一撃必殺! 鉄槌男

鷹樹烏介

第1話 プロローグ

 甲種魔導師エイブラムス師が、その繊手で虚空を撫でると、その軌跡に六本の光る矢が出現した。

 地下迷宮探査のベテラン部隊『第三十七探査隊』の隊長でもある彼女の得意技だった。

 破壊エネルギーに志向性をもたせたその魔導技術は、この世界を一度滅ぼしかけた『魔王』との最後の戦争『第四次聖戦』当時の最先端兵器であった『六十八ポンド・カロネード砲』という重砲数発分の威力があるといわれている。

 こんな火薬で鉄球を飛ばす兵器など、この一世紀あまり見たことないけど、魔導技術無しで、辛うじて『小鬼』とか『喰屍鬼』とかを食い止めることができたそうだから、かなりの威力だったのだろう。

 魔導兵器が配備されなかった辺境は、この兵器で絶望的な生存戦を戦っていたという記録がある。

「一ノ矢! 二ノ矢!」

 凛とした彼女の声に、光の矢が飛ぶ。爆炎にアラフォーとは思えない、「出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる」肢体が浮かび上がった。

 いつも隙のない化粧をしている、端正な横顔も見える。

「兵士は、指揮官の姿に自分の生死を占うものよ。だから、こんなオバさんでも、いつ見ても普段と変わらない姿を保ちたいの」

 そんなことを、いつだったか、エイブラムス隊長は言っていた。

 第三十七探査隊の士気の高さの理由のひとつには、彼女への偶像崇拝的な要因もあるかもしれない。

 そんな、カリスマ指揮官に統率された精鋭の探査隊だったが、『浅層』にカテゴライズされる地下三階に足を踏み入れた頃から苦戦が続いていた。

 地下迷宮に生息する異界の生物には、この世界での物理法則を抑制する一種の『力場』みたいなもの――「装甲被膜アーマースキン」と呼ばれている――に包まれているのが確認されているが、それが通常より頑強なのだ。

