こんな夜

くまみつ

こんな夜

暗い階段を降りるとカビ臭い廊下に出て、みしみしと音をたてながら廊下を突き当たるとドアにぶつかった。まるで世界の肛門みたいに閉じこもったドアだ。ノックをしたらへこんでしまいそうな腐りかけのドアだった。


「ノックは必要ないよ。」


後ろから声がした。ネズミの幽霊だ。 ここでたくさんのネズミが生まれて死んだ。そしてたくさんのネズミの幽霊が生まれて。幽霊は死なない。

ノブを回せばドアは簡単に開く。


「どうしてここなんだ?」

僕はネズミの幽霊に言ってみた。返事はない。僕は少し考えてノブを握った。何かが地面を這っている。ずるずると音だけ聞こえる。

これはやばい。


僕はノブを握っていた手を離し様子をうかがう。汗が気持ち悪い。手に金属の硬く冷たい感触が消えない。骨の奥まで食い込んでくる。凍えるような冷たさだ。ドア越しに聞こえる何かが這うような音は少しずつ確実に近づいて来ている。

あれはやばい。絶対にまずい。


自分の意思とは反対に手がノブを握り直している。決意なんてものはなかったけれど、この扉以外に先はない。吐き気がひどい。背中でネズミどもの幽霊がざわついている。


 クスクス

「もうすぐだよ!もうすぐだ。」

 クスクス

「たべられちゃえ!」


かすれた声が耳に障る。

「うるさいよ。静かにしてくれ。」

僕はノブを握った自分の手を見ながら言う。なんだってこんな時にこんな落ち着いた声が出せるんだ?一瞬だけネズミの幽霊は静かになる。ずるずるという音はもうドアのすぐむこうにまで迫っている。


「ほら!見てみろよ。あいつの顔ときたら。まるで。死人のようじゃないか!」


一匹のネズミの幽霊がひきつれた笑い声をあげて叫んだ。ドアのむこうの何かが止まった。ドアのノブがきしんだ音をたててゆっくりと動いている。キリキリと金属の音をたてて。 随分長い間開いたことのなかった扉が開こうとしている。ノブを握っているのは僕の手だ。だけど僕の手を動かしているのは僕ではない。


「ゆっくりだ。ゆっくりだよ。」

ネズミの幽霊が息をあえがせて言う。

「開けろ!とっとと開けちまえったら!」

別の幽霊がかすれた叫び声をあげる。


「ほんとにうるさいよ。だまってろ。」

膝が抜けそうだ。めまいがする。全身の筋肉が緊張してるのがわかる。全身の汗腺から泥のような汗がふきだしている。 もう戻れない。後戻りするには遅過ぎる。

なんだってこんなドアを開ける羽目になっちまったんだ? なんにしてももう遅過ぎる。このドアにしたって。もうノブは廻し切っているのだ。


「そらそら!でてくるぞ。」

「ほ、ほら!く、く、くるぞ、、」


ネズミの幽霊は狂気につつまれている。陰惨がひどい雑音をたてて空気を引っ掻いている。 こんなにも積もっているのか、地下の世界には。

音が止まり、ゆっくりとドアがむこうから押されている。とんでもない重さと、不気味な密度で。何がでてくるのか知らないけれど。今度こそ終わりだな。僕はそう思う。砂漠クジラに飲み込まれた時よりひどい。砂漠ライオンに追いかけられたときよりまだひどい。

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こんな夜 くまみつ @sa129mo

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