第11話 世界で最も愚かな者は誰かって? 私と敵対するようなマヌケがいるなら、そいつだろう


「ちっ、話が通じないのかね君は」


 戦闘になるかもしれない、とアスラは思った。

 完全にタダ働きなので、あまり気は進まない。

 けれど、降りかかる火の粉は払う。それが《月花》の方針でもある。


「さぁ、行きましょうルミア」


 ジャンヌがそう言った時、少し強い風が吹いた。

 ジャンヌは左手を持ち上げて、自分の長い髪の毛を押さえる。

 その瞬間、ティナがビクッと身を竦めた。


「虐待しているのか……」


 アスラが呟いた。

 その言葉に、ティナが目を丸くした。

 それから恥じるように目を伏せる。


「何の話ですか?」ジャンヌは首を傾げた。「理解できません。それより、早く行きましょうルミア。あたくし、話したいことがたくさんあります」


 ジャンヌの言葉で、ルミアの心が少し揺れたのがアスラには分かった。

 長く会っていなかった姉妹。募った想いというものがある。

 だけれど。


「行くなルミア。行ったら、君は酷い目に遭う。気付いたはずだよ。ジャンヌは君を虐待する。絶対にだ」


「あたくし、そんなことしません」ジャンヌは心外だ、という風に頬を膨らませた。「勝手なことを言わないでください。ルミア、どうするのです?」


「……あなたと話したいわ」ルミアが言う。「でも、わたしは傭兵団《月花》の一員なの。だからアスラが言うように、オフの日にお茶でもしない?」


「ふむ……」


 ジャンヌは溜息を吐いて。


「【神罰】改め【神滅の舞い】」


 唐突に魔法を発動させた。

 漆黒の翼を翻し、宵闇のような黒い髪の堕天使が降臨する。

 堕天使は手に持った闇の色をした剣を一閃。

 跪いていた人間たちの首が、まとめて4つほど飛んだ。

 鮮血が飛び散り、周囲で跪いてた者たちが我に返って何かを叫んだ。

 堕天使はそんな人間たちを容赦なく細切れにし始めた。

 凄まじい速度で移動しながら、次々に斬殺していく。丁寧にバラバラにしていく。

 あまりにも突然すぎて、アスラですら状況を一秒ほど理解できなかった。

 誰かの悲鳴が聞こえて、血と肉が飛び散り、瞬間的に地獄が創造される。

 ドラゴンがノソノソと移動して、人間たちの死体を食べ始めた。


「な、何をしているの!?」


 ルミアが叫んだ。


「ルミアのせいです」ジャンヌが淡々と言った。「ルミアがあたくしと来ないから、みんな死にます。みんなバラバラの肉片になります」


「ちょっと待ってよ! 何言ってるの!? ねぇあなた、何を言っているの!?」


 ルミアが混乱した様子で、悲鳴のように言った。


「何してんのよあんた!!」


 アイリスが剣を抜いて、ジャンヌとの距離を詰めた。

 アイリスがジャンヌを捉え、剣を縦に振る。

 その剣を、ティナが右手の人差し指と中指で挟んで止める。

 信じられない、とアスラは思った。アイリスは闘気を使っていないけれど、それでも英雄だ。

 アイリス自身、何が起こっているのか理解できていない。

 ティナが左手でアイリスの頬を殴りつけた。

 アイリスの身体が吹っ飛んでいって、露天に突っ込んだ。

 アイリスは起き上がらなかった。


「や、やめてくださいませ姉様!」


 ティナは必死な様子で言った。

 ジャンヌは背中にクレイモアを背負っていて、右手が柄に伸びている。


「なぜです?」

「ここまでやる必要はありませんわ! ルミアに嫌われてしまいますわ!」


「そんなことありません」ジャンヌが言う。「ルミアがあたくしを嫌うはずがないです。ねぇルミア、そうでしょう?」


 堕天使は相変わらず、無関係な市民を虐殺している。

 想像を絶する地獄が形成されて、

 アスラは少し興奮した。


