18 神 千里の日常 -5-

「ちーちゃんっ。」


 エレベーターホールで、背後からカンナに抱き着かれた。


「うおっ…なんだよおまえは。急に後ろから来るのはやめろ。腰に来る。」


「何それ~。おじいちゃんみたいな事言うのね。」


「おまえ、自分がバカでかいの知ってんのか?」


「あっ、ひど~い。」


 腰を触りながら大げさに言うと、カンナは人懐っこい笑顔で俺の腕を叩いた。


 先月、F'sのMVに出演して以降。

 カンナはここで他のバンドのMVにも出演したり、ラジオ番組を担当したりと忙しそうだ。

 ガキの頃はお嬢様ゆえ、してもらって当たり前だったカンナが…自分の足で立ってる事に感動すら覚える。

 ちゃんと成長してんだな…



「…ねえ…ちーちゃん…」


「あ?」


「……」


 カンナは俺の腕を持ったまま、何か言いたそうにして…口をつぐんだ。


「なんだ。」


「あのね…」


「?」


 エレベーターが下りて来る。

 そう思ってインジケーターを見上げると、不意にカンナが俺の腕を引いてエレベーターとは反対側に歩き始めた。


「おい、何だよ急に。」


「…ここじゃ話せないから。」


「何を。」


「……」


 二階の奥にある会議室。

 そこに入ると、カンナは突然涙ぐんだ。


「…は?おまえ、何で…」


「…ちーちゃん…かわいそう…」


「…何のことだ?」


 カンナは俯いたり顔を上げたりしながら、同じように俺がかわいそうと小さくつぶやく。

 溜息を吐きながらカンナが落ち着くのを待ってると。


「…知花さん…朝霧さんと…何かあるみたい…」


 カンナはとんでもない事を口走った。


「…あ?」


「昨日…見ちゃったの…二人がコソコソと駐車場に向かってるとこ…」


「……」


「たぶん…朝霧さんの車…それも二人で後部座席に乗り込んで…暗くて何も見えなかったけど……しばらく帰って来なくて…」


「……」


 頭が…回らなかった。

 カンナは何をバカな事を言ってる?と思うものの…


「…本当に朝霧と知花だったのか?」


「…ちーちゃんの大事な人だもの…見間違わない…」


「……」


 …いや、知花に限って、そんな事…

 あるわけがない。

 それに朝霧も…


 俺はしばらく黙った後。


「…あいつらの間には友情と絆しかない。何か車に用があったんだろ。」


 そう言って、カンナの頭をポンポンとした。

 だが、納得のいかないらしいカンナは、涙をこぼしながら…


「…騙されてるのよ…?信じるの?」


 俺を見上げた。


 …騙されてる?

 二人に?

 いや…まさか、そんなはずない。


 そう思うものの、やっぱり何かが引っ掛かる。

 アメリカで一緒に暮らしてた二人。

 だがそれは…仕方のない事。

 俺には出来なかった事を、朝霧がしてくれただけだ。



「…忘れろ。いいな?」


 低い声でそう告げると、カンナはグッと唇を噛んで…小さく頷いた。


「でも…」


「まだ何かあんのか。」


「…千秋ちゃんは…?」


「…千秋?」


 目を細めてカンナを見る。


「千秋ちゃんと知花さん…怪しいでしょ?」


「…ははっ。まさか。あいつらこそ何もねーよ。」


 笑いながら前髪をかきあげる。

 千秋は…玲子さんを好きなんだぜ?

 とは言えないが。

 知花は千秋のタイプじゃないだろ。

 …とろいし。



 そう安心してる俺に、カンナは不機嫌そうに唇を尖らせて。


「…あたしの言う事、信じられないのかもしれないけど…千秋ちゃんと喋ってる知花さん、時々赤くなったりして…すごく可愛くなるのよ。それを見てる千秋ちゃんの目も…普通じゃない。」


 低い声でそう言った。


「…はいはい。分かった。気を付けてみる。」


「そんなのんきな事言わないで!!あたし、本気で心配してるんだから!!」


 泣きながら俺の胸をギュッと掴むカンナに圧倒されて、一歩退いた。


「……」


「あたし…ちーちゃんのおかげでここまでこれた。だから…ちーちゃんには幸せでいて欲しい…なのに…知花さん……酷いよ…」


 カンナは泣きながらそう言うと、ゆっくりと俺の胸に頭をぶつけた。


「…あたしは…大げさかもしれないけど…嘘はつかないでしょ…?」


 …確かに…そうだ。

 カンナは昔から大げさに物を言うが…

 嘘はつかない。


 だとしたら…

 どれも本当なのか…?


 朝霧と知花。

 千秋と知花。


 俺は……




 * * *



 その日の午後、急に予定が空いた。

 SHE'S-HE'Sのルームを覗くと、知花は一時間前には帰ったと言われた。

 …朝霧もいない。


 八階に上がると、スタジオでドラムを叩いてる朝霧を見付けた。

 それを見て、ホッとしている自分に気付く。

 …この時点で…疑ってるよな…俺。



 いつも警備室か二階にいる千秋を探してもいない。

 となると…じーさんちか。


 何となく家に帰る気にならなかった俺は、そのままじーさんの家に行く事にした。


 そしてそこで…


 華音と咲華をそれぞれの膝で眠らせて。

 テーブルの上を見つめて笑う千秋と知花の姿を見た。

 知花は俯いたまま、ほんのり赤くなっていて。

 そんな知花を…千秋は優しい目で見つめている。


 その陽だまりの中の光景は…

 幸せな家族と錯覚しそうだった。

 それは俺の物だ。と、立ち入って壊せばいいものを。




 …壊せなかった。

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