信頼を置いている。


 俺はそれから薄々感付いてもいた。ベルはただ灰の世界の中へ無闇に飛び込んで行ったんではないと。俺は思い出していた。この蝕界がそう呼ばれる由縁にはもう一つあることを。


 この灰の何処かには必ず奴らがいる。そして俺の周りにいる賢犬は何故かそれを敏感に感じ取ることが出来る。突如現れ無闇に人を喰らい暴れ回り灰の猛毒さえも全く侵される事無くこの世界を蹂躙する唯一の生物。


 狡猾で謎に満ちた支配王ガウスマン達によって生み出されたとされる化物。


 『甲魔(こうま)』とは他の生物とは一線を覆すものの事を指す。確かにこの世界ではとても巨大な生物は何種か確認はされている。しかし猛毒の灰の世界でも生き、ただ人間を襲う、そんな種類の生き物奴ら以外類を見ない。そしてそれだけが奴等の本質である。


 甲魔の生態とは殆どがまだ解明されないままである。黒銀の姿をした物が多く、蟲型や鳥の様な飛行型、鬼のような化物を見た人さえいるという。一説に依ればこれは生物ではなくただある命令に従いこの世を滅ぼすようシステム化された彼らの遣い、異界の悪魔だと云われ。それを唱える異教徒や独自の文明を持つとされる集団も少なからず存在する。


 しかしそれらの総ての事象を魂胆から覆すかのように彼らにはある神秘的な力が隠されている。甲魔は身体の周りに硬い鎧を持っている。それには二つ理由があるとされる。ひとつはその鎧は灰を遮断し、永久的に蝕界での活動を可能にする為。もう一つはその一体一体が「命核」とゆう特別な力を持った物質を保有していてこれを護る為である。


 命核とは生命の起源とさえ言い伝えられており、モノによってはどんな弱小国家でさえ途轍もない力を有する大国へと育て上げてしまうと云われる伝説がある。そこまでいわれるのは命核は触れさえするだけでもそのものに制御不能な程の巫術をもたらし、求める者には万里の睿智さえ与える事ができるという。


 だが強大な甲魔を捕え命核を取り上げた等という話は未だかつて皆無であり、どの大国も挙って力を我がものにしようと国境では緊張状態が続いているままである。つまりこれらは伝説級の話であって、その伝説が本当かは定かではない。


 しかしそれでもなお、力を求めようとするものがいるという事は伝説は本当なのかもしれない。それを手にすることが沈黙の王国ヘヴンへ到達する方法であり。人類の唯一残された希望。


そして甲魔が存在する、それは支配王ガウスマンの存在も有り得ることかもしれない。


 この灰色の世界と命核という特別な力を持つ生物が支配し蝕み続ける永久連鎖の世界を中の者達は蝕界と呼び恐れるのだ。俺はあの時確かに子犬を灰に還したとき、聞いた。凄まじいこの世のものとは思えない生物の咆哮が灰色の世界へ響き渡った瞬間を。油断した。それはただの人間がどう足掻いても打ち破る事は出来ない理由。



「ヴォオオオオオオォォッッッ!!!!」



 そのとても同じ生物と思えない叫び声は踏んでいた地面を大きく揺らし俺に恐怖の感情を一瞬で植え付けた。なにより耳から、耳から音が抜けない。恐怖の音が終らない。ただ音が、近くに居て喚き声だけを上げているというだけで身体が破裂するほど震えていた。


一度は圧倒されたが気付けばもう俺の足はもと来た道に向かって走り出していた。


 必ずこの世界ではついてまわる死。それを今まで生きて来た中で一番強くイメージさせられた時であった。俺は全力で走ろうとしたが、そんな時に限り脚が絡まって上手くは走れなかった。それでも必死になって車に乗り込み、ホールに命からがら逃げ延びたのだ。


そうだ、ベルの死は無駄ではない。あのとき俺が生かされたからこそ今の俺がある。きっと忘れろといわれたってこの記憶は消えはしない。そして今まで以上に警戒しながらヴォルと一緒に灰の中に聳える建物を見渡しながら進んでいた。


 この建物がいつ頃作られどんな理由で使用されていたかは俺は詳しくない。一説では「ビル」と言う名前の建物らしい。狭い区画の中でいかに効率よく場所を確保するかを追求した結果このような形になったらしい。

ドクにそれを説くと分厚い記録書のような物を持ち出して、解説してくれた事を覚えている。

 勿論、外に出ていることがバレてたりするとドクに少しだけ叱られる事もあったがもっと詳しくは訊かれはしなかった。


 総てはあの馬鹿デカい筋肉だるまのような親父にさえバレなければ良いのだ。


 そういう時ドクはいつも、



『マドに後から色々問われるのは僕なんだからね。』



 と耳元で言って来る。


 付けているマスクのフィルターの残量は今の所あともって四十分というところだ。まあ予備のマスクも複数所持しているし、車まで戻るのにここからなら三十分と掛からないだろう。錆びれた建物の一階部分を確認するとどうやら中は暗いが崩れ落ちそうな気配は無い事が分かった。


 俺の仕事は大体が単独で作業したりする事が多い。ホールの除積車自体もそこまで多く用意出来るわけではないし、何しろ俺たちの町トランヴァーグのホールには男手が必要な仕事が山ほどある。わざわざ危険を冒して迄外に出てまで仕事をやりたがる人間も少ない訳だ。まあ雇用される者も少ないし仕事の報酬自体も悪いわけでもなかった。


 それに俺は外の世界にずっと興味があったし、ちゃんと許可を取って堂々と出て仕事にもなるんだ。だから俺はこの仕事を気に入っていた。しかし外に出たってその日に得られる物は限られるしあまりに時間は少ない。


ホールの中で蝕界について調べている者ももしかしたらドクぐらいだ。俺のしていることはドクの手伝いぐらいにしかなっていない。町の皆も普通はあそこを怖がるもんだと教えられるから。


 蝕界、ここ北の辺境トランヴァーグの町のホールの周りは各所の中でも特に灰が厚く寄り付くものも辿り着く者も多くはない。


そしてそこにはある程度灰の積もる量が時期によって多くなることが解っている。


 今は一年の中期に当たるが今年は例年の調査量と比較しても多いようだ。基本的には一年の終わりに非常に仕事は増える。


 俺はこの時期を見計らってなるべく早く仕事を切り上げ、周りの大人たちには内緒でもずっと郊外の場所まで車を走らせて来た。それでも仕事は早くても丁寧に終わらせて来たんだ。


 日々の楽しみがあの男臭い暑苦しいホールの中で終わるか、多少危険はあっても自分の興味のある、まだ誰も見た事がない世界を見れるなら俺は喜んで後者を選ぶ。


 錆びれた建物の中で俺は面白い物を見つけた。茶色の何か薬を入れるような丸い瓶が落ちていた。ラベルが貼られているが文字はあまりにも時間が経ってしまっているのかとても読むことは出来ない。拾い上げ黒い蓋を捻って開けようと力を入れるとそのまま瓶は砕けてしまった。


 ここにあるものは大概が劣化して古びてしまっているので仕方ない事だとは思う。俺は腰の周りの捲いた黒い鞄から透明な管を二つほど出して、砕けた瓶から出た粉と建物の中の屑を掻き集めてそこに詰め込んだ。


――――今日はここまでにしよう。


 暗い建物から灰色の世界へ戻って行く。あとマスクは三十分程持つだろう。俺がもと来た道を戻ろうとすると外でヴォルが吠えている声が聞こえた。珍しいな。どうしたんだろう、いつもは一緒に居ても音も立てないように静かで大人しい犬なのに。


 きっと只事ではないと少しの胸騒ぎと共に俺はヴォルの元に歩いて行った。ヴォルはどんどん前へ前へ走っていく、何処まで行くんだろう?もしかしたら……。



「うわッ!」



 急に何か地面の感触ではない違和感のあるものに引っ掛かり俺は倒れた。倒れるとあたりに灰が舞い上がった。生き物でも踏み付けたんだろうか、それにしては大きかった。


 しかしまず、この世界にはあの生物以外は存在しないはず…

俺の頭の中では不安と恐怖の入り混じった状況で様々な思考が巡っていた。

 ヴォルはもう吠えるのを止めて近くに座っている。


 恐る恐る俺は倒れた辺りを手で探り確認してみる。手の先が何かに触れる。今まで触ったこともないような何か柔らかく不思議な感触が指先に伝わる。もっと触れていたい様な気もしたが俺は周りの灰を掃って何があるのかを確かめた。


 驚いた――


 灰を除いた場所にはこの世のものとは思えぬほど端整な顔立ちをした少女が眠っていた。まるでこの灰の煤で汚れた様な中に明らか違和感を持たせるように一度も汚れずそのまま置かれた琥珀のように透き通った白い肌を持つ少女が眠っていた。その肌は言い表せば雪よりも白かっただろう。


 というか初めてだ、自分と年齢も近い年頃の生身の異性を見るなんて。少年はマスクのレンズ越しからそれを見ていた。


 そもそも自分の町は炭鉱の栄えた何故か男ばかりの町で、女といっても酒場の女将のボルジョかその娘のまだ六歳になって間もない異性とは見れず、妹兄弟の感覚に近い子供のマラぐらいしか見た事がない。


 いつか家の糞親父が言っていた。

「年頃の女ってのは、まるで異次元的で神秘的な存在だ。母ちゃんと初めて会った時もそうだったな、忘れらんねえよ。ま、会えたら幸運だよな。」


 これが同じ年頃の女の子なのか――

 すごく……綺麗だ。今まで生きててよかった。


 なんだか彼女を見ていると俺はドキドキが止まらならなくなって何故か恥ずかしくなって来た。なんだろうこの感じ。よくわからない。


 そして俺はふと思い出す。ここは蝕界。

 そうだ!まずこの子は生きているかも分からない。とても心配だ。大急ぎで背負っているリュックから俺は予備のマスクを取り出しながら少女の淡い色をした唇に手を当てる。一瞬そのやわらかな口にドキッとしたが息はあることが確認できた。


――よかった。


 黒い斑点も顔には出ていない。俺は少女の頭に予備マスクを覆い被せた。サイズも大丈夫だ。


 そして少女が着ているか羽織っているのか分からないが何か特殊な布に包まれている事も確認した。光が反射するとその部分が透明になる。これも見た事がない不思議な素材だ。

 こんな高度な布を作れる技術を持つ文明が今も存在するのか。俺は一人関心を示していた。


 そうだ。彼女が何所かの異国の人間なのは確かだ。でもなんでこんな所で。

それにしても変だった。いくら少女は地の肌が白いといっても顔は泥などが附着し所々が正直汚れてしまっていた。何が目的でこんなところに、きっと酷い目に遭って来たんだろう。


 可哀想に、必ず助けてあげるんだ。

少年は心にそう誓い彼女を担ぎ上げた。


 布の様な生地は見事に彼女の身体にフィットしていたので、はだける事はなさそうだ。これならまるで寝袋を着ているみたいな感覚なんだろうな。しかし彼女の肩辺りを手繰り寄せようとした時妙な違和感を感じた。思ったより探った感触が浅い。


 両肩の位置から腰とわかる所まで手を当ててみる。やはり無い。この子、腕が……。


 脚は持ち上げようとするとちゃんとそこにあった。少しだが安心した。そのまま脚を担ぎ上げて背中に彼女を乗せた。少年はまた背中にあの不思議な感触が伝わってきたがなるべく気にはなるが今は彼女を救う事だけに集中することにした。

 大丈夫、ちゃんと生きてる。



 十分くらいで急いで車の場所まで戻ろうとすると、途中でヴォルに預けたリュックから握り拳程度の球体が転げ落ちた。



「やべッ」



 気付いた時にはもう遅い、球体は二つの小さなプロペラを取り出してそれを高速で回し浮遊し始めた。それからスピーカーのような網目状の眼の部分から音声が流れ出した。



「坊チャマ!仕事ハ終ワリノ時間ニナリマシタヨ!今日ワ、オ誕生日ナノデモウ帰リマショウ。ヤヤ!ナンデスカネソノ小娘ハ?」



 球体は機械音らしい喋り口調で話出したかと思えば今度はそのフォルムに付いた二つの複眼で俺の背中で眠っている少女の周りを飛び始める。



「やめろってLokaロカ。あと坊ちゃまっていうのも可笑しいぞ。せっかくやったチューニングがメチャクチャだ。とりあえず後で視てやるからバックに戻ってろって。」



 少年がそう言うと球体はそれを理解したかのように回転しているプロペラを閉じ、球体の左右から伸びる小さな手でバックを掴み中へ戻って行った。



「こ、ここは……?」



 後ろから微かに声が聞こえる。俺はすぐさま声を掛けた。



「起きたのかい。意外と周りの景色がクリアに見えるだろそのマスク。レンズにもフィルターにもこだわった特注品なんだ。後で作成室も見せてあげるからね、まー女の子が興味あるかわかんないケド……。」



「………」



 彼女は黙っていた、暫くの静寂が続く。初めて話す人間は黒いマスクで顔も見えない男だ。俺だって俺みたいな奴に話されたら話したくもない。しょうがないだろ。後で俺から色々聞いていけばそのうち喋ってくれるだろうさ。ただ自分にそう言い聞かせてた。


 彼女を乗せて歩いていると車の所までやっと着いた。ここまで来れれば安心だ。



「中に入るまではそれ邪魔だろうけど取らないでね。これから俺の町まで戻るから。トランヴァーグは知ってる?」



「……………」



「まぁ嫌なら無理矢理話さなくてもいーさ。」



 俺は彼女を地面に降ろし少し高い積除車のドアを開けた。車には灰が積もって色が変わっている。地面に降ろすと彼女は自分の脚で立とうとしていた。



「どうやら脚は大丈夫そうだね。よかった。」



 トントンと彼女の膝小僧辺りを手を丸めて俺は叩いてみた。

おかしな位に脚はびくともしない。頑丈な脚があっていいなと思わされてしまう程であった。

 そして俺はそのまま彼女を助手席まで上げて座ってもらった。俺も運転席に座ってヴォルを中に入れてドアを閉めた。


 ヴォルのマスクを取ると彼女のマスクも取ってあげた。取ったマスクは後ろの開いたスペースに無理矢理押し込んだ。


 もう一度彼女の顔を拝める。やはり綺麗だ。やっぱり俺、今日まで生きててよかったな。改めて顔を見ているとしっかり話せるか不安だった。彼女も何故か俺の事をしっかりとその深紅のような淡い大きな瞳で見つめてきた。


 こんな見つめられると誰だって目を離して喋りたくなるかも知れない。大丈夫…だよな。


 少年は自分も殆どフィルターの残量がなくなった黒いマスクを脱いだ。



「このマスクさ、暑苦しくなかった?もうこっからはホールの中はトランヴァーグだからコレは要らないから安心して。」



 大丈夫、多分話せる。


 少女は意外にも驚かされた。マスクを脱いだ人物の見た目は想像とは掛け離れており伸びきった白髪に何しろ特徴的だったのがその中心が緋色の眼球である。

 余りに少年がしっかりしていたので、声が高めの年齢もそこそこの男性と錯覚させられたのだ。少年もそれを悟ったようにして話した。



「驚いたかい?でもさ、町に着けばドクって人とあと数人を除けばあとの人は殆どこんな見た目なんだよ。ああ、ドクって人は俺の先生でさ、町で医者もやってるからきっと君も診てくれるよ……」



「……」



 相変わらず彼女は黙っていた。思わず俺も次に考えていた言葉に詰まる。膝に乗せていたヴォルももう寝ていた。彼女はヴォルを横目で少し興味あり気に見ている。



「かわいい…ワンちゃん…」



 彼女はぼそりとそう呟く。

 俺は途端に気付いたように彼女の膝にヴォルを預けた。



「ヴォルっていうんだ!もう老犬だけれど賢い犬だよ。それと俺の名前はエイコンっていうんだ。よろしく!君の名前も聞いていいかな?」



 少女はすこし考えているような素振りで老犬の毛を撫でながら答えた。



「私は……シトラ…シトラという…」



 少女の頬がほんのり赤みがかっていた。

 答えてくれた。俺は凄く彼女の探り探りではあるがその一言に安心して胸を深く押さえる。

 シトラ…彼女の名前を俺は忘れもしないのにその一瞬でずっと頭の中で何回も何回も唱えていた。



「シトラかあ。素敵な名前だね!少し気になったんだけどまあ嫌だったら答えなくていいけど何所から来たとかは分かるかい?」



「私は…」



「ん?」



 少しまた少女は落ち着きを見せてから遠くを見ながらこう答えた。



「私はわたしの名前以外…なにも知らない。」



 そう、そう彼女は言ったんだ。

 最後に彼女が話した時、彼女から漂っていた感情が孤独であった事を俺はその時知りもしなかった。



















車を走らせているとだんだんと灰で薄汚れていた空気も晴れてきて、俺の生活する

『ホール』の付近まで近付いてきた。


ホールとは人間たちにとって有害である物質の灰を避け、また外敵である甲魔からも身を護れる人にとってこれは最後の砦なのである。


 こんな便利な物を作った人間はさぞ高度な文明があったと云われているが、ホールの起源自体はあの甲魔たちや灰の支配王ガウスマン達以上に謎が多いとされている。ホールに関しては様々な部分で不明な点があるが、世界が灰で包まれた時、人間たちが元々あったこのホールへ逃げ込み、その祖先が今の人類ではないかという説がある。


 その大きさはまさに規格外、遠くの山を眺めるなんて次元の話ではない。一つの都市、一つの州域、はたまた一つの大国を収納してしまう、規格外の大きさ。そして幾つもの山々を丸ごと取り込んでしまうこの巨大シェルターの高さはゆうにこの世界の一番高い山でさえ越える一万mが平均的な高さとされている。


 もっと巨大な中心都市となればホールの大きさはさらに想像もできないものだろう。その為、ホールの郊外に出た人間がいたとしても遠くにあるホールの位置は深い灰の中に飲まれていてもどんな人間の目でさえ目視が可能な訳だ。


 灰の粉はこのさらに高い場所から降ってきている。そもそもこの粉は何所から来ているかさえ俺たちは知らない。灰は雲のもっと上、そこから落ちているらしい。


 これは上空1万m以上上にある時はそれは黒い物体として散布し地上に到達する時は細かい灰になって降り立つ、雲は出来る最大の高さで対流圏内で成層圏下部になるとされているが私達からでも目で雲は見る事は可能だがその高さは対流圏の緯度、季節、時期によって変わる。


 高さは5000m~13000mにまで変化しホールに雲が覆われている景色も稀に見る事も出来るわけだ。北の辺境の一帯は年中厚くドス黒い雲で閉ざされている事が多く太陽の光さえ届く事はあまりない。


 そして何故ホールに居る人間は中に居て安全に生きていられるかと疑問を持つ人間がたまにいた。


「ホールの周りは毒で覆われているのに中の空気は大丈夫なのだろうか。」


その答えには、


①ホール内に植物が自生しており、人間に必要な空気を作り出している。

②人が酸素を必要としない独自の進化を遂げた。


 と大きく分ければ二つの正答に辿り着く。

だがこの内なら①が最も答えとしては近いだろう。


 当然、人間には生きている中で呼吸というものが必要不可欠になってくる。空気中には酸素、窒素、二酸化炭素またそれ以外にもっと色々な物質で構成されており、蝕界にはそれ以外の物質も存在するという。


 酸素や二酸化炭素増えすぎても人体には毒となるがこれを分解して調節してくれるのが植物という事は常識であろう。


 勿論ホールの中には植物や奇怪な生き物が生息する地帯は多く存在していて今まではこれらが生き物にはきってもきれないものであった。


 しかしホールには周りに降って来て附着した外側の空気を空調し灰を取り除くことができる巨大フィルターが搭載されていて、これが酸素や新鮮な空気を創り出し内部を循環してくれる事が分かった。


 その為、人間は植物を切り離したとしても生活が可能となっている。元々、蝕界に出ていく為のマスクも構造自体はホールのフィルターを真似て小型化し改良されたものである。


 こんなほぼ完璧であるとも言っていいホールだが未完成の部分も存在はしている。

それは循環したとしても幾らかは周りに循環仕切れなくなった灰の残りが溜まってしまうという事だ。マスクも灰は横側から溢れ落ちるがフィルターはそのうち詰まるし長持ちはしない、時間制限があるのはその為だ。


 ホールの上部フィルターは詰まる事がほぼ無いのは実はホールは内側から拡がってきて外側が僅かに剥がれ落ちる。まるで生き物の脱皮のような性質を持っているということだ。


 それからこのホールの整備等が細かくできるメカニックと呼ばれる人間はとても少ない。俺の仕事の内容は点検や掃除を時期によっては毎日行うことも含まれる。


 しかし最近の調査では内部に居住する生物や人間を含め、種の全体に少しずつ原因は分からないが変化が起こっている事が確認されているが、随時調査は続行されている。


 そう、このホールは現在の人間たちの技術を用いても再現や増築は不可能。よってこの巨大なホールでも移住する人間や現存する数は一定に保たれている。まあそもそもこの中はトランヴァーグという炭鉱が栄えただけの田舎町に属する州域である。


 元々の人数が少なく何より若い人間はみな新たな開拓地を求め外へ出てまた別のホールを転々として行き旅をする事がいまでは主流だ。


 そして旅の最終目的は中央王帝都市であり、支配王に対抗されるため創られた帝国ヘヴルスの統治する夢と最高の栄誉の中心都市イージスを目指すのが今の時代では当たり前のようにもなっている。俺も、もうちょっと大人になればこんな町抜け出してもっと世界の事を知る旅に出ることを夢見ている。


 さっき出会ったこの不思議な少女シトラ、彼女はきっと外の世界の住人だ。一体どんな事を知ってるんだろう。しかし彼女は確かになにも知らないとさっき言った。エイコンはそこから何も聞けずにいた。それより彼女の腕の事も気になった。



「シトラ…あの……その、腕って……?」



 なにを言ってしまったんだと自分でも思った。でも考えているより先に言葉は俺の口から出てしまっていた。俺は幼い頃から考えるよりさきに口が出てしまう。その事でのトラブルも多々あったのに。



「ああ、この腕ね……」



 彼女から返された言葉は意外にもあっさりしたものだった。相手が相手ならもう口も聞いてすら貰えない質問だったかもしれない。



「わからない、もう目覚めた時にはこうだったっていっても信じては貰えないかな?」



「目覚めたって子供の時からそうなのかい?」



「私は子供の時の記憶もない……と、思う。ただ誰に教えられたわけでもないのに今乗って移動している物は車だし、私の膝の上の生き物は犬。そういうことは理解できるの。」



「へえ……」



 曖昧な返しをしてしまったがシトラがただ記憶を自分にはどうこう出来るものでは無い事はわかった。俺は…俺は彼女になにをしてあげられるんだ。なにもできないんじゃないか?



