第24話 急ぎすぎた代償
リベンジマッチも無事終了し、チーム作りも順調に進んでいた。
季節も変わり、夏の公式戦を間近に控えたある日。
いつもの朝のランニング、いつものコースを軽く汗が出るくらいのペースで走っている。
日々の練習の疲れが溜まっているせいか、なんとなく両膝が少し痛むような違和感をおぼえていた。
走れない程の痛みではなかったため、特に気にせずいつもの日課をこなしていた。
その日の放課後の練習中。
ドリブルのスキルアップ用に、ダックとタクに付き合ってもらい、ハーフコートのドリブル突破の練習を行っていた。
現時点では、ドリブルの精度やスピードUPに関して、1対1だと負けることがない状態にまで、到達していた。
今では、2名のディフェンス相手に練習を続けていた。
5本目をスタートした時、いつものようにボールを受け取り、左側のダックを抜くように、急加速してドリブルを開始し、左側に数歩踏み出す。
反対側のタクは、自分のサイドを抜かれることを警戒して、ダックとタクの間隔を詰めようとして来なかった。
二人の真ん中を中央突破するべく、左方向のドリブルを止めるために、前に出した左膝を深く曲げ、急ブレーキをかける。
!!!
踏ん張った左膝に激痛が走った。
僕は、その場で左膝を抱えるようにうずくまり、動けなくなっていた。
何事が起こったのかと、チームメイト達が集まってきていた。
別メニューを指導していたコーチも少し遅れて、心配そうに駆け寄り、
「かなた どうした? 大丈夫か?」
「膝か? どんな感じで、痛いんだ?」
僕の状態を確認しようとしてくれていた。
誰かと接触したわけでもないため、膝の痛みがなぜ発生しているのか、自分でも分からない状況だった。
コーチに抱きかかえられ、ベンチの椅子に腰掛けてしばらく様子をみていた。
しばらく膝をアイシングしているうち激痛は治まった。
しかし、にぶい痛みが継続しており、立ち上がることは出来るが、歩こうと足に体重をかけると痛みが走るため、病院に行くことになった。
コーチから、おふくろに連絡をしてもらい、ちかくの整形外科に車で向かった。
一人では歩けないため、おふくろの肩をかり、病院の待合室に入った。
夕方ということもあり、病院の待合室は、混んでいた。
アイシングを膝に当てながら、順番を待っていた。
となりに座るお袋は、心配そうな顔をして、だまって腰掛けている。
本当は心配でたまらず声をかけたいのだろうが、
「大丈夫?」
この一言しか出てこない状況に、
「大丈夫、心配無いって、ちょっと痛めただけだよ」
繰り返される返事を続けた所で、何も解決しないためお互い黙って座っていた。
僕の膝に何が起こっているのか?
特にぶつかったりしたわけでもないのに、捻挫等はありえない。
なにか悪い病気にでも罹っているのではないか?
