つりみこ

島風あさみ

つりみこ ~釣り神女~

序章

「機関の修理は進んでおりますか?」

 士官さんや巫女さんたちがいそがしく歩き回る竜宮船りゅうぐうぶね玉髄ぎょくずい】の羅針艦橋なびげえしょんぶりっぢで、玉網媛たまみひめは携帯式の椅子について頭を抱えていました。

 過労と寝不足による頭痛やイライラで、一触即発の爆弾みたいな状態です。

「いまだ原因不明です。機関長の報告では機関そのものに故障は見当たらず、原因は宝珠にあるらしいとの事です」

 老齢の艦長さんが答えます。

 玉髄は一基しかない推進機関が完全に沈黙し、かろうじて浮いている状態でした。

 嵐にまれて点検がはかどらず、曳航えいこうもままなりません。

 機関を復旧させるか、天候の回復を待ってから、近隣の船舶に曳航えいこうしてもらわないと、風の向くまま漂流ひょうりゅうする事になるでしょう。

「宝珠? 活性がにぶっているのでしょうか?」

「いえ、宝珠はむしろ活性化しております。しかし、なぜか機関が動かないのです」

 宝珠は機関の炉心に組み込まれた、大気中の神気を神力へと変換する重要な部品で、この神力を動力として玉髄は前後左右へと航行できるのです。

「最悪、入渠にゅうきょの必要があるかもしれません」

 自力での復旧が困難な場合は、曳船たぐぼうとで軍の乾船渠どらいどっくへと曳航され、本格的な修理を受ける事になるので、もう任務どころではありません。

「困りましたね。御神託では日昳にってつ正刻せいこく(午後二時)に出現するはずですのに……」

 神託は玉網媛自ら儀式を行って作る、予報のようなものです。

 皇太女おうたいじょである玉網媛の神力は、皇族おうぞくの中でもずば抜けていますが、神託は位置が正確なら時刻が、時刻が正確なら位置があやふやになる傾向がありました。

 今回は位置の特定が曖昧あいまいで、広い湾内の全域に捜索の目が向けられています。

 そのため湾の中心に停泊中の玉髄は、随伴ずいはんする八杯の小早するうぷを全て展開、海軍の協力で小型艦艇による哨戒しょうかいも行われていました。

 監視網は万全で、そうそう見逃すはずもありませんが、肝心の玉髄が動かなくては意味がありません。

「召喚の儀式はどうなっていますか?」

日出にっしゅつ初刻しょこく(午前五時)にはどうにか」

 かたわらにひかえていた側近の巫女さんが答えました。

「あと四半刻しはんとき(三十分)といったところですか……」

 皇室おうしつ直系の玉網媛ならともかく、世俗出身の巫女さんたちでは、十 人がかりでも一刻いっとき(二時間)はかかってしまいます。

 実際はその半分の人数なので、かかる時間は倍以上。

 皇室の血が濃い旧貴族出身者なら、召喚にかかる時間をかなり短縮できるのですが、両家のお嬢さんたちは育ちがよすぎるのか、つらい巫女の仕事にはなかなかいてくれません。

 せめて他の皇女おうじょが参加してくれればと思う玉網媛ですが、過去にこの儀式が皇位継承権争いを兼ねていた経緯もあって、妹たちを配下として使う訳には行かないのです。

 その継承権争いが起こってくれた方が効率がよく、玉網媛の負担も減少するのですが、弥祖皇国やそみくにが議会君主制に移行してからは、皇位にきたがる皇族が激減しています。

