20 桐生院知花の憂鬱 -6-

「…何か怒ってるの?」


 夜。

 ベッドで千里の背中に問いかけると。


「…別に。」


 低い声が返って来た。


 今日、おじい様の家から千秋さんに送ってもらうと、珍しく千里が家にいた。

 早く帰ってる千里に喜ぶ子供達。

 あたしも嬉しくなったけど…


 千里はなぜか、ずっと…あたしと目を合わせなかった。

 そして今も…

 あたしに背中を向けたまま。



「…こんなの、イヤ…」


 千里の背中に小さく言うと。


「……」


 千里から返事はなくて。

 代わりに、盛大な溜息が聞こえた。


 …なんなの?


 悲しくなって、涙が浮かぶ。

 せっかく…また一緒にいられるようになったのに…

 こんなの…


 涙がこぼれそうになるのを我慢して、あたしも千里に背中を向ける。

 カンナさんの事もあるし…

 もう…やだ…


 泣くのを我慢すると、唇が震えた。

 瞬きをすると、ポロポロと涙が溢れてしまって…一度そうなると、それは止められなくなってしまった。


 手の甲で涙を拭って起き上がる。

 今夜は…子供達の部屋で寝よう…

 そう思ってベッドから降りようとすると…


「待て。」


 千里が、あたしの腕を掴んだ。


「……」


 泣き顔を見られたくなくて、ベッドに座ったままおとなしくしてると…

 遠慮がちに抱きしめられた。

 それが…何だか千里らしくない気がして。

 余計、涙が溢れた。


「…なんで泣く?」


「……」


「何かあったのか?」


「…こっちのセリフ…」


「……」


 千里はあたしの肩に顎を乗せて。


「…自分と闘ってるだけだ。」


 小さな声で言った。


「…どういう事?」


「……」


「言って。」


「…おまえの噂を聞いて、ちょっと揺れてる。」


「…あたしの噂…?」


 顔だけ振り向こうとすると、至近距離で目が合った。


「あたしの噂って…何?」


「…朝霧や千秋と怪しいって。」


 一瞬の内に、頭に血が上った。


「カンナさんね。」


 自分でも驚くほど、低い声だった。

 心臓に針が刺さっていく心地がした。


「カンナさんはあたしの事、千里の奥さんとして認めたくないって言った。だから、そんな事言うのよ。」


 きつい口調でそう言ってしまうと、千里があたしから少し離れた。


「おまえ…どうしたんだよ。」


 そう言った千里を見上げると…まるで、信じられないって顔をしてる。

 …どうして?

 どうして、そんな…知らない人を見るみたいな顔してるの?


「あんなキャラだから誤解されやすいが、カンナは嘘を吐くような奴じゃない。」


「……」


 今…千里は、カンナさんを庇った。

 じゃあ…

 怪しい噂を信じてるって事…?



 …千里とはやり直そうって決めた。

 何があっても信じるって。

 だけど…


 突然現れた美しい幼馴染は…

 千里にとって、特別な存在。



「…千里こそ、どうして光史とあたしが暮らしてた事、カンナさんに言うの?」


「……」


「どうして彼女にあたし達の事を…」


「そんな事言われても事実なんだから、昔の事だって笑って答えりゃいーだろ。」


「……」


 ムカムカした。

 千里は…カンナさんの肩を持ってる。



「バンドメンバーが一緒に暮らすのなんて、珍しい事じゃねーよ。変に隠す方が怪しいだろ。」


「でも…」


「それとも、マジでやましいから、平気な顔出来ねーのか?」


「……」


 思わず言葉を失った。

 千里はそんなあたしに気付いて、バツの悪そうな顔のまま…


「…寝る。」


 ベッドに入った。


「……」


 頭の中が真っ白で、何も考えられなくなった。

 あたしは…信じられてないどころか…疑われてる。


 とても…とても悲しくなった。

 震える足取りで部屋を出る。


 子供部屋に入って、眠ってる華音と咲華の顔を覗き込む。

 …可愛い…


 そのまま、ベッドに突っ伏して眠ってしまって。

 朝、目が覚めると…肩にブランケットが掛かってた。


 …千里…?



 部屋に戻ると千里はいなくて、そのまま大部屋に行くと、おばあちゃまが。


「おや…ケンカでもしたのですか?」


 あたしの顔を見て言った。


「…どうして?」


「……涙の痕。」


 おばあちゃまはゆっくりとあたしの頬を撫でて。


「千里さん、夜も明けきらない内に、仕事に行かれましたよ。」


「…そう…」


「…色々あって当然ですよ。しっかりなさい。」


 ポンポン、と。

 あたしの背中を優しく叩いてくれた。



 …そうだ。

 色々あって当然。


 …しっかりしなきゃ…。

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