Act.24 遊戯
不思議な道具商の洞穴を後にしておよそ三十分。朝に尋ねたテルルの町はずれの豪奢な屋敷に舞い戻ってきていた。
鉄柵の前には全身をピッカピカに磨き上げた鎧で着込んでいる衛兵が二名と、その前で騒いでいる無駄に派手な衣装を着こんだ男女合わせて五名の集団。
嫌な予感がするとのことで、遠巻きに彼らが喚いていることを眺めてみることにする。
ヒナカは自前の耳で、俺はそれを声として出力してもらい把握する。
「おまえのところの主人はいったい何を考えているのだ!貴族階層の人間のくせに、奴隷解放を推進するだと?あり得ん!ここを通せ!」
「ちょっと、困りますって」
そうだそうだと周りのガヤが囃し立てる。
衛兵が可哀想そうになってくる。奴隷解放に対して否定的意見を持っていることと、その服装からして貴族階級かそこらの人間なんだろう。
それに、テルルが奴隷解放に対して動いているというのも新たな発見だった。
だからヒナカに対してあれほど優しかったのだろうか。喚きはまだ続く。
「それに!あの卑しい大鬼を私たちのお金でわざわざ治療していたんですって!?信じられないわ!」
うむ?
ヤコブは「テルルお抱え」の医療チームだと言っていた気がするんだが。
なるほど。話を盛るためのデマか。ヤコブだけじゃなくてテルルも中々厳しい立場にあるみたいだ。
「あれ?あなた、あの時の獣人ちゃん?」
「はいっ?」
背後から声が掛けられる。結構距離があったので、聞くのに集中していたヒナカはびっくりして数センチほど跳ねてしまっていた。ヒナカも女性にしては高い方かと思っていたが、この女性はそれ以上だった。
「やっぱり。こんなところで何してるの?酒臭い男たちに連れて行かれたい訳でもなさそうだし」
「前、どこかでお会いしてまいたか?」
「そりゃあ......あ、そうか。あの時は顔隠してたもんな。仕方ないか」
何かに納得したようでうんうんと頷いている。女性は左手にぶら下げていたポーチを開き、その大きさに見合わない丈の長いスカーフを取り出して顔に巻き付ける。
「これで、思い出せるか?」
口調を変え、こちらに話しかけてくる。あの時の声はやはり変声機か何かを使っていたらしい。非常によく通る声なので、女性らしい声というよりかは男らしい声というべきか。
「もしかして八百長のときの......?」
「正解。それで――」
「ありがとうございましたっ!」
「へっ?」
ヒナカが急に直角九十度に曲がる。これには女性も呆気にとられ、どう対応していいのか測りかねていた。
「正直、お金だけ持って行かれると思ってました。本当に、ありがとうございました」
確かにあの時のヒナカは相当怯えていた。表面上は大丈夫という風を装ってはいたが、内心かなりびくついていたのだろう。だが女性はあの時では想像もできないほどケラケラと快活に笑い、ヒナカの杞憂を振り払う。
「ちゃんと払ってもらってるんだからそれ相応の仕事をするのがオトナ、ってもんでしょ?で、結局どうしたいの?」
「いいんですか?」
「もちろんよ。アレのおかげで今ちょっと楽な生活できてるんだもの。そのお礼ぐらいに思ってて」
女性にテルルの屋敷に入りたいが、あの集団のせいで入るのを躊躇っている旨を伝えると、そんなことか、といった表情を見せた。
「エディントンさんには結構仕事で会ってるから、便利な
一旦耳をそばだてていた場所からは離れ、別の道を通ってまた別の裏道に出る。それを数回繰り返すうちに、テルルの屋敷からは徐々に遠ざかっていっていた。
ヒナカは女性に大丈夫なのかという表情を向けるが、女性は大丈夫と何度も繰り返す。
そうして辿り着いたのは、これまた路地裏にひっそりと佇むアーチ状の入り口。
女性は、私が行けるのはここまで。入って進んだら監視のおじさんに止められると思うから、その人に合言葉を言ってね。合言葉は――と言って、ひらひらと手を振って大通りの雑踏に姿を消した。
〔良い人でしたね。またどこかで会えるといいんですけど〕
『生きてりゃそのうちまたどこかで一緒に仕事することもあるかもな。ま、その前にまず鐘ってのを手に入れないとなんだろ?』
〔そうですね。そのために今向かってますから〕
『だな。行くか』
消えた女性の影をふと思い出したが、すぐに搔き消して次の事態に意識を向ける。
大の大人が一人通れる程度の暗いトンネルを抜けた先には、受付のような構造物が二手に分かれた通路の間に造られていた。
