第一話(二)「つまり役立たずだ」


 ──みんながね、私が隠し味に入れたチョコのせいだって言うのだ」

  呉武高校の校門が見えてきても、ハム子のおしゃべりは止まるところを知らない。夏休みの合宿で起きたことなど、会わない間に話したいことがたっぷり貯まっていたようで、堰を切ったような、どころか満杯のダムが爆破されたような勢いだ。

 どれほど入れたんだ」

  ハム子はVサインのように、指を二本立てて見せる。

 ふた欠けか?」

 ううん、で」

 味隠れてない!  味の自己主張がカレーとタメ張っちゃってる!」

 あれ?  やっぱり私のせいなの?  でもでもさ、板チョコがバッグの中でどこからどこまでがひと欠けか分かんないカタマリになっちゃってたし」

 そもそも、真夏の合宿のおやつにチョコレートを持っていく方に問題があるだろう、それは──」

 おはよーございまーす!」

  死角からいきなり大声をかけられて、ぼくはビクっと全身を震わせた。

  校門の脇に立つ男子高生が、ぼくたちに向かって元気にあいさつをしてきたのだ。左の二の腕に 呉武高生徒会」と達筆に書かれた腕章を着けている。

 あっ、お、おはようございます……」

  ぼくはしどろもどろに答えた。

  そうそう。今週は生徒会が あいさつ推進週間」とかいうスローガンを立てて、役員が校門前で登校してくる生徒にあいさつをするという活動をやっていた。さすがにそんな昔のことはさっぱり記憶になかったし、ハム子にツッコミを入れるのに気を取られていて、思わず不意を突かれてしまった。恥ずかしい。

 おはよーなのだ!  生徒会のみなさん、ご苦労様なのだ!」

  ハム子はハム子で、てらいや気後れがなさすぎる。それはそれで、彼女の隣で知り合いに思われることが何だか恥ずかしい。

  その時。

  校門の反対側にいる、やはり腕章をつけて立っていた女子生徒の視線に、ぼくはふと気がついた。

  その女子は、ぴんと張った背筋と細身のせいで、身長は実際より高く見えた。朝日に照り映えるストレートの長い黒髪は、前髪が眉毛の高さできっちり直線に切り揃えられていて、耳の前側は胸の前に、大人の事情で胸の特定部位だけが都合よく隠れる、漫画にありがちな例の表現に適した長さで垂らされている。耳から後ろはすべて後頭部でひとまとめにされており、いわゆるポニーテイルという髪型だ。

  細面の整った顔立ちに、やや目尻の上がった、眼力のある大きな瞳。もしかしなくても相当の美人だが、その眼力のこもった視線がぼくをずっと追いかけているとなると、話は別だ。

  ぼくは目を合わせないようにして、門をくぐろうとした。

  しかし不意に、彼女がぼくの腕をがっしとつかんで引き止めたので、ぼくは目を飛び出させんばかりに驚いて、彼女を振り見た。

 君、クラスと名前は?」

 ……一年一組、白河速人です。ぼくが何か?」

  彼女は、しばらくぼくの顔をまじまじと眺めて、首を傾げた。

 ……そうか。引き止めて済まなかった」

  その女子はぼくの腕から手を離して、校門の端に戻っていったので、ぼくはふーっと息をつくと、校内に入り校舎にむかって再び歩き出した。

 ハヤ君。生徒会の人に呼び止められるなんて、何かやったの?」

 知らないよ。まったく身に覚えがない」

  ぼくはかぶりを振って答える。

  ハム子は顎に手を当てて考えるそぶりをした後、手をぽんと叩いて言った。

 はっ。もしかして、これが逆ナンパ……!」

  ぼくはハム子の脳天にジャンピングチョップを浴びせた。

  

  校舎に入って、一年一組の教室の前に差しかかると、ハム子は手を小さく振って廊下のさらに奥にある、三組の教室へと小走りに去っていった。

  思えば、小学四年生の時にクラスが分かれて以来、ずっと同じ学校には通っていたものの、彼女と同じクラスになったことがない。まぁ、あの人懐っこさなので、思春期以降に同じクラスになっていたらどんな噂を立てられるか分かったもんじゃないから、いい距離感が保てて幸いだった。

  教室に入る。すでに数人の生徒が、思い思いにグループで固まって会話などに興じている。

  本来なら、みんなにおはようと朝のあいさつを交わすべきだが、わざわざ楽しそうにしゃべる連中の話の腰を折りに行くこともないと思い、黙ったまま自分の席に腰をかけた。

  そういえば、ぼくはクラスの中では ぼっち」だった。何となく、共通の話題とかがある同級生をつかめず、一学期も半ばを過ぎる頃には大体の組分けが完成していて、結局ぼくはどこにも属していなかった。

  日本時間では昨日のことでしかない、自分にとっては遠い過去の あの頃」は、それがどこか恥ずかしかったものだが、一人で過ごしていることは、そんなに気に病むようなことでもなかったな、と今では思う。

  成長というか、達観というか、諦観できるようになっただけか。何せ中身だけは、一応四十歳を過ぎたオッサンだからな。

  ──おや?

