第4話 俺は諦めない。


 その日は、朝からすっきり晴れた、とても暑い日だった。


 小学六年生の夏。ラジオ体操のために早起きして、そのまま公園で遊んで、流れで友人の家にお邪魔して、共にスイカを食べて、夏祭りとその中の花火大会の話になって。とある友人がいる病室の窓からでは、角度的に花火が見えないのではないか、という意見と、折角なのだからいつもの六人で一緒に観たいという願望が出て。俺たちは見舞いも兼ねて、いつものように、花菜はなが入院している病院に向かった。


 神藤花菜かみふじはなが俺たちの小学校に転校してきたのは、五年生の夏休みが終わり、二学期が始まる九月頃のこと。

 彼女は、やけに活動的というか、不思議な輝きをまとっている感じというか。とにかく人を惹きつけるような魅力を持っていて、すぐにみんなに受け入れられ、クラスの人気者になった。彼女の弾けるような笑顔は、関わる人全員を幸せな気持ちにさせてくれたのだ。


 なかでも最初の方のちょっとしたことで、一足先に仲良くなれた俺たち五人は、彼女と特に波長が合ったのか、よく六人揃って遊ぶようになった。林間学校も、バーベキューも、ハロウィンも、紅葉狩りも、初雪の日も、クリスマスも、大晦日と元旦、初詣も、餅つき大会も、雪合戦も、かまくら造りも、花見も、社会科見学も、ほとんどをその六人で固まって過ごした。

 大体いつも、みんなを誘うのは俺の役目だった。平日なら学校終わりに、休日なら朝からそれぞれの家を訪問して回って、みんなを連れ出して遊んでいた。楽しくて仕方がなかったんだ。やけに気の合う友人たちと遊ぶことが。どこかへ行くことが。一緒にいること自体が。


 秋から始まって、冬も、春も。そして、夏、も。何も変わらず、全員で楽しく遊べると思っていた。俺たち五人は、そう信じていた。


 楽しい時間が過ぎ去るのは、いつも一瞬だ。

 そして、それはつまり、どうしようもない現実を突きつけられるのは、いつも突然であることと同じで。


 六人で集まって遊べたのは、六月の終わりまでだった。


 花菜は、小学六年生の一学期が終わるより先に、学校を後にした。

 慌てて周囲の大人に事情を訊いた俺たちは、彼女はどうやら、療養のためにこんな片田舎にやってきていたのだということを知った。治療法がまだ確立されていない、難病指定を受けた疾患を抱えているために身体が衰弱し、小学校の卒業まで生きられないだろうという残酷な余命宣告を受けた状態で、残りを少しでも長く、穏やかな時間を過ごすために、父方の実家があるところに越してきたのだ、と。


 俺は、愕然とした。


 何も知らなかったことに。何も知らされていなかったことに。何も教えてくれなかったことに。何もかも隠されていたことに。何より、知らなかった自分がしてしまったことに。

 なら。彼女を遊びに連れ出した自分は。嬉々として彼女を毎回のように誘った自分は。何も知らないで、したいことだけを気の向くままにしていた自分は。


 花菜を死の淵に追いやったのは、自分ではないか。と。


 彼女は、穏やかに生きるために、少しでも長く、安らかに過ごすために来たというのに。結果、期間にして半年以上もの命を擦り減らさせてしまって。本来の目的を放棄させてしまって。大切な時間を、奪ってしまって。


 急いで皆と共に花菜の見舞いに行き、訳のわからないままに上手く形になってもいない、ぐちゃぐちゃの謝罪の言葉を繰り返した俺に、そこにいた全員に、花菜は微笑みを返した。


「いいんだよ。わたし、楽しかったから」

「でも、……でも」

「こんな何もない部屋にずっといても、そんなの意味ないもん。皆と遊んでたわたしの方が、とっても幸せに決まってるよ」


 誰も、何も。言えなかった。


 見えている世界が違いすぎる。自分の終わりを、生命の果てを肌で感じている彼女に掛けられる言葉など、俺たちごときが持ち合わせているはずもない。


 怖かった。まだまともに触れたことのない、理解の外にある概念そのものが。それに触れている彼女すらもが。


 答えを出せないことが。


 どうすればよかったのか、これからどうすればいいのか。


 縋るように、いつもの姿からは考えられないくらいに力なくベッドに横たわる彼女に何かを求めても。笑み以外、何も返っては来なかった。

 俺は、花菜の咲かせた小さな花の、その内側の感情を測ることはできなかった。


 それから。俺たちは、毎日欠かさずに、見舞いに行った。

 掴みどころのない不安を、無理矢理押し止めるように。もう残り少なくなってしまった時間を、一瞬たりとも無駄にしないように。


 話をした。学校の話を。友人の話を。授業の話を。テストの話を。プールの話を。家族の話を。昨日のテレビの話を。雑誌の話を。遊び場の話を。……話を。中身が無くても。君が笑っていてくれるなら。いくらでも。