「ああ、クソ、フル装備でくれば良かったよ」


 アスラたちはいつもの短剣をローブの下に装備している以外、何も持っていない。

 元々、冷やかしのつもりだったからだ。


「あいつ、正気かよ……」とユルキ。

「……あたしらでも、こんなことしない……」


 イーナが周囲を見回して言った。


「【神罰】改め【神滅の舞い】」

「【神罰】!」


 ジャンヌが新たな堕天使を降臨させ、同時にルミアも天使を顕現させた。

 黒い翼の堕天使と、白い翼の天使。

 闇の剣と光の剣が、激しくぶつかり合う。

 堕天使と天使はそのまま斬り合いを始める。

 血も肉も飛ばない斬り合いだが、それはこの世のモノとは思えないほど美しく、心の躍る光景。

 光と闇が一緒になって踊っている。

 ルミアの【神罰】を見て、レコ以外の団員たちが酷く驚いていた。

 それはそうだ。ルミアは自分の魔法は光属性だと言ってある。

 固有属性・天だということはずっと秘密にしていた。


「ああ、ルミア、全部あなたのせいですよ? あなたが、あたくしと来ると言えば、あなたの仲間は殺しません。どうします?」


「バカかね君は」アスラがやれやれ、と肩を竦めた。「私らを殺す? 君がかね? 冗談にしても笑えないね」


 そう言いながら、アスラは笑っていた。


「ルミア、早く決めてください。あたくし、まだまだ堕天使を呼べますよ?」

「……」


 ルミアは唇を噛みながら、周囲の状況を見る。

 ああ、なんてことはない。ただの地獄さ、とアスラは思った。


「行く必要はないよルミア。面倒だから、こいつはここで殺してしまおう」


 アスラが笑う。

 凶悪に笑う。

 まるで《魔王》のように、まるで悪意そのもののように。

 ルミアは一度目を瞑って、

 小さな深呼吸をして、


「……行くわ。だからもう誰も傷付けないで」


 ジャンヌのすぐ前まで歩いた。

 堕天使が2人とも消える。

 それを確認してから、ルミアも天使を消した。


「ルミア」


 アスラが呼ぶ。その声が、少しだけ、いつもと違っていた。

 何かが抜けたような声だね、とアスラは自分でそう思った。

 鼓動が少し、速くなったような気さえする。

 でも、言わなくては。

 私は君を、失いたくない。


「私は団員たちの意思は尊重してきた。これからもそうする。だからこれは命令じゃない。お願いだ。行かないでくれ」

「ごめんなさいアスラ、わたし、抜けるわ」


 ルミアは寂しそうに言った。


「……副長、行っちゃ嫌……」とイーナが泣きそうな声で言った。


 イーナとルミアは性格が合わない。だから仲が悪いようにも見える。

 だけれど、イーナはルミアのことを嫌っていない。


「ごめんなさい」とルミア。

「……やだ……やだよ……」


 グスン、とイーナ。

 イーナがルミアに反抗したり、悪戯するのは、単純に構って欲しいから。

 マルクスに対しても同じ。大人に構って欲しいのだ。


「……」


 ルミアは何も言わず、曖昧に笑った。


「ああ。ああそうかい。クソッタレ。行っちまえクソ。引き上げるよ。イーナ、あとで私がハグしてあげるから、帰ろう」


 アスラが踵を返した。

 その瞬間。

 ジャンヌがクレイモアを抜きながら距離を詰め、アスラの背中を斜めに斬った。

 アスラが地面に倒れる。


「な、なんてことしたの!?」


 ルミアが今度こそ、本当の悲鳴のように甲高い声で叫んだ。


「あたくしを殺すと言ったので、お仕置きです。命に別状はないでしょう。痛むと思いますけれど」


 ふふっ、とジャンヌが危険な笑みを浮かべた。


「ざけんなよテメェコラ」ユルキが言う。「生きて返さねぇぞマジで」


 ユルキが両手に短剣を装備。


「……話、終わってた……」イーナが言う。「……なのに、団長を斬った。クソ白髪女、絶対殺す……」


