初恋

沈殿する鯛

月は見えなかったが、綺麗ですねと呟きたくなるような

(2018年10月31日執筆した文を転載)


淡い欲望を心に描きつつ、自己成長を煽り懸命に過ごした1ヶ月と、流れ星を隣で見た、夢想の中に漂っていた様な でも現実だったあの稀有で儚げな1日は、今思い出しても精彩を失わずに立ち上がる


ドラマを観ていると、なりふり構わずに、たった一つの真実である想いを、伝えるということに そして相手の想いを引き寄せられるかもしれないという一縷の望みを持つことに 踏み出してしまいたくなる


歳を重ねるにつれて 息をするように自然と呟きたくなるような、ほんの些細なことでも胸中にしまい込んで、言葉にはしないけど私は知っているし経ている みたいな

自己の深奥な部分で自己を耕し、その静寂の中でも密かに浮かび上がるものが、大人の真の美しさである という様な、暗黙の了解を感じる

"秘するが花"


果たしてそうなのだろうか


全てが勢いを増し始めたあの夏を期に、許されるならば言葉にしたかった、押し寄せる莫大な感情と想いから、私は、言葉を、声を、取り上げた。


ただただ一心に想い続けながら、

手の届かない相手の心を少しでも自分の元へと手繰り寄せられるように、自分磨きをすることだけが、私が思いつく唯一の、幸福の生み出し方だった。


自惚れだが、私はあの1日、空が留紺の色へ染まり行くと共に、あの人の思いは私という物体へ吸い込まれて行くように感じていた


万人に愛され万人を程良く愛することが出来る 自身が心地良いと感じる距離感へと、巧みに導ける人だ きっと、私との物理的な距離感だって、同じことだろうと思っていた

…でも、果たして、読解はそれで正しかったのか


酔っていた。

数々の美酒に囲まれた宴の後、既に深みを増していた夜の下で、一行は3つの場所に寄り道をすることになった。

1つ目は、時期さえ合えば蛍は見えるが…少々曰く付きの場所。

言い伝えられている内容も内容だったので、灯のない闇は一層現実的に感じられ、一同は震え上がり、無論、あの人も、でも、ずるいな。

少し楽しげに "怖いよ〜" と繰り返しながら私の腕をやんわりと掴んできた。でも図々しい掴み方では無かった故、自分の中で適当に流せなかった。

触れる距離まで近寄っても良いか、と心の距離を微妙に探る様な余地を、あたかもあるかのように感じ取ってしまった。

やんちゃな学生のように、肝試しの中でふざけ合う様にするのが賢明なのだろうが、

身体が触れ合ったことへの動揺と、私なりの策略もあって、あまり動じず、自分から更に詰め寄ることもせず、別にこのままでも良いという意思を示すように、自然体でいることにした。


動揺を隠せないまま、次の地点へ移った。

珍しい暗闇の中で光るキノコを見に行く。

灯が無いので、携帯のライトで足元を照らしながら、注意深く歩いて行く。

"今、かなり(酔いが)回っている"と、相変わらず理性を保ちながらも楽しげな様相で呟いたあなたは、これまでの距離感とは一線を画す近さにいた。

混乱する。なぜそんな近くにいるのか

あたふたとしていると、あの人が服を掴んできた

と思えば気がついたら半ば手を繋いでいた

互いの数本の指が結ばれていた

あなたは嬉しいのか、そうか、楽しいのか、酔いもほのかに回り愉快なのだろう、遠足が嬉しいから好きな友達と手を繋ぎ、ジブリを歌いながら歩いていく小学生と同じ心境なのだろう

昇天しそうな思いと、それを必死に引き止め塗り潰そうとする行為が、同時に有り得ない速さでノイズを立てながら処理され繰り返される


そうこうしていると、目的地に辿り着いた

キノコを見るために、灯を消すと、目を疑うような神秘的な光景が広がっていた

写真で見たことはあったが、実物から放たれる薄明の蛍光色のともしびは、まさに尊かった。

キノコだけではなく、近くにある木の一片も光を放っていた。胞子が移っているとのことだった。


ガイドさんが問う

"光っていれば獲物として見つかりやすくなってしまう。なぜ、なんのために、キノコは光るのだと思いますか?"

確かに。謎が、ますます情緒を駆り立てる。


頭を悩ましながら、更に暗さが増していく地点に入ろうとしていると、

結ばれていた指がさっと解かれた

同時に一瞬にして5本の指と指とが絡まり合い、互いの手と手の間には、隙間が消えていた




頭が真っ白になった

遠足を楽しんでいる無垢な小学生を思い浮かべようとしたが、うまくいかない

なにも考えられない

あなたは何を

心の中でさえも声が出ない


お互いの顔さえ認識するのが困難な、本格的な暗さだったので、手と手が結ばれていることなど、当人以外にはあまり見えないだろう

それでも、後ろで歩いている、あなたと正式に結ばれている相手に誤解をされてしまうのではないかと、身分不相応の不安がよぎった


キノコをもう少し近くで見ようと、しゃがんで少し遠くなったあなたから、今、手を離さなければと思った

手にこもっていた握力を弱め 引き上げようとする

そうすると、あなたは更に力を込め、私の手を離そうとはしなかった


全部、無垢な小学生 もしくは 酔い か




一通り見終え、駐車場へと引き返して行く

光が強くなっていく

目が徐々に慣れてきて

手は離された

ただ数本がかろうじて結ばれていた


この結び方に名前はあるのだろうか


離せば良い、私だってあなたへの想いについて他人に不信を抱かれてしまったら、困る。そうしたら、もう二度とここに一緒に来ることは出来ないだろうし、好きな日本酒を酌み交わすことだって出来ない。不安が止まないし、今の状況では離すのが賢明だろう、