「その…君のはこれは俺の憶測だけどただの記憶喪失とかそういうものって感じはしないんだ。ただそれがあるならここまで来た途中の事とかは説明できないかい?」



「できるにはできる、だけどそれに関していうならあまり答えたくはないの。ちょっとショックな出来事もここまで多かったし…」



「そうか、まあ落ち着いたら話せるときに話してくれればいいよ。きっとトランヴァーグには信用できる大人も多いし、俺でよければシトラの悩み事とか困った事とかいくらでも聞くからさ。」



「エ、エイコン?だよね…その、ありがとう。」



「えッ?」



 シトラはすこし身を出して俺に向かってそう言ってきた。彼女と目が合った。たちまち俺は彼女のその初めて見せるすこし微笑んだ表情にドキッとさせられた。握っていたハンドルが少し左右に揺らぐ。



「べ、別に俺は礼を言われるようなことをした憶えはないよ!君を助けたのもあくまでさ、人命救助として当たり前にやっているこ、ことだし。」



「ううん、そんな事ないと思う。そういうことが当たり前にできる人ってやっぱりあまりいないんだよ、きっと。よく世の中の人はほとんど善人しかいないって言う人がいるけど、その中でもあなたは特別だと思うわ。自分から行動して誰かを導いてあげられる人ってそう相違ないだろうし、それって素敵なことよ?」



「きっとあなたの先生や周りの人達もやさしい人達なんでしょうね。」



 シトラは話し出すと次々と俺へこれまでの感謝の言葉を尽きることなく嬉しそうに語り出していた。きっとここまで来てやっとここが自分の安心の出来る場所と確信できたんだろうか。


 しかし彼女は自分がこれまであった出来事や此処に来るまでの経緯については殆んど語ることはなかった。ただ自分の理想やこれからもっと色々なまだ自分が知らないことを覚えたり見てみたいなど後は一人の少女としての他愛のない話だった。


 彼女がもっと俺やヴォルの事を知ればゆくゆくそれは話してくれるんだろう。それだけは時間が掛かる事なのだ、人間関係を作っていくにはその人とのそれなりの時を共に形成しなくてはならない。これもドクの受け売りであった。まったくあの糞親父とは比べ物にならない程、ドクの教訓は為になるものばかりだった。


 それと俺は実は少しだけ彼女に対して引いてしまう部分もあった。どうもシトラは俺がドクや親父に教わった様な十代の女の子の像とはずれる面を持っていた。


 女の子ってのはもっとおしとやかで物静かな感じだとばかり思っていたし、シトラは見た目はとても静かにしてれば綺麗で上品なお姉さんという感じなのに話し出してみると少し強引で男勝りな部分が酒場の女帝ボルジョを彷彿とさせる。


 二人を会せればもしかしたら親子のように気が合うのかもしれない。しかしほとんど気持ちを隠さず話してくれるなら逆にこっちも言いたいことが言えて良いものだ。



「私まだエイコンと会って数時間しか経ってないけどここで会えて本当に感謝してるんだから。」



 最後に車の中で彼女は頬を赤らめながら嬉しそうにそう言っていたのがとても印象的だった。


 掛ける言葉がなかった。というか本当の気持ちはこの時、自分自身いまいち俺が彼女とこの先どうなりたいのかさえ理解出来なかった。今思い返せば若かったなと。

 俺はその時、



「俺もだよ。」



 そんな事を言った気がする。ただ格好付けてこれしか言えなかったのかもしれない。

この時からだっただろうか、俺は彼女を、この笑顔を護ってあげたいと考え始めたのは。意識さえしもしなかったが、彼女の隣でこんな些細な生活がこれからも続けばと願い始めたのは。


 俺がこの感情を理解してその後、五年も経った頃、きっと後悔しているだろう。






 それからやっと俺たちは鈍くて窮屈なこの除雪車に乗ってやっとホールの正門まで辿り着いた。遠くから見れば案外すぐ辿り着いてしまうんではないかと思うのがこのホールという建物の欠点でもある。


 旅人は長い旅の休息に一休み着こうとホールまで足を急がせるが一時間も二時間も全く目的地に着かないなんてのは稀ではない。必ず旅をするものはその土地に詳しい者に付いて貰うか、高額な仲介金を払って案内人を雇うなんて当たり前のことである。じゃないとあの世界の環境に殺される。


 車はやっとホールの正面部分にまでやって来た。ホールの上部には管理棟の様な役割を持つ建物があり、管理はそこにいる人間が二十四時間交替しながら欠かさず行なっているという訳だ。管理人の一人のトランヴァーグの男がモニター越しにコーヒーを飲みながら一台の積除車を確認した。


 よそ者や未確認の生物などが侵入してきたら大変だ。ここの警備はホール全体の安全を担っているといっても過言ではない。しかし男は白髪頭をボリボリ掻きながらモニターをよーく見てから無精髭をたくわえた顎を擦りながらニヤリと笑った。


 そしてモニター越しのマイクを朱い瞳で眺めながらそれへ向かって話し出した。

話した内容は少年の車まで無線でダイレクトに伝わる仕組みだ。



「エイコンよォ、仕事ご苦労なァ。今門開けるのに何人か呼んでんだがよォ、隣のそりゃなんだあ拾い物かあ?一応外の者通す時にはよ何処も共通で許可書かかせて金ふんだくってんだけど。そりゃ女か?男かぁ?」



 話し言葉からいつも相手が俺をおちょくってるのは大体分かる。それとトランヴァーグの男たちの扱いには俺は誰よりも慣れている。


 俺は声の主に動揺してあたふたしているシトラを横目で見ながらハンドルの下の小型の携帯通信機に向かって調子よく喋り掛けた。



「もちろん女の子さあ、門を開けてくれ!」



「なら、許可書も金もいんねえやあ特別だぞ!!だがモニター越しでべっぴんさんかどうかわかりゃしねぇ。後で俺にも拝ませてくれやあよろしく頼むぜえ!」



「期待して待っててくれていいぜ。」



 そう言うと門はズズズと低い音を響かせながら一番小さい扉が開く。小さいといっても十メートルはある門だった。門の全体は三層に重なった強大な物だった。 俺は門が開いている途中でシトラに少し詫びた。



「変な口約束してごめんね。ここの人達の挨拶みたいなものなんだ。」



「ええ…」



 シトラは困り果てながらそう言って頷いた。ホールというは何処からでも入れるわけではない。まず正門というのがあるがこの門は三段階に分かれており第一の門でさえトランヴァーグの屈強な男が十人も集まらなければ開くことはない。


 さらに拡がる第二の門と第三の門があり第二は二百人、第三は千人分の文字が彫られておりこれだけの人間が居なくては開かないとされている。当然横幅までは千人も広がるほどできてはないので未だ開けられた事など、どのホールを利用している管理棟でも確認されていない。


 恐らくこれは未知の生物が侵入した場合等を想定して作製されたものとされている。その為、監視塔の者の意志なく門が開閉された時はレベルⅠ、Ⅱ、Ⅲの発令が適用される。


 LEVELはそれぞれレベルⅠ準開閉危険状態、レベルⅡ都市壊滅発令状態、レベルⅢホール監視下崩壊状態とされていて、上へ行くほどホールの壊滅度を指し、レベルⅢともなればホール自体を崩壊させてしまう危険がある。


 例えレベルⅡの段階だったとしても都市や州域に属した町の壊滅は免れないとされている。

 そしてこの世界にはLEVELⅠ即ちだいの大人10人分の第一の門をたった一人かそこらで開けてしまう人間が何人か確認されている。


 だが大体の場合は開けてしまうのは人間ではなく、外から流れ着いた生物だったりする。その時は中にいる人間でも集まれば何とか対処できる。


 それでもレベルⅠの門を開けてしまう様な者が郊外に向かえば民衆の中に何人か潜んでいると考えるとそれは恐ろしい事だし、もしそんな人間に出会ってしまったら真っ先に逃げる事を考えなさいとドクも親父もよく言っていた。


 そうだ、俺の父親は昔旅をしている時、そんな人間と会った事があったという。

 その人間は両の腕に『紋手』という未知の恐ろしい力を持っていたらしい。

 俺の住むトランヴァーグにはそんな人間は一人もいないし、一度も見た事などない。


 だが、ここを出れば必ずその様な者に出会う事になる。紋手者と呼ばれる者達は、掌か甲に不思議な紋様が刻まれている者を指す。

 父親にそれについて詳しく聞こうとしたが、お前にはそんな事知って欲しくはないんだとその時は教えては貰えなかった。


 だがそれから幾月か経った頃、親父は神妙な顔をして俺の部屋で話してくれた。

なんでも俺の父親は昔それが原因で大事な人を亡くしているらしい。紋手を知ろうとするものは必ずその力を持つ紋手者に引き寄せられるんだ。だがそんな事がもしあった時でもお前にしっかり対処して欲しいからという旨であった。


 紋手……聞き慣れない、嫌に耳に着く言葉だった。 


 この世には手を翳し、力を込めるだけでそこからあらゆるものを切り裂く風を熾したり、有り得ない場所から火を放ったりする事が出来る人間がいるらしい。初めにそれを聞いた時は単なる手品師の様なものを俺は想像していた。だけれどそれは全く違う、アレは人を殺め蹂躙し、支配する為の力だ。


 彼らは沈黙の王国ヘヴンに向け進撃を続けているが、今幾つものホールにある国は紋手者たちによって権力を振り翳され力によって支配されている。時代はよりシンプルな答えを求め流れ着いている。紋手者達はそうでない俺達のような者を持たぬ者パーシブと呼び、ホール全体を統治下に置き絶対のそのホールの国の王のもとで圧倒的な武力を翳す。


 実の所彼ら自身も力があれば有る者ほどタチが悪いとドクはいう。

 力を持つ者が常に手をかざせば平民たちは頭を垂れる。時代を操る者達はもっと単純で解りやすく民衆を統治するため自ら力のある者だけが前を進む。


 この世界に存在する紋手者というもう一種類の人間は生まれた時からその力を熟知し、尚且つ大部分の者が高慢で怠惰であるのは、その名を持って生まれる様な者は大半が名家や上流の貴族として生まれる為だ。紋手者の能力は遺伝に依存する事が多く、孫の代になってもその力は衰える事がなく変わりない。


 甲魔や紋手者。普通の人間が生きていくには絶対に争いに巻き込まれないようなことはない。そんなのは不可能な時代だ。よくこれもドクが授業をする時、話していたことだ。


 親父やドクもこんな時代に平民として生き長らえていくにはえらく苦労させられたらしい。だからこそここトランヴァーグはそんな者達にとって居心地がいいんだろう。


 ここにはそんな権力を持って生きるような輩は殆どいない。みんな手のひらは分厚く炭鉱の仕事のせいで酷く煤や時には血が滲みそのまま引きずったであろう傷が痛々しい事さえあるがそこには必ず仕事を遂げたものの証が刻まれている。


 だから俺は親父達のような人格者をいつだって尊敬してる。


  ホールのレベルⅠの門が開門すると中には周りを白く覆って、白いマスクを付けた人間が二人立っていた。


 二人の人物は町の積除車を見て、前方に誘導してくれた。それと同時に巨大な門がゆっくりと大きな音を立てながら閉まっていった。


 暗い空間でフィルターが空気を外へ排出している音をシトラは静かに聴いていた。


 白い防護服を纏った二人は完全に外気へ空気が入れ替わったのを確認するとマスクを外す。二人は男性だったが、やはりエイコンと同じように白い頭と緋色の瞳をしていた。どちらも若い男だったが、エイコン程ではなかった。



「ただいま。一通り仕事は終わったんだけど途中でちょっと倒れている人を見つけたんで助けたんだ。だから町の近くまで車を通したいんだけれど。」



 何やら車を出たエイコンは二人の男と話をしているようだった。そのうち長髪の男が一人前へ出て私の乗っている車を指差して返していた。



「エイコン、なにも人を助けるのは悪い事じゃあない。だが外には俺たちそっくりに化けて紛れ込むような生き物や人間だっているのは判るだろう。それになにをするかなんて…」



「シトラは…彼女はまだ俺はなにも知らないけれど、そんな事をするような気はしないんだ。自信はないけれど、皆にもちゃんと会ってから話をして欲しいんだ。」



「なら、まずマドや先生に会ってもらわんとな、町長に会わせるのが一番なんだろうが生憎、最近身体の調子が悪いらしくてな。まあ今は町の中心で皆をまとめているのはどちらかと言えば彼等だしよ。」



「親父かあ…。」



 それもそうだ。皆を説得しようにも俺もまだシトラの事を何ひとつ知りはしない。一度親父やマドに確かめてもらうことが一番だろう。俺なんかより彼等にみんなの考えを説いてもらった方が明らかに理解は早いはずだ。

 

――そう、こういう時こそ大人に任せるべきなのだ。


 もう一度車に戻って扉を開けると、シトラが不安そうにこちらを見つめていた。俺は今話した一部始終を彼女に聞いてもらい、なんとか、納得して貰った。そして一度車から降りてもらい、二人の男の乗って来た客人用のボロ車に乗り換える。


 幾らボロいと言ったって作業用の積除車に比べれば、幾分乗り心地はましなものである。俺はこれから起こり得る事をまだ理解も出来てないまま、二人の男が乗れよ乗れよと持ち出してきて運転している自動車に身を任せて、今日起きた出来事を反復していた。


 車は坑道にも似た暗く長い光の差さない道をまだ走り続けていた。


 そうだ、トランヴァーグへの道程はまだまだ先なのだ。







 シトラは目を覚まし、辺りの景色がだいぶ変わっている事に気付いた。


――ここは?


 照りつける太陽があたりをジリジリと焦がし、蒼い大空が果てしなく壮大に拡がっていた。

 今までとは全く変わった印象を与えられた。今まで、いままで私たちが居た灰色の世界は何処に消えてしまったんだ。


 私の横の席ではエイコンが随分と気持ちよさそうにヴォルを抱きかかえたまま眠っていた。



「エイコン、ねえここは……。」



 眠っているエイコンを無理やり起こそうとする。



「エイコンならまだ寝るってさあ。綺麗なお嬢さん。」



 隣にいた彼を揺さぶり掛けると運転席の男がやけに甲高い口調で私に話し掛けてきた。



「はびゅ!」



「へえ?だ、大丈夫かーい?」



 思わずおかしな声が出てしまった。この人顔は細くて丸坊主、白いからまるでボールみたいだ。思わず噴き出しそうだった。それでいて肩幅がかなりガッチリしてる。まさに炭鉱の男って感じだけど、何だろうこの違和感……。



「うん……平気よ。」



「おお、そーかい。ところで俺はね、オルっていうの、助手席のロンゲのコイツはラドさあ。ここはもうトランヴァーグっていうホールの一帯の中でさ外はもう照りつけるように暑いから、ああでも夜はぐっと冷えるよ。注意してな。」



「そうなの、ありがとう私は…シトラよ。トランヴァーグのお兄さん。」



「ハハッ!エイコンと隣のコイツはお兄さんでいいが俺はもう三十三になんだ。もうそんな若くはねえの。オッサンでいいさあ。」



「え、ええ?は、はい…」



「あー、そーだー、面倒臭いしここからは運転はオートにしちゃうねえ。」



「え?」



 思い出したかのように丸坊主の男はハンドルを突然放し腕を組んだ。だが幾ら今まで来た道が真っ直だからって、それは危険だ。よく見るとアクセルまで離している。私は注意したが男は変な顔をする。何を言ってるんかと。



「あ、危ないんじゃ。オ、オルさん?」



「へー?アクセルのことー?アンタ可愛い顔してナニ頭悪そうなこと言ってんのー。いくらボロ車にもオート運転くらいあたりまえよお。」



本当だ。彼がハンドルを切らずとも車は勝手に進んでいる



「車の運転が自動なの?」



「そーそー、当たり前クラよー、そういう阿保っぽいアピールとか自分はカワイイと思わないし、そういうのやめた方がいいよキミィ。」


 淡白に返されたかと思うと、男はまた黙り始めた。どうも調子が狂う。


 車内は丁度いい空調で暑くもないし寒さも特にないという感じだ。しかし肌時に直にこの布は少し空調が低めであるのか冷えそうだ。


 というか思い出した。三十三ってもうオジサンなのかしら。シトラがそんな事を考えてると奇妙な話し方の男はまた話を続けようとした。


「ところで嬢ちゃんもそんな毛布にいつまでも包まってるとあれだろお。脱がないのかよォ?」



男はふと気付いたように話す。



「え!?いいの、このままで私は別に全然暑くなんかないから。む、むしろ寒いぐらい。だいじょうぶ!」



「ええ?そうかい、変わってるねえ。まあいいならいいけどよ…。」



 また可笑しくなった。どうも調子が狂う。でもこの下には私はほんとうに殆ど何も着てないわけだ。どうにか、どうにかしなければ。



「ああ、そうだオルさん!あの太陽ってどうなってるの?エイコンからはホールっていうのの説明は受けたんだけれどイマイチわからなくて。」



「太陽かあ。自分も本物は見た事ないんだけど、ホールの中はアレ、人工太陽っていって陽士ってやつがホールのどっかで陰士ってーのと月と太陽を交替交代で空に映してるんだってよ。」


「へえ。」


「なんでも天候とか日の感覚だのを普通の人間がやると段々と狂っちまうらしくて、操る事はできんだけどそれは専属の奴が昔っからホール全体を操る仕事をしてるって。こんなとこでいい?」



「へぇ〜、なるほど。」



 ヨウシとインシ、今の私にはよく分からないがこの世界を知るにはまだまだたくさんの事象や事柄がありそうだ。私はもっとそれらをしることで自分のことを知るきっかけが何処かで生まれるかもしれない。エイコンにもまた何か聞いてみよう。



「あと、あのオルさん!こ、ここ、トランヴァーグってその服屋さんってないのかな?」



 シトラが次々尋ねると男は随分おかしな事を聞くというような顔で緋色の眼をギラつかせながら神妙に答えた。



「ふくやぁ?ああ、あるにはあるがお嬢ちゃんみたいな綺麗な子がお洒落の為に着るような店はねえよお。ここじゃあ俺らが着るような小汚え作業着みてえなよくわからん服しかねえさ。服が欲しいってんならこっから北西寄りのホールにあるガナハにでも行くんだ。あそこは年中暗えが商人の街さー、たまに荷を届けんのに商人が来る。そん時言うってのも手ではあんなー。そんかし値は付くケド。」



