6 神 千秋の暇つぶし -2-

「じゃあね。」


 俺が渡したパンフレットと推薦状を手に、『エステに行く』と立ち去るカンナの背中を見送った。


 …あんな事で泣くなんて…

 やっぱあいつも弱い部分があるんだな…




 なんて。


 騙されるかよ。


 大方、瞬きを我慢して泣く準備でもしたんだろう。

 カンナはガキの頃から計算高い奴だった。

 純粋な千里はそれに騙されてばっかだったが…

 俺は五つも年下のカンナに踊らされるのは嫌で、鼻っから相手にしようとはしなかった。



 性欲はどうしてるか?

 ふん。

 おまえに心配されなくても、適当にどうにかしてるっつーの。


 恋愛なんて面倒臭いもの、俺には必要ない。

 ついでに結婚も。

 幸太も千幸も千里も、バカだ。

 一人の女と一生を共にするなんて、息が詰まる。



「…さて。」


 コートのポケットに手を入れて、俺は歩き出す。

 カンナに踊らされるわけじゃないが、千里の嫁さんの事を少し探ろうと思った。


 世界中で売れまくってる、SHE'S-HE'Sというロックバンドのボーカリスト。

 なのに、あの自信のなさそうな顔はどうだ?

 メンバーの詳細は公表されてないが、あれだけ実績があるならもっと自信に満ち溢れていてもいいだろうに。


 絶対何か引け目や負い目があるはず。

 …コンプレックスを暴いて、そこにつけ込もう。


 きっと、簡単に落ちる。




「へええええ。千里、五人兄弟やったんか。」


 ビートランドの最上階。

 俺は昨日、早速会長の高原夏希と約束を取り付けた。

 が。

 約束の時間に訪れると、そこには…それ以外の顔もあった。



「そうなんすよ。千秋は俺のすぐ上の兄貴っす。」


 外野の中には、千里までいる。

 俺はちゃんと高原夏希にアポを取った。

 なのに…


 本人不在。


 さらには、この三人を置いていくって。

 どーいう事だよ。



「ナッキー、野暮用で少し遅れるけど、もうすぐ帰って来るから。」


 そう言って目の前にコーヒーを置いてくれたのは、元Deep Redの鍵盤奏者、島沢尚斗。

 今は千里と同じF'sのメンバー。


「頭ええんやてな。学者?」


 関西弁で人懐っこい笑顔のオヤジが、世界的に有名なギタリスト、朝霧真音。

 高原夏希と島沢尚斗同様、Deep Redで世界に出た男。

 そして…やっぱりF'sのメンバー。



 …なんだって、千里の周りには人が集まるんだろーな。

 昔からそうだ。

 千里なんて、好き嫌い多くて非力で、すぐ泣くし…


「……」


 泣かしても泣かしても、後をついて来る奴だった。

 俺が幼稚舎に入る時は、『アキちゃんと一緒に行く』って毎朝泣いてたっけ。

 あー…あの頃の千里は、マジ天使だったな。

 あいつが俺にベッタリだったから、幸太と千幸はいつも妬いてた。

 千里はみんなに愛されてたからな。



「…なんすか。ジロジロと。」


 元Deep Redの二人に挟まれた千里が、目だけを動かして問いかける。


「いや、千里も髪の毛若干茶色くしたら、ちーと印象柔らかくなるんやないか?」


「別に今の印象で文句はないっす。」


「口にナイフを持つ男がか?持ってもないのに言われるのは嫌だろ。」


「言いたい奴には言わせておけばいいっすよ。」



 …目の前の千里は、二人に髪の毛を触られたり体を押し付けられたり。

 オヤジ達にそんな事されても嬉しくねーよな。と思う反面…

 俺以外に可愛がられてる千里を見るのは…意外に不快な気がした。


 幸太と千幸は、いつもこんな気持ちだったのか…?



「で、高原さんに何を売り込もうとしてんだよ。」


 ふいに千里が俺に言った。

 ようやく興味を向けられた気がして、ほんのり嬉しくなる。

 …ほんのり、だ。



「ああ…」


 ついでに千里の両サイドにいる二人にも興味を持たれた。

 ま、最初から興味津々だったから、ここにいるんだろうけど。


「昨日ロビーを一通り見て歩いたんだけど、セキュリティに不安がないかなと思って。」


「はっ…もしやナッキーが言うてた新しいセキュリティシステムて、君が持って来た話か?」


「はい。」


 ここは日本の企業の中では高いセキュリティで守られているが、それでも俺には簡単にハッキング出来る。

 今や世界中から注目される音楽事務所。

 当然、良からぬ事を企む奴からも目を付けられてるはず。



「何だよ千秋。自分の売り込みに来たのかよ。」


「おまえの居場所の安全を心配してるだけだぜ?」


 ニッコリと笑ってそう言うと、千里は少し照れたように唇を尖らせた。


 …いつから『千秋』って呼び捨てにされるようになったんだっけな…

 俺はこいつに『アキちゃん』って呼ばれるの、結構好きだったのに。


 …アレからか。


 もうガキの頃の話。

 遠い昔。の、はず。



「待たせてすまない。」


 俺が少しだけ、普段は持ち合わせない感傷にふけっていると。

 部屋のドアが開いて、主が現れた。


「高原夏希です。」


 立ち上がって、差し出された手を握る。


 強い目でしっかりと見つめられて、少しだけ背中に電流のようなものが走った。気がした。

 この男…すげーな。

 一瞬にして、俺を緊張させた。

 …なかなかいないぜ。


「…神千秋です。」


「早速、セキュリティシステムの件だが。」


「はい。」


 俺は自分で開発した小型のモニターをテーブルに置いて、全員にそれを見せる。


「エレベーターホールのセキュリティは万全ですが、それでも抜け道はあります。ここと、ここ。あと…ここも弱い。」


 簡単に入り込める。

 そう思って、いつものように話を進めようと思ってた。

 だけど、きっとそれじゃ入り込めない。


 俺が千里の兄だと分かっていても…高原夏希はそれだけで信用する男じゃないってわけだ。

 当然だ。

 この城の主だ。

 むしろ、その警戒心に好感が持てた。


「それで、どういった方法でこの抜け道のセキュリティを強めれば?」


 高原夏希が俺を試すような顔で見た。

 これはもう…俺の持ってる最高の手を提供するしかない。


 カンナに踊らされるんじゃなく、俺が遊ぶためでもなく。

 …でも、少しの好奇心は仕方ない。


 高原夏希。



 この男を、もっと知りたい。

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