魔法少女は世界樹の夢を見るか(仮)

Hallucigenia

第1話 シルクのシーツで微睡む

 目が覚めると見慣れない天井だった。

 妙に高い天井で、しかもシャンデリアが吊るされている。


 強烈な違和感。


 反射的に上半身を起こして辺りを見回すと、ようやく自分がどこにいるのか思い出すことができた。

 ここは市街地から少し離れて、緑が生い茂る中にひっそりと佇むレストランだ。割と本格的な洋風建築で立派な建物だが、レストラン自体はかなり昔に倒産していて、趣味色の強い外観なのでなかなか買い手が付かなかったらしい。

 それを僕の雇用主が買い上げて、いや法的には僕が買ったことになっているのだけれど、とにかく住むことになったのだった。

 僕のベッドが置かれているのは二階のホールで、瀟洒な内装が放つ非日常感が落ち着かない。


 喉が渇いた。


 目覚まし時計のアラームが鳴るまでにまだ時間はあったけれど、起きてしまうことにした。

 軽く身支度をして階段を降りる。

 一階のホールにはお姫様が眠っていた。


「おはよう。早起きだね」


 と思ったら既に起きていたようだ。彼女も慣れない環境で妙に早く起きてしまったのかも知れない。

 キングサイズの天蓋付きベッドの上でシーツに包まって、こちらをぼんやりと見ている。


「おはようございます、チヨ。カーテンを開けましょうか?」


 そのお姫様の名前はチヨ。漢字は知らない。苗字も知らない。ついでに言えば年齢、出身地、家族構成など、基本的な個人情報の大半を知らない。

 この城のような建物の主で、僕の雇用主だ。

 

 そして、魔法少女である。


「少しだけお願い。あと炭酸水とカプチーノ。甘めで」


 外見は中学生くらいの女の子で、長いまつ毛に縁どられた目はいつも眠たげに瞼を伏せている。あと、あまり表情を見せない。


 僕は仕事に取り掛かった。

 暗い部屋に朝日を差し込ませて、飲み物を用意する。

 炭酸水はチヨがわざわざ指定した銘柄がストックされていて、カプチーノは購入したばかりのエスプレッソマシンで淹れる。


「取説はどこだっけ?」


 何だか高価そうなエスプレッソマシンで、なかなか多機能だ。

 チヨはここに引っ越すにあたって、このような高級な家具家電を容赦なく買い揃えた。謎の名義のカードを使って。

 それらの商品の設置や荷解きをして、ようやく落ち着いたのが昨夜だった。

 まだ届いていないものもあるけれど。


 果たしてエスプレッソマシンの取説は発見され、簡単なクリーニング操作の後無事カプチーノは完成した。

 先に炭酸水で口を湿らせていたチヨは、美味しそうにそれを飲んだ。


「ありがと。起きがけなのに働かせちゃってごめんね?」

「いえ、十分すぎる給料をもらっているので、気にしないでください」


 月給100万円という約束だ。契約金も100万円もらっている。さらに退職金は1000万円で、それは働きぶりに応じて増額されるらしい。何と言うか、キリのいい数字だからという理由で適当に決められた感の強い金額だ。恐らく庶民的金銭感覚から言えば無尽蔵に近い資産を持っているのだと思う。

 驚くことはない。チヨは魔法少女なのだ。金銭を得る手段などいくらでもあるのだろう。

 具体的な手段については、何だか怖いので聞いていない。


 だがしかし、実のところチヨは僕に対して給与を支払う必要はない。

 そう、彼女は魔法少女なのであって、その不可思議な魔法で以って僕に対する絶対に近い命令権を持っているのである。彼女が『馬車馬のごとく誠心誠意私のために働きなさい。無給で』と言おうものなら、僕はその通りにするしかないだろう。

 でもそんなことは言わなかった。

 気前が良くて、理性的で、少々秘密主義だけど可愛らしい雇用主の下で働くのは決して苦痛ではなかった。

 僕が10歳近くも年下のチヨに対して敬語を使っているのもその辺りが理由だ。

 別に必要ないと言われたけれど、そうすべきと感じたのだ。

 まあ、うっかり不興を買うと魔法で消されかねないと言う恐怖もあるのだけれど。


「ベランダのソファまで運んでもらえる?」


 何を、と聞こうとしたら、チヨがシルクのシーツに包まったまま、こちらに両手を伸ばしてきた。

 いわゆる「お姫様抱っこ」で連れていけということらしい。


「魔法で飛べないんですか?」

「出来ないことはないけど」


 チヨの魔法については、詳しいことはよく分からない。僕が見たのは、彼女が僕を服従させた時に使った魔法だけ。効果を身をもって体験しているから、インチキでないことだけは知っている。


「嫌ならいいけど」

「いえ、運ばせて頂きます」


 しまった。眠たげな表情のまま変わらないから分からないけれど、機嫌を損ねたかも知れない。


 実はチヨの体に触れることに対して躊躇があった。

 相手は中学生くらいの女の子である。そんな多感な年ごろの少女の中には、相手が男性というだけで非常な警戒心を見せる子も少なくない。体に触れようものなら、毛虫に対するがごとく嫌悪感をあらわにして振り払われる可能性もある。

 そんな認識がわずかに躊躇いを生んだのだった。


 考えてもみれば、今回はチヨの方から要求しているのだからそんな心配は必要なかっただろう。


「失礼します」


 シーツを被せたままチヨを抱き上げた。

 その感触が、何だかおかしいことに気づく。


「あの、パジャマか何か来ていないのですか?」


 明らかに素肌の感触だった。


「そう言えば裸だった」


 下着さえ身に着けていないらしかった。

 僕は呆れたというか、躊躇ったのは何だったのかと思った。


「少々警戒心と羞恥心が足りないのでは」

「でも、この方がシルクのシーツが気持ちいいし。カズヤしかいないし」


 確かに僕のことは魔法でどうとでも出来るから分からなくはないけれど。

 だからと言って出会って一週間程の男に素っ裸で身を預けるとは。


 新生活はまだ始まったばかりだ。

 不安はある。

 チヨの機嫌を損ねずに上手く付き合っていけるか、他の魔法少女達を出し抜いて彼女に勝利を捧げることができるのか。


 そして、僕は人間に戻ることができるのか。


 気が付くと、腕の中でチヨがこちらをじっと見ている。


「…お手洗い」


 僕は上りかけていた階段を慎重に下り始めた。

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