 男は左手を握りながら手をぽりぽりと捏ね繰り回しながらそう言った。



「へ、へえ…。」



「いいかい、ここは商人も軍人だって欲しがる鋼鐵を造っとる田舎町。即ち男の町よお。誇りだのなんだので着飾ってる連中や栄誉や富が欲しいモンはここじゃあなんの意味もねえし褒めもされない。だから男は日々働きいい鐵を掘り出し加工する。夜中は飽きるまで酒飲んで唄って踊れりゃあそれで文句を言う奴はいねえよ。それと、女も…ね?」



 思わず私は生唾を飲み込み眼をまんまるくする。暑くもないはずなのに冷汗がどっと噴き出して首筋を通ったのか湿って来る。



「冗談だ。冗談。嬢ちゃん目が据わってる、据わってる。何より女っちゅう女が居ねえだけだあよ。俺らはこんな見た目だが、外行きゃあ意外に珍しいってモテるもんよ。ただそんな経験がない奴には気を付けなって話よ。ここのは大概寛大さあ。そらそこのソイツだって外に同い年ぐらいの餓鬼にはもてんだよ。まあ写真みせたぐらいだが。」


「そ、そうなんだ。」



「それとその子、さっき車運転してたけど今日で十四だからあ。」



「えっ?エイコンが!」



 思わず寝ているエイコンから離れる。エイコンって十四歳だったんだ。少し彼を見る目が私の中で変わった。でもよくよくみるとそうかもしれない…。



「あーあとお嬢さんお話は変わるが、ここだけの話だーぞ?」



「ええ、なに?」



 男は澄ましながら話を続けるが,明らかに筋肉の強張りや表情が違う。シトラも釣られて緊張した。



「そこの餓鬼のやってる仕事でアンタは救われたと思うんだ。だけどここじゃああれはあんま好かれてない、ここでもどこでも外に行こうとする奴も外から来る者も、そう、嬢ちゃんも例外じゃあねえの。信用されねえんの。あの外を見たんだろー?」



「う、うん」



「皆、あそこが怖えのよ~。そうすっとその餓鬼の神経や外に興味を持つような奴の事が分からねえ。そのせいで軍に寝返った輩も何十年も前だが何人か出てはいる。

だけどさ、だからこそ何処の国の奴もお互い強い信頼があんだ。自分達の事はしっかりとやり遂げようとする芯を知ればここほど暖けえ場所はねえと思うんだ。まあこれは町の一人の男の考えだと思ってくれ。なんか……済まねえな。」



その時オルから感じた印象はとてもまじめだった。



「うん、難しい話だと思うけど、私はわたしを助けてくれたエイコンやあなた達の事を信じてみたい。今はこの世界のこと、何も知らないけれど。それでも信じるわ。」



私なりに答えを出してみる。まだ会って皆、数時間しか経ってないが私には恐らくこの人達しか居ない。



「ああ、俺はもうとやかく嬢ちゃんの事は聞かねえからよお。あんたが信じてくれるなら、もうトランヴァーグの一人だぜ。」




 そう言うとオルはぱちりと片目でウィンクをしエイコンと隣の男を叩き起こした。

 それから少し経ってだが、お喋りなオルさんと私は仲良くなった。


 外のみると照りつける太陽と宏大で黒光りする不可思議な真四角のごつごつとした山々が聳え立っている。その一番大きく強烈な鉄槌の様な山の麓に小さな家が転々とあり、町があった。


町の名はトランヴァーグ。


山々のようにごつごつとした身体に緋色の眼と白髪の姿をした男たちで炭鉱は栄え、数人の整備士が働く場所。



















 トランヴァーグに聳える山々は広大な北の大地はイミリアの大地に拡がる為、イミリア山脈と呼ばれている。正面からは黒く堅い真四角の山が三つ聳え立っいて、名をガルド鉱山という。どれも標高はそこまで高くはないが、良質な鉱物が採掘される鉱山でとても有名だ。


 この土地に昔から住む白い髪を持つ稀有な鉱山の一族をトランヴァーグの者、または古くから「イミリアの民」と碧落の人々は呼ぶ。


 ここ、トランヴァーグの町では産まれてくる赤ん坊は決まって、「男」であり、必ず紅い眼と白い髪を受け継いで生まれてくる。


 だから女が生まれたという事は殆ど、誰も聞いた事が無い。何世代続いても男なわけだ。だから他の地方から生娘を連れて来ては、家妻になって貰わなければ困る。


我々の代は滅びるのだ。


 そしてトランヴァーグはここだけで採れる特別な黒鋼鐵と僅かでは有るが日常生活補助を行う大型の機械等のパーツ一部を精製している事で有名な場所である。


 エイコンは後で自動人形オートマタの作成室も見せてくれるらしい。


 だが彼はまだ眠たそうな顔で眼を擦りながら家へ戻ろうとした。すると前方から白衣の眼鏡を掛けた小柄な男性が一人私たちに近寄って来た。



「おかえり、エイコンまた眠いのかい?」



 私達を止めた人物は此処では余りに異質だった。短く整えられた茶色の髪に常に頬が上がっておりそれがとても良い印象を与えるようだが反面不気味だとも私は思った。そしてその見た目は私と同じく浮いていた。



「連絡貰ったよ、君がシトラちゃんだね?」



「は、ハイ……。」



「ははは、分るだろう。浮いてるって、僕も元々はここの出身じゃないんだ。そういうのは他にだって沢山ここへ来てるんだ。とりあえず僕の紹介。ドク・ラフト、宜しくね。」



するとドクと名乗った男は手を差し伸べたが、私は一歩身を引いてしまった。エイコンがそれに気付いたのか直ぐに彼に近付く。察したのを後に彼はとても申し訳なさそうに詫びていた。



「エイコン、言わないとならない事はすぐに僕かマドに伝えるんだよ。ここの人はなんというかデリケートなんだから。分かってるよねえ。」



「ああ、うううん、わかった……。」



「寝てたよねえ、いま寝てたでしょエイコン!」



 前でエイコンは眠そうにドクの相手をしている。いやに忙しそうだ、一体どんな話をしてるんだろう。すると前から円柱の青い私の膝程の小さなロボットがこっちに向かって走って来た。車輪の音だろうか、やけに錆びれて車体を引き摺っているようだった。よく見ると茶色く変色した所がとても多い。



「シトラぁ!そこのB1に付いて行けば親父の作業場に着くからあ。」



乱暴にエイコンが大声でそう伝えるとロボットは私の前で止まった。



「シトラ様デスネ?マド様ノ家ハアチラ二ナリマスヨ。」



「へ、ええ。」



 小さなアンドロイドはそれだけ告げると、どんどん前へいくので私は従い付いて行くしかなかった。エイコンをドクは担いで反対側の道へ離れていく。


私はまた独りになってしまうのか––––。


 随分私は内面的に脆く弱い人間だ。つくづく自分が嫌になる。自分の目標が見つからない今、知りもしない峠に迷い込み、助けて、と言いたくなってしまった。元の道を戻りかけもした。


 ロボットは高くなっていく坂をドンドンと登っていく。ボロボロなのに高い坂をその車輪で物ともせずぐいぐいと登り、少し私と距離が離れると私を待ってくれている。


 よく見てみるとその一つひとつの動きが愛嬌があり見ていて飽きない。私より案内をするロボットとしてならずっと立派だった。


 シトラは山に連なって建った、四角く白い建物の頂上を目指していた。まるで壁のような傾斜に並んだ家、どの家も壁に掛けられた絵のようである。

 ロボットはその天辺の家に住むマド・レイナードの一軒家に向かっているらしい。


 これだけの傾斜を毎日登るのだ。足腰も鍛えられる筈だ。けれどもシトラには少しも辛くは感じられなかった。彼女がそれ以上に健脚なのはいうまでもない。


 そんな風に考えているといつの間にやら目的地に着いたようだ。


 マドと呼ばれる人物の家の前に着く。家の前には看板が立て掛けられている。


【スカーレット工房】と書かれていて、特にそれ以外は目立った装飾はされてない。


「すいませ〜ん。」



と私はドアの前から声を上げた。奥からは随分図太い「ゥーイ…」と声が聞こえて来た。中に誰かが居るみたいだ。



さっきまで私を誘導していた。B1という、円柱の小さなロボットは小窓のような扉から部屋の中に消えてしまった。


扉が開かれるとそこは壁であった。


「?」

状況がよく分からなかった。扉は開いたのだが、そこに部屋はなくただ壁がある。



「おおっと、お客さんだな。」



 すぐ前で声がする。気付くと壁だと思った物は途轍もなく大きい幾つも腹筋の割れた男の腹であった。見上げた所には白く長い髪を結いて、無精髭をたくわえた、紅い眼をした鬼のような人間がこちらを覗いている。


「ああ、判るぜうちの餓鬼の連れてきた娘だな?」


 男はおとぎ話に出てくるトロルにまさにそっくりであった。ゆうにその体格から二メートル以上は確実にあるだろう。


恐らくトランヴァーグで会った男の中で誰よりも大きく、盛り上がった凄まじい筋肉が見て取れる。年齢はそこそこいってそう?だがよく顔をみると身体が大きすぎて顔さえ小さく見えるがゴツゴツしてそうなのにシュッと整っていて実はけっこうハンサムなのかもしれない。


 これがエイコンの父親か。私は若干まだ引いていたがこの大男は私を取って食べようという気では無いらしい。


「ハ、ハイ。…そうです。」


 驚いていた私を察してか、快くその分厚く大きな手を私の背中にまわして中に入れてくれた。



「お嬢ちゃんは女の中では背の高い方だが、俺に比べちゃまだまだだな。」



 男は冗談を言いながら一人で笑って、私を部屋の奥へ案内してくれた。


 部屋は小さな病室といった感じで、椅子がいくつか並べてあり、そこに私は座らされた。男の工房はどうやら裏にあるらしい。


 部屋の逆側にもうひとつ何故か扉があり、そこからドクと呼ばれていた男が滝のように汗を流して出てきた。



「まったく全然慣れないよ、ここの坂はさ。いつ登っても汗かいちゃってさ」



「エイコンのやつはまた、寝てんのかい?」



「あー、もうぐっすりだねあれは。」



男は太い腕を組んで悩んでいるようだった。



「アイツこの大事な時によお。」



 白い髪の男は頭を掻き毟りながら、ドクの座った隣の椅子に座った。必然的に私は二人の男と向き合う形になる。



「さーて、俺の紹介はまだだったな、お前は大丈夫か?」



白い髪の男はすぐにでも話を始めたいようだ。



「僕の紹介は大丈夫だよね。ね、シトラちゃん。」



私が頷くとドクはとても満足そうだった。



「なんだあ、俺だけか、自己紹介も終わってねえのは。それじゃ俺からだ。」



「そうだ、そうだ。」



ドクは絶妙タイミングで男の話を止めた。



「なんだよ。」



男は少々苛立っていた。それに応じてか顔がより赤くなった。男の顔はまさに鬼みたいだ。



「久々のお客さんだよ。お茶を入れなきゃね。それとお菓子も。少しはマドも女性が相手なんだ、気を使わなくちゃあ。」



「嗚呼、それもそうだよな。」



そう言うとドクは部屋の奥へ消えて行った。どうやらお茶菓子の用意をしてくれるみたいだ。



「肝心な話が出来なくてすまねえな、ウチの糞餓鬼から話は少し聞いてんだ。

俺はマド・レイナードだ。此処で機械の整備士をメインに炭鉱の方のでも少し働いてんだ。さっきのはドク・ラフト、ここの町医者でよ、そんぐらいは聞いてんだろう?」



「ええ、私は……シトラです。こんなわたしを受け入れてくれて、ここまでしてくれて本当にありがとうございます。」



「おおっと、そこまで畏まらなくてもいいんだ。もっと気を楽によ。もともと連れて来たのはエイコンだ。アイツがやりたい事なら俺たちも責任を持たなくちゃならねえ、だからそれに嬢ちゃんが責任を感じる事はねえんだ。」



マドは私にそこまでしなくてもいいと言って、説明した。話はそしてすぐ本題に移った。


私がまず、困った事は何処から来たと言う事だった。



「エイコンからは記憶喪失に似たようなもんだと、聞いたが、具体的にどっから覚えてねえんだい?詳しくゆっくりと最初から話してくれりゃあいい。」



 私は目覚めた時から、ここまで来る間に何があったか、実に事細かに話した。恐ろしい怪物とそれを操っていたであろう人間。それと一緒に消えて行った金色の獣のこと。そして、私が気を失ってからすぐエイコンに助けて貰ったということ。


 そして、私には腕が無いことも。


 マドは終始顎に指先を伸ばし、興味深そうにしていた。そして真剣に顔色変えずに聞いてくれていた。


「辛かったろうな。」



 マドは少しも疑いの顔を見せず彼女の話を聞いて、最後にそう言った。わたしはもう身体を前へ傾けて泣き崩れていた。涙が止まらなかった。今まで我慢していた涙が哀しい感情と共に頬に落ちていた。


 そしてマドはシトラの身体を大きな両手で支えながら



「大丈夫、もう大丈夫だよ。」



と言って、安心させた。初めてここが私の気持ちを受け止めてくれる場所となった。私は所詮強がってはいても女なのだった。



 それからマドは今の君の体の状態も確認しなくてはいけないと言って私が包まっているものをすべて脱いで見せて貰いたいといった。



「俺もドクと同じく昔は二人で、医者を志した身だ、安心してくれ。体の秘密は必ず守る。」



 そう説明すると、私は人に裸を見せるという恥じらいもあったが、自分のいまの状態を確認しなくてはならないと思い私は承諾した。


 私の身体はボロボロで白い肌も傷付いて汚らしかった。マドは特に黒く腕のあったであろう場所に埋め込まれている金具と皮膚の間を入念に調べていた。


やはり我慢はしていても、身体を触られると何だが可笑しな気分であったが、これはれっきとした診断なんだと自分に言い聞かせていた。


 そして、初めて気付いたが私の身体の腹辺りに数字と刺青のような紋様があったのだ。マドには



「コレに覚えはないか?」



と指を差されたが、「知らないです。」と言った。



 数字の18は何処かで見た気がするが、多分…研究施設の様な場所で見た、私にふられた番号だろうか。


 検査が終わるとマドは彼女に服を見繕い、古いシャツと作業着のようなものを着せてくれた。女物の下着がなくシャツが少し透けてしまうのが気になったが、腕がダボダボの古い作業着でもおかしな布よりは幾分マシであった。


  マドはこれはしばらく預かっておくから、と大きな布を棚に掛けた。


それから少し経って奥の部屋からドクはお茶を持って、B1と呼ばれた円柱のロボットの頭にお菓子を乗せて運ばせてきた。



「一週間って所かい?」



ドクはマドに向かって意味深な言葉を発する。



「イヤ、三日だ。この道のプロを舐めんじゃねえぞ。」



「ハイハイ。」



 二人の間で謎のやり取りが成立しているようだった。

私がそれが何か尋ねると、


「君の義手だよ。」


とドクは答えた。


 義手?義手なんか造っても本当の腕のように上手く動くかは不安であった。 不安な私を察したようにドクは話してくれた。


 マド・レイナードは医者を志す当初の目的として生物学や工学を組み合わせたバイオニックの専門家になることであり、義手や義足の機械技師としてならこの世界の東にも西に行っても本人にいわせると右に出る者は居ないという事らしい。


彼に任せればまるで、人間の手足と変わらない様な物を作製してくれるそうだ。三日後に私の専用の二本の義手が完成するらしい。


しかしドクはそれより先の話をしたいようだった。笑顔を捨て、神妙な顔をドク・ラフトは見せた。



「さっきの話の続きなんだが、君の見たという人物。おそらくそれは

ゼラルド・エルゴートだ。」



そう言った。

私にはよく分からなかったが、マドは暗い顔をしていた。そしてドクから話を続けた。



「この世界全体はヘヴルスという帝国の統治下にある。それは知ってるかな?」



私は首を横に振った。「そうか。」とドクは言う。


ヘヴルス?なんだ、全く話が理解できない。



「僕たちは君が何処から来たのかもさっぱり検討が付かない。多分君の言ってる研究施設のようなものもここから北の蝕界のかなり奥の方だしそこまで、足を運ぶのも無理だ。それに外には…」



 私の居た場所はやはり分からないようだ、だがあの化物がエイコンしてもらった説明で何なのかは大体見当がつく。



「こ、甲…魔……?」



「ああそうだ、外には奴らがいるせいで行くのは簡単じゃあない、相応のリスクってのがあるんだ。そして、話は君の見た怪物ってのが甲魔なのは勿論。君の見た人間ってのはヘヴルスっていう帝国の将軍だったと思う。」



「もうそろそろ、アレだろ、ゼラルド・エルゴートってイヤあ、軍の総統に昇格するんだそうじゃないか?」



マドもとても興味があるようだった。



「待って、軍の総統にもなる人があんな危ない場所で化物を狩っていたって事なの?」



「ああ、甲魔を捕らえたなんて話、僕は今まで生きてて聞いた事なんてない。それに甲魔を捕らえて縊り殺す事が出来る人間なんて数多の才ある紋手者シーカーを含めたって、この指に納まるぐらいしかいないと思う。とにかく、風の様な能力を持っていたなんて翠蝕の旋風の紋を持つと云われるエルゴート将軍ぐらいだよ。」


ドクは何かが引っ掛かるようで腕を組み考え込んでいる。


「イヤ、でもね………どうにもシトラちゃんの話だと黒い悪魔のような化物から出て来たと言うのが引っかかるんだ。確かにゼラルド・エルゴートは戦場では伝説級の逸話をいくつも残してる人物だ。風以外に、見えない黒い力を使うとも言われているけれど。」



「ヤケに軍の上層部の話なのに詳しいじゃねえか、ドクはよ。」



ドクが話を続けるとマドは横から茶化した。



「あれ、僕が軍でも若い頃、働いてた話した事無いっけ?」



「おい、待て、それは今までの話と別だ。聞いた事がねえよ!お前平民パーシブじゃなかったのかよ!」



 話がかなり拗れてきたようだった。マドはその後かなり興奮して、外へ出て行ってしまった。


 出て行った後にかなりの怒鳴り声と物凄い音がしたが何かは分からなかった。


 ドクから私はヘヴルスという紋手者で構成された帝国の軍があることについて、紋手とは具体的にどのように恐ろしい力なのか、何故帝国は甲魔の力を狙っているのかなどを沢山知らされたが、すべては理解できなかった。


 まだ私の中ではモヤモヤとした感情が渦巻いている。


 私は本当に何処へ来てしまったのか分からなかった。ヘヴルス、紋手者、私にはほんとうにどうでもいい事なんだ。


私が誰で何者かであるかを知る上で、それらの事にはなるべく関わりたくはないと思っただけ。


 ただエイコンの、太陽のように笑ってくれる彼の笑顔が私は夜の月を見ながら恋しくなったのだった。





















エイコンはドクに言われた通りに仕事で疲労した身体を癒やす為に自分の住処に向かっていた。この頃はどうも体の調子が悪いのか分からないのだが急に眠気に襲われる時がある。仕事をしている時は平気なのだがそれ以外では殆どここ最近は寝ている事が多い。


 これでは自分の趣味やそのほかの事には何も手が付けられない。自動人形(オートマタ)の作成室だってかなり時間を先延ばしにして放置してしまっていた。


 彼らは使わなくなった機械類のガラクタの山のパーツからエイコンが探してきては、より良い物を選び集めた部品から出来ている。しかしあくまでそれは新品ではない為、完成したものは初めっから錆び付いていて見栄えはかなり悪い。


 新品のパーツを使えばエイコンにだってそれなりのものは作れるかもしれないが、それにはやはり金が必要になる。だが稀に残留品の中にだってお宝はある。この前だって精密機械に使用される部品を一式見つけた時は心が躍ったものだ。エイコンは時々考える、俺にはこれしかないのかもしれないと。




 昔からエイコンは一度見たものは忘れたことがなかった。風景、教えられた物事、書物、それに自分がその時何を感じ、思ったのかなど。だけれど考えたって仕方がない、ドクに言われたことも全部忘れた事なんかないが、そもそも忘れるって感覚は俺みたいな奴には初めからないんだろう。人間はどうして鼻の穴が二つなの?とか子供がいうみたいなもの。理解出来ない。見れば覚えるし、でもそれをやるって言うとまた違う。


 何千なん万回と同じ一回なんてなかったし。景色一つ取ったって一回も同じ日なんてなかった。すべてが少しずつ違っていて良い方向に向かってみたり、たまに悪くなったりする。