前の高校生までのループでは、そんな病気には罹っていなかったハズだ。
まずい。まずい。まずい。
悪い思考がグルグル頭まわり始めてした。
「岸さ~ん 岸 かなたさ~ん どうぞ~」
若い女性の声がした。
「はい」
返事をして、診察室に入った。
50才くらいの男の先生と、女性の看護師さん2名が診察室で待っていた。
「そこの台のうえに、仰向けになって」
おふくろに支えられながら、診察台に乗り、膝のアイシングを渡して、仰向けに寝そべった。
膝の痛みの出た状況と、症状を問診された後、先生による触診が始まった。
痛みの部位は、膝というよりは、膝のさらのすぐ下が痛んでおり、その部分を押さえられると痛みが走っていた。
特に、接触等で痛めたわけでもないため、捻挫ほど腫れてはいない状態だったが、レントゲンを撮ることになった。
移動用に、松葉杖を用意してもらい、使い方をレクチャーしてもらった。
松葉杖は、両脇で支えると肩を痛めるので、脇で支えるように体重をかけてはいけないらしい。
両腕を突っ張って、伸ばした腕全体で体重を支えるようにし、杖はわきの下のあばら骨に当てて支えるイメージだ。
膝の撮影をするということで、慣れない動きで、一歩ずつレントゲン室まで、松葉杖で移動した。
診察台の上で、仰向けになり正面から一枚と、横から撮影するために、片膝を曲げた状態で横向きに寝そべり、もう一枚撮影した。
痛めた反対の足も、同じように反対向きに寝そべり、撮影を行った。
しばらく、待合室で待つと、再び名前が呼ばれ、診察室に入った。
レントゲンを眺めながら、医師から告げられた病名は、「オスグッド病」だった。
聞いたことのある病名だった。
前のループで、中学のバレー部の友人が同じ病気で、部活を止めていた。
この病気は、サッカーやバスケットボールなどのスポーツをする子供に発生する病気だった。
子供の成長期に起こる病気で、太ももの筋肉の発達によって、筋肉を止めている膝下の軟骨が、引き剥がされ飛び出してしまい、その時に痛みが発生するというものだった。
明確な治療法方がなく、痛みが治まるまで安静にすることを薦められ、痛み止めとシップをもらい病院を後にした。
家に帰って、ネットでこの病気について調べてみたのだが、子供の成長期に起こる病気で、痛みを我慢しながら続けるか?、もしくは痛みが治まるまで、競技を離れるかと言った感じで書かれていた。
超音波治療や光治療で、痛みを緩和することが出来るようだが、対処療法的なものだった。
基本的には、骨の成長が止まるまでは、膝下の軟骨がせり出してしまう症状が続いてしまうので、これからしばらくの数年間は、この爆弾を膝に抱えたまま過ごさなければならない。
急ぎすぎた。
技の記憶があることに気付き、体さえ出来上がれば、思うように体をコントロールすることが出来ると考え、筋力UPを行って来た。
特に、ドリブル時の急激なターンによる膝への負担が蓄積され、発症したようだ。
急激な筋力UPにより、骨がついてこれなくなり、前のループでは発生していない症状が発生したということだ。
翌日、松葉杖での学校までの登校は、難しいため、車で送ってもらった。
校門の所で車を降り、松葉杖で教室まで、向かった。
下駄箱で、上履きに履き替え、廊下を移動していると、みんなからジロジロ見られていた。
5年生の教室は、3階にあり、階段をどう上ろうか困っていると、後ろから声をかけられた、
「かなた 乗れ」
同級生のキートが、前にまわりこみ、大きな背中をこちらに向けて座っていた。
お言葉に甘え、キートの背におんぶされ、3階の教室まで、運んでもらった。
「キート サンキュ~ 助かった」
そうお礼を言って、感謝しつつ教室に入った。
持つべきものは、大きな友達だ。
放課後、迎えに来てくれたおふくろと体育館に向かい、病院での診断結果についてコーチに説明した。
コーチから、しばらくの間、安静にする必要があるため、練習は見学となることを、チームメイトのみんなに説明してもらった。
数週間後の夏の大会への出場は、絶望的な状況だった。
「みんな、ケガしてしまって、ごめんなさい。」
そう言って、頭を下げた。
下げた頭を上げることが出来なかった。
僕が、自己管理出来ていないばっかりに、試合に出場出来ない。
たかが練習試合で負けたぐらいで、ムキになり、スキルUPを急いだ結果がこのザマだ。
自分に腹が立ってきていた。
カーッと頭が熱くなり、思考が停止した。
次第に、目の前に見える体育館の床板が、ゆらゆらとぼやけてきた。
瞳からは熱い雫が止まることなく溢れてきて、ポタポタと床を濡らした。
「しょうがないだろ。したくてケガしたわけじゃ無いんだから」
キャプテンはそう言いながら、頭に手を置いてくれていた。
僕が欠けることは、大会に出場出来ないことを意味しており、みんなの表情は暗くなっていた。
痛み止めの注射でも打って、大会だけは出場できないか医師に相談してみた。
しかし無理をすることで、歩けなくなる可能性があると忠告され、断念せざるおえない状況だった。
この膝の状態は、リベンジ戦の勝利のために支払った代償としては、あまりにも大きかった。
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