21 神 千秋の暇つぶし -7-
「……おまえ、なんでこんな時間に。」
午前五時。
事務所に来ると、ロビーのソファーに千里がいた。
目を丸くして腕時計と千里を二度見する。
「……」
ん?
俺に向けられた視線が冷ややかな気がして首を傾げると。
次の瞬間、千里は大きな溜息と共にソファーに突っ伏した。
「…どーした。」
隣に座って背中を叩く。
…まあ、千里がこんな顔するのは…たぶん、知花ちゃん絡みだ。
「…千秋こそ、こんな時間に何しに?」
突っ伏したままの体勢で、千里が言う。
…情けねー声だな、おい…
「広報のパソコンに獲物が引っ掛かってて、やっつけて来たとこ。」
「やっつけて来た?」
「遠隔操作で。でも一応全部のパソコンをチェックして、ついでにセキュリティも見直しとこうかって。」
「……げーな…」
「は?」
「…千秋は…すげーな…」
「……」
今、千里が4歳の頃に戻ったような気がした。
ガキの頃、千里はいつも俺の事を、誰よりも誉めて自慢してくれてたっけな…
「おまえだってすげーじゃん。」
手を伸ばして、髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。
それでも千里は無気力そうに溜息を吐くだけ。
「…知花ちゃんと何かあったのか?」
髪の毛を撫でながら小声で言うと、千里の頭がピクッと反応した。
俺としては…千里がどう出るか楽しみだったが。
結局千里はその体勢のまま、無言だった。
「…俺の事はいいから、行けよ。」
千里らしからぬ弱々しい声に小さく笑う。
そして、千里がこうなってる理由を知りたいと思う自分がいた。
…知花ちゃん、何か教えてくれっかな…?
千里をロビーに残して、エレベーターホールに向かう。
振り返ると、千里は体を起こしてはいたが…
前屈みになってうなだれている様子だった。
「ああ、早いな。」
エレベーターを待ってると、背後から声を掛けられた。
振り向くと…ここの会長、高原夏希。
「おはようございます。そういう高原さんも。」
「昼前にアメリカに発つんだ。その準備にね。」
ビートランドは、アメリカとイギリスにも事務所がある。
高原夏希はどの事務所にも行き来し、定期的に所属アーティスト全員と面談等をしているらしい。
…会長らしくないとは思うが、そういう所が支持される所以なのかもしれない。
「相変わらず忙しそうですね。」
「…ふっ。」
「?」
小さく笑われて首を傾げると。
「ああ、すまない。声だけ聞いてると、本当に千里みたいだと思って。」
よく言われるセリフを出された。
「…ですね。ここに来て、もう何人から言われた事か。」
「歌は?」
「歌えない事はないと思いますが、興味はありません。」
「惜しいな。いい声をしてるのに。」
「それは弟の分野なので。」
エレベーターが来て、一緒に乗り込む。
すると…
「君は、知花を好きなのか?」
腕組みをした高原夏希に、突然そう言われた。
「…………はい?」
思いがけない事を思いがけない人から言われた事で、俺とした事が反応が遅れた。
「よく一緒にいる所を見かける。」
「…ああ…彼女の趣味の話に付き合ってるんですよ。」
「趣味?」
「電子基盤をいじったり。」
「…ああ。そう言えばキーボードの改造をしたりしてたな。」
「それです。」
…普通に話してはいるものの。
内心、全力疾走な気分だった。
心臓が今までになく大きく波打っている。
『仲がいいね』と遠回しに言わず、『好きなのか?』と聞かれた。
そう見えたって事だ。
決して表には出してなかったつもりなのに…
…いやいやいやいや、待て。
そもそも…
幸せが欲しくなったが、俺は知花ちゃんを好きとは…
「そうか。君があまりにも知花を愛おしそうに見てるもんだから、てっきり好きなのかと思った。」
「……」
つい…口を開けて高原夏希を見入る。
い…愛おしそうに…?
「そ…そう見えましたか…?」
「ああ。千里と同じ目だったからな。」
「……」
二人きりのエレベーター。
頭を抱えてしゃがみ込みたくなった。
俺は…俺は……!!
「…まだ好きって自覚がないなら、諦めた方がいい。」
「……」
「って、人に言われてどうにかなるようなもんじゃないよな…誰かを想う気持ちって言うのは。」
「……」
それはまるで、自分にも言い聞かせているかのようにも思えた。
その違和感で、ふ…と、我に戻る。
「…高原さんにも、気持ちを抑えていないといけない相手が?」
俺がそう問いかけると、高原夏希は。
「高原さんにも?」
そう繰り返して笑った。
「!!!!」
やられた!!
額に手を当てる俺とは裏腹に、高原夏希は声を出して笑う。
それが悔しい…かと思いきや、そうでもない事が不思議だった。
「天才君、恋には不器用なんだな。」
「…認めざるを得ませんね…」
「…知花が泣くような事になるのだけは、避けて欲しい。」
「……」
それは…俺だって望まない。
だが、まだ…分からない。
彼女が欲しいのか、幸せが欲しいのか。
「父親の願いだ。」
…ん?
突然出た『父親』と言うワードに瞬きをする。
「ああ、最上階まで付き合わせてしまった。じゃ。」
「………」
エレベーターのドアが閉まっても、俺は瞬きを繰り返していた。
…父親?
「……」
インジケーターを見上げながら、知花ちゃんと高原夏希を思い浮かべる。
赤毛…
あの二人…
親子か!?
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