第二話 知らない世界には人種がある

 暖かい……。体調に異常なし。体の違和感も全く感じない。それがどれほど幸福なことであるのかを俺は改めて実感した。おそらく先ほどの悪夢は、そのことを俺に分からせる為に見せてくれたのだろう。ワンルームの6畳一間に、万年床として敷かれた布団の上で、いつもと同じように俺は目を覚ます――




 ――はずであった。ところが俺がうずくまている布団と毛布は、いつもの感触とは違う。


 目を開けて外の景色を見ると、その天井は白の塗装を施され、消えた丸い電灯があるいつもの天井とは全く違う。木の骨組みと石レンガで作られた、重厚な重みのある天井が、真っ先に目に焼き付いてくる。シーツと毛布は旅館やホテルのような真っ白のきれいなものであったが、その感触は家にある布団の肌触りや柔らかさとは比べ物にならないほどお粗末なものだ。


 上体を起こし周囲を見渡すと、一人の女性がベッドの隣で、椅子に座って本を読んでいる。その女性の年齢は16,7歳くらいだろうか。緑の瞳に高い鼻、茶色のショートカットをしているその風貌は、明らかに日本人には見えない。


 だがこの特徴だけだとただの外人である。しかし彼女の場合そうではない。


 俺が知っている外人にはない、彼女だけが持っている大きな特徴は、先端がとがった耳である。ショートカットの髪から飛び出したその耳の先っちょは、俺の知識で擦り合わせるなら、まさしくファンタジーに登場するようなエルフであった。そしてまた同時に、彼女にはエルフのような美しさも持っていた。


 特徴的なのは容貌だけでない。服装も変わっている。黒いローブを着ているのだ。そういえばさっきの夢の中でも、白いローブの人がたくさんいたが、最近ローブの服装が流行っているのだろうか。


 というよりあれは夢だったのだろうか。あれが夢で、今が夢から覚めた状態なら、必然的に今の出来事は現実になってしまうではないか。


 俺はしばらくの間この少女の姿をじいっと見て観察していたが、少女のほうは俺の様子に少しも気づくそぶりはない。あんまりにも彼女が気づかないものだから、非常に勇気がいるが声をかけるしかないだろう。


「あのー、あなた誰ですか?」


 恐る恐る聞いてみたが、相変わらず彼女からの返答はない。しかし効果はあったようで、こちらが目覚めていることには気づいたようだ。彼女はゆっくりと本を閉じると、俺の方に顔を向けた。


「……」


 彼女は俺の顔を見つめたまま、ずっと黙っているだけだ。


 き、気まずい……!一体この少女は、何で俺の方を向いたっきり話さないのだろうか。


 少女は俺の顔を観察し終わると、今度は毛布から飛び出した俺の上半身をじっくりと観察する。その様子は、幼稚園児が知らない虫をまじまじと観察する表情によく似ていた。そんなに俺の姿がおかしいのだろうか。


「助けたのは私じゃないから」


 ようやく放った少女の第一声は、全く理解できないものであった。


「はい?」


「……助けたのは私じゃないから、私に感謝の言葉を言う必要はないってこと」


 同じような事を彼女は表情一つ変えずに言った。


 しばらく考えた末、ようやくその言葉の意味を理解した。俺は先程の夢の中で、地下の怪しい施設から抜け出した後、街で気絶した。その時に俺は誰かに助けられて、この宿で治療していたのだろう。『助けたのは私じゃないから』という言葉は恐らく、俺が勘違いして、目の前にいるこの少女を命の恩人と思う事がいやだったのだろう。


 だがこれは果たして、起きた直後に第一声で言うべき言葉なのだろうか。彼女は、アヒルが生まれた時に初めて見たものを親だと思うように、俺が目覚めて初めて見た人物を命の恩人と思い込むと思ったのだろうか。それとも俺に命の恩人と思われて、俺が好意を抱いたり、俺が勘違いをして、彼女は俺に一目惚れして助けてくれたんだ、的な解釈をされたくなかったのだろうか。


 いかんいかん、なに変に暗い想像をしているのだろうか。おそらくあの少女はコミュニケーションが下手なだけだろう。だから第一声であんなことを言ってしまったのだ。


 ただそれよりも重要なことがある。助けられたのは俺が街で気絶したからと考えると……、あの悪夢は夢ではなく現実になってしまうではないか!