 もう遊びに行くことは叶わない彼女を、少しでも楽しませようと。寂しがらせまいと。これまでの日々を、無駄にしないようにと。


 だから、花火を一緒に観たいということは、俺たちにとってはごく自然な流れから出た意見であり、本心だった。

 俺は見舞いの品として、少ない小遣いをはたいて、スノードロップを模したアクセサリーを買って持って行った。スノードロップの花言葉、希望という字面に惹かれて。


 いつものように、ではなく。他の四人が時間通りに来なかったため、俺一人で花菜の病室を訪れ。アクセサリーを渡した後に、普段の他愛ない話の代わりに、その日の夕方から始まる夏祭り、花火大会のことを伝える。

 しかし。残念ながら焦っていた俺は馬鹿であった。そもそも、その病院の立地的に、花火を観るためにはすぐ裏の河原、その高い土手の上に登らなければならないのだが。ただでさえ上手く歩けないほど弱っているうえに、外出届も前もって申請していないはずの彼女には、遥か遠い別世界の話にも等しかった。

 俺が、過ちに気付いたのは。一通り伝え終え、少し俯いた花菜の顔を、改めて直視したときで。


「わたしも、観たかったなあ」


 そう言いつつ、花菜はいつも通りの笑顔を作ろうとして、失敗する。

 一年弱ほどの間で初めて目にする、悲しみに歪んだその表情は、見ている方が泣きたくなってしまうくらいに健気で、儚くて、弱々しくて。いくら落ち着いていようと、大丈夫だと口では言っていても。結局は小学生でしかなくて、まだ十二歳の小さな子供なのだと、自分とそう変わらないちっぽけな存在なんだと、幼いながら俺は理解した。


 でも、だったら、だからこそ。やっぱり。

 わがままを押し通して。自分がしたいように振る舞うのは、子供の特権なのだから。無理やりにでも。泣かせてしまうくらいなら。俺が怒られるくらいなら。


 手を、伸ばしかけて。


「じゃあ、一緒に観よう」


 花菜の目が、驚愕に丸く見開かれる。


 これまでの流れを全て聴かれていたのではないかと思うほどに、丁度良いタイミングで。病室の扉が勢いよく開け放たれ、いつもの他四人と花菜の両親、担当の看護師が笑顔で入室してきた。

 確かに観たいと呟いた、彼女を乗せるための車椅子を携えて。



 俺たちは、花火を観た。


 漆黒の夜空に儚く消える刹那の輝きを、その目に焼き付けた。


 文字通り、に。



 その翌日、熱も冷めやらぬうちに。目に花火が焼付いたまま朝を迎えた俺たちは、まだ耳に花火の炸裂音の残響が後を引いている俺たちは。理解不能な現実に直面する。


 花菜は、都会へと転院していってしまった。


 元々、直ぐにでも移らなければならない状態であったところを、彼女のたっての希望ということで。最後まで、いや、最期まで残ることにしていたらしい、けれど。

 俺たちにも、無論その親にも、関係者の誰にも伝えないままに。彼女は突然、いなくなってしまった。

 残されたのは、不可解な幻覚だけ。



 でも、少なくとも俺は、信じていることが。真っ暗な中学二年生の朝を迎えてもなお変わらないことが、たったひとつだけ、ある。



 あの時誰かが呟いた言葉。「ずっと、このままでいられたら、いいのに」という言葉が残された俺たち五人を縛っているというのなら。あの夏の日に閉じ込めたままだというのなら。それはきっと。


 花菜も、同じように縛られているはずだ。


 つまり。つまりは、俺も皆も、花菜もずっと、花火が咲く漆黒の空の下に囚われているというのなら。

 花菜はきっと、生きている。

 今も、どこかで。最後に在った日のままで。病に苦しんでいるままで。彼女もまた、散らない花を抱えているに違いない。散らない花を観ているが故に、「ずっと、このままで」いるという願望の内側で。同じ幻想の中で生き永らえているはずなのだ。


 だから。


 だから、俺は決めている。

 花火が散らないでいる時間を、世界が自分たちに与えた猶予であると解釈し、その間に花菜の疾患を治す術を探し出すことを。

 彼女を救うことを諦めないことを。

 彼女のために、大切な友人のために身を粉にし努力することを。



 だから、俺は感謝する。


 毎朝、遮光カーテンを開ける度に。

 空が晴れていないことに。この狂気がまだ終わらないでいることに。


 俺がまだ、彼女を助けるために尽力していていいのだと。この気持ちは、この選択は間違っていないのだと。このまま、前だけ見て進み続けていればいいのだと。そう肯定してくれているのだろう。俺はそう受け取るぞ。信じるぞ。


 なあ、俺の心に灯る、友への想いよ。




 今日も咲き誇る花よ、散らないでいてくれて、どうもありがとう。




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