 旧貴族たちの関心もうすれて、玉網媛が儀式と皇位継承権を押しつけられているのが実情でした。

「儀式を急がせますか?」

蕃神ばんしん様に失礼があってはなりません。このまま続行させてください」

 なにしろ神降かみおろしの儀式です。

 下手に急がせて失敗すると、二時間の苦労が水の泡になりかねません。

「あまり急いでも意味がありませんしね」

 例え半日で修理が完了しても、それだけでは間に合わない可能性がありました。

 玉髄は旧式で大型の竜宮船です。

 数年前に改装されて、弥祖でも随一の艦速を誇るようになったものの、それはあくまで最大級の艦種である安宅船らいんの中ではのお話。

 安宅船は近代日本における戦艦に相当するもので、とてつもなく船足ふなあしが遅いのです。

 海軍から貸与された際に主砲塔や装甲板の一部を撤去して軽量化され、推進機関を国内でも最大級の宝珠に換装かんそうしていますが、だからといって小早や関船ふりげえとに勝る速力が得られる訳ではありません。

「儀式が成功しても、現地に送り届けなければ、なんの意味もありません。一刻も早い復旧をお願いします」

 玉髄に随伴ずいはんしている八杯の小早なら、どこにでも急行できますが、本来は着弾観測や自由落下爆弾だむ・ぼむによる近接攻撃に使われる小型艦艇で、武装を撤去した現在では監視と哨戒しょうかいにしか使えません。

 アレ《・・》の発生には大きく頑丈な軍用艦艇による対応が不可欠なので、どうにかして玉髄を修理して急行させるしか手がありません。

「せめて軍の関船があれば……」

 関船とは近代日本でいうところの巡洋艦で、敵船舶や地上目標への砲撃能力を持ち、長大な航続力と速力で現場へ急行できる汎用性を持つ、海軍の主力艦艇です。

 近年の軍用艦艇は大型化の傾向にあります。

 いままでは安宅船にしかできなかったアレへの対処も、新型の重関船へびいふりげえとなら可能かもしれません。

 しかし、いくら玉網媛が次期女皇じょおう筆頭候補とはいえ、さすがに軍の最新装備をよこせとは言えません。

 周辺国の中には、弥祖の海洋利権を狙っている国もあるのです。

 軍の運航表によると、大型艦艇は全て外洋演習で出払っていました。

 協力要請をしようにも、肝心の関船が湾内に一隻たりとも存在しないのです。

「その関船ですが……」

「わかっております。うちにはとてもそんな余裕などありません。新型どころか旧式艦だって……」

 皇族なのでお財布はそれなりにギッシリなのですが、お国の改革で皇族の権力がうすれてしまい、あまり無理を言えなくなっていました。

 軍にお願いすれば、安宅船や大型の関船くらい貸してくれるかもしれませんが、武力の象徴である主砲塔を外せと言われて怒らない軍人さんに心当たりがありません。

 新型艦ともなれば、なおさらです。

 そんなこんなで玉網媛が悩んでいると、艦橋内の伝声管から報告がありました。

「艦正面十二時半方向より、大型の関船が接近中です!」

 見張り台の水兵さんが、なにかを見つけたようです。

「なんですって⁉」

 玉網媛は、思わず神官長席から身を乗り出しました。

「艦種の照合を!」

 艦橋にいた若い副長さんが部下に命令します。

「まさか他国の関船が……?」

 領海侵犯はどこの国でもそれなりに起こるものですが、戦時でもないのに本土の湾内に侵入するなんて、聞いた事がありません。

 玉網媛の疑問に艦長さんが答えます。

「ありえません。潜伏中の味方艦船でしょう」

 運航表には湾内に味方の大型艦艇は存在しないと書いてありますが、海軍はよく進路を隠蔽いんぺいしたり、艦長や司令官の独断で急な進路変更や韜晦とうかい航路を取るので、いないはずの艦が存在しても不思議ではありません。

