私と海とあの人と

由良霞澄(ユラカスミ)

第1話

助かりたいわけじゃない。でも助けが欲しかった。きっとずっとそうだった。

「さや」

あの人の声がする。暖かい陽だまりみたいな優しい声。私はこの声が好きだった。あの人が好きだった。

「春?」

あの人の名前を呼ぶ。あの声が誰かなんて振り返らなくたってはっきりと分かる。

でも、私はあえて疑問形にしてみる。

この時間を1秒でも長く過ごしたいから。

「さや、迎えに来たよ。家に帰ろう。」

ああ、この時間が終わってしまう合図だ。

聞きたくない。この海から離れたくない。

家になんか帰りたくない。家に帰ればあの人は姿を変えてしまう。

「嫌、帰りたくない。春とここに居たい。」

私は我儘だ。でも、私の我儘はあの人と海にだけだ。

海は私の罪を許してくれる。あの人は私に陽だまりを与えてくれる。でも、家では私の罪は許されない。

「いい加減お兄ちゃんって呼んでよ。しょうがないから、もう少しだけここに居ようか。」

あの人は困ったような笑顔でこっちを見る。あの人はいつも私が我儘を言うと困ったように笑う。そんな所も好きだった。

「ありがとうお兄ちゃん。ねえ私がいいよって言うまで目を瞑って?」

私があの人をお兄ちゃんと呼ぶのはこれが最初で最後。

「本当に呼んでくれると思わなかったよ。隠れんぼかな?しょうがないな。」

あの人はちょっと驚いた顔をしたけれど、すぐに目を瞑った。

あの人が次目を開けた時にはきっともう私は視界には居ない。私は私を許してくれる海と最後を迎える。

最後にどうしても陽だまりが欲しかった。本当に好きだったあの人から。

ありがとう。さよなら。

微かに見えたあの人は何故か震えているように見えた。

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私と海とあの人と 由良霞澄(ユラカスミ) @zuu0108

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