第13話 領域ー禁じられた行為②


 ミユが自室に戻って行ってから、一度は寝ようとしたけど、変に目が覚めてしまいほとんど眠れないうちに朝がきた。鳥がさえずる声が聞こえたと思ったら窓辺からゆっくりと日が差し込み始めた。

 

 窓を開けたら透明な朝が広がっていた。


 だいぶ早いとは思ったけれど、講義室に向かうことにした。

 ここでの授業はサテライト形式だからPadがあればどこでも受講できる。でも、自然と受講用に開放された教室に集まるようになっていた。ここに来る前にはサボることばかり考えていたような子たちも遅刻することなくいつも教室に現れる。


 自由にしていいと言われたら途端に不安を感じ、何か決め事があったほうが自分で考える必要がなくて安心する。私たちは結局、決められた枠の中で小さな規則を破ることにしかエネルギーを費やせないのかもしれない。


 部屋から一歩出た途端に日差しの眩しさに目がくらむ。作り物のように均一な青が空一面に広がっていた。少し眠かったけどそんなに気分は悪くなかった。

むしろナチュラルハイ状態。


日差しを照り返す白く光る道の向こうに誰かが立っているのが見えた。どきりとした。顔も見えない距離なのに。

 

ようやく顔が認識できる距離に来て、先輩が手を振りながらからりと微笑んだ。

「吉川?」

「向井原先輩」

「早いなー」

先輩が朝の光に眩しそうに目を細めながら笑う。


「先輩こそ。講義ですか?」

「そ。でも早起きしちゃってさ。散歩してたところ。吉川は?」

「あ、同じです」

「じゃあ、ちょっとお茶でもしませんか?」

 そう言って先輩はひんやりと冷えたペットボトルを1本放ってくれた。思わずじっとそのボトルを眺めてしまった。


「・・・飲んでないから大丈夫」

「いやいやいや、そう意味じゃなくて、いただいて良いのかなって?」

「いいよ。俺コーヒも買ったし、その辺の木陰に座ろうよ」


 朝の奇跡。夢かもしれない。

 まだ気温が上がりきっていない朝の空気は心地よくて、日陰だと少し肌寒いくらいだった。


「慣れた?」

「だいぶ。昨日初めて海に足をつけてみました」

「俺まだここに来てから、はいってないんだよなー」

 羨ましいとぼやく先輩に心の中で「いつでもついていきますよ」とつぶやいた。


「海っていいよなぁ」

 コーヒのボトルを手の中で転がしながら先輩が眼を細める。

「ここに来てから、てことは海見たことはあるんですか?」

「むかーしね。ほとんど記憶もないような頃だけど。でもあの時見た世界の果てがない感じは体で覚えてる」


 そう言って、俺溺れたんだぜ、と笑った。

「溺れた??」

「そう。親戚が助けてくれたらしいだけどさ。貴重な経験だろ?」

「それはすごいですけど、よく嫌いにならなかったですね」


 うーん、と先輩は首をかしげながらコーヒを飲みきると、静かに笑った。

「なんかもう。相手がでかすぎた。吉川は初めてだろ?」

「もちろん。砂があんなに足元で動くなんて知らなかったです」

「そうだったなぁ。走りづらかったもんな」

 遠い記憶をなぞるようにして先輩が笑う。


「世界の色ってこんなにたくさんあるんだなっていうのも驚きました」

「わかる!」

 先輩が力強くうなづいてくれる。

「俺もさ、夏になるといっつも夕方を思い出すだよ。世界中の色をすっぽり変えてしまうあの力強さはすごかったなぁ」

 そう言って先輩は空を見上げた。私も同じように青く均一に澄み渡った空を眺める。


どうか。

祈るような気持ちで心の中でつぶやいた。

今のこの瞬間を一生覚えてられますように。


先輩はスマフォを見ると立ち上がった。

「そろそろ時間かな」

 バスケの要領で飲みきったボトルをゴミ箱に向かって放り投げる。綺麗な流線を描いてカランと心地よい音がした。

 

 またな、と手を振る先輩にお礼を言い、空を眺めながら教室に向かった。

日差しが上がるにつれて、青が濃くなり海との境界が淡くなりそうな空の色だっだ。雲がはじけた波のように見えてくる。


 教室のある建物に入る前に、なんとなく一度振り向いた。先輩はまだそこにいて、同じように空を見つめていた。振り向いた私に気付くと、大きく手を振って先輩も歩き出した。白い光がまぶしくて先輩がどんな表情で空を眺めていたのかはよくわからなかった。

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