第56話 領域ーこの世界は本物だよー
浜辺の海岸線を先輩に案内されるままに歩いていく。日差しはだいぶ和らいで、ほんのりと始まった夕焼けは砂浜を淡く染めはじめていた。
佐々木さんと別れた後、先輩はちょっと付き合って欲しいんだけど、と言って私たちを誘った。ようやく先輩の話がはじまる。
マリが先頭を歩き、時折すぐ後ろを歩くケンシに何か話しかけている。
「先輩、マリと話さなくていいんですか?」
「話してるじゃん」
明るい口調は無理やり楽しいふりをしている子供のようだった。
「先輩って、遠足とかが楽しくなかったとしても家に帰ったら楽しかったふりするタイプですよね」
「なんで」
ちょっと眉を下げて先輩が私を見る。“なんでわかった?”なのか“なんでそんなこと思った?”なのかわからなかったけど、私は続ける。
「先輩、ずっと泣きそうな顔を隠そうとしてるから」
前を歩く2人から軽やかな笑い声が聞こえてきた。先輩はその声を聞いて嬉しそうに目を細めたけど、決してその輪の中に入ろうとはしていなかった。さっきからそうだった。ほんの少しだけ身を引いて、自分がいないその輪を満足そうに眺めている。
「なんで私だったんですか?」
先輩は、私にしか頼めないと言った。
でも、それは嘘だ。誰でもできる。
先輩はきっといつも通りに笑って、「何言ってんだよ、吉川にしか頼めないんだよ」と優しく言うだろうなと思った。
先輩は1mmもずれていない。ずっと初めからマリのためだけに動いている。
先輩の計画をちょうどよく遂行できる人材であればきっとここにいるのは私じゃなくてよかった。私が一番辛いのは、先輩がそんな私の気持ちを先回りして、くるりと優しく包んでくれることだ。自分に巻かれた“優しさ”の質が、「特別」なものとは違うことに気づいてしまうことは、やっぱり、少し辛い。
先輩は笑おうとした。
でも、失敗した。
珍しく失敗した顔は泣き出しような小さな小さな男の子のように見えた。
「正直言うと、誰でも良かった」
その言葉はとても痛くて、でも一番欲しかった言葉でもあった。それは先輩の本当の言葉だから。私は何にも言わずに歩き続けた。歩くだけとはいえ、やることがあって良かった。
まっすぐ前だけを見て歩き続ける私を先輩がちらりと見る気配がした。
「子供ころにさ、俺はなんとなく話を聞いていたんだ。だから、領域制度が始まってからは、絶対にこの島に来ようと決めていた。お姉ちゃんに会うために」
マリも、先輩は気付いているはずだと言っていた。
「ケンシは」
そう言いながら先輩は少し先でマリに小突かれて迷惑そうな顔をしているケンシに目を向ける。
「俺と反対で、多分ここに関わりたくなんてなかったはずだ。ここの研究に携わっていたせいで、」
先輩が言い淀む。
「お姉ちゃんはいなくなったから」
前方から明るいマリの声が響く。夕日をほんのり浴びた白く長い道で、転げるように笑う女の子。私の視線に気づいたマリが振り返って手を振る。
「マリと先輩は似ています」
「そ?ケンシの方が似ているって言われてたけどなぁ」
奥の方で本当の気持ちを押し殺して誰かのために「ふり」をするのは3人とも同じかもしれない。先輩はマリを放っておけなくて、きっとケンシは先輩を放っておくことができなかった。
「このままー?まだまっすぐなのー?」
マリが叫ぶ。
「まだまだ〜」
先輩が叫び返す。
「ケンシは先輩を止めたいって言ってました」
潮騒が強くなり、白い泡を競い合うようにして波が砂浜に打ち付ける。ほんの一瞬の静止のうちにあっという間に海にひきずりこまれるようにして戻っていく。
ほんの少し先を歩くケンシとマリのあたりに雲間から光が指していた。今日最後の日差しは透明でとても純粋なもののように見えた。
「あいつより俺の方が適応力あると思ってたんだけどなぁ」
ケンシはマリみたいになんでもできるんだよなー、と羨ましそうに口をとがらして、ようやくいつもみたいに少しだけ笑った。
「たぶん、俺はお姉ちゃんに会いたいわけでも、何かを変えたいわけでもなかったんだよ。小さな罪の意識を消したいだけ」
と、先輩が笑った。
私の顔に「意味がわかりません」と明記されていたんだろう。先輩が、もう一度笑う。
「またあとで話す。ほらあそこ」
先輩が指し示した先に、一本の古い桜の木があった。海にせり出すように枝をのばしていた。
「俺の秘密の場所」
浜辺の海岸線から岩を乗り越えるようにしてまわりこむと、そこはぽっかりとひらけた小さな砂浜があった。誰もいない小さな浜辺だった。
マリは何も言わずにしばらく海を眺めて、
「こんなところあったんだ」
と、つぶやいた。ケンシが意外にそうに顔を上げる。
「知らないことなんてあるのか?」
マリが作ったと言ったこの世界は、マリが全て把握しているのだと私も思っていた。
「そりゃあるよ。というか、あるはずだと信じてた。私だけの記憶じゃなくて、あの時いたみんなの日々の記憶をデータに取り込んだつもりだったから」
マリは本当に嬉しそうに「よかった」とつぶやいた。
「それが証明された」
ゆっくりと夕焼けが広がっていく空にマリの声が吸い込まれる。先輩が夕焼けの始まった空を眩しそうに眺めている。空の向こうに隠された記憶の切れ端を見つめているように見えた。ケンシは遠い記憶をたどるようにゆっくりと砂浜を歩いている。林と違ってケンシもここは初めての場所なのかもしれない。
「この世界は本物だよ」と、そう言い続けた先輩は、それを証明するために私たちをここに連れて来たかったのかもしれない。先輩だけが知っていた秘密の場所で、それをこうして誰もが来ることができるのであれば、この世界は本物だ。少なくとも私はそう信じられる。
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