誰も気付かなくったって皆忘れてしまうような事を俺だけは意味も無く感じてたんだと思う。


 でも実際やってみないと何も変わらないって事は必ずある。上手くは言い表せないけれど、俺にはその一つひとつの繊細な違いが誰よりもわかる気がするんだ。


周りの大人には凄いとまで言われてもそれが何に使えるかなんて俺は考えはしなかった。

大人は俺の感覚には目もくれない。ただどうやって憶えてるんだ?凄いな!とか、そんなとこしか評価してくれない。


だが、あの二人はあのふたりの大人だけは俺の本質を見抜いている。見抜いてくれてるんだ。


そんな父親からすると俺なんか憶えれても長年培うような技術はまだまだなんだって。

何十年もやってやってやり続けてやっとそれらは成熟する。


ただ覚える時間はきっと約せる。お前なら、君なら誰も行けなかった場所へいけるかもしれん、いけるかもしれないよって言っていた。


そう、そしてどんなものも覚えてきたが何よりその中でも興味をそそられたのが機械だった。ドクから様々の事を学ぶのも大切であるが、俺は親父の作る一流の義手や人体に取り付けるパーツに関心していた。


 機械によって人の命を繋ぐ、これこそがこの世でなにより美しいことだと幼い頃からおれは確信していたんだろう。


 蝕界のもっと外側に行きたいのだって、もっと他のホールに行けばさらに発達した文明を見られると思い、期待した為だ。外の世界を知ろうとしたってドクの持つ書物の中にしかそれは存在しない。エイコンは気になったらなんでもそれを確認するまでとことん行う性質であった。やっていれば必ず何か掴める。それでも分らない事はあるけれど。


 だけれどもそれを親父やドクに話したって、ここトランヴァーグが世界で一番の技術力と科学力を持ったただひとつの町であり、州域の国々にはここに敵う場所などないと断言される。俺はだからこそ外の世界で確認するのだ。そして本当にトランヴァーグが世界一なのかを二人の前で証明する事が俺の夢だ。


 シトラは必ず何かを知っているのに、それを俺には話してくれなかった。なにか隠してるんじゃないかと、思っているとさっきの眠気は吹き飛んでいて、親父の工房の裏側にいつの間にか来ていた。廃棄処理された部品の数々によじ登ると工房の小さな窓から三人の姿が見える。なんだかボソボソ話しているので会話がまったく耳に入らない。


 すると親父が「脱いでくれないか。」と一言いったような気がするとシトラがいままで包んでひと時も離さなかった布のみたいな物をスルスル脱いでいくではないか。


 しかし肝心の正面は親父の嘘みたいに盛り上がっている裡面の筋肉のせいでシトラの顔と肩位だけしか見えない。すぐに彼女は汚らしい男物のダボダボの作業着を着させられていた。それから彼らがいくらか話をしてると時折、「軍が」とか「ぎし」だの単語だけでは理解できない言葉が飛び交うと急に親父の顔は沸騰したみたいに赤くなってその場を離れた。


よく追っていくと、この位置はまずいと気付く方が遅かったかもしれない。



「なにしてんだァアッ!!お前はァ!」



 と鬼の怒声が響くと腹当たりに瞬時に痺れるような痛みが走り、見渡すと空中を舞っていた。間髪容れる事無く上から頭に向けて岩が落ちたんだと思うような鉄拳が一瞬だが見えた気がした。


 俺はその瞬間になんと二回も空中を舞ったのであった。その後のことなんてもちろんいつもの様に覚えてはいない。いつも思わされる。親父の拳から繰り出される鉄槌は途轍く速い。



                   ◆




 シトラはまだこれからの事についてドクと二人で話すことにした。彼が持って来てくれたお菓子とお茶を私は上手く足の指先で口まで運んでいるとドクは「シトラは器用だね。」なんて言ったけど構わずパクパク口に放り込んだ。


それは不思議なはじけるような食感でとても美味しく感じたが、茶はなんだか独特で妙に喉に引っ掛かる為、わたしはよくわからない顔をしていたんだろう。


 それをドクはすぐに察したのか。



「それ、おいしくないだろう。」



と笑っている。私はどう返したらいいかわからずに。



「ええ、ごめんなさい。」



 とだけ言った。ドクはいいんだと、返すと私が飲んでいる物について説明してくれた。



「それはナミエ草の花から微量だけ採取できる滑りのある物質でね。そもそも人里にその花が咲く事さえ滅多にないんだけれど、これは寝ている時だけ記憶を呼び戻す作用があるって言われてる。」



「記憶を?」



「ああ、元々ナミエ草は生物に幻覚をもたらしてその場でのたれ死んだ生き物から養分を吸収する恐ろしい魔草なんだが、麻薬物質ともいわれるその花から微量だけ採取できる粉を使用すると記憶を蘇らせることも可能ってわけなんだ。まあその代わりお湯で戻した時にはちょっとした独特な風味とヌメりが喉に残るんだけどね。」



 そういってドクはズズズとお茶を飲み干した。



「そんな貴重なもの私が貰うなんて…」



「いいんだ、いいんだ。僕もたまに昔の楽しかった事に浸りたい時にコレを飲むのさ。僕以外あまり好んで飲む人はいないから余っちゃっててね。それにシトラの記憶を少しでも早く断片的に戻すにはこれが一番だと思ったのさ。君の為を思ったんだがどうかな?」



「そう、そうかもしれないわね…」



 ドクの話を聞いているとエイコンを何故か思い出す。無理もないのか、きっとエイコンの仕草や言動は彼から影響を受けたものなのかもしれない。



「はやくシトラ…君も記憶が戻れば、自分の事も話せるから町の人やエイコン達とも打ち解けて仲良くなれると思うよ。それまで頑張っていこう。」



「はい!」



「うん、いい返事だ。そしたら今日の寝床まで行くとしようか。」



 寝床?ここではないんだと考えているとドクは診療室のドアを開けて外に出る。


 外はすっかり夕焼け空であった。



「サリバンが空を調整してくれたんだねぇ。この季節にはすっかり気持ちのいい夕焼け空だよ、ほんと。さあ僕の家族の所へ行こうか。大丈夫、みんなトランヴァーグの人ではないんだ。ここももう冷えるし夜光虫が集まって来る。」



「え、え?」



 私がドクの後を付くとすぐに外は冷え夜へと入れ替わる。シトラは幻想的な星々に見とれ、ここがもうすっかりホールだという違和感を半分近く忘れていた。星空の中にはおまけに三日月までぶら下がっているんだもの。


 彼女はドクに肩を抱かれながら坂を下っていくと少し大き過ぎるんじゃないかってぐらいの病院らしき建物を目にした。周りに光る蟲のようなものが集まって来るとドクは子供みたいに「はやく、はやく!」と駆け出した。


 さっきドクに履かせてもらった簡易な靴を脱ぐと病院らしき建物の裏側へ手招きされる。


ここは入り口ではないらしい。




 裏の玄関から入ると暗い廊下が続いていて、所々明かりが点いている。彼は二階だよと私を引っ張って階段に登らせた。上にはまた部屋が幾つも続いてたが一室だけ明かりが漏れていた。建物はどうやら二階建てだ。


 部屋をドクが開けると何かが飛び出してきた。



「おかえりぃいい!ドク、ッさびしかったあァ!」



「シチリィただいま、今日は一日サリバンやシーザーは居たんだから寂しくなんかないだろう?」



 部屋から飛び出してきたシチリィと呼ばれた女の子?は大分小柄だがなんと左右で白と黒にハッキリと髪や眼の中の色まで分かれていたのが印象的だった。彼女はずっとドクの前で走り回って燥いでいる。



「えー、だってサリバンは話してもなに言ってるかわからないし、おまけに猫とボクは話す趣味ないんだよー。あの猫すぐに怒るしさあ!」



「ダレが猫じゃあ!シチリィおめえ今日のギタコルの鍋はくれねえからなあ!!」



 奥から怒声が飛んできたかと思うとなんと黒い毛並みの大猫のようなナニカが服を着て二足歩行で大鍋を持って来たのである。さすがの私もこれには参ってしまった。

「ネ、猫ォ?」といつの間にやら口走っていた。



「ダァレジャア!!コイツはァ!おまけにワシは猫じゃあねえ。黒豹の亜人様じゃああ!!」



「えっ?えっ?すご―いお姉ちゃんだああ!!誰ぇ?ドク、この綺麗なお姉ちゃん!」



 小柄な女の子は私に飛び付いて叫んでいる。正直状況がよく理解出来ない。前に居るドクは顔に片手を当てて、さすがにやってしまったという顔をしていた。


 ドクは一端皆を落ち着かせて、和室の中に入ってと呼び掛けた。女の子がいつまでも落ち着かないのでドクは自分の隣にその子を座らせた。部屋の中はコタツが一つあってそれを囲むように全員で座る。


 机の上でははみ出しそうなぐらいの巨大鍋が置かれてグツグツと食欲をそそる匂いをさせている。思えばわたしここへ来てまだ殆どなにも食べてないんだ。ドクが用意してくれた甘いお茶菓子でさえ、私の食欲を満たせはしなかった。


 そしてコタツは堀りごたつだった。部屋は狭いのか人が多すぎるのか少し熱い。人なのか何なのかよくわからない者もそこには居たが。

 

 部屋に入って中を見渡すともう一人だが、人が居る事に気付いた。その人はフードを被っているので顔はよく見えない。まるで枯れた植物の蕾のようにフードで塞がっていて着ている服の色も錆びれたような感じであった。いってみれば絵本の中の魔導士だ。


「若ぃ、女の子か…ゥン、ィイ……。」


 ボソボソとなにか話したようだが私にすら男の声は聞き取れはしなかった。なにしろどの人間も個性が強すぎて確かにトランヴァーグの異様な人間たちの中でも彼らは目立ちそうなのだ。



「サリバン、陰師の仕事お疲れさま。ハイ、これは今月の分だよ。」



そういうとドクは懐から小洒落た黄土色の袋を取り出してフードの男に渡す。袋はパンパンに膨らんでいて机に置くとドチャリッと音がする。中身は金銭だろうか。


「フン……コレでェ、若ィ、女をォ…ひひひ…。」


 フードの男は何か言ってるようだが全く聞き取れない。着込んでいる古びたコートにその袋をしまい込んで下を向いてしまった。正直暑くないのだろうかと私は思った。


 ドクはどうやらここに居る人達に私が来ることを知らせてはなかったようだ。まあ当たり前だ。私だってここに来て初めてドクともそれに他の色々な人に会ったんだ。全員が初対面なのだ。


 頭の中では整理が全く追い付いてないのに、前に居るドクの隣の女の子は白黒の大きくて宝石みたいな眼で私をうっとり首を左右に傾げながらニコニコ見てるし、右隣のオス?猫さんはとても苛立った眼をコチラに向けている。



「ま、まあこの院に新しいメンバーが加わる事は珍しいことでもないじゃあないか。だから皆も家族が増えたってことで歓迎しようよ。」



「ボクは~、ドクの意見にさんせい。家族がふえるのって楽しいもんね。」



少女は笑顔一杯で幸せそうにドクの隣でそう言った。


 賛同してないのは私の右隣の彼だけだった。そして黒い毛を逆立てながら彼はニヤリと笑って話し出す。



「ここの奴等よお、最初はワシを外から来たバケモンだと勘違いして脅しやがったんじゃぜ。ククク、亜人も知らんとはのお。ド田舎だ、ここは。」



「こら、シーザーその話は無しだよ。新しい人が来るとすぐその話をする。」



「あ、あのその猫さんは、一体…?」



 私がそう言いかけるとそのシーザーと呼ばれた男は素早く私に飛び掛かって来た。飛び掛かる様はまさに哺乳類独自の四足歩行の構えのそれであった。


 倒された私の喉元には隠されてたであろう短刀が隙なく向けられている。まさに鮮やかな獣の狩りのようにそれは自然に行われた。



「ワシは二度目は許さんぞ、オメエ、舐めてっと、首元…ン?」



「まずいッ!」



 ドクの声だけが一瞬聞こえたが、もう私の脚は瞬時に猫男を空中に蹴り上げていた。天に突き上げた足が一回転し、打ち上げられた男の短刀を持つ手を正確に叩き落とす。


「アッつ!」と男が声を漏らすと扉をぶち破りゴロゴロと回り、廊下の壁に背をぶつけ脚をひろげ逆さまになった。そして倒れた男の頭の丁度手前スレスレに宙を舞った短刀が突き刺さる。まさに間一髪であった。


 シトラ以外の全員の口が開いたまま塞がらなくなっていた。私はやってしまったと思ったが、頭の中はすぐに言い訳とどう謝ればいいのかでゴチャゴチャになっていた。


 すると後ろでシチリィがすごいすごい!と拍手をしているではないか。シーザーという獣人は吃驚帰りながら、早くナイフを抜いてくれと喚いている。ドクが駆け付けて彼を起こすと、私を指差して何か言っている。



「ドクよお。アイツ、腕がねえ、つーかそれより胸?があったぞ。もしかして女…なのか?」



「そーだよ!さっきからボクがお姉ちゃんだって言ってるじゃないか。シーザーのどんかん猫~。」



 シチリィがそう言って小馬鹿にしていると目の前の大猫は驚く事に震え上がって私に詫びて来たのだ。



「済まねえ、ワシは女に手を出したとは、許してくれ。それにしてもその格闘術見事だった。見惚れちまったぜ。何処で覚えたんだよその歳でよ。」



 ドクは今起こった事より、私が破壊してしまった扉を、どうしたものかと、考えているようだった。取り敢えず私達は部屋の中に入って扉は立て掛けておいた。


そう、肝心な事はまだ何ひとつ始まってはいないのだ。





みんなでギタコルの巨大鍋を突き合って食べたが、どうやら今日は誰かのお祝いがあるようでシーザーという猫型の亜人さんは間違って鍋を用意してしまったみたい。


料理はどの部位を食べてもコリコリしていて初めての食感で美味しかったんだけれど………。


『亜人』っていうのはこの世界には人間と同じぐらいの知能を持った人に似た生き物がいて。独特の文化を持つそういう種類の生き物を指すそうで、有る者達は人間の帝国と同程度の規模の軍事力の王国を持ってたりするらしい。

しかしそれらは人里に出るような事はあんまりないみたい。




ドクは君は身体が汚れているからシチリィと一緒に風呂に入るといいと言われた。


シチリィは私を浴場まで案内してくれた。どうやら浴場はまた院とは別の場所でそこには誰でも使える施設らしい。風呂の湯はガルド鉱山から湧いた天然のもので湯治場とうじばとしてこの現地の者だけが使う位らしい。


今は仕事終わりの男たちが入る前だから誰もいない。


どうやらシチリィはお風呂が嫌いみたい。本人は入る意味なんてない!ってびーびー言っていて、お互い服を脱いで裸になってからその理由がわかった。


というか二人とも驚いたんだけど。シチリィは私が腕が無い事をさっき覚えてさっき忘れてしまったみたいで。

当の彼女?というかシチリィの身体はまるで全身をプラスチックのような材質の皮膚?で覆っていて、どうやら元々の人間の部分は昔の事故で無くしてしまったんだと本人は語っている。そんな話あるの?って感じだがどうやら嘘ではなくて本当の話らしい。


そして、でも彼女自身は、でこの身体は義体ギタイっていう名称で。義手や義足のようなものと同じものを身体の大部分、全身に付けて貰ったそうだ。製作者は勿論エイコンの父親。その時エイコンも少し手伝ったらしい。


そして彼女とエイコンはとても仲が良いみたい。でも彼は一度もシチリィを異性と見た事はないんだって。ちょっと酷いよねエイコン……。


でも本当にエイコンのお父さんって凄いよ。私なんて全然彼女の身体のことなんて気付かなかったもの。



浴場は露天風呂になっていて見晴らしが良かった。十人ぐらいは余裕で身体を伸ばして浸かれる広さになっている。わたしと彼女では広過ぎるぐらいだけど。


まだ私はエイコンのお父さんに義手を作って貰ってないので、シチリィが丁寧に身体を洗ってくれた。丁寧過ぎて少しむず痒かったんだけど……。


「お姉ちゃんの身体、汚れてるけどモチモチだねぇ~。」


「あ、う、うん。ありがとうね。だか、ら、その…あんまり同じとこゴシゴシ……nン…洗わなくていいよシチリィちゃん……。」


「ええ!!でもボクもからだ洗ってもらうと気持ちがいいよ?例えばココとかねえ……。」


シチリィはそういって良からぬところへ細くて小さな手を伸ばす。


「アあ!?だめダメ、シチリィ、こういうとこは、洗っていいんだけど……その…あまり…よくないって…いうか…なんか……ハァ…。」


「おねえちゃん洗うとこすくないんだもん。だからキモチイィとこなるべくいっぱい洗った方がいいかな?って。」


「…なら、お風呂にいっぱい入ればいいよ……。」


「それもそうだねえ…。ねぇ、おねえちゃんどうしてお手てがないいのオ?」


なんでもズバズバ聞いてくるなァ、この子…。まあそこが表裏なくていいっていうか。


「わからないの。私記憶喪失みたいなもので。だからシチリィちゃんの事、先に教えてよ。」


「キオクソウシツゥウ?ああ!あとねボクの事はシチリィでいいんだよ!」


「う、ウン、わかった。」


難しいと彼女が思う事はわからないらしい。でも嫌いにはなれない。シチリィってこういうキャラって感じで、こういうキャラってなんだろう。これが彼女のキャラなんだが、それが絶妙にマッチしてて愛らしい。母性本能が刺激される、みたいな。


あと、ひとつずつ聞いて行かないときっと彼女の頭はパンクしてしまう。


でも彼女のおかげでほとんどもう汚れが落ちてしまった。当のシチリィはシャワーをすこし浴びただけで綺麗になった。正直あれじゃ風呂に入るのも馬鹿々々しくなるんだろう。


早速彼女は風呂の真ん中にザブンッと飛び込んで泳ぎ始めていた。


 湯船に浸かり、脚を伸ばすとそれは夜の月明かりに照らされ艶めかしく煌いていた。助けられた。ここまで来れたのも、私の命を繋ぎ止めたのその殆どがこの美しく揺らぐ、二つの脚だった。

 ありがとうね。


なんでだろう自分の身体の筈なのに何故か全然そんな気がしないのだ。不思議だ。奇妙だっだ。なにかの使命によっていま私は生きているんじゃないだろうか。そんな可笑しな気持ちにされる出来事が今日一日だった。


「ボクね。ボクの話をするね。」


「え?」


白と黒の不思議な愛らしい瞳と左右に染められた髪の毛をした女の子。シチリィは私の前で泳ぐのをやめてまるで借りてきた猫みたいにジッとしている。


「シチリィの話?してくれるのね。」


「うん。ボクもね、むか~しね、大怪我をしてねその時は殆ど身体が無くって、あんまり覚えてないんだけど、助けてくれたのがお父さんと、ドクとエイコンと、」


シチリィは小さな指先を必死で何回も曲げている。二回目かな、この話。


「お父さんって、今はどこにいるの?」


「え~と、お父さんはね。ボクの身体を作ってくれたマドお父さんの事だよ。あのね!髪の色も本当は黒かったんだけど、みんなと半分だけ同じにして貰ったんだ~。二ヒヒッ!」


やっぱり、マドさんって凄いな、彼はシチリィの小さな命を救ったんだ。これなら私の義手だってきっと。


「シチリィはみんなの事が大好きなのね。」


「うん!」


そうだ、きっといい人達だ。ちょっとみんな変わってる人が多いけれど、悪い人はいないのかもしれない。町自体が大きくないから、犯罪とかもないのかな。

わたしはあの人たちを、信じてみたい、いや信じなければ。わたしが裏切るようなことは絶対したくない。私がわたしを信じれるようにまずはわたしから。みんなを信じる…


「あ!思い出したけどもとの黒の髪の毛はお姉ちゃんと同じだね~。」


「そうね、シチリィ。」


「ねえ、お姉ちゃん?」


「……ん~?」


「そろそろでよっか!」



脱衣所で体を拭くとそのままドクの院に二人で戻る事にしたが、私はさきに彼女の部屋に呼ばれた。どうやら渡したいものがあるそうで。


彼女の部屋はさっき鍋を食べたすぐ隣の部屋だった。

部屋の中はガラクタかよくわからない物が散乱していたが、シチリィはおおきな道具入れの箱を必死に掻き回していた。


「あったよ!」


「見つかった?」


彼女は小さな手を合わせて、上に置いた何かをみせた。

銀色の繊細な装飾の細く延びた小さくても美しい造りの施された髪留め?のようなもの。彼女はまた幸せそうな笑顔をいっぱいにみせている。



「お姉ちゃん!ボクねお姉ちゃんの事大好き!だからコレあげるね。」



少女は握れば崩れてしまいそうな小さな宝物を前に出している。


「えッ、でもこれ…大切なものじゃないの?」


「おねえちゃんだからいいんだよ!きっと似合うから。」


私まだ会ってそんな経ってないんだよシチリィ……。こんな綺麗なもの、いいのかな。きっと宝物だよね……。


「お姉ちゃんの代わりにボクが付けるよ。」


シチリィはシトラの髪を三分の一程横に分け銀の髪留めを通した。ご丁寧に草臥れたこれまた小さな椅子に私を座らせて髪を整えてくれた。


そして彼女はあわててどこからか手鏡を引っ張り出してきた。

「あわわわわ、これが無いとダメだよねぇ…。はい。」


そういえば鏡なんて初めてみるかもしれない、私。


え、誰そこにいるのは?