 イーナも短剣を両手に構え、ジャンヌを睨み付けた。


「副長が副長の意思で抜けるのは仕方ないが」マルクスが言う。「今のは許せん。貴様、ちょっとした楽しみの感覚で団長を斬ったな?」


 怒りに満ちた表情で、マルクスも短剣を抜く。


「団長斬る奴は死ねばいい」レコが言う。「お前死ね」


 大森林から戻って、短剣の携行を許可されたレコも、短剣を抜いてギュッと握る。

 そんな団員たちの様子を見て、ルミアの顔が真っ青になった。


「団長さん! 団長さん!」


 サルメはアスラに駆け寄った。


「平気だよ。殺す気で斬ってない……みんなも落ち着け。殺気がなかったから、反応しなかっただけだよ」


 アスラは立ち上がり、傷口に【花麻酔】の花びらを貼り付けた。

 一触即発。

 ピリピリとした空気が心地いい。


「行け。構わないから行け」アスラが言う。「今度仕切り直そう。なぁに、心配はいらない。今度会ったら、ズタズタに引き裂いてあげるから。ちゃぁんと、丁寧に殺してあげるから。割と積極的に、君らを壊滅させてあげるよ」


 ルミアが向こう側に付いてしまった今、怒りに任せて特攻したら全滅する危険がある。

 ジャンヌ、ティナ、ルミア、それぞれ各個撃破するのが望ましい。


「ああ、今から楽しみだよ。とっても楽しみ。なぁルミア、君もそうなんだろう? ククッ、行けよほら、私の気が変わらないうちに」


 アスラはとっても楽しそうに嗤った。

 アスラの言葉で、ルミアがジャンヌの手を引く。

 ジャンヌは少し残念そうに、ドラゴンに飛び乗った。

 ティナとルミアもそれに続く。


       ◇


 中央フルセンの古城。


「やっとゆっくり話せますね、


 ジャンヌが言った。

 ここは寝室。ジャンヌに案内されるままに、辿り着いた場所。

 ジャンヌはドアを完全に閉めて、鍵をかけた。

 ルミアとジャンヌは完璧に2人きり。


「そうね……」ルミアは曖昧に笑って、ベッドに腰を下ろす。「あなたが生きてたこと、本当に嬉しいのよ?」


「はい。分かります姉様。あたくしも、姉様に会えて嬉しいです」


 ジャンヌはルミアの隣に座った。


「守れなくてごめんなさい」

「いいんです。姉様は悪くないです。それでも、罰が欲しいなら……」

「違う。違うのよ

「今はあたくしがジャンヌです、姉様。だから、あたくしをジャンヌ姉様と呼んでください。あたくしは、姉様のことをルミアと呼びますね」

「ええ、いいわ。そうしたいなら、そうするわ。ジャンヌ姉様。あなたの望みはなるべく叶えたい。でも、違うの」

「何が違うのですか?」


 ジャンヌはキョトンとした表情で言った。


「わたしはあなたを守るわ。わたしを罰したいなら、罰も受けるわ。好きなだけそうしていいわ。でも、今度こそ守る」

「何からですか? あたくし、強いですよ? たぶんルミアより。あたくしに勝ちたいなら、《魔王》でも連れて来ないと無理ですよ?」

「あなた……」

「ジャンヌ姉様でしょう? 次にあなたなんて言ったら、お尻を叩きますからね?」

「……ジャンヌ姉様は、自分が何をしたか理解していないわ……。とんでもないことをしたの。本当に本当に恐ろしいことをしたのよ……」


 ルミアは怯え、泣きそうになりながら言った。


「よく分かりません」

「傭兵団《月花》を敵にしてしまったのよ!」


 ルミアは半狂乱で叫んだ。


「落ち着いてくださいルミア。あの人たちなら、いつでもあたくしが殺して来ます。大丈夫です」


「なんてバカなことをしたの!? アスラはあなたと戦う気はなかった! 引き上げる気だったのよ! それなのに、あなたは明確に敵対してしまった! 最後の一太刀は本当に余計よ! あれがなければ、アスラは積極的にあなたに関わらなかったわ!」


