第二話(三)「噂に聞く『六行の大魔術師』みてぇな強さだ!」


  しばらく戦い続け、湿地から森林へと入ると敵兵の影は見えなくなった。敵軍の防衛線を抜けたのだろう。木々の間から切れ切れに望む聖樹の姿が大きくなるにつれ、そこから重苦しい気配を強く感じ始めていた。

  その正体は依然分からないが、その時ぼくは、聖樹には恐るべき何かがあると確信した。

  不意に、森が途切れた。おそらく人為的に拓かれた平地だ。目前には巨木の根元が視界の端から端まで広がっており、その周囲を、高く築き上げた木製のバリケードが囲んでいた。

 厄介なモンがあるな。乗り越えられない高さじゃなさそうだが──」

  ナホイが言いかけたが、ほぼ同時にぼくの右腕から激しい風圧の渦が放たれ、木の壁に大穴を空けていた。ナホイは一瞬絶句して、それから、ひゅうと口笛を鳴らした。

 スゲェ!  風の精霊術を見たのは初めてじゃねぇが、こんな威力のものは見たことがねぇ!  あんたはまるで……噂に聞く『六行の大魔術師』みてぇな強さだ!」

  ぼくはうっかりブッと吹き出してしまった。

 な、なんだよ。俺おかしいこと言ったか?」

 い、いや、何でもない。ずいぶんと大層なものを引き合いに出されたなと──うん?」

  もうもうと砂塵の舞うバリケードの残骸の向こうに人影がちらついたので、ぼくたちは身構えた。しかしふわりと風がそよいで塵芥の煙が流れていくと、ぼくもナホイも、ぎょっとして目を丸くした。

  うろうろとさまようその人影は、朽ちてミイラのようになった、死体だった。

  死体はひとつだけではなかった。巨木の根の周辺に、いくつもの立って歩く人の骸が見えた。ほぼ白骨化したものや、黒ずんだ腐肉をまとったものなど、その状態も様々だった。

 な、なんだこりゃあ……どう見ても死んでるのに、う、動いてやがる……?」

  ナホイが恐怖を含んだうめき声を上げた。映画などでゾンビという概念を持っているぼくと比べ、彼は目の前の現象を整理できず、パニック状態になりかけていた。

 あわてるな、ナホイ。死体が魔術をかけられて無理やり動かされているだけだ」

  この時、ぼくが言ったのはナホイを冷静にさせるための出まかせだった。

  今思うと、あれは半ば魔物化した人間が死に、その後も魔素に動かされている状態だったのだろう。そう考えれば、あながち間違いではない。

 そ、そうか……しかし、誰が何のためにこんなことを?」

 分からない。でも、その答えは聖樹にあるかもしれない。行こう」

  ぼくらが壁を超えて踏み込むと、ゾンビたちは敵意を露わにして近づいてきた。だが身体が朽ちて歩くのがやっとの死体に、ぼくたちの進撃が遮られることはなかった。

  しかし、問題は聖樹だ。

  この規格外の巨木のどこを調べれば原因が分かるのか──途方にくれかけた、その時。

 うあっ……!」

  ナホイがひざをついてくずおれた。彼が聖樹に近づくにつれ、時折ふらつきを見せていたのが気にはなっていたのだが──

 どうした、どこかケガでもしているのか?」

 ケガじゃねぇが……あ、頭が、何かモヤモヤして、何も考えられねぇ……あ、あれ、俺は今、何をしていたんだっけ……?」

  ぞくりと、背筋が冷たくなった。

  聖樹から放たれているだろう魔力の影響がさらに増しているのは感じていたが、いよいよナホイの精神がそれに耐えられなくなっている──その行き着く果ては、あの心を無くしたかのように戦う戦士たちなのだろう。

  もう原因を調べている猶予がなかった。

  彼を救える手段は、ひとつだけしか思いつかない。だがそうしたなら、ぼくはきっと森林族にとって天下の大罪人となるだろう。

  でもそれでいい。むしろそれがいい。

  両手の中に、今まで蓄えたことのない量の火精霊がたぎる。

  そして、ありったけの精霊力を込めた莫大な白熱の光線が──聖樹の巨大な幹を、下から上へと縦に薙いだ。

  ほどなく強烈な魔力の気配がゆるみ、薄らいでいくのを、ぼくは確かに感じた。

 ……そうか。俺は、失礼なことを言っちまったようだな。ハイアート、おまえが、六行の──」

  ぼくは人差し指を横に振って、それを口元に当てて微笑んだ。口をつぐんだナホイは、その樹体のすべてを真っ赤な炎に包んだ聖樹を、ただ呆けたように見上げていた。

  

  聖樹は七日間火に包まれ、やがて跡形もなく燃えつきてしまったと聞く。

  あの後、ぼくはすぐにナホイと別れ、逃げるように森林族国を後にした。森林族の信仰のシンボルをド派手に燃やすという大罪を犯したのだから、ぼくは追われる身となったはずだし、そのことにナホイを巻き込むわけにはいかないと、その時は思ったのだ。

  しかし森林族は皆、毒気が抜かれたようになって、なぜ戦争までしてあの樹にこだわっていたのだろうと考えるようになったという。長く続いた抗争で疲弊した森林族諸国は和解して森林族連邦を建国し、それを 『六行の大魔術師』が『悪魔の樹』を破壊して森林族にかけられた『呪い』を解いたおかげ」だとする伝聞が広がってぼくの耳にまで届き、 あいつめ、余計なことを広めてくれたな」と苦々しい思いにさせられたのは、その一年後のことだった──

  

 ……速人ー、晩ご飯できてるわよ。早く降りてらっしゃい」

  部屋の引き戸の向こうから聞こえてきた母親の声に、ぼくはぱっと目を開いた。

  いつの間にかデスクに突っ伏して、うたた寝をしてしまったらしい。

 うん、すぐ行くよ」

  やや大きめの声で答えて、ぼくは椅子から腰を上げた。うんと背伸びをひとつして、小さくため息をつく。

  机の上のスマートフォンを横目でちらりと見ると、画面には黒い魔術師用のコートを羽織った眼鏡の女性の立ち姿が映し出されていた。──彼女との思い出は特に、簡単には語りつくせぬほど長く濃く深いものだが、今は食卓に向かうのが最優先だ。

  ぼくは胸にこみ上げる寂しさに目を細めながら、部屋を後にして下り階段へと足を差し向けた。

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