鏡の中にはさっきみた小さな銀の髪留めをしたがいた。私だ、これがわたし……なの?


黒く肩まですっと伸びた髪、目の中も黒く大きく見つめれば吸い込まれそうな漆黒の瞳。しかし肌は雪よりも白そうで、けども血がかよっているので少し赤みがあり艶っぽい。     そして頬にはちょこんとあまり目立たない黒子がひとつあった。

鼻先はしっかりと高くしかし高過ぎず凛々しくツンとした印象を与える。唇も想わず手を当ててみたくなるような柔らかそうな感じ。輪郭は殆どを黒い髪が隠している。


ひとことで言えば生まれたばかりの生命が放つ神秘の輝きを表したようなもの。それが彼女の美しさだった。


けれど私は信じなかっただろう。ただ鏡を見てこれを貴女だと云われてもしんじられなかったろう。この銀の髪留めが、髪留めの存在がわたしの存在を証明していた。

そこにあってそこに私がいるからこそ実感が生まれた。


白い肌にはいつの間にかひとすじ雫が零れていた。



「おねえちゃん、どうして泣いてるの?ボクなんか嫌な事したかなァ…。」


「えっ…。ううん…なんでもないよ。」


「なんでもなくても涙は流れるのかなァ。」



ありがとう。ありがとうシチリィ、わたしやっとわかったよ。空っぽで、抜け殻だった。それをわたしを私だって気付かせてくれたんだよ。


「ありがとうね……」


「うん!ボクおねえちゃんの笑ってる顔も好きだなあ。おねえちゃんを笑わせたいって誰でもきっと思うモン!」


「そうね、こんな風にいつまでも笑えるといいね。フフフ…。」


「ウン!」





これから白の男達が鉱山での仕事を終えたらみんなでエイコンの誕生祝いをやるらしい。随分夜も更けてきたが相変わらずこのホールという場所の空は美しかった。


シチリィは院の衣装部屋で自分の服と私の着る物を選んでいた。正直彼女は私になんでも似合うからといってたが、祝宴場へ行くまではあまり時間はなかった。


彼女は派手な深い赤のドレスを引っ張り出してきたが、あまり好みではなかったので結局自分で選ぶ事にした。

それにしてもこんなに色々な種類のドレスが沢山……。

男の人しかいないのにどうしてだろう。それにどれも十年か二十年ぐらい前のやけに凝った造りの高価なものばかりにみえる。それも大切に埃一つ被らずいつでも着れる様に保管されてる。


もしかしてエイコンのお母さんの?そういえばお母さんのこと聞いてなかったな、ドクやお父さんのことばっかりだった。居るならちゃんと挨拶しないと。後で聞いてみよう……。


 ドレスをひとつひとつ見てると一着だけ際立って良くみえたものがあった。漆黒のいたるところに宝石のような細かい硝子細工の装飾がされたもの。いや、これは本当にひとつひとつがダイヤモンドなのかもしれないと思うほどの美しさだった。


 肩に掛けるモノで袖がないのが気に入ったのだが少し胸元が大胆に開き過ぎているのは気になったが、何より一番彼女の身体の曲線のラインを際立たせよく見せれるデザインだ。

黒というカラーもシトラのイメージにぴったりだった。


シチリィもこれはいいよと言ってそれに合った大きいショールを探して来て私の肩に掛けてくれた。彼女のセンスにしてはこれはかなりドレスにぴったりだった。


「凄いすごーい!お姉ちゃんとっても似合うねぇ。」


「シチリィがくれた素敵な髪留めも服に合ってて良かったわ。ありがとう。」




「二人とも準備はできたかい?」



ふいに後ろの扉から声を掛けてきたのはドクだった。

彼は紺の落ち着いた色のスーツに何かの鳥での羽根でふちどられたそれに合った色のハットを深く被っていた。これが彼の正装なんだろう。さらに彼の後ろに居たサリバンという男はあまりさっきの服装とは変わらないまたも顔はあまり見えないようなフードの付いた少し小奇麗な服を着込んでいる。


大猫さんのシーザーはどうやら来ないようだ。あまり人が集まるような場所は好きじゃないらしい。



 「見違えたじゃないかシトラ、まるで別人みたいだよ。素敵だね。シチリィも綺麗だよ、さァ行こうかお嬢様方。」



ドクは真っ直ぐと右手を差し出した。


「ええ。」


 シチリィは着ている子供用の赤いドレスのフリルの付いた裾をブンブンと上げた。


「あへへ~、そうかなあ~」


「やはりぃい…ゥン…いい、若い娘は美しひいィ……。」



相変わらず横でサリバンはいつも何を言っているかよくわからないとシチリィは騒いでいる。

祝宴場の酒場まで向かっている途中、前の道から何かの羽音が聞こえて来た。ドクは私のドレスの背中に手を回して導いてくれているが、謎の羽音はどんどん大きくなっている。


「大丈夫、安心して気にしなくていいよ。大きいけどあの蟲たちは原生生物の中でも安全なヤコウチュウだ。」


「ゲンセイ?夜光虫って夕方の?」


「ああ、そうだね……。」


ドクは顎を指でなぞりながら急に立ち止まって何かを考えだした。目は真っ直ぐそれをとらえようとしているかのようにも見える。それからふと何か思い付いたかのように顔を上げた。


「シトラ、明日僕の授業に出ないかい?」


「えっ」


授業ってエイコンも車内で言っていたあれの事だろうか。一体どんな授業なんだろ。


「少しあの生き物や、それ以外のことも話すとなると時間が掛かるからね。それにエイコンも当然来るし明日は三人だけの授業にしよう。大丈夫、教える事は難しい事ばかりじゃない。これから生きて行くことに大切なことだらけだから。あとまた面白いことも出来そうだからね。」


 おもしろいこと?なにしろ気になることは沢山あるし中には私の事を知るきっかけになる事もあるかもしれない。


「わかりました。御願いします。」


わたしはぺこりと彼に一礼した。


「よし、じゃあ今日はとにかく皆でパーティーを楽しむとしよう。若干一名もうはしゃぎ回ってる子がいてね。…トホホ。」


「わーい!ワーイ!ブンブーン。ぶーん。パーティーたのしみいいいいい。」


彼女は走りながらドクの背中にそのまま抱き付いた。そして被っている帽子のつばを下へぐりぐりして「そうじゅうき~!」と叫んだ。


ちょっと私も噴き出しそうになって、その後反省した。



「シチリィ、きみは今日の歌姫さんだろ。そんなことしてたら、もうドレスかよれよれじゃないかい?あと素敵なお姉さんなるにはどうするんだっけ。」


「え、えと…ごめんなさァい。」


「そうです。それでいいんです。」


シチリィが静かにドクの頭から降りると歩いていた全員が道の途中に眼をやった。

誰もが見覚えのある少年、赤の眼と白い髪。


彼もしっかりと身なりを整えている。黒のスーツに髪の色が映えていたが脚に手を回して地面に蹲っていた。


「エイコン、今日の主役が一緒に来ないとお話にならないよ。」


「……」



わたしが近付いて声を掛けようとするがドクはそれを制し、再び呼びかけた。


「お父さんにまた怒られたみたいだね。だけど皆待ってるし君との祝い事を楽しみにしてるよ。」


「……」



「エイコン…いいかい……


考えてても腹はへる。」



そういってドクは歩き出して一言残すと去っていった。


少年はハッとしてこちらに振り向き、それからとぼとぼと少し距離を取りながら付いてきた。


「僕が甘やかしてしまったんだよね…トホホ。」


「そ、そう…」


ドクは笑いながら話を続けた。


「本当は僕なんかと居るよりお父さんと真っ直ぐ向き合って育って欲しいんだ。まあそれが難しいっていう年頃なのかもしれないけれど。今は色んな事を感じたり見たりしながら成長する時期かもね。真っ直ぐには育っていると思うんだけどなァ。」


「私はドクの教えも決して間違えじゃないと思うわ。」


少女は彼に寄り添いながらそう言って微笑んだ。



 歩いていると町の小さな酒場が見えてきた。窓から黄色い光が漏れ、中はもう人で賑わっているようだった。


 店の外装は簡易なもので巨大な空いた酒樽が脇にびっしりと並べられている。数えたくもないが三十から四十はおおよそあるだろう。私一人ぐらいだったらすっぽりと中に納まりそうだ。店は他の鉄と石造りのトランヴァーグの建物と違い、珍しくすべて木製で出来たものである。


 正面から見える立派な看板には、辺境団アナグラ加入店``ジョバの酒場``と大きく目立つ文字で書かれている。恐らくトランヴァーグで一番目立ち人が集まる場所だろう。立地も良く町のほぼほぼ中心に建っている筈だ。



 ドクが店の扉を開けるとカラランッと小気味いい鐘の音が店内に鳴り響き、中の男達の視線が一斉にこちらに集まったのが分かった。奥のカウンターに座り店主であろう大柄な女性と話している者がどの男より大きな身体を持つマド・レイナードだという事は入ってすぐに理解できた。私も皆に付いて店に入る。


 白髪の男達は「女だ。」「女がいるぞ。」「本当だ女じゃないか。」

と顔を合わせながら言い合うと次の瞬間、静まり返り。



「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォオオオオッッッ!!!!!!!!」



と店内を揺らす程の歓声がすぐに轟いたではないか。

そして男達は笑い叫び抱き合いながら拍手をしはじめた。



「噂はほんとうだったのか。」「今日まで生きてて俺良かった~。」

「仕事、早めに切り上げた懐があったぜ…」「ワシはもうさっき着た時、声を聞いたぞ。」

「マドのとこの餓鬼んちょが連れて来たのか?」


と男達はがやがやとそれぞれの思っている事を話しまくっている。


 私があっけらかんとし店の扉の前で立ち尽くしていると奥から聞き覚えのあるよく響く声が聞こえて来た。

 

「エイコ~ン!シトラちゃーん!こっちこっち、特等席があるから早く座りな~。」


それは白い丸頭のオルさんの声だった。横には長髪の若者ラドも居て私とエイコンを店のステージのような場所の前の空いた席へ手招きしてるではないか。


 そこまで二人で歩いて行くといくつもある四人から六人掛けの木製の丸机に座った男達が目を輝かせながら私を見ている。


 直接のスキンシップなどもないものの歩いてるだけで


「よろしく!」「ようこそトランヴァーグへ!」「よく来た、よく来た。ゆっくりしてってくれ。」


 と男達は左右前後いたる場所から声を掛けて来るので、私もなんとく会釈して返していた。なんだろう、軽い女とでもみられてないかな。とにかく本当に男の人しかいないのは異様な光景だ。



 オルとラドの席に着くと、もう卓上には肉や魚など精の付きそうな料理やグラス一杯に入った酒や鮮やかな色の飲み物が所狭しと並べられていた。


 空いてる席に二人で座るとオル達はもう料理を小皿に取って食べている。私が乾杯とか無いのかどうかを尋ねると「そんなものはここじゃないのよ。」だそうだ。


 隣に座ったエイコンが時々チラチラと私を見ている。何かいいたげなようだが。


「あのさ…シトラ…。」


「ん…?」


「…何か食べたいものがあったら、そのいってくれれば取るからさ、それまだ食べにくいだろうし。」


「そ…そうね、を使う訳にもいかないものね…。じゃあお願いしようかな。」


「お、エイコンもなかなか気が効くようになったな。少しは大人になったか?」


エイコンの隣の長髪の男ラドが料理を取りながら上機嫌に話した。


「そういや、君とは余り話せてなかったよな俺はラドだ。宜しく。」


「ええ、私はシトラよ。よろしくお願いします…。」


「エイコンこれこれ、これ美味かったからシトラちゃんにも食べさせてあげな。アメクラゲの刺身。」


「え、これ?俺は食べた事ないけど平気かな…。」


卓上の大皿の一つに青いろの細く切られた刺身があった。箸で持ち上げると七色に光が反射してなんだか綺麗だ。それにすこし酢を垂らしてエイコンがわたしの口に運んでくれた。


ピリリとした感触が走りそのあと口に甘酸っぱさが広がる。コリコリとはしているがあのギタコル程ではなく、筋がほとんどないのですぐにクチの中で溶けてしまう。


ギタコルはあの食べ応えのある肉感と汁が滲みだしてくるのが好みだがまたこのコリコリは種類が違うというか。

これは……。おいしい!なかなか私の好みの味だ。


「エイコンこれすっごく美味しいよ!食べてみたら?」


「え、あ、うん。」


エイコンも適量の酢を付けて少し多めに刺身を頬張った。


「ん…ェグッ!これ鼻にツンと来るなァ。すごいよ。ていうか俺、肉の方が好きなんだけどなあ…。」


「エイコンはまだお子ちゃまだな、コイツや原生食にはまだ未知の味わいがきっとある。

原生王に俺はなる!!」


ラドはそのまま座ってた椅子に足を掛け、持っていたエールの入ったのジョッキを天井にかかげた。


「ハイハイ、うちの店で騒ぐのはいいけど、椅子に乗んのはやめんけえ。はい料理追加、追加。」


そういって空いた皿をどかし別の料理を卓に置いたのはこの店で唯一の女店主兼給仕女の女帝ボルジョであった。


女といっても恰幅が良く背もシトラより大きいのでかなり迫力がある。褐色の洋服にかなり年季の入った白ともいえないようなくすんだ色のエプロン姿で顔にはそこそこ皺が寄っているが歳は四十半ばというところだ。髪後ろで束ねられており色は黒寄りの茶色で眼も黒色である。


「あらあら、こんな綺麗な子は久々だね~。ここの男は馬鹿共ばっかりだから気を付けなネ。信用できんのは先生とレイナード氏ぐらいだよほんとう。」



そう言いながらボルジョは片手で蠍のような蟲の丸焼きになった大皿を中央に置いた。

「ハイよ、幼生アーバンの姿焼きだよ。鋼殻は退かして超高温で焼き上げてるからナイフでもサクサク切れるよ。ああでも内殻でも歯が折れるかもしれないから食べんことだね。」 


「サンキュー気前イイな姉さん、愛してるゥーーーッ!!」


ラドは顔を赤くしながら店中に響きそうな声でナイフとフォークを天井に掲げながら叫んだ。


もう酔ってるんだろうか。お酒も色々な種類があって飲んだりできそうだが今日は止めておこう。


するとさっきからラドと同じかそれ以上飲んでいるオルは少しも顔色を変えずにアーバンの姿焼きと呼ばれた料理の眼玉の周りの脂肪と皮と内殻を別け器用に目の部分だけを二つ刳り抜いた。大きさはピンポン玉台ぐらいだ。


それを小皿の上でナイフで突き刺し中の汁と身を分ける。出た汁も身もどちらも黒くて凄い刺激臭だがなんとオルは汁を先に吸い尽くし、身も眼球の周り以外取り出して口の中に入れてしまった。


最後に料理の脇に置かれた透明な酒の入った小盃を飲み干してとても幸せそうな顔をしている。


「ン~。珍味といってもこれがサイコーに美味いんですわ。成体になるともっと熟成されててうまいんだろうけど、このテーブルに乗らなくなっちまうからねえ~。」


「ほんとうにおいしいの?」


「やめた方がいいよシトラ…」


エイコンが気分が悪そうな目でこっちを見ている。


「知りたいんなら食べるといいさね。ほれ丁度う《・》目ん玉はあるからさ。」


そういってオルは目玉の汁のあらかじめ出してある小皿を突き出した。見よう見真似で黒汁を口に付けた瞬間物凄い苦味と渋味が口の中を駆け巡った。


私が顔をブンブン振るとオルはハハハッと大笑いして皿に残った最後の一個を口の中に入れて酒を飲み干した。


横ではラドが殻を割いて中の肉の部分を皿に盛り付けた。肉は独特な香ばしい匂いでピンク色でぷりぷりとしている。大海老のようなものを想像したが匂いは哺乳類系の焼かれたような上質な香り。というかさっきから思うけどこれといい七色の刺身といいなんなんだろ?


そう思ってるとエイコンがピンク肉を小皿に乗せて「食べないの?」という顔をしている。


私はウンウンと頷き謎肉に恐るおそる齧り付く。

想像とは違いそのピンク肉は歯応えがあり肉汁の芳醇で豊かな香ばしさと牛肉と魚介の中間とも云える味と柔らかさがなんともいえなく美味だ。先程感じた苦みや渋味は殆どなく少しだけ感じられる辛味が旨みとしていいアクセントになっている。


「おいしい!おいしいよこれエイコン。」


「ん、しょうひゃらよひゃったれ。」


「?」


エイコンもピンク肉を頬張りながら喋っているのでなかなか聞き取り辛い。


「そういや、まだ嬢ちゃんに仕事の話はしてなかったっけね。」


「そうよ、嬢ちゃんの眼の前にあるコイツ。これはまだまだ幼生だがこいつの成体を狩りに行くのよ。中央の奴らはコレを『鋼鐵狩り』って呼ぶんだそうよ。」


「そうなの?わたしは何をするの。」


「そうだな。こいつは【原生生物アーバンヘッグ】てーんだが。詳しい仕事の内容は当日話すし、まず原生の事は先生が一番わかりやすく話してくれるさな。そうそうもうそろそろステージが始まるからよ。先生たちの。」


そうだ、すっかり忘れてたがシチリィやエイコンのお父さんが居ない。一緒にと思ったが食事に夢中になってしまっていた。


店内の照明が徐々に薄暗くなっていくと、店のカウンターのすぐ真横の私達の目の前のステージに置かれた椅子にフードの男が座り妙な形の弦楽器を取り出した。後ろで歓声があがる。


