第十九話(三)「気にする気にしないどころの話じゃなかった」


  その後、ぼくは三年一組の教室を、朝倉先輩を引きずりながら後にすることになった。

 頼む、白河君。あともうひと勝負だけさせてくれ」

 ダメですよ。見回りの仕事中なんですから、いいかげんにしてください」

  その理由は、かように先輩がテキサス・ホールデム・ポーカーにどハマりして卓を離れようとしなかったためだ。

  まったく、どっちがギャンブルで破滅するタイプなんだか。

 ほら、二組はミックスジュース屋だそうですよ。何か飲んで頭を冷やしましょう」

  そのまま、隣の教室へと入る。

 いらっしゃいませー。ご注文は?」

  入ってすぐのカウンターに立つ女子生徒が一礼する。ぼくは店内のメニューをチラリと見て、百円の飲食チケットを二枚差し出した。

 ミックスジュース二つ」

 かしこまりました、何をお入れしましょうか」

 は?」

  訊き返しつつ、お品書きをもう一度読み返す。

  

 ミックスジュース  百円

  ・オレンジ

  ・グレープ

  ・アップル

  ・レモン

  ・コーラ

  ・サイダー

  ・乳酸菌飲料

  ・アイスコーヒー

  ・アイスティー

  ※必ず三種類以上をお選びください」

  

 そういう『ミックスジュース』かー!」

  誰もがドリンクバーのあるファミリーレストランでやったであろう、各種飲料を混ぜて作るアレ。

  そのノリを模擬店にするとは、なかなかのセンスだ──

 私はアップルとサイダーとアイスティー。彼はオレンジとコーラと乳酸菌飲料とアイスコーヒーで」

 かしこまりましたー」

  唐突に、朝倉先輩が割り込んできてぼくの分まで勝手に注文してしまった。

 オオオィっ?  コーヒー入りとか完璧に地雷ィ!」

 いやー、ある意味美味しかろう?」

  火の出るようなツッコミを、朝倉先輩はニヤリと受け流す。

  ほどなくしてストローを差した二つの紙コップが運ばれてきて、ぼくたちはそれを手に席についた。

 どうだ白河君、私のチョイスは」

 ……今後、コーヒーのことを『漆黒の破壊者』と呼びたくなるような味です」

 厨二スメルの漂うステキな名称だな。どれ、私にも飲ませてみてくれ」

 えっ。で、でも」

  ぼくはどぎまぎして、つい彼女の唇に注目してしまう。そういうのは、気にしない性格なのかな……。

 安心したまえ。ちゃんと間接キッス狙いだから」

 気にする気にしないどころの話じゃなかった。頼むから自重してくださいよ、先輩」

 逆に君が私のを飲んでもいいぞ。ふふ、考えただけでもドキドキするものだな」

 節度!」

 分かった分かった。ストローを残して交換すればいいだろう?」

  コップだけを交換し、互いに一口飲む。こちらは普通に飲める味だが、先輩はたちまち顔をしかめた。

 これはすごい。味覚の存在が恨めしくなるような味だ」

 自分で作っといて何を……」

  つぶやくと、何だか腹の底から笑いがこみ上げてきた。

  同じ気分だったのか、朝倉先輩も肩を震わせ、喉の奥を鳴らして失笑する。

  ああ。彼女のわがままな振る舞いに振り回されているはずなのに、なぜか心地よい。

  初めて逢って、まだひと月近くしか経っていないはずの先輩に、強い心のつながりを覚える。

  とても不思議な感覚だ。この思いの正体は、彼女が自分自身の心の中に探しているという何かと、同じものなのかもしれない──

  

  その後も巡回を続けて、ぼくは一年一組の教室前へと戻ってきた。

 あ、そろそろ三組の劇が始まる時間だ。一応観に行くって約束したからな」

 そうか。残念だが、先約は大事にしないとな。ここで解散にしよう」

  朝倉先輩はさみしそうに目を細める。ほんの少しだけ、胸が締めつけられる思いがした。

 今日は、色々とありがとうございます。また──」

  ぼくが言いかけたその時、何回目かの上映が終わったらしく、教室の戸が開いて観客がぞろぞろと流れ出てきた。みんな口々に、あまり耳にしたくないビデオの感想を話しながら、三々五々散っていく。

  そんな中、二人の女子生徒が廊下にとどまり、落ち着かない様子で話し合っている声が耳に留まった。

 ねぇ、やっぱりアレって……もし本物だったら……」

 どうしよう、先生に言おうか?  でも信じてくれないかも……」

  ビデオの感想にしちゃ、話の内容がおかしい。

  耳をそば立ててもう少し先まで話を聞こうとしたが、そこに堂々と、朝倉先輩が歩み寄っていった。

 君たち、何か問題でも起きたのか」

 あ、生徒会の人ですか……あの、このクラスで上映しているビデオの内容は、ご存じですか」

 ああ。出し物の内容は、すべて生徒会で一度チェックしている。そのビデオが何か──」

 えっとですね、一昨日の夕方ぐらいなんですけど……このビデオに出てくる怪物──それによく似た感じの黒い変な生き物を、体育館の近くで見たんです」

  ぼくは固唾を呑んだ。

  まさか、また──この世界に、魔物が生まれたというのだろうか。

 ふむ。にわかに信じがたいが──あとは我々生徒会で対処しよう。任せてくれ」

  女生徒たちは軽く頭を下げて、足早に去っていく。

  それを見送ると、朝倉先輩は急にこちらに振り返った。

 白河君……聞いたか、今の話」

 ええ、聞いてしまいました。非常に残念なことです」

  ぼくは吐息混じりに答える。

 申し訳ないが、私と一緒にその生き物を探してほしい。おかしな話だとは思うが、ただの世迷言と片づけるべきでない気がしている」

 それを、生徒会でもないぼくに頼むのですか」

 その生き物の正体が何なのか、とは訊かないが……君が適任だと思った」

 訊かれても申し上げられないですが──確かに、ぼくには責任があります」

  ぼくは、あからさまに嫌そうな顔をして言う。朝倉先輩はぼくの顔をじっと見つめ、おもむろに無言でうなずいた。

 先輩、少し待ってください。念のための準備をしていきます」

  ぼくは教室に戻り、いびつにふくらんだスポーツバッグを肩にかけて再び廊下に出た。朝倉先輩はわざとそれに注目しないようにしているのか、わずかに顔を脇に逸らしている。

 何を準備したのか、私が関知しない方が君に都合がよいのだろうが……念のためのものというのは、得てして使わずに済むことを祈りたいものだ」

 同感です」

  ぼくたちは文化祭で賑わう校舎の喧騒を縫うようにして、廊下を早歩きで進んで行った。

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