第8話 お風呂は大事である ああ、国家の運営と同じぐらい大切さ


 拠点の古城、浴場。


「はぁ、広いお風呂っていいですねぇ」


 浴槽で足を伸ばしたサルメが柔らかな口調で言った。


「まったくだね。ロイクの奴はなんだって入らないなんて言ったんだろうね? せっかく誘ってやったのに」


 アスラはやれやれと両手を広げた。

 もちろん、アスラも浴槽の中である。

 浴槽がかなり広いので、同時に5人入っても余裕がある。

 洗い場もそれなりの広さが確保されていた。


「それは残酷ですわ」一緒に入っているティナが言う。「女の中に男が1人で入るのは、相当に勇気がいると思いますわよ?」


「……まぁ、拷問訓練受けるまでは、羞恥心とか……あるもんね」


 イーナが軽く泳ぎながら言った。

 現在、最新式に更新されたお風呂に入っているのはアスラ、サルメ、ティナ、イーナの4人だ。

 ティナはあとでブリットやメルヴィと入ると言っていたのだが、話したいことがあるからとアスラが誘ったのだ。


「それでティナ、クロノスの様子はどうだい?」


 アスラは訓練に出かける前に、クロノスのことをティナに頼んでおいた。

 ナシオはクロノスを連れて来た日に、そのまま置いて帰ったのだ。

 まぁ、アスラがクロノスを報酬に指定したからなのだが。


「無口ですわ」

「だろうね。時計が喋るのは時報ぐらいだろうさ」


「……時間、戻すしかできないのに?」とイーナ。

「一級品の冗談だったのに」とアスラが苦笑い。

「時間が進まないから時報もないですもんね」とサルメ。


「時計としての役割は果たせませんけれど、でもクロノスは従順ですわ」

「時計としての役割は求めてないよ。永遠に若さを保てるってのは便利がいい。全盛期の身体能力をずっと維持できるってことだからね」

「それは、すごいことだけど……うちは愉快な、傭兵団。ゴジラッシュやキンドラぐらい……感情表現が、豊かなら……良かったのにね」


「向き不向きってやつさ。仕方ないよイーナ」アスラが肩を竦めてから、視線をティナへ。「他に何か報告すべきことはあるかい?」


「戦闘能力は低いですわ。スキル特化型の魔物ですわね。まぁスキルは最上位に相応しいスキルですわ。レア度も高いですし、仲間にできて良かったですわ。ブリットもクロノスには世話を焼いているみたいですし」


「同郷のよしみ、みたいな感じですかね?」とサルメ。


「ですわね。2人はセブンアイズですもの」


「軽い疑問なんだけど」アスラが言う。「クロノスは何か食うのかい?」


「MPですわね。時々、ぼくが与えておきますわ」

「よろしく頼む。以上かね?」


「そうですわねぇ……」ティナが考えるように人差し指を顎に当てた。「……思ったより身体……筐体? は柔らかいですわ」


「そういえば、お辞儀してたねクロノス」


 思い出して、アスラは小さく笑った。


「団長さん、どうして時計には振り子が付いているんですか?」


 サルメがふと疑問を口にした。


「振り子の等時性を利用して時を刻んでいるからだよ」


 確か、それを発見したのは地球ではガリレオ・ガリレイだったか、とアスラは記憶を探った。


「とーじせい?」


「簡単に言うと、一定の周期で揺れるって意味。振り子の等時性は西フルセンの学者ザシャ・フェルンバッハの発見だね。詳しく知りたければ、彼の本を読むといい。ちなみに振り子時計の発明者はまた別人だよ」