弦は見えるだけで八本程あるが太さがどれも疎らで不思議な楽器である。


「シャンバラだね。」


エイコンはそういうと自分の椅子に深く腰を掛けた。


サリバンは左手で弦を押さえながら右手で楽器のボディを叩きながら指先で弾き始めた。

右手の指先はもう眼で追う事は出来ないほどに高速で動いていた。


でも音色はゆっくり不思議に奏でられ耳に心地よく響く、聞いた事もない音だが何処か懐かしく私の心に優しく語りかけて来るようであった。


そのうち脇からドクとエイコンの父親が出て来てそれぞれのステージに付いてシャンバラの音に合わせて演奏を始めた。


ドクは奥にあるピアノの席に座り、マドは自分の持っていたサックスを吹き始めた。

サックスが小さく見えるのは私の気のせいだろうか。


それぞれの音が重なり合い素晴らしい音楽へと昇華されていった。

そして最後に小さな酒場のステージに真っ赤なドレスのシチリィがちょこんと現れ歌い始めた。


 「ラララ~ラララ~♪」


 演奏の技術がかなり高いのが私でもわかる。しかしシチリィも相当練習を積んだようだがその|レ≪・≫|ベ≪・≫|ル≪・≫には達してないのだ。


「あ!お姉ちゃんだ。ねえ一緒に歌おうよ。ねえ!」


突然シチリィは演奏中に声を上げた。


え?わたしも?いいのかな。


不安そうにしてるとピアノを弾いているドクがこちらを見ながらやさしく頷いた。


「シトラ。よかったら付き添うけど。」


エイコンは私の後ろに手を回して立ち上がらせてくれた。わたしもゆっくり同意してそのままステージまで誘導してもらうと店の奥からまた小さな歓声があがった。


シチリィの隣に立つと楽譜に書かれている歌詞を読んでみる。リズムは初めてでも何故かそのまま唄えそうだった。


これは……。誰かの別れを謳ったものだろうか。



私が貴方を見るように貴方も私をみるだろう 

羽根を広げて

翼を伸ばし命の繋がりを思い出していた


夢がユメで無いと気付いたのはいつだろう

聞いてくれ聞いておくれよ 

私はまだ子供だった


この声が届いたなら私は居ないだろう 

きっと灰になったから

そう思い出してあの時は泣いたでしょう


想いが伝わる それなら満足だ

この命が 終わっても

どうかこの願いがいつか風となり


記憶として貴方に届くのなら私はどんなに幸せだろう

時を越えて愛していると伝えよう


その朱い瞳で睨んで 

たとえ失ったとしても隠せない

真実を知る暇さえない


この手で傷付けたくなんかない

この手で汚したくない




哀しみ、わたしは今この唄を届けた者の哀しみを感じていた。

暫くシトラはステージに立ち尽くしこの詩を届けたかったものの事を考えていた。


きっと悲しかっただろう。どうにもなかったんだろう。だから今はこの鎮魂歌を私は皆の心に優しく語りかけるように歌うだけだった。


白の男達や店のオーナーも、演奏していた者達すべてが明日もまた頑張れるように、明日もまた変わらない穏やかな一日が訪れますように。みんなの幸せを願って。


「俺の息子の誕生と一人の男としての証、そして今日トランヴァーグへ訪れたシトラ。

彼女の祝福をここで皆に願って欲しい!」


誰よりも大きな声を張り上げマド・レイナードは右手を天に掲げた。


店の中の全員が手を挙げた。


「ここに誓おう、イミリアの名の下に!!!!!」


 男達は皆声を荒げ、拍手する。



ここに居る誰もがそうであるように誰も一人ではないように、彼らは一人の少女を受け入れたのだった。




 ドクが町医者をやっている院の一室の開いた窓から光が伸びていた。私はその光と風によってやって来たおかしな臭いに起こされた。二日目の朝。


 シトラが身体を起こして窓に近付くとより臭いはきつくなった。

 彼女はまだこの臭いが製造所によって燃やされる廃プラスチックによるものだという事を知らない。


二階の窓から外を見ると、院近くの工房の前で朝からせっせと作業をしている少年の姿があった。

エイコンだ。


 夢ではない。彼をみるとそれがわかる。確かに私はトランヴァーグの町に居るんだ。暫く彼の姿を窓からシトラはうっとりと眺めていた。


外を見ると此処から町の全貌が伺える。ドクの病院はどちらかといえば町の西の高い所にあり。建物は高低差のある場所に建てられていてほぼ住居でそれに隣接して製造所が幾つかある。傾斜面で聳え立つ黒く真四角の山に向けて町は作られている。エイコンの父親の工房はどちらかといえば南にあり町の入り口の方にあるという感じだ。


彼女は窓から声を掛けてみることにした。ここからなら届きそうだったから。


「おーい!エイコンおはよ~。」


彼は気付いたのかこっちに向けて手を振っている。一度作業を止め走って近付いて来た。


「シトラおはよう。昨日はよく眠れた?」


「うん、ベットもふかふかだった。エイコンも調子良さそうね。」


「もうすぐ朝食の時間だから下に降りてきなよ。朝はここのみんなで外のテーブルで食べるんだ。」


「そう、わかった。」


部屋を見渡すとベットが一つ、簡易的なタンスに鏡台のある、あとはそれだけのシンプルな六畳間だ。


昨日は暗くて見えなかったが外の廊下に出てみる。先までが見えるしドアが七、八ぐらい等間隔で続いている。

俺の湯治場


 男は戦場から五年ぶりに戻った。男が最初にすること、それは「風呂に入る事。」


 湯治場のお世話をしてくれる亜人の女の子と話をしたりイチャイチャしてみたり。風呂はきっと彼の荒んだ心も体も清潔にしてくれるだろう。


※ 一部お色気要素有り。




 俺の湯治場 短編


 男は傭兵だった。五年間戦場にいて一度も湯船に浸かる暇さえなかった。毎日が戦いの日々。


 だから公衆の大浴場に行くのは特別汚いので流石に気が引けた、少し値段は張るが個人用の湯治場をおれは利用することにした。


 さっそく空いている個人の部屋を貸し切って湯治場の中へ鎧を脱いで裸になって入る。



 そして部屋の中の一人専用の湯にザブンッと浸かると身体に付いた血や泥や皮脂、垢が一気に落ちていってすぐに湯の色が変わってしまった。


 湯船は巨大な樽みたいな形をしているが正直レイの身体には昔より明らかに小さくなっていた。


 五年前は油断して入るとそのまま沈んでしまいそうな深さだったがレイという男は体躯が今はゆうに190cmを越えてるし、身体も筋肉の厚みや質さえも変化しているので樽のような一人用の湯船でもどうしても合わない。


 男の樽湯船の近くには風呂の世話をする湯治女が一人いた。女といってもまだ十代ぐらいの若い少女だった。


 彫刻のような身体の男と女神のように美しい少女が狭い一つの風呂場という空間にいた。



「ふふふっ。レイさん昔は沈んじゃって溺れそうだったのに。おもしろいですね。髪も伸びてしまっているので後で一緒に床屋さんに行きましょうね。」


 金髪に二本の角の生えた大きな瞳の女の子が笑いながら一生懸命作業をしている。


「ああ。」



 一人専用の風呂には湯治女が付くが今日は運良く昔からの知り合いのラミュが入ってくれた。


 大浴場の一回の利用は基本的に傭兵なら無料、一般の利用者なら2コール取られるが、個人用の湯治場を貸し切って世話をしてくれる湯治女を付けると10コール掛かる。


 色々サービスを付けると合計で20コールだ。


 ラミュは五年前からここで湯治女として働いている。まだ餓鬼の頃も一度個人用の湯船を使った時にラミュには世話になった。



 慣れた手つきで俺の垢や泥で汚れた湯を樽湯船の下から抜くともう一度、新しいお湯を入れ直してくれた。


 ゆっくり浸かれるのっていいもんだな。じっくり浸かると疲れも取れる。なんだか風呂は昔より好きになった気がする。


「ふーっ。」


「フフッ。気持ちいでしょう?こうやってお風呂に入れるって。遠征に出たり旅の途中だとなかなか機会がないですものね。」


「ラミュがやってくれると俺も気を使わなくて助かるよ。」


「まぁあらあら。じゃあ今度は湯船から出てきて身体を洗いましょうか。」


 彼女が石鹸やのタオルなんかをどこか隅から持って来て手招きしている。


 少しなれずにまごまごしてると優しく手を引かれた。


 よくみると服さえ着ているが彼女の服は湯治女用のもので水色の生地に白い模様が付いてて、薄手で軽くはだけている。布も太ももの上ぐらいまでと短く、服の下はどうなってるかすら分からない。


 あまりに薄くてすこし湯が跳ねただけで透けてしまいそうだ。


 濡れても多少平気な様にあの格好なんだろうが、直視はしづらい。いつもこんな服で仕事してるのか。大変だな。



「いいのか?」


「ええ、これも湯治女の仕事なので」

 彼女がニッコリと微笑んだ。



 俺は腰にタオルを巻いて彼女の前の小さな椅子に腰掛けた。



「じゃあ宜しく頼むよ。」


「はーい。」


 彼女は返事をするとゆっくりと湯船に残った湯を俺の頭、肩、腰の順にかけてくれた。


 そして丁寧に石鹸をのばして泡立てながら手先から指を絡めながら先ず上半身から洗ってくれた。


 そういえば昔は身体までは洗ってもらえなかったような。お互い子供だったし。


「からだに力を入れないで。私に寄り掛かって平気ですわ。」と彼女はいうので


 彼女の小さな身体に己の身を委ねてみた。


 上半身を洗ってもらっているのでなんだが彼女に抱き締められるような体制になってしまっている。汚れの泥等は一度や二度じゃ全く落ちる気配すらないので一回お湯で流すと最初から繰り返し、これが何周も続く。


 そしてさっきから明らかに背中には彼女のたわわな感触がある。


 洗う場所を変える度彼女が上下に動き、背中に当たっているものも俺の体も必然的に石鹸でお互いぬるぬるになる。そしてそれがすべすべとなぞって来るのでなんだか気持ちが良くなってきてしまった。


 「ハァ…ハァ…」と二人とも小さく吐息が漏れる。息のタイミングが合ってくると意識しないようにどっちかがズラそうとする。


 いつの間にか後ろを気にしながら自然に俺の身体も彼女の動きに合わせつついじわるに違う方向へ上へ下へといってしまう。


 すこし彼女が気付いたのか顔を赤らめて恥ずかしそうにしたのをきっかけに我に返った。



 まずい。これ以上意識し過ぎるとまずい事をしてしまう気がする。冷静になれ。汚れを綺麗に取ってもらっているだけだ。



 鼻には甘い香りが漂った。


 香料が混ざっているのだろうか。お湯もそうだが薬事湯だったのかもしれない。石鹸からもなにか柑橘系のすっぱいようで甘い香りがしている。


「嗚呼…」


 少し可笑しな声が漏れてしまった。擽ったい感じもするがちゃんと時間を掛けて彼女が洗っているのでなんだかんだ心地が良いのは確かだ。


「ふふっ。レイさんって結構くすぐったがりだったりします?」


「変なこといわないでくれよ。人に洗ってもらった事なんてないからさ。」


「順番があるんですよ。これ。最初に胸に集まった神経をほぐしていくとまたお湯に浸かる時もっと温まるんです。」


(胸?むね。ムネ。胸に集中すると温まる?ああそうか俺のに決まってるよねー。何考えてんだ俺。変になってきてる。)


「へー」なんていうと次ラミュは俺の髪を洗い始めた。



 臭うだろうな俺、とくに髪は。まるで野獣のような。獣臭さや化物の血とか泥とか尿とか汗とか色々なものがごちゃまぜになって想像もつかないようなデタラメな臭いになってるだろう。


 けれど彼女は嫌な顔一つしない。そこにプロ根性を感じる。


 常人なら一瞬で失神する程の激臭の筈だ。


 獣だって水を浴びる。だがそんな暇もない程の日が続いていた。


 五年の間前線にいて、ずっと毎日が戦いの日々だった。よく死ななかったと思う。イヤ、実際は何度も何度も死に掛けていた。でも死ぬ訳にはいかない、絶対に負けないよう死ぬ事はないようにと戦い続けた。その戦いが俺の身体を変化させていった。


 獣や化物を殺してまた殺して食って殺した血で洗い流しまた化物を殺した。殺し続けた男の体だ。


 とにかくすべての汚れを落とすのに時間が掛かった。中でも髪は長いわりに一番血や泥がこびり付いててちょっとやそっとじゃ落ちそうにない。


 俺の髪は長く脚の踵まで変色した灰色の毛が伸びてたので頭のてっぺんと途中までと髪先の計三回に分けて一番念入りに洗ってくれた。


 頭のてっぺんの時はマッサージのようにしてくれたのでそれがまた気持ちが良くて最高だった。


 彼女も疲れが出てきたのかちょっとぐったりしている。


 全部が終わったわけではないのにここまで作業させてしまうと払う金額とわりに合わない気がして申し訳ない。俺のような客はかなり特殊だろう。


「ほら灰色に変わってた髪が戻りました。レイさんってほんとは綺麗な白い髪でしょう。すっかり臭いも汚れも落ちました。月光と白夜の二つの花のオイルを併せて調合した一番強力で高価な洗浄液を髪には使ってみたんですわ。」


「ええそんな。禿げないかな?平気?」


「ふふ。白くて綺麗に戻ったのでこれなら床屋さんで切って余った分は鬘に出来そうですね。」


(綺麗で白くてか…君の肌や身体も…)


「か、かつらかぁ…。いいのかな。」


「こんなにきれいな髪ですもの。貰った人も喜びますよ。ある国の修道女さんは神様に向かうとき髪を剃らないといけないそうなのでふだんは鬘をおしゃれで被るらしいですよ。」


「へー」



「そうですわ。床屋さんがおわったら一緒に食事に行きませんか?今日はもう私仕事は夜の分はありませんので。」


「いいよ。久々だし皆にも会いたいけど。」


「二人ではだめ?」



「全然構わないけど。どうかしたの?」


 ちゃんとは見てないけどそんな格好で誘われると別の意味で捉えそうで俺ですら困る。



「じゃあすぐ仕事を終わらせますわ。」と笑顔で彼女はいうと俺に前を向いて欲しいと言った。


 彼女と目が合う。


 次はどうやら腰から下、要するに下半身を洗うらしい。

 あまり直視はしたくなかったがやはり前を向くと彼女の薄手の服は濡れて多少透けている。それとラミュの豊満な身体には胸元の布が小さいのかしっかりと谷間ができている。なんだか胸も艶っぽかった。


 ラミュは見た目は金髪碧眼の女の子だが黒い角が生えてるのでほんとは亜人なんだ。


 でも亜人のわりに背は低いけど胸はけっこうあるんだよな。


 ちょっと可愛い。いや、今日のラミュは危険過ぎるってぐらいに可愛いような気がする。服も作業に集中してて気づいてないようだけどすけすけだし。


「どうかしました?」なんて少し抜けた感じで上目遣いでいわれると余計に困る。どうしたらいいかわからん。


 これまた何処へ視線をズラしたら良いのか分からず話し掛けられて迫られると目が泳いでしまう。


 すると彼女は俺の腰に巻いてたタオルを背後に手を回して取ろうとした。制そうと俺はしたが、「慣れてますので任せて下さい。」との事だった。


 別に仲間として異性としてあまり意識したことはないというと、それこそ嘘にはなるが。それでも友達にここまでやってもらうと複雑な感じがする。


 足の先からまた指を絡めて石鹸で洗ってもらっていたがとうとうその場所まで彼女の手が伸びてきた。


「自分でやるからいいよ。」と言ってみたが「股下は鎧なんかでよく蒸れるのできちんと洗っておきたい。」とこれまた真剣な眼差しでいわれた為、とうとう観念して彼女にまかせて身を委ねた。


 そうそう実際男はそれ自体よりも股の隅とかのが痒くなりやすくなるんだよね。へー。そんなトコも知ってるんだー。とか考えてたらもう洗い切っているではないか。完璧だった。


 やはり仕事でやってるだけはある。気がついたらもう終わってしまっていた。できればこんなに色々考える暇があったら、もう少しその時間を愉しめばと後悔してる自分に馬鹿かと思ってしまった。

 それでもじぶんのアレが少しだけこう、形容し難い感じにはなっていたけれども。


 なによりさっぱりした。良かった。最高だった。これ以上のものはないってぐらいに。



 お金を沢山払ってでもここに通い詰める客がいる事にも納得がいく。





 洗い終わると二人で風呂場の隅に並んで少し話をした。これからの事とか、多分一部屋貸し切ってる状態だしこの後の仕事もラミュは遅くには入ってこないみたいなので十分話はできる。


 誰も入って来ないし外に話し声も聞こえる事はここではないだろう。二人だけの空間だ。


 ラミュとは昔からの仲だしお互い過去の事もある程度知ってるので気を遣わず色々話をした。


 その中で一人の友人の話題が出た。戦場から俺が取り戻せなかった仲間の女の子の話だ。


 その子のことは誰よりも昔から知っていて一番助けたかった友達だった。でも助けられなかった。あの時俺に力が無かったから。五年前弱かった自分を呪った。そのために化物を殺してまでこの力を手にした。


「シトラさんの事。一番心配してるのはレイさん自身ですものね。」


「嗚呼、彼女は助ける。必ずこの身がどうなろうとも。その為に俺は強くなった。」


「レイさん…!」


 ラミュが小さな手で俺の腕を握った。さっきより大きな胸がギュッと腕に当たっている。まだ少し濡れていて艶がある。急にドキドキして身体がまた熱く滾る。


「もうあなたの身体はあなただけのものじゃないんです。あなたの想いは皆んなの想いでもあるんですよ。だから無理はしないで。私あなたが次目の前から消えたら、もう居なくなってしまう気がする。」


「ラミュ……」


 言葉が出ない。こんな時どう声を掛けたら、どうしたらいいのか…。


 ラミュからだった。気が付いたら彼女から俺に抱きついてきて、俺の身体の前にすっぽりとおさまっていた。おれも彼女を覆うように抱き締めていた。


 何をしてるんだろう。仲間を慰めるため?彼女を抱きたいから?そうじゃない。彼女は俺の女じゃない。本当に特別な感情を持ってるわけでもない。ほんとだ。それだけは。たいせつな仲間だし。


 ただ安心して欲しかったから。もうどこにも行かないし。心配もかけたくない。決して消えたりなんかしないから、信じてくれよ。


 いつの間にかシトラの、どうしてか彼女の顔が浮かんでいた。やっぱりなにしてるのかな。オレ。


「レイさんとこうしてると…なんかこう…落ち着きますわ。」


 そうだ。その一言が聞きたかった。そうだよ。いくらでも安心してくれ。その為に俺の体ならいくらでも貸すからさ。


「…あれ?」


 何故だろう。二人とも泣いていた。自然に涙が出てきた。


 可笑しいな。戦場で恐怖で泪を流した事はいくらでもある。でもどうしてだろう…。こんな…美しい涙は生まれて初めてだ。


 そうだ。戦いの日々から戻って初めて今日安心してしまったんだろう。だからだ。


 彼女も察するに今迄俺が戻らなかった五年間。毎日俺が帰るか帰るかとそんな日をどんなに不安で過ごしたんだろう。


 そのせいだ。そのせいで俺はどれだけ皆んなに不安を与えてただろう。彼女をどれだけ怖がらせたろう。


 それと同時に急に寒気が来た。ガチガチと震えが止まらない。戦場のあの緊張感。感覚。血と憎悪の臭い。身体からは流れても心に残ったトラウマは簡単には流れない。


 無意識にこれまで以上に彼女を強く強く抱き締めていた。二人の間には様々な感情渦巻いていた。


「痛…い…です。はぁ…レイさん。」



「す、済まない!わからない…分からないんだよ。自分が何をしてるか。」


 PTSD、戦場から兵士が戻ると過去の外傷がフラッシュバックする事があるという。


 レイの身体にはそれに似た症状が知らぬ間に現れていた。


「落ちついて、大丈夫です。少し自分が分からなくなってるだけですよ。レイさんはどこもおかしくありませんわ。」


 ラミュにいわれてゆっくり深呼吸をすると少し落ち着いてきた。


 彼女はまたゆっくりと俺の手をとった。


「私からこうやってお客様にお頼みすることはないんです。上のお姉さまからもそれはしてはいけないとキツく言われてます。必ず行為にはお客様のお誘いがあってからって。」


 ああそうかとレイは思った。


 そうだよな。湯女に似たよな仕事だからきっとそういう仕事もあるんだろうな。聞いたことがある。湯治女は身体の関係を結ぶ代わりに高額な取引をすると。噂ではそれをする事で湯治女は名を挙げるらしい。



 きっと彼女はこんなかわいいんだ。一番金になる仕事はどっさり入るだろう。


 レイの中で卑猥な想像だけがどんどん膨らんでく。


「そうか。じゃあラミュはそっちの経験も豊富なんだなぁ…。」


 ぼそりとそんな事をいうとラミュは思ってた反応とは真逆で急に赤くなり始めて手を顔の前に当てた。


「それが…洗うのはその…お姉様たちを抜いて誰よりも上手いんですけど…ここの傭兵の方は紳士な方が多くて五年も働いていて経験がないって伝えるとどなたにも声を掛けられなくて…」


「えっ!じゃあ。」


 そういうと俺はとうとう耐え切れなくなって彼女を風呂の床に押し倒していた。


 俺がラミュに馬乗りになる体制になっている。彼女の両の手を制してもう確実に動けなくして恥ずかしそうな顔をみてやる。ラミュはこれかというほど恥じらって顔がもう最高潮に真っ赤だ。


 亜人のオーガ族は一人のリーダーオーガに十人ほどのハーレムを作るらしい。その中で誰よりも自分が美しく良い子孫を残せるように色々な魅力を出すらしい。それは亜人と近種である人間に対しても変わらない。


 彼女は恐らく自らが亜人だとは知っていてもまさか亜人王の末裔のオーガ族だと迄は理解してないだろう。


 しかしレイには分かってしまう。戦場で彼らと渡り合ってきたからこそ選ばれたオーガの雄がどれだけ鬼のように恐く強靱で強いのか。逆にそれを支える雌がどれだけの魅力を持っているかを。


 多分どんな雄にもフェロモンを出すわけではない。彼女が俺を選んだから他の人間では見ることのできない新しい魅力がみえる。


 一番今の彼女が綺麗でかわいい。恥ずかしがる様は全てをさらけだした裸姿の愛の女神のようだ。女性の魅力が全身から溢れている。このままめちゃくちゃにしてやりたくなってきた。純粋に愛や好意なんかを無視して男としての渇望が。淫らに野獣の欲望が。