でも離さない、私も離せなかった


どことなく恥ずかしくなりながら、全員が揃うのを待つ。


もう、手を繋ぐことなんて今後、いや、近々は無いのだろうな


そう思ったら名残惜しくなってしまった

相手の手の甲をほんのすこし、勘付かれない程度に撫でるようにした

私としては一大勝負だった

これで離されれば、思い出にはなんの意味も無かったのだと言える

痛みこそ歓迎すると、心の中で強がりながら決心をしていた


そうするとあなたは、私がしたように、撫で返した


私の行為は微々たるものだった でもあなたはそれを確かに受け取ったと示していた




夕方まで曇りか雨かと騒がれていた空には、雲が消え、美しい留紺の絨毯が広がっていた


最後に、流れ星を見に行った


満点の星空を、あなたは見たことがあるだろうか 私は、この日まで無かった


宇宙が広がっていた

私たちの地球は確かに宇宙の中にぽつんと存在しているのだと感じた

無限のカンバスの中でひそひそと戯れる星屑の声が、わずかにこだましているように見えた

享受するには小さすぎる身体と、目と、心とを、精一杯広げ、大きくして、

宙に吸い込まれ宙を吸い込むようにした

"流れ星が見えた!"

妬ましく思ってしまう声が聞こえる

私も見たい

空をこよなく愛していると言っても過言ではない自称空好きな私は、これまでも幾度となく流れ星を一目見たいと願って探したものだが、未だにその姿を捉えられたことがなかった


今日こそ見れたならば。

特別な今日こそ、見れたならば。


乗ってきた車に寄りかかって見上げると、首元が力まずに視界を広く保てることが分かった

さあ、見つけよう どこに流れる?

辛抱強く、全神経を宙へと集中させる

トラックがもう一人分の体重を受け止め、横も同様に沈み込んだのを感じた

無い

動かない


"見えた!!!"


今日一の、ときめいた声が溢れた


"えー!どこ!私見てないよ!"


隣から愛おしい声が聞こえる


"あそこ、あの辺りです"


指を指す


隣からにょきっと伸びた手が現れた


二本の指先が 同じ方向を捉えようと引き合う


"また見えた…!!"


"すごいね〜笑!いいなー!"


私もびっくりしていた

今まで何度もトライしてはかなわなかった対面が、いとも自然と、何度も現れた


"何かお願い事できた?"


"感動して声を出していたら終わってました笑"


2人で笑い合う


"また見えた〜!"


"3度目?私全然見えないよー"


3度目。好きな数字。3回も見れた。


"今度こそお願い事できた?"


"出来ませんでしたね笑"

でも、兼ねてから願っていた流れ星を見れたということ、ここに来れたということ、ご一緒出来たということ、この3つ、もう既に叶えてもらったので十分だった


そう話したら、満足そうに微笑んでいた


贅沢。

あなたの隣で、3回も、見れたということ。

共に伸びた手は宇宙のヴェールに漂いながら




一生、あの景色を忘れることはないだろう。




次の日、あの人は仕事のために一足先に帰って行った。

朝食の時間になっても、その時考えつく、お二人への最大限の気遣いをした。

お二人だけの貴重な朝の時間を、邪魔してはいけない。一人で寝るには広すぎた一部屋で、朝もぽつんと感情の濁流に飲み込まれそうになりながら、必死に椅子に留まった。

出発するほんの数分前に朝食の場へと顔を出しに行った。

実を言うと、少々フライングをした。ごめんなさい。


朝日を反射する、眩しいほどきめ細やかな肌。いつにも増して、透明感のある横顔は、

昨夜の感奮の面影を一切感じさせなかった。

もう、今日という日に向かっている。

私はというとこれから半日、あなたがいないこの地で楽しむということを、未だに直視出来ていないのに。

前を向く原動力など一向に湧いて来ない。

でも、今は、あなたと同じ方向へ向き、清澄なな朝を共有したい

言葉少なげな朝の、たったの数分間の妙味に陶然としながら、ゆっくりと味わう。


それにしてもやはり、見目も美しい人だ。

差し込んでくる朝日の艶やかな光が、自然な陰陽のコントラストを織り成す。

端整な顔貌の曲線が、浮かび上がる。

静と動、無邪気さと深遠さ…

相反する複雑な二面を伏せ持つ、関わるものを引きずり込む魅力の絶えない人。




たへるにあまりに美しい人




今日はここまでにしておこう


最後に 光るキノコの謎についてだが

議論は交わされているものの、不動の説は未だに導き出されていないらしい

人智を超えた もはや神のみぞ知る光の意味


説明できることよりも、ただ感じることを許されたものが、この世には意外と多く在るのかもしれない

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