 戦士優遇の時代でも、発明や研究に命を費やした者たちもいるのだ。


「今度、オフの時に本を買いに行きます」

「それがいいだろう。のぼせる前に一度身体を洗うか」


 言ってから、アスラは洗い場に出て頭と身体を洗う。

 サルメたちもアスラに続いた。

 そして洗い終わり、再びみんな浴槽へ。


「さてティナ、本題なんだけど」とアスラ。


「えぇ!? クロノスの話は本題じゃありませんでしたの!?」

「新メンバーの様子を聞いただけさ。私は団長なんだから、別に普通だろう?」

「まぁそうですわね……。それで? 本題は何ですの? のぼせる前に終わる話ですの?」

「君には総務部を辞めてもらいたい」


「「ふぇ!?」」


 アスラ以外の全員が驚きの声を上げた。


「ぼ、ぼくが一体、何をしたと言いますの? クビにされるような、そそそ、そんなヘマ、ぼくはしてませんわ」

「そそそ、そうですよ団長さん! ティナがいないと、総務部が大変です!」

「……ティナ、今までありがとう……」


 イーナは目を瞑って、小さくお辞儀した。


「落ち着け君たち」アスラが苦笑いしながら言う。「クビとは言ってない。昇進だよ昇進。なんでみんな私が部署異動の話をするとヘマしたと思うのか……」


「……昇進、ですの?」


 ティナは疑いの瞳でアスラを見た。


「そう。昇進。君には国家運営副大臣に就任してもらいたい」


「……えっと? どういう役職ですの? なんかすごそうですけれど」


「私の決めた方針に従って国家を運営する大臣の補佐及び、大臣に何かあった時の大臣代理ってとこかな」

「国家の管理運営ってことですわね?」

「そうだよ。君には実績があるからね」


 ティナはかつて、フルセンマーク全土に根付く巨大な犯罪組織を管理運営していた。

 組織のトップはジャンヌだったが、実質的な采配は全てティナが行っていた。


「犯罪組織と国は違いますわ」

「できないかね?」

「できないとは言ってませんわ」

「では頼む。大臣はラッツ……警備隊長のホラーツ・ブラントミュラーだ。明日、彼と打ち合わせをするように。必要な人員に関しては、とりあえず各国から引き抜きを行え」

「部下を自分で集めてこいと……?」


 ティナの表情が引きつった。


「それが最初の仕事だね。まぁ最初はそんなに大人数でなくてもいいはずだよ。君たちとは別に3人ぐらいでいいんじゃないかな?」


 アスラが言うと、ティナは少し考えるような素振りを見せた。

 そして、何を考えたのか、ティナの頬が緩んだ。


「……お尻の可愛い女の子にしますわ……」

「お尻で選ぶんですか!?」


 サルメが驚いて言った。


「まぁいいんじゃないかな」とアスラ。


「いいんですの!?」


 ティナも驚いた。


「君とラッツで好きに選べばいいさ。私は方針を決めるだけで、方法は任せる」

「寛容な上司の皮を被っていますけれど、部下に丸投げって意味ですわ!! 姉様より少しだけマシというぐらいのダメ上司ですわ!!」


 ティナが勢いよくアスラを指さして言った。

 アスラはニコニコと笑ってごまかした。


「ところで、総務部はどうするんです?」サルメが言う。「ブリットやメルヴィに総務部長が務まるとは思えないんですけど……?」


「そこは執事に任せるよ」

「執事さんですか? 真の仲間じゃないですよね? いいんですか?」

「問題ない。執事は裏切らないし、能力も確かだよ。ぶっちゃけ、真の仲間と大差ない状況だよ」

「執事になら、ぼくも安心してあとを任せられますわ」


 ティナがうんうんと頷く。


「さて、そろそろ上がろう。国家運営の方針については、また今度話すよ」


       ◇


「大森林!! 踏破!!」


 アイリスが大声で叫んだ。

 ここは大森林を抜けた国。中央フルセンの最南端。

 今はイーティスの支配下だ。