「だからお子様ってお姉さま達からはいわれてます…それと…その前にいわなくてはならないことがあって…」


「なに?いってみてごらん。」


「特別今日はこれ以上お代は頂きません…わたしの…きもちで、身も心も気持ちよくなってください。」


「いいのか?どんな風に愉しませてくれるんだ?もっといってみてくれ」


「…私の身体を欲望のままに自由に使って下さい。お客様のその為の身体です。き、気の済むまでお楽しみく、ください。」


 いや、けどもう結構風呂の時点で楽しんだけれど…これ以上どうやってたのしむのか。


「つまり…?だから?はやく。」


「はじめてっ…なんです!」


「大丈夫、俺もだから!」



「ええっ!」


 ラミュが面を食らって大きな瞳を飛び出すぐらい見開いて驚いてる。


 安心させようといったつもりだったが向こうは何故か疑心暗鬼になっている。なんか想像の反応と違う。もっとお互い初めてだから喜んでくれると思ったのに。


「じゃあつまりレイさんも…お子様でしたの?」


 ラミュはくすくすと笑い出した。どうやらツボに入ったらしくそのまま爆笑している。体がビクッビクッと痙攣している。


お子様?こっちは覚悟を決めてこれから愚かになる事を決めたのに。そういう雰囲気じゃなかったのかよ馬鹿にして。


「はぁ?なんだよそれ。もう怒った。」


 そういって俺は彼女を馬乗りの体制のまま擽り倒した。彼女が笑ってる。もうどうにでもなれだ。彼女の反応で今までのムードも高まった興奮もどこかへ行ってしまった。


 どうでもよくなってしまった。風呂の水をひっくり返して二人で引っ掛けあった。外からすれば物凄い音がしてどんな激しい事をしているのかという感じだろうが、そんな事は御構い無しだ。


 少しの間だが昔に戻った気がした。子供の頃の無邪気な二人みたいに。俺は彼女の笑っている顔が好きだったんだ。笑って欲しくて彼女がどうしたら笑うか忘れてしまっていた。



 彼女が長い間無くしてしまっていた笑顔が見たくて笑顔を取り戻したくて。


 おふざけが終わると二人ともぐったりと部屋の中で身体を横にしていた。


「ほんと、子供みたい…ですわ。でも安心した。レイさんはなにもかも変わってしまったようでさびしかったけど本当は変わってなんかいなかったんですわね。」


彼女はほんとうに安心しきって嬉しそうな顔をしている。


「おれさ。昔ガキの頃に月女館に傭兵の先輩に連れて行かれたんだ。そこで身体をほぐしてくれるのかと思ったら途中からそういう事が始まって。歳上のお姉さんだったし、その時も何をする場所かも知らなかったからあまりに驚いてしまって。逃げ出したんだ。笑い話さ。」


「月女館ってかなり有名な場所ですわね。いまでは名が売れて超一流のお店ですからもう簡単には入れませんわね。もしかしたらその時卒業できましたのにね。」


「ああ。ん、それってどうゆう意味だよラミュ〜。また揶揄ったな?今日がはじめてになりそうだったクセに。」


「は・じ・め・ては誰かさんの為にこれからもとっておいてあげてもいいですわよ?」


「フン。そのうち寂しがっても知らないからな。」


 またラミュが手を握った。今までとちょっと違う感じがレイにはした。


「これからもずっとお友達でいて下さい。私はレイさんに何があっても信じてますわ。」


「ありがとう、ラミュ。」


 今宵の月明かりが優しく窓から二人を照らしていた。



人は時に戦いを予知出来ないことがある


だが人はそれでも戦わなくてはならない理由が確かに存在する


それは人が人であるためだ


しかし人をも越えた荒人はその醜い戦いの中でも本能だけは揺るがず剥き出しにし

その存在を超越するのだ


そして戦いの中でしか生きられない者達は皆口を揃えてこう云うのだろう…



「【さぁ俺に…..生を実感させてくれ!!!】」



男はゆく


本能の向かうままに


戦いを


求めて





あのさ、君は今幸せ?


実をいうと幸せかどうかってすごく難しいとこなんじゃないか


なんか意味分かんない感じだよな….



でもいつだって頑張っている人って輝いていてきっといつも笑っている



そういうの見てるといいなぁ….

俺もあんなふうだったらなぁって…


でも今の俺ってそんなふうにとてもなってられない気分だったんだ….


【何かが壊れてきているそれに気付くには俺は遅過ぎた】




第1神話 血


『あーあ…とうとう言われちまった、前々から思ってはいたんだが』


オレはなんだか医者からするとかなりおかしな血液を持ってるらしい

そして今の両親とは全くともって一致しない


しかもその血ってのが医学のこれまでの歴史でもまたまったくともって

見たこともない新しいものだったんだ


俺は焦った….何かあった時….

「俺に輸血してくれる人がいねーじゃねーか!!!」


俺は特別な存在だなんて今は中二だがそんなことよりオレは

今の現実について焦っていた


まあ俺は….

「交通事故に気を付けるか…」


なんてことを呟いていながら


学校についた




皆も分かると思うが学校には色んな奴がいる


勉強が出来る奴


スポーツが出来る奴


朝からうるさい奴

「ワァー!」


夜までネトゲやって


「二時間しか寝てない」

とかいう奴


そして俺はとりわけ何もできない奴だった….


タ「おーい」


タ「おはよう!」


タ「ハー…ハー…」


カ「おうタケル」


保育園からの幼馴染タケル


タケルもどっちかというと俺と似た種類の人間かもしれない…


カ『でもそういやタケルも最近ネトゲ始めたんだっけか…トホホ..』


タ「寝坊しちゃったー」アハハー


ガラッ

教室のドアを開けるといつもよく知っている女の子が立っている

何やら不機嫌そうだ


カ「二人とも遅いよ!!」


カミ「ああ..スマン」


コイツもタケルと同じ幼馴染のカナ


女子っつーともうコイツぐらいしかオレに話かけてこないんじゃないか?


それにしても最近コイツは何故かやたらと俺に対してうるさい


それとタケルも最近はカナに全然話しかけなくなった


タ「ゴメン...」


まぁ二人とも思春期ってやつだろう


「なぁ知ってんかエンドゥー」

「ん」

「D組の木内がさ~三年の先パイとヤったらしいぜ~」

「マジかよ…」

少し後ろの生徒の会話が気になった。



カ「どこ見てるのカミザ?」

カミ「ん、ああスマン」


カ「ねえカミカミとタケルさ『キリ』の話って知ってる?」




↓回想教室にて


先「神原カミザ君!」


カミ「ふ~い」


俺は神原カミザだからカミカミなんて呼ばれてる




カミ「ああっ?」


タ「ニュースのだよね?」


カ「そう、霧が現れて人が入ると行方不明になるってやつ」


カミ「たしかネットでまず話題になったんだよな」


カ「うん、そう」


タ「で、でもあん、あんなのオカルト話だよ...ね…?」


カミ「ワカンないぞ~お前ビビリだかんな~」

ニヤニヤ


タ「ち、ちがうよ~」


カ「やめなよ二人とも」


カミ「まー何あるかわからんし外には皆気を付けようぜ」


カタ「うん」


そう…それは恐らく本当の話だ

しかし俺はそれをもっと以前から子供の頃から見ている

でも俺にはそれがどうしても

【霧ではなくドーム状のとても大きな球体にしか見えないんだ…】

こんな話、人にしても変人としか思われないと

昔、親から注意されたことがある

それからは誰にも言ってはいない

もちろん二人にも


そして俺は明日14歳あのキリと呼ばれる場所に入ると決めた

たとえどんなに恐ろしいことがあったとしても俺はそれを

やめられずにいた…





第2神話 変な奴



実は俺最初の方に何もできないって言ったけど、ある部活に入ってたんだ


別に中学に入ったからって何か絶対部活をやろうって気にはならなかったん

だけれども鼠に引かれて帰宅部なんてのもパッとしなかったんで

とりあえず俺は【天下武器戦部】

とかいうよく分からん胡散臭い部に入った

まあ他のってのもあったんだがなんとなく誘われてなんとなく

入っちまった訳だ


どうでもいいけど部の略称は【天部】

この部はなんだか歴史が浅いようだがルールがひとつあって

なんと飛び道具さえ使わなければどんな武器も使用可能

あらゆる武器を使いこなせとかなんとかで….

まーこんな部まず人気はなかった


1年の頃は俺を含めて4人ぐらいだったんだけど

今年に入ってから何故かこの部は全国で活発的になり

なんと30人以上にまで部員が膨れ上がった

しかも入ってきたのがどいつも二年のイケメン揃い

しかも殆んどが彼女持ち


活動も一応運動部なのに週2と少なめだったのに

(まぁ全然出てなかったが)

週5までに増えやがった

そして残されたオレは何してたかというと…….


学校の裏でサボっていた…..



テ「やあ」


カミ「ん」


コイツは確か…


「ああ、知ってるよね?同じ部の細美天魔」


「ああそうか」


『つかなんでコイツ天使のわっか付けてんだ?』


なんだよしかも天魔って、キラキラのくせして顔はイイから似合ってやがる


『そーいやカナもコイツのことどーとか….』


「なんだよ?」


「突然だけどキミ明日14歳になるんだって?」


「そうだよ、それがどうした?」


そういえばコイツ…….。


↓回想シーン 


「おい細美、紙一枚くんねーか」

ポイッ コテッ


「ん」


「おい何だよクシャクシャじゃねーか」


「紙だよ紙一枚」


ヒュー

シュッ

「紙飛行機じゃねーーよ!!!!」


それから….


天「ねえこの教科書の自画自賛って何?」


カミ「お前みたいに自分のこと褒めまくってる奴のことだよ」


天「あ~~~」


天「なるほど、なるほど、なるほど、なるほど

  なるほど、なるほど、なるほど×7」


カミ「うるせぇーーーーーーーーーーーー!!」



こいつ….


「それでさ」


「あ?」


「今度君にとても大切な話があるんだけど」


「大丈夫かな?」


はー大切な話?


こいつもしやイケメンのくせして女子に告るのを

俺に手伝えとかか?



だとしたら学年中にばらしてやるぜ


それ以外だとしてもどんな話が聞けるんだ

楽しみだぜ


「ああ、わかったよ」


「ありがとう、じゃあまたヨロシク☆」

シュピッ


俺 ニヤッ


第3神話 別世界


今日で俺は14だ

しかしこの二人はそれに気付いてるんだろうか?


タ「え、ラ….ラ…」


タ「ラモス!!」


カ「ちょっと!」


カ「違うよタケル、ラオスって言おうとしたの?」


カ「それはモジャモジャのサッカー選手だよ

  これは国名ゲームでしょ」



タ「あ!ごめんごめん」


この二人…ぜっってーー気付いてない….


カ「次!カミカミだよ」


カミ「お、おう」




カタ「じゃあねー」


皆「バイバーイ」


カミ「よし」


今日、俺はとうとうあのキリという場所を探して入っていく


あのキリと呼ばれるモノは神出鬼没

しかし今日の俺には何故かあまり遠くには感じなかった


「とりあえず、何だかこっちにありそうな気がするから行ってみっか」


「なんだかとても空気が重いな…」


「なんだ…?」


「人がこっちに歩いていってるな」


皆なぜかボーっとしている


「むっ!」


「まだあまり暮れてもないのに夜みたいに真っ暗になってきた?!」


「変だぞ」


「だがここまではまだ誰も知り合いには見つかってないな」


「あっ!?」



それは突如俺の目の前に現れた

とても大きくドーム状だ


直径でいうと150mぐらいか

それから俺はそこで一回止まって考えた


「まずこの中に入ったらどーなってるんだかな?」


「まあ行く前もよく考えてたんだが」


「ひとつは入れば全くの別世界

または中が大穴になっていて落ちてしまう」


「それから皆が誰しもが帰って来れないのを思うと

もしくはお花畑のような世界」


「よし、まあ入るか」


んっ?


思った以上にブヨブヨしてて入りづらい

まぁ何とか入れるか


「ん、よし」


俺の考えが浅はか過ぎたのかもしれない…

想像したくもなかった

壁のような所を抜けた先で見た景色は


【俺が考えてた最悪のケースだった】



第4神話 力


そこに居たのは

いままで見たこともない、まるでオレの悪夢の世界の住人のような生き物たち


「何だコイツら!?」


くっそ足がビビッて動かねえ

でもここから早く逃げねえとヤバい気しかしねえ


化物はカミザに気付き、その巨体でなんと体当たりをかましてきた。

「はやい?!」

おもわず、カミザも、もろに喰らってしまった。

「ぐおぁはっ!」

あっ!くそ痛え!!


「あ!」

人が入ってきた、それも何人もだ


『でも痛すぎてこれじゃあ…』


『逃げろよ見えてるんだろ?!

化物はさも当り前の様に人を持ち上げては潰し、捻ってみせた。


「オ~~~~~~ッッ」


やっぱりだコイツらは人を…


「ん、これは?」

後ろに違和感を感じた。

振り向くと、そこには全身を頑丈そうな鎖で捲かれたこれまた巨大な

化物が置かれている。

これはあきらかにおかしい。


ドオオォォ



あっ!?


近づいてきた

もうダメだ…

カミザは諦めていたが、この異様な空間に人が確かに立っていた。


???「おい」


カミ「えっ?」


今度は人?

何者だ?

しかも目の前に

何か言ってる


???「よく聞くんだ、助かりたいだろう?」

???「いや、君は助からなくちゃいけない」

???「いいか、これは力だ」

そういうと、青年の手の平は眩く輝きだした。


「なん…だよ…?」

「ここからはyesかnoで答えろ君の自由だ」


「君は力が欲しいか?」


…………………………..


「早くしろ」


「よくわかんねえけどくれ!今すぐに!」


カミザの手を包み込んで彼は言った。

少年がその言葉を発するのをまるで分っていたかのようだった

そしてセリフの如く滑らかに喋りだした


「力の名前はパンドラ、666の武器や兵器を

持つ体内魔具、力を引き出すには魔の力も

借りなくてはならない上手く使え」


「まずは迫りくる敵に片手を向けろ

あとは集中するそれだけだ」


なんだろう体が軽くなってる


敵がもう突進してくる。


「くそう!これでいいのかよ!」

片手を向け力を自分の中で籠めると男が言った通り、黑く捻子曲がった大量の

武器達が化物に向かい放たれた


武器は次々出続け、放出され、

化物たちを飲み込んでいくようだった。


ブボボボボォン!!



「オオオオォォン!」

化物は消滅を繰り返しながら、激しく叫んでいた。


「俺という存在はキッカケに過ぎないあとは君次第だ」

男のほうをオレは見た


「く…..そ…..何言ってんだ….」

バタッ

それから俺は気を失った

それに記憶も薄れた




第5神話 放課後の絶望


目が覚めると俺だけが倒れていた

俺はついさっき見ちまったモノを夢だと思いたかった

【しかし、俺の手の平は確かに夢ではないことを表していた】



それから俺はそのことをあまり詮索せず

家に帰った


家ではあまり会話をせず

そのまま寝て

次の朝フツーに学校に行った

おかしかった

【まるで洗脳されてるかのようだった】



朝、校門前に天魔が立っている


「やあ」


「今日はわっか付けてないんだな」


「そうだ、今日の放課後話があるの覚えてるだろう?」

「だから教室に是非来て欲しい」

「まあこれだけ言えば分かるよねぇ?」


天魔は周りに悟られまいとぼそりとこう呟く

「キリ」


「!?」

カミザはその一言で彼が何がしたいのかは大体理解できた。


ポンッ

と肩に天魔は手を置いた。

「それじゃあ待ってるよ」

シュピッ



教室で俺はしばらく考えていた。


『なんなんだアイツ一体』


『細美天魔、あいつは一体何を知っている』


『大体知らないことが多過ぎる』


『キリの中でさえ結局あんなんだったし、化け物共

それに俺の手にこんな変なことしたあの男!!』

カミザの手の平には隠せば目立たないが、逆三角に点の浮かぶ

印の様なものがたしかに刻まれている。


『なんなんだコレ、こういうのって普通

お風呂でよく洗えば消えないのか』


『確かこうゆう風な感じだったっけ?』

カミザは少し平に集中し、熱を送ってみた。


『バキュッ!!』

すると手からはなんとシャープペンほどの剣の刀身がでてきたではないか


「なっ?!!」


タ「おーーいカミカミ!なんかカナがねえ!!」

すぐ後ろからタケルがタイミング悪くやってきてしまった。


カミ「うおっ!?」


タ「ん?どしたの?手なんか覆って」


カミ「べ、別にたいしたことじゃあねぇよ」


タ「カミザさそういうことされると僕が

昔から納まんない知ってんでしょ」


カミ「お、おいやめろっておいよ!!」

『まぢい、まだ剣みたいのが!?』

「うおっ!」

タ「へっ?何コレ?」


剣はどうにか収まったが、手の印をタケルに見られてしまった。

カミザはどうにかごまかす案を考えようとした


カミ「あー、アハハ昨日部屋で描いていじくってたら

消えないんだなこれが」


タ「ふーん意外にカミザも真面目なのに

そういうとこあんだなー」


カ「ねえっ!タケル!!まだ吹奏楽

仕事残ってんでしょ!!!」


タ「あーホントにごめん!」


タ「カミカミもごめんねー!」


カミ「ああ…」


カミ『おい..タケル….』


カミ『結局俺に話ってなんだよ……….』



放課後


『まあ、あの二人はもういいや…..』


『問題は天魔、あいつが本当に何を知ってるかそれだけだ!』

廊下をふだんより素早く歩きながらカミザは想った


「ここだ約束の教室」

ガラッ

オレはドアを勢いよく開ける

「おい来てやったぞ天魔!!

全てを話すんだな!!」



そこには天魔がいた、教室の奥で放課後の夕日を浴びながら

エラそうに机に座っている

しかし俺のいつも見る彼には似つかない気がする

いや、きっと俺が正しいはずだ

あんな絵画に出てくる天使の羽根のようなものは

アイツには生えてはいないはずだ

「やあ」

天魔は何事も無いように話し掛けてきた

ピシャ

ドアを素早く閉め俺は現実を遮断した

メガネ「おい」


ガラッ

カミ「冗談だ」

おれは自分の中で精一杯この状況を受け止めようとした


カミ「あんなことを言ったんだ一体何を知っている!?」

俺はどうしてもすぐに聞きたかった

天魔の姿はなるべく気にしないようにした


メガネ「そんなことより見てくれよこの羽美しいだろぅ」

しかし彼のテンションはずれてた


メ「天使の羽は…..」


「セ・●・バン☆」


ピシャ

またも素早くドアを閉め俺は運命とやらに拒絶し、サヨナラをする

メ「おい」


ガラッ

カミ「うそだ」


「まあいい…..」


「真剣に話を始めよう」


「こっちへ来てくれ」


第6神話 真実


ここ最近変な事がつづいてオレはおかしくなっちまったのかな?

カミザはそう思いたかった

しかしこんなカタチでも天魔の話はしっかり聞くことにした


「ボクはね、ずっと君を見ていたんだ」

「そして君はあのキリの中へ入っていった….」

「しかも意識を失わず…..」

「そして確信がついた、君も選ばれたんだ!チルドレンに!」


「!?」


「おい!それって何…..?!」

「待って、ここはまずボクが全て話してからだ」


「そうだ」


「まあ前もって言わせてもらうとここはボクと君の

神聖なる場所だから、近づく人には皆もれなく

居眠りしてもらってるんだよぉ…」


「クククッ…」


「テメぇ….」


「まあ話を戻そうじゃあないか」

「君にはアレが見えたんだろうしかもハッキリと….」


アレ?アレってキリとかいうののことか?

「僕達神や天使の血を引くギルガチルドレンでさえ

見つけるのは難しいというのに…..」



「ま、待てよギルガチルドレンってなんだよ

キリとかいう中はスゴいことになってたけどあれはなんなんだよ」


「神原くんもしかしてまだガ…..」

「ふん….!まあいい」


「ボクらはこれから神になる」

「そう神だよ!」

「僕が神だ!」

天魔は両手をその気高く留まった羽根の頂点に届くほどに広げようとしてみせた

 

「!?」




「僕達ギルガチルドレンは神の血を引くんだよ

そしてこの年の14歳の日にその血は覚醒するように組み込まれて

いるんだ」


【そうボクらは14歳で覚醒する!!!】

天魔は右腕をまるで世界を乗っ取るような格好したのだ


カミ『覚醒?!』

「そうそしてチルドレン達は1人1人特徴的な能力を持つんだ..」


「恐らく君のは…….」

「あのキリを明確に見つける能力だ!!」

彼はそれがどうしてもいいたいが如く人差し指を伸ばしてみせる

ピーン!!