受付に座っていたのは、少し低めの身長に、白髪の交じる頭を大胆にもオールバックに纏め、白磁のカップ片手に新聞らしき何かに目を落としている初老の男性だった。
「やあ。今日はどんなご用件だい?」
こちらに気づいたのかカップを傾ける手を止め、男が鷹揚な挨拶を飛ばしてくる。ヒナカはテルルの元に行きたい旨を男に伝える。
男性はすこし驚いた様子だったが、すぐに年配の人が良く見せる余裕に溢れた笑顔を取り戻し、合言葉の確認を始める。
「シャイロの海に落ちけるは」
「天使の両翼、いざ還らん」
「十六夜、我に何与ふ」
「いざよう
先程女性に教えてもらった合言葉を反復する。
その言葉に男性は満足したらしく、にっこりと微笑んでからまたカップを手を伸ばす。最後にちらりとヒナカの方を見て、テルルの屋敷への道を教えてくれる。
「ずっと右の通路を行って、四つ目の分かれ道で左に曲がれば上様の裏口に出るよ。いってらっしゃい」
また新聞らしき何かに目を落とした男性にお礼を言い、右の通路をどんどん進んでいく。
〔今何個目でしたっけ?〕
『三つ目だな。次の所を左に』
〔どうも〕
暗所から急に光の照らす場所に場所に出たためか、ヒナカが眩しそうに片目を瞑り手を目の上に添えて抜けた場所を確認しようとする。
「おぉ......」
『わお』
視界を埋めつくしたのは、広い庭を囲む古びた石壁に這う蔦のような植物、年季が入っているように見える割には綺麗に整えられた花壇に咲き乱れる色とりどりの花。
圧巻、と言うのがおこがましく思えてくる程の光景だった。
ヒナカが一輪の花に触れようと手を伸ばすが、何故か途中で何かに手が触れたかのようにその手を止めてしまった。
不思議に思ってよく見てみると、天から降り注ぐ光がキラッと反射した。
「こちらに」
周囲をきょろきょろしながら進んでいたので、突然前から掛けられた言葉に驚いてヒナカが後ろに跳ぶ。
だが声を掛けた女性はこちらを一瞥し、すぐに通路の奥に消えていく。
「あ、ちょっと」
ヒナカがその後を追う。
屋敷は、外見に負けず劣らず洒落ていた。基本はピンクがかった木材で建築されているが、随所に散りばめられた灰や茶の木材が色の恒常化を阻止し上品な中にも棘のある興味深い色のコントラストを醸し出していた。
「こちらに」
先程と同じ台詞で、だが少し変化した抑揚で俺達が目的の場所に到着した事を伝える。
木のドアを潜る。
その先に居たのは、
ソファからすくっと立ち上がり、右手を差し出す。ヒナカも同じく右手を差し出し握手を交わす。
「やあ。今日は何の用だ?茶でも嗜みに来たか?」
「いい案ですね。ですが、生憎と珈琲派なので」
「それはまた独創的な意見だ。――気に入った。座りな」
顎で向かいのソファを指し示す。失礼します、と一言断りを入れてからヒナカがソファに腰掛ける。
燕尾服に似たものを着た男性が、音もなく扉を開いて二つの湯気の立つカップをソファの間に置かれたローテーブルに置く。ヒナカはそれを両手で丁寧に持ち上げ、ちびちびと飲んでいる。
「前も話したと思うが、テルル・エディントンだ。上の名前で呼ばれるのがあまり好きではないのでテルルと呼んでくれ」
「よろしくお願いします、テルルさん」
「よろしく。ところで、ここら辺ではあまり見ない顔だと思っていたんだが、どこの出なんだ?」
社交辞令を交わした後、テルルがカップに手を伸ばしながら訊いてきた。
「よく覚えていませんが、北の方の生まれだったと思います。育ちはトレラントの孤児院です」
「ほう?アクスの所のか?」
少し口の先を伸ばして驚きの念を示しながら、ヒナカは首の動きでそれを肯定する。
「なるほど、そういうことか。道理で仕草や足捌きが似ていた訳だ。そういうことなら私は君を歓迎するし、支援も惜しまない。むろん、君の第二の家と思ってもらっても一向に構わないさ」
育ての親がここまで信用されていたら誰だって悪い気分にはならないだろう。少し顔が綻んでいた。
同時に、俺は深い安堵の胸を撫で下ろしていた。テルルの家に来た主な目的は、テルルに後ろ盾に付いてもらって貴族を牽制するためだったからだ。
「それで、その腕輪もあいつからの貰い物か?」
その時、俺は急に自分の存在を認識された驚きのあまり迂闊にも念話を使用してしまった。
途端にテルルの表情がクエスチョンマークが頭の上に浮かんでいそうな
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