「艦籍判明しました! 仏法僧ぶっぽうそう関安宅べるてっどふりげえと二番艦【翡翠しょうびん】です!」

 薄暗い空に映るシルエットと海軍年鑑を照合して、士官さんが艦名を割り出しました。

「やはり友軍でしたな」

「よかった……」

 玉網媛が椅子から立ち上がり、雨で濡れた窓にへばりつくように外を見ると、遠くにぼんやりと舷窓ぽおとほおるあかりや航法灯なびげえしょんらいとが見えました。

 左が緑で右が赤。こちらに正面を向けて接近中のようです。

「翡翠……四年前に就役したばかりの新型実験艦ではないですか!」

 新型艦の調達こそできなかった玉網媛ですが、物色を欠かした事はありません。

 軍事知識にとぼしい玉網媛でも艦名を知っていたのですから、欲しがっていた艦の一つに巡り会えたのかもしれません。

 関安宅は安宅船に次ぐ排水量と、関船に次ぐ速力を持つ大型艦船です。

 高速化したとはいえ、旧式でポンコツな玉髄とは比べものになりません。

 防御力こそ安宅船におとりますが、当面必要なのは装甲より艦体強度なので問題なし。

 しかも翡翠は、随伴ずいはんする小早の整備・補給用に、左右に張り出した飛行甲板ふらいとでっきを備えていて、小型艦艇を直接着艦させたり、簡単な整備点検を行う能力があるのです。

