第二十話(二)「ちょっと似てるがそれは犬じゃない」


  演劇の小道具か、ほうきを振りかざしたハム子の姿だった。

 こ、こら!  おすわり!」

  ハム子、ちょっと似てるがそれは犬じゃない。見れば分かるだろ。

  いや、この非常時にツッコんでいる場合か。ハム子が危ない……ぼくは必死に身をよじり、腕を突っ張ってもがき続けた。

  犬魔物は一跳びして、その牙を猛然と、彼女に突き立てる──その寸前。

  穴から足がスポンと抜け、間髪入れずに駆け込む。その勢いを乗せた剣の身を、魔物の横っ面に叩きつけた。

 ギャウッ!」

  やはり、刃は通らない。

  鈍器で殴られたようなダメージを受けた犬魔物は、ひと声叫んで床に転がった。

 ハム……君たち、早く逃げろ。戦いの邪魔だ」

  剣を構え直しつつ、ぼくはハム子に呼びかける。

  できるだけ低い声を作ったが、果たしてごまかせたかどうか……ハム子の天然ボケっぷりに期待したい。

 ……わ、分かったのだ。でも──危ないことは、ダメなんだからね!」

  ハム子が、腰を抜かしていた生徒たちに避難を促して、次々にぼくの背後を抜けて舞台から飛び降ろさせていく。最後にハム子が、こちらをちらちらと振り返りながらも、体育館の外へと消えていった。