 これでもう、《月花》とフルマフィは戦争状態だ。

 フルマフィにやる気がなくても、《月花》側が許さない。


「なぜ泣くのですか? あの連中が何だと言うのです?」


「あなた死ぬのよ!? 絶対よ! わたしが守らなきゃ、あなた死んでしまう! せっかく生きていたのに! せっかく会えたのに! なんてバカをしたのよ! どうしてわたしがあなたと来たと思ってるの!? アスラたちと敵対させないためよ!?」


 ジャンヌは無関係な人たちをまず殺した。

 そうなると、次に殺そうとするのはルミアの仲間。

 そして、アスラはジャンヌを殺す気だった。あの状況なら、たぶん、ジャンヌを殺せた。アスラ1人で、という意味ではなく、ルミアを含めた《月花》のメンバーで。

 だから、ジャンヌを死なせないために、ルミアは《月花》を抜けた。


「あたくしは死にません」

「死ぬのよ! だから守るの!」

「ルミア」


 ジャンヌが酷く冷えた声を出したので、ルミアはビクッと身を竦めた。


「何回あなたって言いました? 悪い子です」


 ジャンヌはルミアを自分の膝にうつ伏せに引き倒す。


「ちょっと、わたしの話を……」


 ジャンヌがルミアのローブをまくって、ズボンと下着を下ろす。


「冗談でしょ? 何するのよ!?」


 抵抗するが、押さえつけられる。ジャンヌの方が力が強い。

 ルミアは全裸には慣れているのだが、こういう部分的な露出には慣れていないので、かなり恥ずかしかった。


「叩くと言いました。どうしてちゃんとできないのです?」


 ジャンヌが平手を叩き付ける。

 平手とは思えないような痛みに、ルミアの身体が仰け反った。

 何よこれ、どんな力で打ち付けてるの!?

 ジャンヌが闘気を使っているのは分かったけれど、それにしても威力が高い。

 叩き慣れているのだと、ルミアはすぐに理解。

 ジャンヌが手を上げた時のティナの反応は、虐待されている子の反応だった。


「ジャンヌ姉様です。ジャンヌ姉様ですよ。分かりましたか?」


 更に打たれて、ルミアはあと何打耐えられるか即座に計算。

 拷問訓練を受けていなければ、声を出してしまいそうなぐらい痛い。


「ジャンヌ姉様です。言ってください」


 また打たれる。

 まずい。ダメージが蓄積し、打たれる度に痛みが増している。

 よく保って30打か。


「分かったわ! ジャンヌ姉様! ごめんなさい! ちゃんと言うわ! だからもう降ろして! それから対策をしなきゃ、アスラが――」


「ダメです。最初が肝心なのです。ジャンヌ姉様の言うことを、ちゃんと聞いてくださいね? ルミアは妹なのですから」


 ルミアの尻に平手が落ちる。


「どうしてダメなの!? ジャンヌ姉様!? 痛いわ! こんなことしてる場合じゃないのよ!?」


「関係ありません。反省してください。ルミアがちゃんとしないから、痛い思いをするのですよ?」


 話が通じていない。

 ルミアはアスラ式プロファイリングを用いて、ジャンヌを分析する。

 社会病質者。ほぼ間違いなく、ジャンヌはソシオパス。何かあったら全て他人のせいで、自分が悪いとは考えない。

 そして性的サディスト。このお仕置きも、ルミアに痛みと屈辱の両方を与えるためのもの。ルミアの肉体と精神の両方を同時に攻撃しているのだ。

 それと同時に、支配欲を満たしている。支配的な人間は、心の底に無力感がある。

 何か、過去に自分が無力だと痛感するようなトラウマがある。それがソシオパスになったキッカケでもあるはず。たぶん10年前だ、とルミアは推測した。

 ジャンヌは現実を見ていない。空想の中に生きていて、現実が空想通りでなかったらキレる。

 この子、想像以上に壊れてる!?

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