 魔王との戦争で世界が滅びかけた原因が、いまだに仕組みが解明されていないこの装甲被膜の存在で、それを打ち破るために発達したのが『魔導技術』なのだった。

 私を担いで走っているのは、第三十七探査隊の護衛兵士のカイン伍長。

 重装甲歩兵の彼は、装備重量が五十キロ近いにかかわらず、私を軽々と抱え私が全力疾走するより早く走っている。

 私がなぜ抱えられているかというと、腰が抜けてしまったから。

 待ち伏せされたのだろうか。

 私たちは突然、不定形の粘液状の異界生物に襲われ、隊員の六十パーセントが、押しつぶされるか、溶かされてしまった。

 呼応するように、小鬼や喰屍鬼の群れが殺到。

 負傷した女性隊員が小鬼たちに捕獲され、闇の奥に連行される時の絶望的な悲鳴を聞いたとき、腰が抜けてしまったのだ。

 苦しい撤退戦を何時間も続けてきたが、もはやそれも限界。エイブラムス隊長と残された六人の魔導師たちが、最後の抵抗をしているところだった。

 私も魔導師のはしくれだが、全く役に立たない。

 遺伝子に刻まれた私の魔導はとても特殊で、こうした乱戦には用を成さないのだ。

 しかも、腰抜かしているので、集中もできないし。

 カインが走る。

 途中、重装歩兵が命の次に大事にしているランスや盾をかなぐり捨てて。

 私を助けるため。

 闇の中を疾走する。

 その闇の奥で、六本目の光る矢が爆発し、あとは断末魔の悲鳴だけが残った。

 王国最精鋭と謳われた『第三十七探査隊』が、カインと臨時雇いの私を残して全滅した瞬間だった。



 安全地帯にたどり着いたのは、運が良かっただけだ。

 この迷宮は、刻々とその姿を変え、マッピングの意味が無い。

 香油を燃料にしたランタンに灯をいれる。

 微かにクローブの香気が広がった。

 この香気の及ぶ範囲は、異界の生物から死角になる。

 乙種魔導師、結界のクロムウェル師が得意とする術だった。彼は、半透明の粘液状の異界生物に飲み込まれてしまった。

 私のすぐ隣にいたのに、私の様な役立たずが助かり、皆を避難させることが出来たかもしれないクロムウェル師が死んでしまった。

 甲冑を脱ぎ捨て、上半身裸になったカインが、ランタンの香油を確認する。

 音からして、残りは僅か。

 燃料が切れれば、ここはもう安全地帯では無くなる。

「もって、二時間ってとこですかね。ジリ貧だなぁ」

 そういって、カインが白い歯を見せて笑う。

 大勢の同僚が死んだ。

 悲しいはずなのに、そう見せないのは、私を動揺させないため。

 その気遣いが、申し訳なくて仕方がない。

 せめて、『空間跳躍』とかの魔導が私にあったら、せめて彼だけでも助けることが出来たのに。

「ご……ごめんなさい」

 思わず謝っていた。

 その謝罪を聞いて、カインが首をかしげる。

「なにに対しての謝罪です?」

 その眼に皮肉や怒りがないか、探っている自分が嫌いだ。

 カインは普通に疑問に思っただけなのに。

「わ……私みたいな、や……役立たずが……」

 言っていて泣きそうだった。声が変な風に裏返る。

 まるで、子供みたいで恥ずかしい。

「何をおっしゃいますやら。あなたは、特種魔導師ではないですか。あなたを護衛するのは、兵士の役割でありますよ」

 爽やかな笑顔で、カインが笑う。

 『特種魔導師』

 国家の重要な財産に位置づけられる魔導師は、『遺産管理庁』という平凡な名前の省庁に所属する国家公務員だ。その有用性によって上から甲種、乙種、丙種、丁種とランク分けされており、更にⅠ級からⅢ級まで階級がある。たとえば、エイブラムス師は正確には『甲種Ⅱ級魔導師』通称『甲/Ⅱ』となる。

 それ以外が特種と種外に分けられる。

 『種外』は、有用性が認められなかったり、効果が薄かったりする魔導師で、確率六十パーセントで〇☓を当てられるとか、大量のひよこの中からメスだけを選別できるとか、手品なのか経験則なのか、迷うレベル。『遺産管理庁』に所属できない者がほとんどだ。

 対して『特種』は、レアな能力者を示し、階級上は『甲種』の上位に位置する。

 私は『特種魔導師』だった。

 エイブラムス師が私を優先的に退却させたのも、それが理由。

 カインが、次々に装備を外している。

 ランタンの淡い灯りに、鍛え上げられた見事な筋肉が見えた。

 まるで、鞭を束ねた様な、典型的な『細マッチョ』だ。

 上半身は認識票が胸にチャラついているだけ。

 下半身はぴったりしたスパッツだけで、股間の盛り上がりが気になってみていられない。

 顔をそむけた私に、カインが近づいてくる。

 こんな危機的で悲惨な状態にもかかわらず、私はちょっとドキドキしていて、その浅ましさに死にたくなっていた。

 カインがへたり込んだ私の傍らに片膝をつく。

 そして、私に身を寄せ、硬い物を私の手に握らせた。


 火打石式拳銃だった。


「祝福された浄銀で作った弾丸が、込められています。火蓋を外して、ハンマーを起こし、引き金を引く。火薬は込めてありますから、それで弾丸が発射されます。敵に使うかどうかは、お任せします」

 ずっしりと重い鋼と樫で出来た武器。ピンク色になりかけていた私の脳が、音を立てて冷えてゆく。

 武器なんか、持ったのは初めてだった。

 ぶるっと震えが走る。

 カインは「大丈夫」という風に、頷いて、私の頭を撫でてくれた。

 そして、念入りにストレッチを始める。

 カインの言葉の意味するところは、一つ。

 いざとなったら、自害することも視野に入れろということ。

 小鬼や悪鬼といった異種族との混血で個体数を増やす習性がある異界生物に捕獲されたら、女性は死ぬより辛い現実が待っている。

「ここに籠っても、ジリ貧です。イチかバチか、私が地上まで走り抜けて、救援隊を申請します。戦闘員ではないあなたには酷でしょうが、希望を捨てずに待っていて下さい」

 きらりと白い歯を見せて、カインが笑う。なんて爽やかな……。

 そして、この安全地の小部屋を走り出てしまった。

「ちょっ……まっ……」

 止める間も、覚悟を決める時間すらなく、私はここに取り残されてしまった。



 グレゴールガロッシュ歴二〇一六年、冬の気配が感じられる熊月十四日。

 A国遺産管理庁所属 特種魔導師 エリエッタ・エーリカ は、新規に発見された第十七地下迷宮の第三層において、たった一人、完全に遭難したのだった。

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