第八話 疑問

第八話(一)「その辺は追求しない方向でお願いしたい」


  この衝撃を、ぼくは忘れることなどできない。

  呆然としていたのは、ほんの一瞬だった。ぼくは日本に戻ってきたことを悟ると、バネのように飛び起きて、周囲を見回した。

  予想した通り、ぼくが寝転がっていたのは高校の校庭、倒れ伏しているハム子のすぐ側だった。そこから十メートルほど離れた場所にある体育倉庫は、あちこちから火を噴いていて、すっかり本格的な火事になっている。

  まったく、何てひどいタイミングだ!  不可抗力とはいえ、勲章を与えてくれようとしていた女の子に対して、あまりに失礼なことをしてしまった。

  というか、ダーン・ダイマに再び召喚されてから、まだ一週間も経っていないはずだ。前の召喚では二十年以上もの間戻らなかったのに、なぜ、こんなに早くなってしまったのだろう。

  疑問はあるが、答えの出ないことを悩んでも仕方ない。

  ぼくはハム子の傍らにかがみ込んで、彼女の胸元に向けて術式を構築し始めた。

  ダーン・ダイマの精霊術師や魔術師は往々にして、呼吸をするように無意識に、自然に制御できるだけの精霊力や魔力を体内に蓄える訓練をしている。こちらに戻ってくると、それらはすぐに霧散し始めてしまうが、完全に消えてしまう前ならある程度は術を行使できるはずだ。

  ハム子は、昏睡するほど重い一酸化炭素中毒の症状を起こしている──これは、血液中のヘモグロビンが一酸化炭素と結合し、カルボキシヘモグロビンに変化することで起こる症状だと、前に練炭自殺について調べた時に知った。

  中学生の時、苦しまずに自殺できる方法について調べたことがあったからだが、その詳細については 遠足バス乗り遅れ事件」 エリンズ王宮舞踏会事件」に並ぶ、死ぬまで封印したいぼくの三大黒歴史の一つなので、その辺は追求しない方向でお願いしたい。

  とにかく、肺の中に純酸素を生み出しつつ、同時に血液中のカルボキシヘモグロビンを通常のヘモグロビンへと逆に変化させるよう操作すれば、彼女の身体を素早く回復させられるはずだ。

  ここまでメカニズムが分かっていれば、術式に起こすのは容易い。完成させた術に魔力を込めると、銀色の輝きがハム子を包み、紅潮した顔が、すっと元の白い肌に戻っていく──

 ん……ハヤ……君……?」

  回復が早すぎた。意識を戻したハム子は薄目を開き、ちらりとぼくを見た。

  まずい。

  ぼくは今、黒く仰々しいデザインの魔術師の外衣をまとったままだ。

  ごく一般的な日本人の装いではないこの格好をハム子に見られては、相当に厄介だ。

  手早く魔術を展開し、光精霊力を利用して、自分の姿を目で捉えられないようにする。

 あ、れ……?  いな……い……」

  つぶやいて、ハム子は再びまぶたを閉じた。

  ぼくは安堵をついたが、この魔術もそう長くは続かない。今のうちにここを離れよう。

  体育倉庫の火事を、誰かが目撃したのだろう。走り出したぼくの背中を、近づく消防車のサイレンの音が追いかけてきていた。

  

  夕暮れが、校舎を茜色に染める頃。

  ぼくは校庭の外れにある植え込みから、隠しておいた黒いコートを回収してスポーツバッグに詰め込んだ。ほっとため息をつく。

  あの後、体育倉庫は全焼した。消防車が三台も出動して、現場は一時、大変な騒ぎとなった。

  現場近くに倒れていたハム子は、救急搬送されて入院した。

  放火が疑われたことで、警察が捜査に入った。病院で程なく意識を取り戻したハム子は、事情聴取に自分が憶えている限りをバカ正直に話したらしい。

  それで当然、ぼくも警察から教員側から、同じようなことを何度も、繰り返し訊ねられた。

  現場から離れていたのは、火事になった後、人を呼ぼうと校舎に向かった時に気分が悪くなって、トイレの個室でぐったりしていたと説明した。実際にトイレの個室にはいたが、本当は面倒を避けるためにしばらく隠れていただけだ。

