一射入魂
葵 一
森谷 真美 第一節
弓道の県大会が開かれる県営の弓道場へ訪れた男子生徒一人と女子生徒二人。それぞれ袋に包んだ弓と矢筒を担いでいる。
「うわーめっちゃ人いますね先輩っ」
息を弾ませるように、あまりの混雑に一番小柄な女子生徒が男子生徒へ圧倒された風に話しかけた。
「んー、まあ、県内の弓道部とその関係者が集まるんだからこうなる」
あまり覇気を感じさせず、ただ面倒そうに男子生徒は背中を丸めて答えた。
「緊張してきました……」
髪を後ろで束ねた長身の女子生徒が気弱な声で胸に手を当てて声にした。
「早い早い、まだ着替えてすらないから」
「そ、そうですね……」
「更衣室は道場の東側にあるから、そこで着替えておいで。それから道具と弓にこのタグを必ずつけて管理すること。貴重品は試合のとき以外は常に持ち歩くこと。以上。俺も着替えて巻き藁のあたりでウロウロしてるから」
一旦、三人は更衣室で別れ、弓道着に着替えると弓に弦を張り、矢に問題がないかチェックした。
「二人とも準備はいいか。並ぶことになるけどまずは射場に立って感覚を掴むといい。うちの狭い道場とは全然違うから。時間的にみて一回立つのがやっとなんで、あとは巻き藁とゴム弓で調整――」
「あーら、睦月高校の恥さらしさん、後輩さんに恥をかかないようにするための指導?」
周囲の音や会話が反響するなかで男子生徒に向けられた悪意のある呼びかけ。青の鉢巻に川村と書かれた男子生徒は声のした方を振り向く。
頭の右側で髪を縛ってサイドポニーにした他校の女子生徒が小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「初めての大会なんで他の参加者に迷惑かけたらいかんからな。先輩として当然のことだ」
「それはそれは、熱心なこと」
「で、なんか用か」
「いいえ、なんにも。どんなことを教えてるのか聞いてみたくなっただけ。今度は二本くらい的に当てて帰ってね。それじゃ」
彼女は表面的な笑顔だけで手を振ると連れの女子部員とどこかへ歩いていった。
「誰ですかあれっ、先輩にひどい言い方」
小柄な女子生徒が背中を睨んだ。
「聖サクラエ3年の神庭。聖サクラエとは年一回、合同練習もするが今年はモロモロの事情でやってないから知らんわな。美沙ちゃんの意見は普通だろうけど、しゃーない。前回の大会で俺が8射1中だったことは事実な上に、大会連覇してるからな、あいつ」
川村が悪口にいっさいの否定もしていしないことに美沙はさらに苛立ちを露わにする。
「悔しくないんですかっ、事実でも、上手でも、バカにされてるんですよっ」
「どうだろうなぁ、悔しいような気もするが、言い返したりするだけの材料もないしな」
「それでも一方的に言われたままなんて情けないですっ、真美もそう思うよねっ?」
美沙は長身の女子生徒――真美に同意を求めるが、どこかを見たまま反応はない。
「真美ちゃん?」
「ねぇ真美ったらっ」
揺すられてようやく我に返り、彼女は驚いたように笑った。
「え、あ、ごめん、ぼーっとしてた。で、なに?」
「何じゃなくてさぁ」
「はいはい、ここまで。さっさと並んで練習しておいで。時間なくなる」
川村は不満の残る美沙を制し、二人を射場へと向かわせた。川村自身も巻き藁用の矢を持って練習しに移動する。
カケと呼ばれる弦を引くための手袋をはめ、矢を持つと弓立てで自分の弓を掴んだ。いくつもの弓が格子戸のようになり、道場の中が窓越しに見える。
(あ……さっき声をかけてきた人だ……。)
真美はふと道場内で調整を行う人物に焦点が合う。名前も川村が言っていたようだが、彼女はそれを聞いていない。
伸びた背筋に、弓を打ち起し引くまでの乱れの無い仕上げられた型。スローモーションのようにも見えるがそれは自信に満ちた覇気のある動き。なん千回と繰り返されてきたであろうことが読み取れる決まった道筋の動き。弓を引き絞り静止したかのように見える。だが、それは微かに動き続けている。
引き絞った弦から矢は放たれ、弓は返り、鋭く吸い込まれるように的へ突き刺さる。
(すごい……。)
矢を継ぎ、二射目もまったく淀みのない同じ動作。他の人間が目に入らないくらい真美は見入っていた。一射目のわずか右側に並んで正鵠を射抜いた。
一射目と二射目の動きが真美の頭の中で繰り返される。鏡で見た自分、撮影して映像で見た自分、それらとトレースするように繰り返される。
「真美ったらっ!」
わりと強めに叩かれたことで現実に帰ってきた。射場にすでに神庭の姿はない。
「ご、ごめん、またぼーっとしてた。早く並ぼ」
「美沙もう行ってきたよ、真美も早くしないと時間なくなるよ」
「え、え、う、うん」
しかし、慌てて真美が列に並んだとき、練習時間終了のアナウンスが入り、射場に立っている生徒以外は打ち切られてしまった。
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