  ぼくは気づいた。わずかではあるが、顔の周りに水の精霊が寄っているクラスメイトがいるのだ。

  もちろん、精霊が少なすぎるこの世界では、わずかな量といえど精霊が集まっていることは珍しい。だからこそ、関心を引くほど目につく。

  精霊は、人の持つ感情に引き寄せられる傾向がある。

  例えば火精霊は、怒りや恥ずかしさといった感情が引き寄せる。そういった感情の時に顔が熱くなったり、赤くなるのは、火精霊のせいだと考えられているのだ。

  では逆に、水精霊を呼び寄せる感情は何か。

  強い悲しみや、恐怖心だ。

  あいつは確か、下関とかいう名前だった。どんな男だったかはよく憶えていない。

  見た目は、短くさっぱりとした黒髪、下ぶくれの輪郭に小さい目鼻がついた地味な顔つきをしている。身体の線は太めで、たくましいというよりはたるんだぽっちゃり体型だ。

  見た感じ平静を保っているが、彼はきっと、心を悩ます良くない事情を抱えているに違いない。

  だが、今のぼくは平凡な高校生であって、もはや多くの民衆を救ってきた 六行の大魔術師」ではない。ぼくには下関を助ける理由も責任もないし、そんな力も持っていないのだから、彼の抱える面倒ごとに関わるべきではないのだ……。

  ぼくはそう、自分自身にに言い聞かせた。

  

  やがて高校生の本分とも言うべき、授業の時間がやってきた。

  現代文の教科書を開き、名前もよく知らない誰かの創作物の登場人物の心情を読み解くという、ひどく退屈で……あまりにも平和なひと時が過ぎていく。

  この国の平和は、文明と文化と多くの人々のたゆまぬ努力の賜物であることを実感する。そしてぼくが長年をかけて極めた魔術や精霊術は、そのことに何ひとつ寄与しない。

  無論、平和はそれだけで価値があり、素晴らしいことだ。

  なのに、ぼくの心はそれに戸惑いを感じ、ぽっかりと穴が空いたように、虚ろだった。

  ──ふと、ノートの紙面に鉛筆で、とある図画を描いてみる。

 術式」と呼ばれるそれは、どのように効果を及ぼす魔術かを表した仕様書のようなもので、あとはこれをなぞるように魔力を込めるだけで魔術が発現される。ぼくはゆっくりと空気をなでるように手を動かして、よく目を凝らさないと見えないほど希薄な空気中の 魔素」を魔力に変えながら指の先に集めていった。

  五分ぐらいかけて魔力を蓄えたが、この魔力でできることといえば、せいぜい誰かの耳たぶを引っ張って痛いと言わせられれば上出来だと思える程度だ。もし魔界でそれだけ時間をかけて集めたなら、弾丸のように凝縮した魔力で眉間を撃ち抜き、痛いと言う暇もなく絶命させられるだろう……少なくとも十人以上は。

  今しがた描いた術式は、周囲の魔素や精霊を引き寄せる魔術だ。精霊術師の基礎とも言える魔術で、ぼくが羽織っていた 魔術師の外衣」の袖口にも刺繍されている。魔術を行使するにはあまりにもちっぽけな魔力をそれに込めると、おもむろに、術式の周りに精霊が目立ってきた。

  それでも、ダーン・ダイマで普通に空気中に漂っている精霊の一割、いや一パーセントにも達していないように思える。ぼくはそこに手をかざすと、火精霊から精霊力を集めてみた。  

  二十分ぐらいそうしていただろうか。手の中がネコのお腹に触ったような温もりを感じてきたが、これ以上の熱さは自身に負荷をかけて精霊力を無理やりに吸収しようとするのでなければ不可能だ。ぼくは鼻で小さく吐息を漏らした。

  試してみて、絶望的なほどに思い知らされる。

  この世界における魔術、そして精霊術は、想像をはるかに超える役立たずっぷりだ。

  つまりは、この世界における魔術師、そして精霊術師たるぼくは、想像をはるかに超えた役立たずなのだ。

  ……いや、そうじゃない。ただ普通の人なだけだ──他に特に取り柄もなく、クラスに友人の一人もいないようなコミュ下手の。

  うん。つまり役立たずだ。

  考えることもイヤになって、ぼくは机の上に突っ伏す。そのタイミングをちょうど計ったかのように、終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

  

  その後の授業の間もまるで気絶していたかのように過ごし、我に返ると、昼休みが訪れていた。

  ダーン・ダイマの生活習慣では昼食というものが存在していなかったので、それに慣れていたぼくは弁当を食べる気になれなかったのだが、食べずにそのまま弁当箱を母親に返すわけにはいかない。

  カバンから弁当を出しながら、ぼくは何となく下関の座る席に目をやった。

  下関は机の上に弁当を置いたまま席を立ち、教室の外へ出て行こうとしていた。顔にまとわりつく水精霊は、さらに増えているように見える。

  彼が昼食も食べずに教室を出て行く理由が、彼の悩みの原因かもしれない。

  そう直感したものの、彼のプライベートに関わるつもりはない。

  ないのだが……義務感というか、強迫観念めいたものが心をざわつかせて、どうにも放っておくことができない。ぼくは我慢できなくなり、下関の後について教室を出た。

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