「!??」


「そこで君にはあのキリを見つけるボク達の手助けをして欲しい

なぁ….」


「な….に….!?」


もうわけわかんねぇ


「し、知るかよ!!キリがどうとか

お前らギルガチルチルでなんとかやってろよッッ!!」


信じられない言葉を放たれたカミザはその

全てを否定するように言い教室を飛び出す




テ「….ふう」


テ「君はいずれ必ず戦うことになる

それはもう….」


第7神話 失いたくない


「知るかよ あんなこと」

廊下をひたすら進みつづけた


俺はすぐ家に帰ることにした

そして決心をし外に出たのはいいが…


【そこには絶望しかなかった】




立ち尽くし見上げた空には現実を受け止めようとせず迷い続ける

自分のすべてを否定しようと『キリ』が広がっている

もう避ける事なんて出来ない

「な….」


「なんだよこれ….」


「なんなんだよぉ….」


「………………」


「……………………………..」


「ふ、ふふ…….」


「ふざけんじゃねえええええええ!!!」


「おれがなにしたっつーんだッッ!!!」


「おいっ!!!!」


「ふっっざけんな!!!!!」

↑怒り狂う主人公


↓キリに誘われ校舎から出てくる人達

↓その中にはタケルとカナも


「ふ…!フフ…..!?」


「え….?」


『タケルとカナあいつら吹奏楽でまだ残って!?』


『それに他の人たちも!?』


「おい....皆止めろよ」


「あんなとこいくんじゃねーよぉ….」


「……………..」


「み….」


「みんな死ぬんだぞ!!!」


「おい!!」


「やめろってのこんなこと!!」


「タケルとカナもやめろ!!」


「なんで….」


「なんでこんな」


「おれ…なんだよぉ」

↑思わず涙が溢れて二人の肩を抱き止める主人公


「こ、こんなんじゃ俺らの夢だって….」


「う….う…….」


~~回想シーン~~

※夕暮れの堤防で3人で座ってる図

*6、7歳ぐらいの等身で

タケル カナ カミザって感じに座る


カミ「夕日がキレイだな~」


カミ「なぁふたりとも夢ってあるか?」


タ「夢ってどんな?」


カミ「例えばなりたいお仕事とかさ」


タ「う~ん、僕は昔病気を治してもらったからお医者さんかなぁ」


カ「私はキレイなお花が好きだから花屋さん」


カ「ところでそういうカミザは?」


カミ「俺は….正義の味方かな!」


カタ「え!?」


タ「正義の味方ってテレビやってるヒーローとかのこと?」


カミ「ううん」←首振る

「まあ警察官とか消防士さんとか

色々考えたんだけどそういう人ってやっぱ人を助ける人達だろ?」


「だからさ結局俺は正義の味方になりたかったんだなぁって」

↑泥が実際ある人から聞いた言葉


カタ「へー」


タ「なんかそういうのって素敵だよねカナちゃん!」


カ「うん!素敵だよカミザ!」


カミ「へへ そうかぁ?」


カミ「じゃあこれからはいつだって俺が二人の正義の味方だぜ!」


カタ「うん!」


カタ ニコッ


カミ ニコッ



~~回想終了~~


『なんでこんな時に….』


「フフ….」


「今じゃとても恥ずかしくていえない言葉」


『二人が..ふたりが教えてくれたんだ』


「だから俺が守らなきゃ」

↑それでも涙が止まらない


天「見つけたぞ!!我が宿敵!!」

↑後ろの校舎からデカい天魔の声


『天魔!?』


※一気に天使の羽でキリまで一直線で飛ぶ天魔







「神原くん、今の君じゃあ変れやしない」


「そのまま何も行動出来ない君じゃ」


「ましてや泣いてるようじゃなあ!!」

↑このセリフを飛んでる間に言う

↑泣きながら二人を抱え天魔を見る主人公


『く……』


『そうだよなぁ….』


「俺が変わるんだ!!」


「ぐ….くそう…..」


「そうなんだよ俺が!!!!」


「いくらだって俺が!!!!」


ズドンッ!!

↑主人公がパンドラを使って大きな黒い檻を

作り皆をその中に閉じ込める


「さらにぃ!!!!」

↑学校全体にクソでかい檻をまた被せる


「おし!!」


「待ってろ!天魔!!」


キリの中に入る主人公





「俺が全部終わらしてやる!」


「どこだ!天魔!」


*靄の様なものが晴れる


「天魔!」


「!!?」


「天….魔…?」


*そこのは化け物の尾のようなものに貫かれた天魔の姿


「や…やあ….」


「て…..」



第8神話 第一章完 愚か者


天「はは..結局このザマだよカミザくん…」


天「ああ….」


天魔…くそう

あいつはなんだかんだいろいろあったって俺にこのことを伝えようとしてくれたのに!

なのに!俺は!俺は!


「天魔!!!くそ!くそ!」


「は!!」


ブォン!!

↑化け物に殴り飛ばされる


「ぐはっ!!」

↓主人公が空中に舞う図でもいいかも

くそうやっぱ痛え

でも俺はそうやっていつも逃げて逃げて

本当いま起こってることから目を背けて

テキトーにいつもいつも

挙句に今だって怖くて泣いて震えてびびってやがる..

ああ..ああ…

俺はどうしたらいい?


天「カミザくん、戦うんだ」


天「君は….変わるんだ…」


カミ「へ?」


天「君は終わっちゃいけない

君はここから変わっていくんだ!!」


天「僕は君を見てたから分かる

君は一緒にいなくちゃならない人達がいるだろう?」


天「だから!!ぐっ!!」


「天魔!!」


いてぇよ、こえぇよ…これはよぉ..


だけど!!


そうだよ!もう今からもう目を離すんじゃねえ俺!


涙?ふざけんな!!

もう泣いてても何にも出来ねえんだよ!


天魔を!友達を助ける!!


それだけだ


そうだ もう


【いくら俺が涙を流しても今は何も変わらない】

↑うつむいてる主人公を下から顔全体を写す図 大ゴマ

*覚醒 髪が白く染まる



*化け物に物凄い速度で飛び蹴りを喰らわす


ズンッ!!


バガッ!!


ドゴゥ….


「天魔!!」


「おい!しっかりしろ!!」


「凄いなぁカミザくん..もうその力をものにしてしまったね」


「天魔!今助けるからもうあんましゃべんな!」


「もういいんだ僕は….」


「諦めんな!!」


「それよりよく聞くんだカミザくん」


「きっとこれからこの戦いはもっと醜いものとなる

僕らの想像を遥かに越えた残酷な争いだ」


「それでも君だけは勝ち続けるんだよ」


「そんなこと言ったって俺!」


「大丈夫、君は強い僕が認めたんだ」


「それにまだ本当は学校には別のチルドレンも居たんだ」


「!?」


「それでも君は他の人が絶対に持ってないものを、

負けないものを持ってる僕がよく知ってる」


「これだけは自信を持って言えるよ」


「君自身良く分かってるよね大切なもの君が守るべきもの」

↑カナとタケルの図でもいい


「テンマァ…..」

↑ここはもう声にならない声というか


「ねえカミザくん、僕たちは友達かなあ?」


「ああ天魔!お前は俺の大切な友達だ!」


「だから!!」


「ああ良かった僕は幸せだなあ」


「じゃあねカミザくん….」


「天魔おい!ダメだ!やめろ!!」


「でももう少し生きて色んな事キミ達としたかったかもなあ」


「ああ….」


「ラストデイが…..始まる….」


コクッ


「て、天魔ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」


*最後師匠が校舎の上から眺めている図があってもいいかもしれない


キリの中に居たあの人物はまるで自分に投影させるかのようにカミザを校舎の彼方から眺めていた。

「………」


~~第一章 完~~




刃噛真喰は怪人高校生。ただし自分の半分は怪人、半分は人間。半身半魔。何とも中途半端にな存在だった。


少年の目標は全怪人の殲滅。そして彼は一体の究極の怪人となる。それは彼自身が怪人だからこそ達成される。



しかし彼の中には過去の自分と今の自分の感情で熱く揺れ動き続けるものが確かにあった。



青春に恋にヒーローに。


彼が最後に目指した『本当の自分とは?』


 






 青年は鞘から直剣を引き抜いた。



 すると輝きだしたその左手の甲の紋章『斬加の紋』から剣の刀身に光のエナジーが伝わる。



 刃は全体に七色の光を帯ながらその輝きを増していく。



「カァアアッッ!!」



 両の脚を深く踏み込み、直剣を握りしめた腕を勢い良く振り翳すと虚空とともに彼は一瞬にしてその刃で空間を切り裂いた。



 常人の眼には捉え切れないほどの鋭い衝波が凄まじい轟音とともに伸びながらその勢いを上げていく。



 衝波はどうやら敵との距離があればあるだけ力を増すようで掛かった腕力と合わせてもう想像もつかないほど絶大な威力を有していた。




 向かってきた三体の額や身体に結晶が埋め込まれた怪物たちが自ら切り裂かれたことも理解できないうちにつぎつぎに粉砕していく。



 さらに一気に詰め寄りその総てを蹴散らした。





 遠方からそれを見ていた赤眼の少年は思った。



 彼が鞘から刀を抜いた時点で闘いは決していたんだ。



 握り締めた手から汗が延々と流れている。




 圧倒的すぎる……。それしかない……。




 これがカゲの辺境団、団長の実力。



 眼前だからこそ、その凄まじさがよりリアルに伝わる。



 赤眼の少年は白金の鎧に身を包んだ青年をみて何かうちで湧き上がるものをひしひしと感じていた。



 自分とさほど年も変わらないその青年を見て。




 また周りから見ていた傭兵の男達も思わず息を呑んだ。あれが敵だとしたらどれだけ恐ろしいことか。




 彼の力は次元を超えてる。




 我々には青年のほうが大凡、化物のようにしかみえなかった。









 彼女は夜中に眼を覚ました。



 どうやら今日の夜、楽しいことが始まるような気がしていた。



 もうそろそろ獄中の生活にも飽き飽きしていた頃だ。何か刺激を貰うにこんなによい夜はない。彼女は生粋の殺人鬼だからだ。



 なぜ?と言われてもどう答えたらイイか。そんなことはわからない。だってあたしは生まれてきてすぐにママを殺したもの。



 それから何度か刑務所にブチ込まれて、また何度か脱出して。



 でもこれで最後になりそう。



 そんな気がする。これからはもっと楽しい事をしよう。あたしの人生をもっと楽しく豊かにする為に。



 クィン・ハートはそう誓うと鏡の下の床に隠していた口紅を塗って自分の服の中に忍ばせた。ブロンドの髪はきれいに邪魔にならぬよう束ねた。



 殺す。殺してやる。そしてもっと人を食ってやる。食ってアイツらの恐怖する顔をみてやるんだ。




 あたしがもっと人生を楽しむためにこのクソ刑務所に入れられてる二人の友達を連れ出さなきゃ。



 「あ〜。だーりん。待っててよね。たくさんたくさん人間共を殺してやってアタイ達の天使様、エル・イエルス様に奉仕しようね。そしてアタイが一番、生を性を誠を感じるあの場所に戻るんだ。」




「いいじゃないかいクィン。どうやら準備はできてるみたいじゃん。」



 刑務所の外の鉄格子を挟んで月夜に照らされた不気味な灰色の装束を着た男が彼女を見ていた。




「やーん。ユルト〜着てくれたんだねー。アタイあんたにまた会えるなんて嬉しいよー。ならはやくボーガスちゃんとだーりんの二人を助けないとねー。」



 鉄格子越しにユルトと呼ばれた男と手を重ねると男は彼女の紋の力を蘇らせた。




「おまえとネルドがやる気になればここの看守を含め皆殺しにできるかもな。ヒッヒッヒッ。」




「ねー外のこと教えてよー。こんなカビ臭い牢屋の中じゃなんにも情報が入ってきやしないのさー。」



 クィンは身体をくねらせながら慣れた手つきで自分に付いていた拘束具を落とした。



「ちょいと待ちな、ほれ」



 そういうとユルトはポッケから棒キャンディーを取り出し彼女の口の中に入れた。



「ひゃーいふぁかってふぅ!」



 クィンは頬張った赤い飴の棒を掴んで出すとニッコリと笑った。



「そうさな。近々西の地で大きな争いが起きる。また人を沢山殺せるかもな。イッイッイッ」



「やーん。ここから出てまたすぐそんなチャンスがあるなんて。アタイ楽しみ♡」




「オイッ!358番そこで何を不審な事をしているッ!」



 怪しい動きを独房でしていたクィンを見つけた看守が止めようと近くに来た。



「くだらねえ下らねえ。この世はなんて下らねえんだ。なぁそう思うよな。アンタもよ。」



 ユルトはニタニタと鉄格子の外で笑みを浮かべる。



「おい、お前あいつらに近付くな。もう既に力が戻っているかもし…」



 身体の大きな看守がもう一人の同僚を止めようと呼び掛ける。



「ご名答〜♡」



 しかし近付いた看守の一人は突如痙攣を起こした。




「くそっ!撃て!アイツらごと。」



「馬鹿!そんなもんが効くか奴らは!」




「そう。紋手者に旧世代武器は通用しない。支配王がそれを絶対としたから。」



 ユルト・リンドブルムはそういうと鉄格子を意図も簡単に曲げ牢屋の中へ侵入した。



「アイツ、引き寄せられてっているぞ!358番クィン・ハートの洗脳型の紋の能力だ!」



「おい待て、358番の鍵を手にしてるのは。」



 クィンは看守の一人を自身の紋で洗脳し鍵を開けさせるために引き寄せる。



「ありがと〜。じゃあアタイの言うことを聞くイイ子ちゃんはついでにあの邪魔な看守さんも殺してねー。」



 操られた看守はデタラメに弾を撃ち出した。



「くそっ!全員退避せよ!我々では手に負えん。すぐに帝国に新たな紋手者の要請を。紋手者は紋手者でなければ対処できん。」




「おそいぞ三下。俺も殺したりなくて退屈だなァ?」




 男が手を翳すと紋が妖しく光だし看守が撃ち出した弾が自在に曲がり、その場にいた全ての人間の頭を貫いた。




「んっはぁっ。アタイ人が殺してる所をみるとこんなに気持ちがいいものだなんて。久しぶりだよユルト〜。」




「そりゃよかった。」




「アタイ達も息ピッタリのこんびねぇいしょんじゃないか〜。」



「イヤイヤおまえのだぁりんには敵わねえさ。」




「ハッハッハッハッ」








✳︎






 あぁ?ぃ?



 ボーガスの思考は止まっていた。



 もう感じる事さえできないように地下深くに閉じ込められていた。



 彼の力を止めることができるものなどこの世にはいないからだ。




 二メートル近い彼の身体を止めて置くには半径十五メートル以内に生物を接近させてはならないとされていた。



 ボーガスは文字通りの不死である。そして彼は周りにある生物の生命力を吸いとるとされている。



 その上40mm以上の厚さの刃をも通さない強靭な肉体を有している。そのため彼は鋼鉄の拘束帯にはめられ、地下五十メートルに閉じ込められていた。



 身体は渇き、水分は殆どなかった。カラカラなのだ。



 腕や脚の太さも半分程で肌も白く変色し、別の生き物のようだ。二メートル近い身体がかなり萎んでいる。



 そして彼の檻には常に二十四時間体制で二名以上の看守が付いている。



 なおも確かに男は生きていた。




「本当に生きているのかコイツ?もう二年以上ここで監視が続いてるんだろ。もしこの穴の先にいるのが死体だったら大した笑い話じゃないか。」




「俺も知らないが生体反応はあるらしいぞ。常にアーク中央刑務所の高性能レーダーが奴を感知しているとか。」




「なら俺らは要らないじゃないか。そのなんたらレーダーに任せとけば。」



「どのような事態に陥るか分からん。想定外の状況にも対処する必要が常にある。こいつは危険フェイズ5以上の国家反逆者だぞ。」



「あらゆる状況に備えておけ。こいつを留めておけるのは帝国でも少将クラス以上とされている。」




「なぁ…ならこんな状況にはどう対処するんさ。」




「なんだと?」




 突如金属の刃が男の首元を掻き切り、もう一方の看守は痙攣を起こした。




「ハァーイ☆ボーガスちゃーん。朝ですよー。朝です朝です起きましょう。」




 ボーガスは身体に電流が走るのを感じた。指先の感覚がある。微かに動く。そしてなにか音が聞こえ始めている。




 近くに生き物が来てそして斃れる音がした。



「ぁあ?な…んだ?うごえる?おか?」




「ねーユルト。ボーガスちゃんの拘束帯をアンタの力で壊してやりなよ。ありゃやり過ぎよ。可哀相に。」




「なにいまに彼奴なら壊してやってくるさ。そらもう一匹味わいな!」




 そういうとユルトは看守をまた一人蹴り飛ばして檻の中に入れた。





「ぅううおおお。おおぉおぉぉおおおお!」




 拘束帯を砕くとボーガスは檻の中の死体を持ち上げて生命力を全て右手で吸い出した。



 吸われてカラカラになった死体は粉塵となって散った。




「おまぇら?くぃんとゆると?どしてオレを助けてくれた?」




「当たり前じゃない♡」



「仲間だから。」




「そか、そか…。ありがとうな。わざわざ済まんな。」




「それにボーガス。俺たちの計画にはお前がかならず必要になる。ほら仮面を付けたまえよ。」




「また、オレいっぱいヒト殺してくってやるぞ。力になる戦う。」




「おまえはネルドの力にもなるしな。ネルドの能力を最大限使うにはボーガスとクィンの力が必要不可欠と俺は考える。ボスもそれを望むだろう。」




「さぁネルドを助けに行く。」



「待っててね。だーりん♡」




「アハハハハ。そうか殺せるのかぁ!」







✳︎




 





 退屈だ。



 生きてる事がこんなに退屈になるなんて。



 男は独房に一人閉じ込められていた。



 俺の食事は一週間に一度だけ。なぜなら下手におれに食事を与えてしまうと爆弾に変えてしまうからだ。



 だから看守共はなるべく腹を空かせて飯を与えるよう常に注意している。



 飯の時間になるともう飯を食うこと以外考えられなくなる。



 そしたらまた奴らはこの四方10メートルに囲われた真っ白な何ひとつない部屋に拘束具を付けたまま俺を閉じ込めておく。



 だから俺は食事が与えられない間は自らの身体を爆弾に変えている。



 生物でいると余計動けなくなる。爆弾でいればほとんどエネルギーは使わなくて済む。




 こんな部屋俺自身が爆弾になって吹き飛ばしてしまえば造作は無いが、それはつまり俺の死を意味する事になる。





 嗚呼、はやくここを出て人を食いたい。



 食ってから爆弾で殺したい。おまけに人間爆弾を作って誰が爆弾かわからなくなるあの遊びをまたしたい。





 丁度今日で一週間だ。



 今度こそ最後の力を振り絞って与えられたもの全てを爆弾に変えてアイツらをころしてやろうか?




 イヤ、止めておこう。万が一失敗したらどうする?俺は終身刑だ。今度こそ次は死刑だ。死刑にならないのは本当にたまたまこの珍しい力を持っているからだ。




 奴らは実験のために俺を生かしている。次はない。死んだらもう人を殺すあの喜びを快楽を得られなくなるかもしれない。




 チャンスはまだあるのか?




 それにやつらは一週間に一度だから特別美味い飯を出す。一週間の食費分、最上級のものを俺に与える。



 アレは止められねえ。死ぬまで食っていたい。人のつぎにアレを食いたくなるほどだ。




 奴らは分かってやがる。俺のことを何から何まで知り尽くしてやがるんだ。




 扉が開く。ああ、また俺の退屈な人生が再び始まる。




 ネルドはもうすでに諦めていた。




「ハァ〜イ♡だーりん。あなたのハニーが助けに来たわよー」




「………」



「アラ〜?ご飯もあるわよー。だーりんもボーガスちゃんもガリガリねー。これからまだまだここの看守をブチ殺すから食べなきゃダメよ〜。ンーダメダメ。」




 嗚呼、エル・イエルス様。またおれにチャンスをくれるのか。



 あの快楽を幸福を。



 すべてをおれに与えてください。




テレシア聖殿




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箱の中の人たち キタカタ @haga0815

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