「団長の魔の手によって大森林に捨てられて10日」ラウノが感慨深そうに言う。「色々あったけど、生きて文明に戻れて良かった」


 そう、あれから10日が経過したのだ。


「色々って何かあったっけ?」アイリスが首を傾げた。「割と順調に抜けた気がするわよ?」


「ああ、君が触手に捕まったり、君が酷い下痢になったり、君がキマイラをオーバーキルしたり、割と色々あったと思うけどね……」


 ラウノはややげんなりした風に言った。


「キマイラは、ちょっと嫌な思い出があったから、ウッカリやりすぎちゃったのよ」

「サルメが死にかけた話だよね。君の不注意で」


 冒険家カーロ・ハクリの護衛任務で、初めて大森林を訪れた時のことだ。


「そうよ。あの時のことを思い出して、ちょっと力が入っちゃったのよ」

「ちょっと力が入ったぐらいで、キマイラは挽肉にならないと思うけどね」

「ラ、ラウノだって支援してくれたじゃない! あたしがバーサーカーみたいな言い方しなくてもいいでしょ!?」

「分かった、分かったよ。君はバーサーカーじゃない。知ってるよ」


 ラウノは両掌を見せて、小さく振った。


「とにかく、あとは拠点まで戻ったら!」アイリスが元気に言う。「晴れてあたしも魔法兵よ!!」


「だね。僕も立派な魔法兵。憲兵だった頃は、まさか傭兵になるなんて夢にも思わなかったなぁ」


 ラウノは空を仰いで、失われてしまった遠い過去に思いを馳せる。


「あたしだって傭兵と行動をともにするなんて思ってなかったし、そもそもアスラたちのこと大嫌いだったのよねぇ」

「今は?」

「まぁ嫌いじゃないわよ?」

「控え目な言い方だね。好きまであるくせに」


 ラウノが微笑むと、アイリスが少しだけ頬を染めた。


「と、とにかく今日は宿を取って、休んで、明日は馬を買って……ってお金持ってないじゃないのあたしたち!」

「ああ、せっかく文明に戻ったのに宿にも泊まれないし馬にも乗れないのか……」

「曲芸でもして、お金投げてもらおうかしら?」

「カジノで似たようなこと、したんだっけ?」


 ラウノは当時まだ仲間ではなかった。

 しかし話だけは聞いている。

 ラウノはみんなの相談相手でもあるし、単純な話し相手でもあるのだ。

 よって、《月花》の軌跡には詳しい。まるで立ち上げ当時から一緒にいたかのように語れるレベルである。


「そ。英雄ってのもウケがいいのよね」

「でも今は止めた方がいいんじゃないかな?」

「なんでよ?」

「汚い、臭い」


 ラウノが言うと、アイリスは目を丸くして、それから真っ赤になって両手を振った。


「わわわ、忘れてたわ!! お風呂! お風呂に入りたいっ! 川で水浴びはしてたけど、石鹸が欲しい! 石鹸と柔らかい布で身体洗いたい!!」

「拠点は今頃、みんなして新しい風呂を楽しんでいるはずだよ。僕らが捨てられた時には工事してたからね」

「こ、こうなったら盗賊退治よラウノ! 盗賊を見つけて、彼らの金品を奪うのよ!」

「ああ、アイリス、それを盗賊って言うんだよ?」

「なんでよ!? 盗賊退治でしょ!? いいことよ!」

「盗賊への盗賊行為だと思ったけど、まぁ考え方次第か」

「そうよ! 柔軟な思考が大切だってアスラもいつも言ってるでしょ!?」

「それで? どうやって盗賊の情報を得る? 汚くて臭い君は、たぶん避けられるよ?」


 振り出しに戻る。


「いいわ、こうなったら、英雄を頼りましょう! 英雄のよしみで、お風呂を借りましょう! あとお金も借りましょ!」

「無難だね。近いのは誰?」

「エステル様ね」

「イーティスか、どうせ通り抜ける予定だし、そこまで頑張って歩こうか」


 食糧と水の確保も必要だし、寝床も探す必要がある。

 結局、文明に戻ってもやっていることは大森林内と同じ2人であった。

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