世界の終わりを君と
青海野 灰
第1話【水平線の孤独】
二人で、錆び付いた鉄道のレールの上を歩いた。
地面には一面に薄く水が張り、空の青と雲の白を映し出していた。このまま歩き続けていれば、いずれ地平線に吸い込まれてしまいそうな景色だ。
世界はただ静かに美しく、僕たちの足音だけが、崩れたビルに反響して愛しく悲しげに響いていた。
「ね、どこに行こっか?」
僕の少し前を、両手を広げてバランスを取りながら歩いていた君が、ふと口を開いた。
「どこか行きたいところ、ある?」
僕の方を振り向いて、笑顔で聞く。
どこでもいいよ、君のいるところなら。
「その答えは30点です。ごはんのメニューだってそうでしょ。何でもいいってのが優しいようでいて一番無責任なんだよ」
そうか……ごめん。
「ふふっ、別に怒ってるわけじゃないからそんなに落ち込まないでよー」
笑ったまま僕を慰めると、君はまた前を向いて両手を広げ、ゆっくりと歩き出した。
「たぶんだけどさ、このレールの上を歩いて行けば、電車が通ってたところならどこにでも行けると思うんだ。それって、すごーく素敵だと思わない?」
ここからは君の表情は見えないけれど、声の調子から楽しそうに微笑んでいるのが想像できた。何だか嬉しくなって、僕も微笑んで答える。
うん……素敵だね。
「でしょ! 有名な場所とか、聞いた事もないけどでも素敵な場所とか、もう行き放題だよ。わくわくしちゃうね!」
ははっ、行き放題か。まあ陸続きの場所に限定されちゃうけどね。
「海だってちょっとした距離なら、イカダとか船とか作ればきっと行けるよ。私達はもう、何からも自由なんだからね!」
何からも、自由、か。
僕たちはいつからか、僕たちの意思とは関係なく突然に、本当に全てから解き放たれた。決められたスケジュールも、定期的に押し寄せる欲望も、他者との軋轢や駆け引きや探り合いも、生きることの、苦しみも。もう、何も僕たちを縛ることはできない。
手を少し上げて、両手の掌を眺めてみる。僕の手は足下の風景を遮断し、はっきりと僕の目に肌色の光を反射した。この体は、この世界に、確かに存在しているらしい。
僕たちは、何からも自由。でも僕は、この身に、この世界に、何が起こったのかを、把握していない。
記憶も、意思も、曖昧にぼやけて、目の前の君がただ大切だという気持ちだけが、僕を動かしていた。ひとかけらの悲しみも、一瞬の苦しさも、孤独の片鱗さえも、君には近づけさせない。
「ここはどの辺なんだろうねぇ。何か目印になるような建物とか、標識みたいなものがあるといいんだけど……」
そうだね。現在地が分らないと、行きたい場所の方向も分らないもんね。
「うーん、まあしばらくは気の向くまま歩いてみますか。私ね、京都に行ってみたいんだ!」
へえー、どうして?
僕はそう聞いてから「しまった」と思った。もし君と僕との付き合いが長いものであるなら、そんな話はとっくにしているだろう。
大切で、大切で、しかたないのに、僕は君の名前さえも、思い出せないんだ。
「だって、行ったことないんだもん。中学の修学旅行は東京だったし……。東京なんて、いつでも行けるのにね」
君は僕の前を歩きながら、特に不思議がる様子もなく答えてくれた。少しだけ安心する。
君は僕の恋人だと思う。誰よりも、何よりも大切な存在なんだと思う。
「清水寺とか残ってるかなぁ。あそこから下を見下ろして、きゃー高ーいってはしゃいだりしたいなー」
きっと残ってるよ。じゃあ最初の目的地は、京都にしようか。
「うん! のんびり色々見て回りながら、ゆっくり目指そうね」
君はそう言いながら僕の方を振り返り、フワリと微笑んだ。
愛おしさに胸が苦しくなりながら、僕も微笑みを返す。
君が前に向き直った後、再び自分の手を見つめる。
君を傷つけない。一片の悲しみも与えない。だから僕は、僕がもう人間ではないことを、君に悟らせてはいけない。
僕の足は今確かにレールを踏みしめているのに、僕のこの手は、物に触れることが出来なかった。すり抜けてしまうのだ。まるで、自分が本当は、ここに存在していないかのように。
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