何気ない風景でもそこにはいる

バリー

第1話

発達障害だと診断されてから、数えて3年は経った日の事。

以前は幻聴や幻覚のようなものがあったが今はない。そんな静かな日々を過ごしていた。

時々、もう一人の私に出会う事がある。多重人格の気があったのだが、今は共生が可能なまでに同化出来ている。

「待っていたよ。こうして顔を合わせる機会は少ない。楽しみにしていたんだ」

もう一人の私が話しかけてくる。

もう一人の私に名前は“存在しない”。あえて付けるなら鬼人。それが一番だと思う。

鬼のように強い「力」と「心」を持った人。そういう表現が最も似合うだろうね。

「最近あった事、っていってもご主人の記憶は共有されてるからな。何があったかは大体分かる」

同化した影響もあるのか、私と鬼人は記憶を共有している。

いや、共有しているというより共通認識していると言った方がいいかもしれない。

鬼人が私に伝えてくる事は少ない。

私が知っていることは大体鬼人も知っているが、鬼人が知っていることを全て

私は知っている訳ではないから。

「まあ、今日はそういう事を話に来たんじゃない」

「じゃあなんだ?何か大それたことでもするのか?」

いやいや。私が感謝していることを伝えると鬼人は驚いた。

そもそも、私の中に鬼人、つまりはもう一人の私が生まれたのはある出来事が発端だ。

それは私が発達障害だと診断されていない少し前の事。

発達障害を持つ人は何かと出来る事と出来ない事の差が激しい。

それもあってストレスや罵詈雑言を浴びる事が多いのだ、その際にストレスに体が耐える事が出来なくなり二人目の私「鬼人」が生まれた、生まれてしまった。

多重人格になるのは様々な理由があるが、多くの場合は環境による過負荷のストレスで起きる。私もその一人だ。

多重人格の二人目にストレスを受け止めてもらい、どうにかその場をしのごうとする。

人には表と裏の顔がある。そんな話もあるが、多重人格は双方が表であり本人が自覚していない事がある。

いわゆる“無意識”と思ってもらえたらいい。

私はまだいい方だろう。表の自分と鬼人のもう一人の自分に気付いているだけでも分かれば。

感謝ねぇ、と鬼人が呟く。

「感謝とは言うが、俺という存在はご主人が作ったんだろ?だったら自己肯定、自我自賛。何をやってもそうなると思うんだが?」

鬼人の意見に感心してしまった。確かにそうだ。経緯はどうあれ自分で作った存在、もう一人の私に感謝をするのは自分で自分を褒め、応援するようなものだ。

少し癪ではあるが納得した。

「まあ、でもいいんじゃないか?自分に自信を持つのは素晴らしい事だ。根拠なんかなくてもいい」

「自信を持つことでやる気も湧いてくるってもんだ」

鬼人・・

「じゃあ、そのお礼と言っちゃなんだがしばらく体貸してくれよ」

それはないだろう、言い過ぎだ。

鬼人は笑っていた。私も少しだが笑みを浮かべていた。

これからもこういう関係でいたいものだ。

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