 いや結論を出すのはまだ早い。あの悪夢の前に起こった出来事を振り返ろう。あの悪夢の前に俺は……そうだ!俺は悪夢の前にバイト帰りですごく気分が悪くなって、気絶したんだ!


 だから病に苦しんであんな悪夢を見て、何とか助かった俺は今この部屋にいるという事か。


 ならなんで病院に連れていかずに、宿に連れていかれたのかは疑問に残るが、きっとそういう出来事があったに違いない!


「いやー、よくあんな深夜の誰もいない場所で俺を発見してくたなあ!危うく俺、死ぬんじゃないかと思ったよ!」


「深夜?誰もいない?あなたが倒れたのは真昼間で人通りの多い場所だったけど」


 俺の希望はあっさりと打ち砕かれた。真昼間の人通りの多い場所……、俺が悪夢で倒れた場所とそっくりだ。すなわちあの悪夢は夢ではなく現実だ。


 いや、逆に今いる世界が夢であり、前のあの悪夢の世界が現実かもしれない。それならなおさらまずいことではないか!


 もしかしたらバイト帰りの世界が夢であり、あの悪夢と今は現実ということは……、それが一番最悪のパターンだ!


 つまり一番納得のいく答えは何かというとバイト帰りの世界も、今いる世界も、あの悪夢の世界もすべてが現実ということである。


「嘘だぁぁぁ!あれが現実なわけあるかぁぁぁl!」


 あまりの衝撃に俺は心の中の声をそのまま叫んでしまった。その様子を少女は、相変わらずそっけない表情で観察している。心なしかその表情は若干引いているようにも見えるが。


「病み上がりだから頭が混乱しているのかしら?それとも元々から変なの?」


 そんな質問も、表情を変えることなくさらりと言ってくる。


「お前、俺と初対面の割には、さっきからずっと当たりが強いな!」


「そのあなたの意見は正しい。すなわち頭は正常。つまりあなたは変人」


「いやその理論はおかしい」


 目の前の少女は容貌だけでなく、性格も変わっている。少し前までずっと黙っていたのに、喋ったと思えばきついことをビシバシと言ってくる。


「そう言えばまだ誰だか聞いてなかったな。俺はお前のことを命の恩人じゃないことしか知らないぞ」


 忘れかけてたが、一番最初の質問にいまだに答えてもらってない。命の恩人じゃないというなら、何で俺の隣に付き添ってたのだろうか。


「私は命の恩人のただの知り合い。彼に様子を見ておいてくれと頼まれた。名前はアカネ・インティライミ。そういうあなたの名前は?」


「俺の名前は西垣敦賀だ。ツルガって呼んでくれ」


 アカネ・インティライミとは変わった名前だ。おそらくアカネが名前で、インティライミが姓なのだろう。


「それで命の恩人とやらはどこにいるんだ?できれば早くお礼を言いたいんだが」


「彼なら一番近くの蔵書庫にいると思う。場所は分かる?」


「蔵書庫?なんじゃそりゃ、さっぱり分からん。案内してくれないか?」


「たぶん彼なら夜になったらこの部屋に戻ると思う。けれど今の方がいい?」


 その言葉には、明らかに今外には出たくないという彼女の意思が伝わってきた。


「まあ外がどんな感じか見たいし、できれば今の方がいいが…。嫌なら別に夜でも構わないが」


 そんな俺の言葉に対して、彼女は明らかに間を置いた。何か外に出たくないという理由があるのだろうか。そう考えたら、さっきの俺の発言はあまりよろしくなかったのかもしれない。


