ナナ子♂は今日も7インチ

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

第1問「ナナ子はなぜ授業中に起立してしまうのか?」

 私、衣玖神いくかみサクラにはだれにも言えない秘密がある。


 ……どうしよう。また、してしまった


 授業中、机のノートよりもさらに下へ目線を落とす。スカートの中、股間部分……そこで脈打つ違和感。思わず前屈みになる。


 私はカーテンの隙間から見える景色に目を移す。こんなとき窓側の席だったことを感謝してしまう。ああ、今日も空が青いな、と。


 もちろんそれは男性の象徴、通称『名前を言ってはいけないあのモノ』である。これを仮に『ナナ子』と呼ぶことにする。


 私も最近知ったことではあるが、愛棒あいぼうに名付けるという行為は、なんでも男性の間では一般的な文化らしい。自分の股間のソレに「ジョニー、元気してる?」とか「今日もお天気だね、エクスカリバー」と呼びかけているところを想像するとなんとも言えない気持ちが湧きあがってくる。しかし、実に六割の男性が該当するのだとかしないだとか、歴史的文献かネット記事で見たことがある。女性である私に言わせれば、名前を付けてなにをするのだろうかとも思うのだけれど、もしかすると言霊的な儀式なのかもしれない。名前を付けると気持ち強化されるとか、植物に話しかけるとよく育つとかいうファンタジー的アレだ。……勘違いしないように言っておくが、私のは愛称ではなくあくまで仮名である。これは断じて真実である。

 ナナ子という仮名なまえもだいたいそのくらいの大きさだからという、なんとも安直な理由だ。ちなみにヤード・ポンド法を採用している。メートル法はなんか生々しいので却下だ。


 というわけで、どういうわけか。ナナ子は絶賛7インチだ。大人しく着席しているクラスのみんなは勉学に励んでいるいうのに、暴れん棒のナナ子だけは起立しているわけだ。気をつけ、礼、着席! と心の中で呼びかけても私のナナ子は聞かん棒だ。授業なんてやってられるかという態度だった。

 一度こうなったらお手上げだ。経験則的に三時間はこのままだろう。私のナナ子はそういうやつなのだ。


 私は深呼吸をひとつ。冷静な対処をしなければならぬこの現状を、今一度、ノートに書きこんでみた。


『性的なことを考えていないにも関わらず、なぜナナ子は起立してしまうのか?』


 これは重大な命題だった。


 こちらの思惑と関係なく何気ない日常シーンで起こるということは、人生の大切なシーンでも起こりうるということ。企業面接のときにでも来られると、最悪死ぬ。


 例えば、私とナナ子がもっとフランクに会話できたならそちらの事情に合わせてこちらもスケジュールを組めたかもしれない。しかし、実際のナナ子はともとも言ってくれず、どちらかというととしている。話し合いでは到底解決できそうにない。


 そもそも、これは私の愛棒だけの問題なのだろうか? それとも、世の男子諸君も同じ悩みに直面しているのだろうか? もしそうなら世界平和が実現しない理由はそこにあるのではなかろうか? 哀しきすれ違いが火種を生むのではなかろうか? そう思うと、青空が目に滲んでくる。


「なにを、物思いに耽っているのですか?」


 あともう少しで世界の真理に辿りつきそうだったが、背後からこそばゆい声が邪魔をした。耳をなぞられるような艶のあるウィスパーボイスは聞き間違えようがない。私の友人である長谷川サキだ。


 考え事で気付かなかったが、そういえば終業のチャイムが鳴っていた気もする。

 ならば友人が話しかけてくるのはごく自然なことであるが、しかし。たいていの世間話など、流行りのJPOPがどうとか、駅前にオープンしたレストランが美味しいとか、どうせそんなところだ。ナナ子は世界平和のために戦っているというのに、呑気なことだ。友人自身もまさか7インチの真理を垣間見ていたところに声をかけてしまったなど思いもしなかっただろうな、と。

 そんなことを思いながら、カーテンの隙間から視線を移す。すると、私の目がぱちくりとした。


 下着姿の友人サキがいた。

 白のレースが眩しくて、思わずナナ子がハチ子に改名するところだった。しかも、黒の手袋付きというマニアックなアンバランスさを引き立てていた。前傾姿勢の角度が気持ち深くなる。


「どう、しましたか? 体調が優れないのでしょうか?」

 どうした、は私の台詞だ。だって、心配そうな上目遣いのまま、目の前に近付いてきている、たわわに実ったマシュマロが、ブラジャーの中で、推定Gカップである……と、私のハチ子(旧名:ナナ子)がそう告げてくるではないか。


「ふふっ。サクラさんは本当に、不思議な方、ですね。知ってるくせに」


 サキは挑発的に唇を震わせる。

 私が彼女のことを密かにサキュバスという二つ名で呼んでいることが、もしかしてもしかすると、バレたのではないかと勘繰りもした。しかし、どうやらそうではなかった。見回した教室にはすでに男子生徒は一人もおらず、女子生徒もほとんどが体操着になっている。ついでに、サキの背中には悪魔っぽい羽も生えていなければ尻尾もなかった。


「次は体育なのですから、着替えるのは、当たり前というものです。あ。カーテンを、恥ずかしいので、ちゃんと閉めていただけますか?」


 ……まずい。真理に辿りついている場合ではなかった。次の授業のことをきっかり忘れていた。


「くすくす。サクラさんて、なんだか時々、男子っぽくなりますよね」

 彼女は悪戯っぽく笑ってみせる。

 ドクンッ……と、その笑顔は私の胸に響いた。ついでにナナ子にも響いた。


「ほら、はやく着替えないと、次の授業に遅れますよ」

 私の現状を知ってか知らずか、友人は着替えを急かしてくる。


 ため息混じりに私は観念して、まずスカーフを外す。

 正直なところ、友人の前でナナ子が起立している後ろめたさはある。しかし、それは私が着替えるのとは関係のないことだった。


 上着を脱ぎ、次にスカートのホックに指をかけたところで、友人を一瞥する。すでに体操着に着替え終わっていた。私はそのまま一気にスカートを下ろした。


「じゃあ、時間ないから。私、先に行くね」

「……うん。すぐに行く」


 私と視線が交わって、友人は教室を出ていった。


 下着姿を見られてしまったが、私たちは女性同士だ。なんら問題もない。私の肉体には、最初からのだから。


 私はため息を吐いた。


 もし問題があるのなら、それはナナ子ではなく、私のほうだ。

 私がだということだ。

 戸籍的に、というわけではない。文字通り、なのだ。


 『ナナ子』が、私の中にいるだけ。しかし、妄想というわけでもないのだ。


 戦争はまだ無くなりそうにないな、とカーテンの隙間から見える青空が目に滲んだ。

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