領域世界

ふじの

第1話 はじまりの夏

 やわらなかオレンジ色がゆっくりと藍色に変わっていく。空を眺めながら先輩が言った。

「世界はいつまで綺麗なままなんだろうな」 

 胸が苦しくなるほど美しい夕焼けの中、先輩はいつものように笑った。


 ずっと目をそらさないでいたかったのに、ほんの一瞬の瞬きの間に先輩は消えてしまった。ゆるい波が先輩が立っていたはずの砂を静かになで去って、ずっしりと濡れた私のスカートの裾だけが異物として残されていた。


 私だけが秋の始まりに残された。壊れていく「領域」と呼ばれるこの小さな世界に。

 


 夏が始まる直前に私たちは「領域」に移された。


 6月に学年関係なく呼び出された時にもしやとは思ったけれど、「領域」での文化教育研修に召集されてしまった。


 随分昔に世界教育が私たちの住むエリアに導入される前までは語学の学習と同じくらい勉強していたというエリア固有の歴史と文化を約3ヶ月かけて学ぶことになる。


 同じクラスで呼ばれたのは私とミユだけ。


 文化教育研修に参加するための心構えやら研修までに用意するものやらの注意をたんまり聞かされた7月、ミユと滞在予定の「領域」をVRで覗いてみた。

 何にもない小さな島で、ネットの接続制限あり、とInformationに書かれていたのが気になった。

「ちっさー。私たち全員ここに入れるの?他校からも来るんでしょ?」

「でも、山よりはマシじゃない?とにかく3ヶ月頑張ろうよ。大学受験前に研修したらエリア外への受験に有利になるっていうね」

「まぁーね。でもさぁ、夏休み期間に当たるのはひどくない?アイリなんて1学期に当たってから夏は好きに遊べるんだろうなー」

 そう言って、ミユは説明用に配信されたスライドを面白くもなさそうにスクロールした。

「それはそれで、課題が大変だって言うじゃん」

「ひまりはいいわよ」

「何でよ?」

「説明会にいたじゃん。先輩」

「えー、知らなーい」

 そうかえしたら、ミユがVRをジャングルモードに切り替えた。得体の知れないケバケバしい虫が目前を横切る。

「ちょっとやめてよ!!」

 VRだとわかっていても鳥肌が立つ。自分で映像を切り替えたくせにミユも吐きそうな顔をする。

「きもーい。やっぱ私も海がいいわ」

 VRから流れる海の音はさわさわと心地よくて、きっと青い香りがする透明な風が海の近くには吹いているんだろうなと思った。なんとなく目を閉じて、私はいつまでもその音色を聴いていた。

 7月のはじめに「領域」を訪れるまで、私は海を見たことがなかった。私だけじゃない。私だけじゃない。海を見たことがある人なんて私たちの年ではほとんどいなかった。

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