「いや、いいわ。私が今から案内してあげる」


 そう言って彼女はドアのもとへと向かって行った。俺はベッドから降りて着替えようと思ったが、すでに俺の服装はこの世界における正装だった。俺の今着ている服は、悪夢で白ローブの謎の女から渡された民族衣装であったから。それはすなわち、あの悪夢が現実であることの証でもあった。


 きっと俺は異世界とやらに転生したのだろう。漫画やラノベやらを読んできた俺は、ようやくこの事実を受け入れた。




 街の景観はまさしく、それらで見てきた光景とそっくりであった。中世ヨーロッパ風の街に、その時代に来ていたであろう服装をしている人々。ドラゴンなのか、馬なのか、トカゲなのかよくわからない生物。そして商店でたまに目にする、手のひらから出る謎の光。


 なるほど、この世界には魔法と呼ばれるものもあるのか。もしかしたら俺も魔法が使えるのかもしれない。


 だがそれでも俺が元いた世界と変わらないところもある。街ゆく人々の姿だ。


 俺のような黒髪の黒い瞳を持つ、ザ・日本人といった特徴を持つ人はほとんどいないが、それでも人々の容姿は、俺が知っている外国人とそう変わらない。


 それゆえ目の前を歩く少女の容姿は、この街においても異色なのだ。街の人々に誰一人耳がとがっている者などいないのだから。


 目の前を進んでいるアカネは、宿の中では被っていなかったローブについている帽子を今は深々と被っている。


 外にあまり出たがらなかったのも、それが理由だろう。そう考えるとすごい罪悪感を感じてしまう。


 それ以外にも気になる点がある。街の建物や人々の様子だ。一部かけていたり、傾いたりいしている建物が非常に多い。他にも目に付くのが、街の隅に集められたがれきの山だ。そのがれきの山で遊んでいる子供たちもいる。


 さらに貧相な身なりの人々もたくさんいることだ。おそらく俺が今着ている民族衣装は、街の人々と比べると、相当上質なものだろう。


 完全に想像だがこの街でかつて戦争があったのだろう。この荒廃ぶりはそうとしか考えられない。



 そんなことを考えていると、いつの間にか蔵書庫の目の前にいた。蔵書庫は相変わらず石レンガでできているが、この荒廃した街の中ではかなり立派な建物である。扉の荘厳さからして、既にほかの建物とは一線を画している。


 中に入るとあたり一面に本棚が並んであり、その本棚の奥に店主らしき人物が椅子に座って、居眠りをしている。一体万引き対策はどうなってるんだと思うが、アカネは構わずその店主がいる場所のさらに奥へ進んでいく。するとまた扉があり、アカネは遠慮せずその扉を開ける。


「おい、大丈夫なのか?勝手に入って」


 店のスタッフ用の場所に、勝手に入るような感じがして気が引けるので、一応アカネに確認してみたが


「全く問題ない」


 そっけなく返し、俺の言っていることなど、全く気に留める様子などない。


 扉を開けると、何やら実験室のような部屋がある。実験室には本棚と、よく分からないガラスでできた機材に、なにが書いてあるのか全く分からない書類、いろんな場所に描かれた魔法陣のようなものがある。


 そしてその部屋の中央に、二十歳前後の男性が、謎の機材に手をかざして、光を放っている集中している。彼が何をやっているかは全く分からないが、そのやっていることの怪しさに対照して、その風貌はガタイの良いスタイリッシュなショートの赤髪をした、男らしい顔をしたイケメンだった。ただし服装は黒くて分厚い羽織を着ていて、いかにも魔術師らしさ全開だが。