  出火の原因については、不良ABCDの責任になるように強調して説明しておいた。彼らがその後どうなったかは分からないが、実際に火事の原因も恐喝も暴行も拉致監禁も彼らの仕業に間違いないのだから、ただでは済まないはずだ。少なくともしばらくの間、もしくは永遠に、学校で彼らから災難を受けることはなくなるだろう。

  授業が丸つぶれになったのはありがたいが、普通に授業を受けていた方がマシだったかもしれないと思うほど、ひどく疲れてしまった。早く帰って休みたい。

  帰路を急ぎながら、ぼくはふと、スポーツバッグを横目で見た。

  今後はいつどこで召喚され、いつ戻ってくるのか分からないのであれば、今この中に入っているものを他人の目に着かないように持ち運ぶ方法が必要だが──スポーツバッグを常時持って歩くというのは、さすがに不自然だろうか。何か、いい対策はないものか……。

  

  一夜明けた朝、ぼくは表向き元気に登校して、一年一組の教室に到着した。

  両親からは大きな事件の直後だから、学校はしばらく休んだらどうかと言われたが、こういう時だからこそ早く日常に戻したいと主張して家を出てきた。

  決して学校に来たかったわけではないが、自宅で腫れ物みたいな扱いをされても、気分が落ち着かない。

 おはよう、白河……」

  これほど水精霊に好かれた男が他にいるだろうか。

  下関は明らかに落ち込んだ様子で、ぼくの席に歩み寄ってきた。

 その、俺のことが原因で、こんな大ごとになってしまって……」

 下関、厄介ごとに足を突っ込んだのはぼくだ。気に病まなくてもいい。……君も、例の事件のことで何か訊かれたか?」

  下関はうなずいて、長い吐息をついた。

 ああ、元は俺があいつらに恐喝されていたから……どうして絡まれるようになったのかは、言わなかったけどね」

 うん。訊かれたなら、身に覚えのないことだと言っておけばいい。証拠がなきゃ、奴らの言うことは誰も信じないさ」

  ふんと鼻で笑ってやると、下関は力なく微笑みを浮かべた。

 それはそうとさ、小牧さん、容体はどうなの?」

 いや、実はまったく知らないんだ。母が向こうの両親に付き添って病院に行ったはずだけど、ハム子の様子を聞くの忘れてた」

 小牧さんのこと、心配じゃないの?」

  そりゃあ、ぼくがちゃんと手当したからな。

  今頃は病室で、別に何ともないのに寝てなきゃならないことにブー垂れてるに違いない。

 い、いや。もちろん心配はしてるさ。今日、学校が終わったら、一応見舞いにでも行ってみようかなーとか思ってた所だよ」

 そうか、小牧君の見舞いに行くのか!  私も行きたいぞ、白河君!」

 うわぁ!」

  ぼくと下関は同時に驚いた。ぼくたちの背後に、例のあの人が音もなく忍び寄っていたのだ。

 あ、朝倉先輩!  何なんですか、いきなり」

 おはよう、白河君。昨日の火事のことで、君の様子が気になったから、つい来てしまったよ。迷惑だったかな」

  そう言いつつも、朝倉先輩は自分が迷惑だとはみじんも思っていない風に、腕を組んで堂々としている。ぼくは肩をすくめた。

 迷惑ではないですけど、先に名前を呼ぶなり、あいさつするなりしていただかないと、心臓に悪いです」

 心臓に悪いのは君の方だ。事件を聞いて、私がどれほど心配したか──昨晩は君らを心配するあまり夜も眠れなくて、おととい買ったばかりの『アルティメットファンタジーLXVろくじゅうご』を徹夜で遊んでしまったんだぞ」

 全ッ然心配してネエェェ!  それ普通にゲームにハマってるだけだろ!  というかそのゲーム一体何なの!  横○光輝三国志の巻数より多いゲームのシリーズって何なの!」

  ツッコんでしまった。疲れるだけなのが分かっているのにツッコんでしまった。無念。

 ふふ、相変わらずツッコミのキレがいいな。それはそうと、火事のことについて生徒会でも事情を確認しておきたいと思うんだ。悪いが放課後、生徒会室に来てくれるかな。大丈夫、生徒会長も一緒だから、ふざけたりしないよ?」

 普段からもふざけないようにしてほしいんですけど。まぁいいです、お伺いしますよ」

 ありがとう。じゃ、また後で」

  先輩はニヤっと笑って、教室を出ていった。

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