40 多治見カンナの策略 -9-
「ローマの事務所に戻るか…」
目の前で、会長の高原さんが小さな溜息と共に目を細めた。
だけど、決して寂しいとか不満だとかって表情じゃないそれは。
「来た時より、何か憑き物が落ちたような顔をしてる。今なら何をやらせても輝きそうなんだ。」
称賛とも取れる言葉とともに、笑顔になった。
「惜しいですか?」
「ああ。惜しいな。」
「ふふっ。惜しいと思ってもらえて嬉しいです。」
あたしが肩をすくめてそう言うと、高原さんは今まで見た中で一番優しい笑顔になって。
くしゃっと…あたしの頭を撫でた。
「モデルとしての活躍を楽しみにしてるよ。」
「…はい。頑張ります。」
ちーちゃんと知花さんの間には、どうやっても割り込めない。
それに気付いて…認めざるを得なくなったあたしは、ローマに帰る事にした。
あたしの居場所は、日本じゃなくてローマなんだ。
だから、帰る。
失恋。
そうだと認めると、自然と今までにない寂しさが湧いた。
だけど…
ちーちゃんが、あたしを『自慢の幼馴染』って思ってくれてる事。
あたしはそれを、揺るぎないものにしたいと思ってる。
そしていつか…
惜しい事したな。
なんて…
ちーちゃんは…思わないだろうけど。
だけど、それでも。
カケラほどでも…思わせる事が出来たらいいな…なんて…
「はあ…」
会長室を出てエレベーターに乗る。
自分が負けた。って認める事、すごく勇気が要ったけど…
恋は失くしても、ちーちゃんを失くしたわけじゃないから…いいか…って、自分で慰めるしかない。
用があるわけじゃないけど、八階でエレベーターを降りた。
誰か元気な人でも見付けて、パワーを分けてもらいたい。
そう思って、通路からでも見えるスタジオを覗いてると…
「…あ…」
「……」
知花さんと、出くわした。
…なんて言うか…
会いたくなかった。
けど。
「……」
「……」
お互い無言で立ちすくんでしまう。
いつも人で賑わってるスタジオ階なのに、今日に限って人がいない。
「…おめでと…」
勇気を振り絞って言葉を出した。
あたしは…前に進むんだもん。
「…あ…ありがとう…」
「……」
「……」
それからまた少し無言が続いて。
別に話す事もないし…いいか。と思って、知花さんに背を向けて立ち去ろうとすると…
ギュッ
「…え。」
何…これ。
「…カンナさん、ごめん。あたし…」
「…何…」
知花さんが、背後からあたしに抱き着いてる。
「…カンナさん、すごく綺麗でスタイル抜群で…女のあたしから見ても眩しいぐらい綺麗で…」
「……」
「そんなカンナさんの隣にいると、自分が女として全然ダメだ…って、落ち込んでばかりで…」
「…何それ…」
「ほんと…何それ…よね…ごめん…」
「……」
わけが分からない。
あたし…なんでこの人に、褒められたり勝手に落ち込まれたりしなきゃなんないの…
まあ、落ち込むのは…?
あたしの作戦でもあったから…うん…それは…うん…成功って言うか…うん…
「…千里の、大事な幼馴染なのに…苦手って思ってごめん…」
背後から聞こえて来る小さな声。
あたしと同じ歳のライバルは、世界で売れてるバンドのボーカリストだと言うのに。
あたしの存在に怯えて、自信失くす。
…あたしの美貌って、世界レベルなんだー。って…何だかちょっと違うかもだけど、笑えた。
「…あたしだって、知花さん苦手。」
「…だよね…」
「……」
「……」
後ろから抱き着かれたままのあたし。
誰かがこれ見たら、なんて言うんだろ。
「…ねえ。」
「…ん?」
「SHE'S-HE'Sのリハ、ないの?」
「え…と、午後から…」
「見学に行っていい?」
「…え?」
知花さんは驚いたのか、あたしから腕を離した。
その隙にあたしも知花さんから離れて振り返る。
振り返って見下ろしたその顔は…予想してたけど…驚いた顔。
…あたしだって、驚いてる。
SHE'S-HE'Sを聴く気になってる自分に。
何があっても聴かなかった。
世界が認めてるライバルを、誰が聴くか。って。
「…そんな顔しないでよ。取って食べたりしないから。」
鼻で笑いながら言うと、知花さんは少し赤くなった頬を両手で押さえた。
「…じゃあ…14時からCスタで…」
「分かった。また後でね。」
そう言って知花さんに背を向ける。
…千秋ちゃんどこにいるんだろ。
誘ってみようかな。
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