第二十七話(三)「プリンの話じゃないのだ!」


 ほ、本命って、どっちって……?」

 私と小牧君のどっちとおつき合いしているのかと聞いておられるのですよ、速人君」

 詳細を訊いたんじゃありません!」

  すました顔で答える朝倉先輩に、ぼくは口の周りをティッシュで拭きつつ、語気を強めて言った。

 あら朝倉さん、姫舞ちゃんともお知り合いなの。で、どっち?」

 どっちとか、二人ともそんなんじゃないよ。ぼくは、その──まだ十五歳なんだから、そういうのは、まだ早いし──」

  先輩と母さんはしばらくぼくの顔をじっと見つめた後、同時にため息をついた。

 ……わが息子ながら、優柔不断ねぇ〜……朝倉さん、苦労させてごめんなさいねぇ」

 いえ、今に始まったことではありませんので……」

  そう言って、二人はもう一度、深くため息をついた。

  

 速人、女の子に夜道を一人で歩かせたらダメよ。駅まで送っていきなさい」

 いえ、大丈夫です。アーチェリーの練習でこれぐらいの時間になることも多いですし、護身術を心得てますので」

  玄関先まで、ぼくと母は朝倉先輩の見送りに出ていた。先輩──というかヘザは以前、辺境の酒場で暴漢二人を素手で制圧したことがあり、彼女の言葉には確かな裏づけがある。

 そう。じゃ、私は後片づけするから。朝倉さん、またいらしてね」

  玄関のドアが閉じられ、門の前にはぼくと先輩の二人だけが残された。

 ……では、お気をつけてお帰りください。また学校で」

 はい。速人君も、向こうに行かれた際には例の件、よろしくお願いします。それと──責任を取っていただく件も、お忘れなきよう」

 いや、その責任は、ちょっと……」

  ぼくが眉をハの字にして困った顔を見せると、朝倉先輩はニヤリといつもの笑いを浮かべた。

 分かってますよ。私は、ご命令とあらば望むところですが──速人君のおっしゃるとおり、ここでは順序と節度を守りますので。では、失礼します」

  ぺこりと頭を下げて、彼女は駅の方へと歩き出した。揺れるポニーテイルが夜のとばりに隠れるまで見送った後、玄関へときびすを返した。

 ハヤ君……」

  かすれた声に振り返ると、門の前には、ハム子が立っていた。

  手に食品用の密閉容器を携え、不安そうな面持ちでぼくを見ている。

 ハム子。どうした、こんな時間に──」

 あ、あの、お母さんが、今日は大変なことがあったし、プリン作ったから持って行きなさい、って……」

  ぼくの胸元に、容器を押しつけるように差し出してくる。

 ああ、ありがとう。おばさんによろしく言っておいてね」

 ……は、ハヤ君。あの……お邪魔、じゃないかな……」

  何か動揺しているのか、目の焦点が定まっていないような瞳の動きをしている。怪訝な顔をしつつ、ぼくは言った。

 そんなことないよ。飯は食ったが、プリンぐらいならまだ食べられる」

 プリンの話じゃないのだ!」

  顔を赤くして怒鳴った直後、ハム子は再び、しゅんとした表情になって、ぽつぽつと呟いた。

 ……ふ、副会長さん……来てたの、見かけて……夜遅くまで、一緒に……」

 ……ああ。本当はもっと早く帰るはずだったけど、母さんが夕飯を食べていけって引き止めたんで……」

 ……な、何か、雰囲気、違ってて……口調とか、変わってたし、は、『速人君』って、呼んでた、し……」

  彼女の中のヘザに引きずられたせいだが、そんなことは説明しようがない。

 さ、さあ。何か心境の変化でも、あったのかな?」

 ……副会長さん、何の用事で来てたのか……聞いても、いい?」

  やけに突っ込んでくるハム子に、戸惑いが隠せない。しかし変に隠して、疑わしく思われるのも困る。

 あー……朝倉先輩が来たのは、なー……ほら、前にぼくの顔を見たことがあるけど、いつどこで見たか思い出せないって言ってただろう。さっき思い出したからって、それを話しに来ただけだ」

 それ……いつ、どこで見たって言ってたのだ?」

 あー、うーんとー。いやそれがさ、前世で会った、とか言うんだよ。あの人も冗談がキツいよな」

  結局思いつかず、本当のことを言ってしまった。

  まぁ真に受けたりはしないだろう。

 ……冗談を言うためだけに、遅い時間にお家まで来たりしないのだ、普通は」

 いや。先輩は割と冗談でビックリするようなことを平気でする人だぞ。まぁ時間帯は非常識かなと思うけど、あの人のことだし、驚くほどのものでも……」

  ハム子はぶんぶんと首を横に振った。

  顔の周りに、こちらが不安になるほどの数の──水精霊が取り巻いている。

  どういうことだ。ぼくが、何か彼女をひどく悲しませるようなことをしたのだろうか。

 ……ふ、副会長さんは、きっと、ハヤ君を……ハヤ君のこと──だ、だから、ね?  こんな風に、わ、私が、ハヤ君のお家に、来たり、するの……ハヤ君に、会いに、来るの──迷惑、なの、かなぁって……」

  よく分からないが……朝倉先輩が家に来ることに対して、遠慮しようと考えているのか。

 ハム子がウチに来るのなんか、当たり前のことだろ。そんなことで、誰も迷惑なんて言わない」

 ……ううん、違う。違うのだ。私が──私がそう思ってしまうから──気持ち悪い……頭が、ぐるぐるして、嫌な気持ちなのだ……!」

  ハム子は声だけでなく、肩まで震え出している。

  顔もひどく青ざめている。

 ハム子……何か変だぞ。身体の具合でも悪いのか?」

 ううん、違う。悪いのは、私の──ダメ……こんな気持ちになっちゃ、私……『悪い子』になっちゃう……!  でも、何でこんな風に考えちゃうのか、分からない……分からないのだ……!」

 落ち着け、ハム子。今日は色々あって、疲れているだけだ。早く帰って──」

  ハム子の肩に手を置いて、諭そうとする。と、いきなりハム子の目から涙がぼろぼろとこぼれてきて、ぼくは驚いて手をパッと放した。

 お、おい。何で泣いて──」

 ……ごめん、なさい。私、こんな気持ちの、ままじゃ、会えない……会っちゃいけない……ハヤ君にも、副会長さん、にも……!」

  呆然とするぼくの前から、ハム子は夜の闇の中へと走り去っていき、またたく間に見えなくなった。

  

  週末も、週が明けても、それ以降ハム子と会うことはなかった。

  学校にはちゃんと来ていて、部活も休んでいないようだが、毎日のようにつき合わされていたお昼のカレーライスも、部活がないの日の登下校アタックも、さっぱり途絶えていた。

 一体、どうしたんだよ白河。小牧さんと何があったんだ?」

  三日目の放課後、さすがに不穏な空気を感じたのか、ついに下関が訊いてきた。ぼくはゆるゆるとかぶりを振った。

 分からん。そもそも、ぼくは人の心の機微に鈍感な、とんでもない唐変木なんだ。それでも、ハム子の考えることぐらいは分かってるつもりだったんだが──」

 ……どんな奴でも、独りで考えられることには限界があるぞ。ここは腹を割って話せる人に相談したらいいんじゃないか。例えば、この親友である──」

 確かにそうだな。分かった、相談してみよう」

  席を立って、早足で廊下へと向かう。 いや俺に相談するんじゃないんかーい」という下関の声を完全に無視して、ぼくは生徒会室のある特別棟へと足を向けた。

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