  やっぱり、ハム子はおバカだな。これから戦うのに危なくなくできるわけがないだろう──とにかく、これで体育館の中からはすっかり人の気配がなくなった。

  あとは魔物を倒すだけだ。

  無論、それが一番の難題なんだが──

  ぼくは小剣の先を下げて、フェンシングのように構えた。剣先を向けることで、突進させづらくする狙いがある。

  犬魔物は起き上がると、殺気をむき出しにしつつ、右に左にうろうろと歩き出した。

  切っ先を嫌がって、避けて接近できる角度を探しているのだろう。しかし、ぼくは剣を奴の左右の動きにピタリと合わせている。

  にらみ合いが続く中、ぼくが必死に考えていることは、いかに魔力を集めるかだった。

  相手の攻撃を防ぎ、魔力のない剣で叩くだけでは倒せない。

  ぼくの体内に染み込んでいる魔素から絞り出すのは、それで魔力を得られたとしても、その際のダメージでまともに戦えなくなってしまう。

  魔力さえ……魔力さえあれば──

  この世界、この日本で、魔物と戦い、魔素中毒者と戦い……そのたびに何回も渇望してきたことだ。

  今も、右手で剣を繰りつつも、左手では空気中の希薄な魔素を懸命にかき集めている。

  それでも、砂漠にしたたるひとつぶの雫のように、その渇きはまったく満たされない。

  これでは何時間かかっても、剣に付与できる量にはならない──

  魔物は焦れてきたのか、腹を床にこするような低い姿勢から、ざっと踏み込んできた。

  合わせて剣先を突き出す。

  ガツンと額にぶつかり、たまらず魔物は数歩退き、再び元の間合いに戻った。

  ぼくと犬魔物は、このやりとりを四度繰り返した。こんなことを何度やっても倒せそうにないが、ここから逃げるわけにも、逃がすわけにもいかない。

  しかし。

 ……?」

  何気に、ぼくは気づいた。

  ぼくと魔物が対峙している周囲に、非常にわずかだが、うっすらと魔素が漂い出している。

  目を細めて注意深く観察すると、その出どころはすぐに分かった。

  何度か剣を叩きつけた、魔物の顔面からだった。

  そうか。固い岩でも、鉄の棒で叩けば表面が削れて砂利が出るように。

  刃が通らなくても、何度も打てば魔物の凝固した魔素の表層がほぐれて、少しずつ流れ出すのか──

 ガウゥッ!」

  魔素を視るのに、意識を取られすぎた。

  小剣の間合いの内側に踏み込まれ、魔物は急に跳ね上がると、ぼくの頭部を狙って牙を肉薄させる。

  勢いに押し倒されるが、犬魔物のあぎとは、間一髪で横一文字に構えた剣身をかませて止めた。

 グルルル……」

  魔物は威嚇するように喉で音を鳴らし、剣をグイグイ押し込んでくる。

  すごい力だ。やはり、小さくても魔物は魔物か……。

 ……このっ……!」

  ぼくは犬魔物の尻を膝で蹴りつけて、巴投げのように後ろへと放り出した。

  魔物は宙を舞って、背後にあった背景の書き割りにズボっとめり込んでいく。

  ああ、三組の大道具係とガンテツの汗と涙と努力の結晶をまた破壊してしまった──まぁ、演劇自体がめちゃめちゃになってしまったので、もうどうでもいいことかもしれないが。

  とにかく、奴の身体をしこたまぶっ叩けば、十分な魔素が得られる。

  体勢を立て直し、ぼくは小剣を上段に構えて斬り込んだ。

  振り下ろした刃物は背景に空いた穴を大きく広げただけで、魔物には素早い横っ跳びであっさりかわされて届かなかった。

  ……ダメか。

  ぼくの未熟な剣の業では、このようなすばしっこい相手には、当てることすら困難だ。

  敵の動きを封じる手が要る──

  ぼくは敵の咬みつきをギリギリでかわしつつ、手立てを探すものの、そう簡単に見つかるものではない。

  息が上がってきた。集中も長くは続かない。

 うあっ……!」

  避けたつもりが、避けきれていなかった。牙を袖に引っかけられて、ぼくは背中から床に落ちた。

  次いで襲い来る一撃から、ゴロゴロと転がって舞台袖まで逃げる。

  ガシャンと音を立てて、何かにぶつかった。

  反射的に見上げると、キラキラしたラメの入った黄色のワンピースが吊り下げられた、ハンガーラックだった。

  ベルの舞踏会用のドレスなのだろう。

  ハム子のサイズで作られているから、ぼくが着てもすっぽり入りそうなほどデカい。

  これだ。

  乱暴に裾を引っ張って、ドレスをハンガーから外した。

  すでに魔物の追撃が迫っている。

  ぼくは、犬魔物の鼻っ面に向けて、スカートの部分を大きく開いて投げつけた。

  ドレスがビッグサイズなせいか、上手い具合に魔物の全身を包み込んだ。まさかハム子の巨体に感謝する日が来るとは……。

  魔物は激しくもがくが、逆にドレスの豊富なドレープに手足が引っかかってますます身動きできなくなっていく。

  決定的なチャンスだ。

  ぼくは小剣を頭上に振り上げると、渾身の力を絞って打ち下ろした。

  ドンと響く音と手に伝わる衝撃。

  決して気持ちのいいものではないが、会心の一打だ。

  続けて、二度、三度。

  そこから先は回数を数えていられないほどに、ぼくは無我夢中で、ドレスの上から盛り上がった部分を殴り続けた。

  やがて、全体からじわりと、黒い霧のようにそれがしみ出してきた。

  十分な濃さの魔素だ──

  指先を触れさせると、弱いが、剣の身を覆うには問題ないほどの魔力がぼくの手中に宿る。

  剣に付与して、このまま一気に勝負をつけてやろう。

  そう考えて、手のひらを小剣の刃に当てようとした、その時。

  ドレス越しにも分かるほどに、魔物の全身が、銀色の光を放ち──

  ぼくは総毛立ち、即座に身を伏せる。

  ほぼ同時に、岩をも砕く必殺の魔力弾が頭の上を通り抜けた。

  その威力は、体育館全体を震わせ、舞台の天井に大穴を開けると共に──ドレスに大きな裂け目を作った。

  その裂け目から、犬魔物の頭部がぬっと現れる。

  まずい。

  逃げようとしたが、一歩遅かった。

  縛めから飛び出してきた魔物の牙が、ぼくの左足に深く突き立てられる。

  絶叫が、体育館にこだました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る