心の中に眠るもの
白井 雫
揺蕩う
先生、僕はどうしてダメなんですか。人並みに生きたいって願うのもダメですか。僕を作り上げているものは一体なんですか。僕は僕を肯定するにはどうすればいいですか。僕のことは僕でもわかりません。
教えてください、先生。
高二の夏、僕は病気にかかった。とにかく自分について知りたい、深く、底にある一欠片さえ。自分が知らないことも知りたい。それが美しかろうが汚さで満ちていようがどうでもいい。ただ、とにかく知りたくなってしまう。そんな奇々怪界な病気。
そして分かった、僕のうちに隠れたものは汚さで満ち満ちていた。水面は綺麗で透き通ってはいるが、少し顔を突き出すと、そこはどろどろで、息が詰まりそうな暗さ。そこにいるとあらゆる負の感情がふつふつと湧き上がってくる。顔をあげようにも底なしの沼にはまってしまったようで動くことすら許されない。僕は、僕に引きずり込まれた。
それからは自分との会話であった。看護師や親と話すときはいつもニコニコとした仮面をかぶる。以前は仮面などはなかったのだが、己の汚さを知ってしまっては他人に顔を見せることなどできない。まるで全てを見透かされているような、そんな感覚に陥ってしまう。だから僕は仮面をつけた。幸か不幸か、自分の感情と向かい合ううちに僕は、心にある感情を表に出すことができるようになった。それが仮に息をするのがままならないほどの悲しみの中にいてもひょいと笑顔の感情を表に出せる。仮面の内側に涙をたくさん浮かべながら。
そして僕は同じように生活を送った。本当は泣きたくて泣きたくてたまらないのに、看護師を心配させたくなかったのだろうか、親に私の汚さを知って欲しくなかったのか。とにかく四六時中私は笑顔の仮面をつけた。しかしそんな生活を長く続けることはできなかった。仮面の裏に溜まった涙は次第に私の顔を覆っていく。仮面を取ろうにも長くつけてしまったせいか私の顔を離れない。助けて、誰か。僕の汚いところを知ってほしくないのに、知ってほしい。こんな矛盾したことを思うようになっていく。
ーこのままじゃ溺れちゃう。
君は君だ。作り上げているものなんて、知ったこっちゃない。汚いところ? 私にだっていくらでもある。たとえば? うーん、ご飯のつまみ食いをしようとしたり、テストのカンニングをしたりもした。花瓶を割ったのは私なのに隣の子に擦りつけたりもしたね。もっと汚いところ?
そうだね、たとえば大病を患った人の手術をすることがある。何時間も精密な作業を行うのさ。そしてふとこんなことが頭をよぎる。ここで何かが起きて、この患者がいきなり死なないかなって。もちろん全力を尽くすよ。できることなら助かって欲しい。ただそういった気持ちとは裏腹にふと湧いてくるんだ。不思議なものだがね。どうかな? これでも私は汚くないなんて言えるかね?
とどのつまり人間ってのは汚さで満ちている。誰も彼も表面に出さないだけさ。そして向き合おうともしない。私だって君に聞かれでもしなかったら、こんなこと考えようとは思わなかっただろうね。そんなものさ。現に君だって病気にかかる前はそんなこと考えちゃいなかったろう? そんなものだよ。汚いものは掃除をするだろう。だけど私たちの心にはゴミ箱なんてない。だからひっそりと自分でさえ気づかないところへと追いやるのさ。君だけじゃない。誰だって同じだよ。
ん? 溺れた時はどうすればいいかって? 簡単じゃないか、息継ぎをするのもいいし、ビート板を使うのもいい。浮き輪なんてものもいいだろうね。 え? そういうことじゃない? じゃあどういうことさ。 仮面の裏側に水が溜まって息ができない? しかもくっついて離れない、か。簡単だろう。飲み干してしまえばいい、君の悲しみも喜びもそのほかの感情も全て。それが自分と向き合うってことなんじゃないのかい?
君は何か勘違いしているのかもしれないが。君にも綺麗な感情はあるんだよ。表面は透き通っているって自分で言ったろう? 実はね、濁らせることは簡単なんだが、透き通るほど綺麗にすることはとても大変なんだ。それが仮に表面だけでもね。現に君にも美しい感情はいっぱいあるよ。たとえば? そうだね、人のことを思いやれることとか、美しい笑顔とか、そして周りの人にその感情を分け与えることとか。あ、そうか、君は仮面をつけてるからよく見えないのか。今度誰かと話す時、仮面の隙間からちょっと覗いてみるといい。きっとみんな素敵な笑顔をしているはずさ。
ーさ、もう病室へお帰り。もう夜も遅いよ。
あの時の言葉を確かめるために、ある日ちらっと覗いてみた。看護師はニコニコと口に手を添えながら笑っている。一見作り笑いに見える。が、今の僕にならわかる。これが作り笑いかどうかってことくらい。
親はいつもと変わらなかった。ベッドの横に座っていつも通り。自分の話ばかりしている。そしてたまに僕にも何か話をしろって勧めてくる。自分だけ話すことが気まずかったのか、いつもこうだ。そして僕が学校でお代わりをした、テストがとても良かった、好きな子ができた。そんな話をするとそうかそうかと少し嬉しそうに頷く。仮面をつける前でもつけた後でもそれは変わらなかった。
気がつけば仮面は取れていた。ポロリと。そして鏡を見た。いつもと変わらない僕の顔。でも僕は変わったよ。ありがとう先生。
僕は僕だ。それ以上でもそれ以下でもない。人は確かにこの世界に存在していて、みんなと手を取り合い、時に辛く、苦しい時もある。そして誰にも言えないような汚く醜いものを抱えている、それに気づいているかはわからないけど。それでもやっぱり人は前を向く。
ーそしてそれは僕も同じ。汚いところ? そんなもんくそくらえだ。しったこっちゃないね。
心の中に眠るもの 白井 雫 @soul_shooting-star
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