 これなら玉髄の代替艦として、うってつけでしょう。

「あの艦ならアレ《・・》がどこに現れても対応できますね」

 軍はよほどの重大任務でもない限り、玉網媛の協力要請を断れません。

 アレ《・・》への対策は弥祖皇国全体にとって、いまだ最優先の懸案けんあん事項なのです。

 協力要請なら主砲塔や装甲板を外す訳ではないので、翡翠の艦長さんも喜んで艦を貸してくれるでしょう。

 断る事情があるなら、最初から顔を出したりはしません。

 もっとも玉網媛は、早くも軍から翡翠をかすめ取る算段を始めていました。

 強力要請で捕まえた関安宅を、なしくずし的に我がものにしようとたくらんでいるのです。

「翡翠より入電! 第三皇子名義で助力を申し出ています!」

 第三皇子といえば、玉網媛と同じ父を持つ実の弟、宝利命ほうりのみこと

 これはますます期待できそうです。

「宝利ですか。確か周辺国への外遊に出向いていましたね」

 いわゆる砲艦外交です。

「港湾部の運航表ちゃあとにはありませんでしたが……」

 作戦中や訓練中の軍艦にはよくあるお話です。

 狭い湾内は難所が多く、大型艦の潜伏せんぷくめられた話ではありませんが、皇族を狙う反朝廷勢力への警戒や、襲撃を想定した訓練で潜伏していたのかもしれません。

「なにはともあれ、これで代わりの足が確保できましたね」

 宝利とはもう四年も会っていない玉網媛ですが、いまでは立派な偉丈夫いじょうふへと成長し、武勇伝も数多いと聞いています。

 ちまたでは宝利を主人公にした物語が作られてベストセラー入りしているとか。

 皇室は母系母権の一族なので皇位継承権こそ持っていませんが、もし父系であったなら、次の国皇こくおうになっていたかもしれません。

「物語のような英傑えいけつだとよいのですが……」

 玉網媛も読んでいましたベストセラー。

 宝利をえがいた絵物語を思い出してほおが熱くなっています。

 噂を聞いて、つい本を取り寄せてしまった玉網媛ですが、読んでみると実の弟とは思えない、いえ思いたくなくなるほど濃厚な人情本(恋物語)でした。

 恋に恋するお年頃の女子として、物語の主人公への興味は尽きません。

 部下の巫女さんにお願いして、新刊を三冊予約しています。

「断る理由はありませんね。申し出をお受けいたしましょう」

 物語の主人公(正確にはそのモデル)に会ってみたい、ヒーローに助けられる王女様の気分を味わってみたいという本音を隠しつつ決断する玉網媛でした。

 翡翠を手に入れる陰謀は後回し。

 乙女心が最優先です。

「接弦の準備をお願いします」

「媛様、まだ風が強く危のうございます。翡翠が伝馬船こっとるを出しますので、しばしお待ちください」

 空は雨風こそ弱まっていますが、いまだ予断のならない状況です。

 木製の甲板でっきはぬめってすべりやすく、転んで頭を打ったり落水などの危険があるので、素人が板やロープを使って艦から艦へと乗り移るのは、自殺行為でしかありません。

 ちなみに伝馬船は現代日本でいう内火艇ランチに相当する連絡艇です。

「宝利殿下自らお出ましになられるようです。拝見はいけんされますか?」

 艦長に単眼鏡てれすこおぷを渡されました。

 不覚にも乙女心を気取けどられたようです。

「ど、どうも……」

 赤面する玉網媛でしたが、つい興味を優先して単眼鏡を受け取ってしまいました。

 老獪ろうかいな艦長さんには全てお見通しなのです。

 なにを言っても恥の上塗うわぬりになるだけなので、玉網媛はだまって単眼鏡をのぞきます。

 日の出時で空は薄暗うすぐらく、多少の風雨もありますが、視界はそれほど悪くありません。

 その時、おりよく宝利が後部甲板くをうたあでっきから姿を現して、こちらを向きました。

 そしてニヤリと笑いました。

「……ブフォッ!」

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男でした。

 せっかく目鼻立ちが整っているのに、いわおのような筋肉が全てを台なしにしています。

 美男子には違いないのですが、物語の挿絵や玉網媛の理想とは天と地ほどもかけ離れていました。

 胸毛がモジャモジャ生えていないのが、せめてもの救いでしょう。

「昔は痩身そうしんの美少年でしたのに……」

 百年の夢が一気に覚めました。

 玉網媛は細マッチョは大好物ですが、筋肉モリモリは大の苦手なのです。

「…………見なかった事にしましょう」

 玉網媛は虚構フィクション現実リアルを混同しない事にしました。

 物語は物語、現実は現実なのです。

 幸い絵物語では、皇室への配慮なのか、名前を宝利から宝理へと変えてあります。

 人情本の主人公は、昔の宝利よりちょっとだけたくましいくらいが丁度いい。

 そんなさとりの境地にいたる玉網媛でした。

「神官長、そろそろ召喚の儀式が完了する刻限こくげんです」

 側近の巫女さんに言われて、玉網媛は本来の業務を思い出しました。

「そうですね。そろそろ祭儀室に参りましょう」

 蕃神は神様なので、弥祖皇国で対等に話せるのは女皇だけ。

 皇族か、あるいはその血がい者でなければ、会話を許されません。

 平民はもとより、貴族であっても許可されないので、召喚後は玉網媛一人で応対しなければならないのです。

「艦長、わたくしは祭儀室におもむきますので、宝利たちの受け入れをお願いします」

「かしこまりました。あとはお任せください」と艦長さん。

 客人に乗艦許可を与えてもてなすのは、艦長さんの責務なのです。

 本来なら代表者である玉網媛も同行すべきなのですが、精神的ダメージを回復するまでマッチョに会いたくありません。

 いま顔を合わせたら、ショックで失神してしまいます。

「くれぐれも宝利たちを祭儀室に近づけないように」

「承知しております」

 撤去された主砲塔の基部に設置された祭儀室は、使用中に限り男子禁制です。

「……あっ」

 玉網媛の可愛らしいお耳が震えました。どうやら儀式が終了したようです。

「急ぎましょう。蕃神様がおいでになられました」

 慌てて単眼鏡を艦長に返し、指令室を飛び出して階段を駆け下りる玉網媛。

「媛様、危のうございます!」

 艦長さんはまるで、お転婆てんば姫をたしなめる爺やのようです。

「ノンビリしすぎちゃった!」

 背後から艦長さんの、孫を見るような生暖かい視線を感じる玉網媛ですが、いまは気にしてなどいられません。

 皇族は忙しいのです。

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