「おいおい勝手に入るなと言ってるじゃないか、オーナー」


 男性はまだ誰が入ってきたか分かってないようだ。それもそのはず、誰かが入ってきても彼の目は謎の機材に釘づけで、光をかざすことをやめないのだから。


「オーナーじゃない、アカネ」


「アカネ?お前が日中、外を出歩くなんてことがあるのか?」


 ようやく男性は謎の行動をやめてこちらを見た。手のひらから光が消えていく。


「奥の男は……、ああ君か!なんだ、もう元気に歩けるようになったのか」


「あなたが言うほど心配するほどのことじゃなかった」


 男性はうれしそうな表情をして、こちらに向かってくる。


「いやー、助けてくれてありがとうございます。このお礼はどうやって返したらいいのやら」


「いいよいいよ、そんな事。街で急に倒れている人を見捨てられないしね。それに、僕に対して畏まらなくていいよ。もっとフレンドリーな感じでいいからさ」


 先程の怪しい行為はどこへやら、男性の雰囲気はとてもさわやかでいい人であった。


「じゃあ遠慮なくそうさせてもらいますか。ちなみに俺の名前は西垣敦賀。ツルガと呼んでくれ。ちなみにあんたの名前は?」


「僕の名前はサン・デヴァイア。よろしく頼む」


 そういってサンは握手を求めてきた。この世界にも握手という文化は存在するのか。そんなことを思いながら、俺はそのまま手を握る。


 そういえばサンの手は、さっき禍々しい光を放ってたばかりではないか。そんな手に触れて、一体大丈夫なのだろうか。俺は手のひらを確認する


「はっはっはっ、大丈夫だって。そんな魔法をかけるような真似は僕はしないよ。それよりツルガは、アカネの姿を見ても何も思わないのかい?」


 アカネの姿?もしかしてそれは、彼女の耳のことを言っているのだろうか?もうしそうなら、そこに軽々しく言及して大丈夫なのか。


「え、そこに触れても大丈夫なのか?割とデリケートな部分だと思ってたんだが」


 そう言ってアカネの表情を見ると、相変わらずのいつもの不愛想な表情のままだ。初対面の人なら怒っているように見えるが、アカネのこの表情は、全く怒ってないといってもいい。


「デリケートって言葉の意味はよくわからないが、そんなことでアカネは怒ったりはしないよ。でもこの感じなら、ツルガはシャフト人に対して、差別していることはなさそうだね」


 シャフト人?なんじゃそりゃ?多分アカネのような、耳の尖っている人のことをさしているのだろうか?まあそういうことにしておいて、話を合わせておくか。


「まあ俺は、あんまりそういうことは気にしないけどな」


「気にしない?へ~、それはかなり珍しい答えだね。まあレンデルフ様を信仰するレンデルフ国民なら、差別しないのは当たり前か」


 またまた謎の単語が出てきた。今度はレンデルフだ。信仰といっているから、宗教のことか?しかしレンデルフ国民とも言っていた。国民ということは、レンデルフは国なのだろうか。


「ところでツルガはどういう経緯で、バストロフィアにいるんだ?見たところ暮らし向きに困っている人の服装とは思えないけど……、どうしての街中でふらふらさまよっていたんだ?」


 とうとうこの質問が来るか。バストロフィアとはここの地名のことだろうと思うが、俺の身元を聞く質問はいつか絶対に来るとは予想していた。目が覚めて、いきなりアカネにこの質問されたら非常にまずい事態になっていたが、幸いなことにアカネはそのことに関して触れず、蔵書庫へ行く道中に、その言い訳は思いついてある。


「実は俺起きた後、あまり記憶が戻ってなくてさ~、自分が誰で何でここにいるのか思い出せないんだよな」


 自分が別世界から来た転生者です!なんて言っても、どう考えたって信じてもらえるわけがない。そこで俺は気を失ったことを利用して、この作戦を思いついたのだった。これならこの世界に関する事柄について知らないことがあっても、言い逃れができる。


「さっき自分の名前はツルガって知ってたじゃないか」


 俺の作戦の風向きは早くも怪しくなっていった。

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