2.釣り小屋は家じゃありません


 ――結婚? この男はいきなり、なにを言ってるんだ?

「またそんな、やぶから棒に……」

 レフタスは思わず首を横に振った。主人であるフィルバートは、そまつな寝台に浅くかけて足を組み、にこにこと彼の返答を待っている。


 領主の正式な結婚となれば、領地を挙げての一大行事となる。スターバウ家は前の当主が型破りだったせいもあり、家格のわりにフランクな気風だが、それでも限度というものは存在する。酔った勢いで婚姻届けを出したり、おそろいの刺青タトゥーを彫ったりするようなアホな若者をまねられては困るのだ。


「まあ、結婚はともかく。決まったお相手がいるのは喜ばしいことですな」

 家令はいちおう、話を合わせた。これまで、年齢相応に浮いた噂はあったフィルバートだが、どれもシーズンとは無関係のお遊びにすぎなかった。レフタスが把握していないとすると、それほど身分の高い女性ではあるまい。

「で、そのお相手は誰です?」

「リアナ」

ね」レフタスはたいして興味もなさそうに確認した。

「城の侍女に手をつけましたか? それとも料理女? いや、あなたの好みからして飲み屋の看板娘あたりか」


 フィルはあきれたように首をふった。「リアナっていったら……リアナしかいないだろう? おまえはなにを言ってるんだ?」


「えっ」

「ん?」

 主従ふたりは、おたがいにぽかんとした顔を見あわせた。


「リアナっていったら……?」レフタスはおそるおそる問い返した。

「リアナ・ゼンデン。白竜の王。上王リアナ」

「ぎゃああああ嘘おおおおお」

「あはは、レフおまえ、そんな声出せるんだな」

 長年の想い人と結婚したばかり。フィルの上機嫌は、幼なじみの奇声くらいでは中断されなかった。


 ♢♦♢


「そういうわけで、レフタスには全然信じてもらえなかったし。金を出させるのにずいぶん苦労したんだ」

 フィルバートは、「やれやれ」と言わんばかりの大げさな口調で言った。食器やグラスが鳴る音や、男たちのがやがやした話し声のせいで、普段よりも声が大きくなっている。


 場所は城下で一番大きい食堂兼酒場〈三人の求婚者スリー・スータズ〉亭。その、三人連れの席である。

 カウンター席の、店主に近い側にフィルが座り、その隣にテオ、さらに奥にヴェスラン、という顔ぶれだった。三人は連れだって入り、ここで夕食をとっているところだった。王城の勤務者向けに昼食や夕食を出し、夜には酒、そして夜勤兵士用の弁当も提供するという、かなり大きな店である。価格も味も良心的なのだが、若い兵士向きの味つけのせいか、中年のヴェスランは「脂っこい」だの何だのと文句をこぼしている。


「そっすか」

 たまの休みに元上司に呼びだされ、テオは覇気はきのない顔であいづちを打った。あの若い家令もかわいそうにと思いながら。「この話、俺らが聞く必要あるんすかね?」


「おまえが言ったんじゃないか。結婚するのには家がいるって」

 フィルは竜モツの煮込みをつつきながら言った。

「ああー……」

 テオはフォークを手にしたまま、頭をかかえた。言った。たしかに言った記憶がある。



『陛下と一緒に暮らすたって。あんた家はどうするんすか。まさか城でそのまま同居すんの? 別の夫が使ってた寝室で?』

『たしかに、それは嬉しくないが……タマリスのどこかに持ち家があった気がする』

『言っておきますけどね、連隊長、釣り小屋とセーフハウスは家じゃありませんからね』

『えっ』

『えっ』


 ……というやりとりが。


「ああぁー俺の馬鹿! お人よし! どうでもいいことに首をつっこんじゃう!」

 テオは見事な金髪をかきむしって、おのが性分しょうぶんを嘆いた。


「今から探して、いい物件がすぐに見つかるもんですか。あなたは、タマリスの住宅事情をまったくご存じない」

 やれやれと首をふってみせたのは、ヴェスランだ。モツ煮込みから芋だけを苦労してよりわけている。「これだから、社会経験のない英雄殿は困る」

「そうなのか?」と、フィル。

「そ、そうだ。もっと言ってやれ、ヴェス」と、テオ。


 そのヴェスは、ふところからさっとそろばんを取りだした。というか、いつも持ち歩いているのか、そろばん。

「しかたがないから私が仲介してさしあげます。手間賃は……そうですね、ご祝儀値引きで相場よりお安く、18%ほど上乗せしますが、文句はありませんな?」

「ああ。助かる」

 ヴェスランが抜け目なくはじいたそろばんを、フィルはほとんど見ることもなくうなずいた。


「ちゃっかり商売してんじゃねぇよ! んで、あんたも普通に乗っかるな! おっさんにボラれてっから!」テオが、切れ味鋭く両者につっこんだ。


 チッ。ヴェスランがナイスミドルな顔に似合わぬ舌打ちをした。


「変なところでお坊ちゃんなんだな、あんた……」

 テオはほとほとあきれた。戦場では鬼神のごとき戦いぶりを見せ、必要とあれば貴公子のふりもできるフィルバートだが、こんな世間知らずな一面があるとは思っていなかった。


「どんな家がいいんですか?」

 ヴェスランが蒸留酒をちびちびとすすりながら言った。「をお迎えできるくらいの格式のタウンハウスは、年単位で交渉しないと手に入りませんよ」

「いや……もう少し、手ごろな家がいいんだ。どのみち、邸宅という意味ではゼンデン家のものに見劣りするのは間違いないんだし」

 フィルが答える。


「手ごろな、ね」

 ヴェスランの目が宙を泳いだ。頭の中に複数の物件を思い描いているらしい。

「建築様式は? 部屋数は? ご近所は五公十家のみを指定しますか? それとも商家や高級官僚の屋敷も含めてかまいませんか?」


 ヴェスランの問いに、フィルはあんがいとすらすら答えていった。どうやら、理想の家とやらがあるらしい。うなずいて聞いている男たちの笑みが、にやにやしたものに変わっていく。

「おやまあ。〈ヴァデックの悪魔〉には似つかわしくない、かわいらしいおうちですなぁ」

「小さい家のほうがいちゃいちゃしやすそうって発想なんじゃないんすか?」


「……うるさい」

 戦時の英雄は、きまり悪そうにそっぽを向いた。

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