転校生
nobuotto
第1話
1.転校生
アインは5月の連休が終わった日に4年2組に転校してきました。
連休の話しで盛り上がっている教室のドアが開いて明子先生が入って来ます。いつもなら「はい、みんな静かに」という先生の大声がして、誰もがいそいそと席に着くのですが、今日は先生が入ってきたとたんにシーンとなってしまいました。
先生と一緒に、茶色の肌をした男の子が一緒に入ってきたからです。
みんな急いで席に座って、黒板に前に立ってる先生と男の子を見つめています。
先生は黒板に大きく「グレン・レ・アイン」と書きました。
お父さんの仕事の関係でベトナムという国から日本に来たと言います。
「アインです。宜しくお願いします」
小さい声だけど、丁寧にその男の子は挨拶をしました。
都会の小学校でも転校生は珍しいうえに、よく知らないベトナムという南の国から来たアインにみんなは興味津々です。休み時間になるとアインの周りに集まって「ベトナムってどんな国」「ベトナム語で話してよ」と質問攻めにするのでした。
けれどアインはニコニコと微笑むだけで答えることはありませんでした。授業中に先生にさされた時はちゃんと答えるので、日本語はわかっているのでしょうが、それ以外は話す必要がないみたいでした。つまらない奴と決めてしまったのか、今は誰もアインに話しかけることもありません。
昼休みもアインは外に遊びにいくこともなく、いつも一人でベランダにいました。
ヒロは、最初はアインに興味がありませんでした。先生がベトナムという国を黒板に書いても、結構遠いところなんだろうなあくらいしか思い浮かびません。アインの自己紹介を聞いても、日本語がちょっと変な感じがする色の黒い男の子だと思っただけでした。
みんながアインに色々質問するのを見ても、転校生は大変だなあと思うだけです。
俺だったら答えるのが面倒で、そのうち怒るかもしれないのに、こいつは優しいのか、それともバカなのか、不思議な奴だと思っていました。
しかし、最近どうもアインが気になってきました。みんなが騒いでいた頃はどうでもいいと思ってましたが、誰もアインと話さなくなると、あいつ外国から来て寂しくないのかなあ、学校楽しいのかなあとヒロはだんだんと気になって来たのでした。
昼休みに校庭でサッカーをしていても、ベランダに一人でいるアインがどうしても目に入ってしまいます。「あいつ、まだいる」「あいつ、ずっと何しているんだ」とチラチラ見ているので、飛んできたボールを見落としたり、誰もいないところに蹴ってしまったり、簡単なシュートも外したりとミスばかりするようになりました。
ヒロはベランダに行ってアインと話すことにしました。心の中にあるモヤモヤをすっきりさせないとサッカーに集中することができないからです。
「アイン」
急に後ろから声がしたので、アインは驚いて振り返りました。
そこには、今まで一度も話したことがないヒロがいました。アインは目を大きくして黙っています。
「あっ、ごめん。アイン」
アインを驚かせたことが分かり、今度はゆっくり静かに話しかけました。
アインはニコニコとヒロを見ているだけで何も話しません。ここは、アインの気をひく話しをしようとヒロは決めました。
「いつもここにいるけど、何してるの」
「空を見てる」
少し微笑んでアインが答えました。
「やったアインが答えた」とヒロは思いました。
「空かあ。空ねえ」
ヒロが空を見ても、そこには夏を告げる大きな塊の雲が浮いているだけです。
「空かあ。空ねえ」
次に何を話していいかヒロは困ってしまいました。アインはまた微笑んで黙ってしまいました。いつもと同じです。ここで話しが途切れてしまうので、みんなアインから離れていくのです。けれどヒロは違いました。
「空。空が好きなんだ。そうか、アイン、僕の名前知ってる?」
「ヒロ、でしょ」
「ヒロはヒロだけど。どう書くか知ってる」
アインがキョトンとしているので、黒板の前までアインを引っ張っていきました。そして、大きく「大空」と書きました。
「大きな空、大空と書いて、ひろとって言うんだ。わかんないよな、大空でひろとだもん。面倒くさい名前にしてくれたよ。面倒くさいから、ヒロって名前にしてる」
「大きな空。ひろと。大空。いい名前、とてもいい名前です」
アインが何度もいい名前と言うので、ヒロは心がくすぐったくなりました。
それからヒロはよくベランダに行きました。放課後にある地元のサッカークラブの練習の前の練習をしなくてはいけないのですが、半分だけサッカーをしてその後はベランダに行くようになりました。アインと話すのがなんとなく楽しくなってきたからです。
2.早咲きコスモス
梅雨明けしたばかりの空は青く澄んでいて、もうすぐ来る夏休みにクラスの誰もがそわそわし始めていました。
今日もヒロはアインとベランダで空を見ています。
「あの雲、早いなあ。あいつの走りはシャープだ」
アインさんは「ウン」とうなづきました。
幾つもの長い雲の塊が青い空で動いています。
空を見るとそこには雲があって、それがいつも違っているのはヒロも知っていましたが、アインと空をじっと見るようになってから、ゆっくり動く雲もあれば、早く動く雲があり、そしてどの雲の結構早く形を変えていることを知りました。
二人のところへヒヨリがやってきました。ヒヨリはヒロと同じサッカークラブの女子チームです。一年中サッカーをしているので、ヒロと同じくらい真っ黒でした。
「また、ふたりで空見てるの」
「そう、雲みてんだ」
「雲ねえ。アインはなんで雲がそんなに好きなの」
「ヒヨリ、お前アインに、急に、なんでそんなこと聞くんだよ」
ヒロがアインにずっと聞こう思っていたけど、なんとなく聞けなかったことをヒヨリがあっさり聞いてしまったのです。
「仕事だったから」
思いもしなかった答えにヒロは驚いてしまいました。そして、ヒロが聞こうと思ったことを、またヒヨリが聞いてしまいました。
「仕事って。アイン、小学生なのに仕事してたの」
「うん。ベトナムでは僕の仕事だった」
アインの国では、大人達が畑仕事をしている間、子供達は雲をみているそうです。
そして強い風や雨が降りそうな時に大人達に教えるのが仕事なのだそうです。
「雲を見てると分かるの?」
「風も雨も分かる。あの雲が高いところに沢山でると、天気が悪くなる」
「そうなの。アイン、すごーい。雲博士だ」
ヒヨリが大きな声で言うので、アインは照れくさそうに笑いました。
アインがヒヨリとはすぐに仲良く話すのをみてヒロは少し腹が立ってきました。アインと普通に話せるようになるまで自分は何日もかかったのに、ヒヨリは当たり前のように普通に話してしまったからです。
「アイン。こことベトナムとどっちがいい?」
かなり厳しい質問をヒヨリはします。これもヒロが聞きたくて聞けなかったことのひとつです。
「ここもいい。だけど、山がない」
都会の真ん中にある小学校から山は見えません。屋上で天気のいい日にぼやけた山が遠くに見えるくらいです。
「山は見えないよなあ。それよりアイン。ヒヨリとはなんでそんなに話せるんだよ」
「ヒヨリちゃん、僕の妹に似てるから」
「アインは妹がいるんだ」
「うん。ヒヨリちゃんに似ている」
恥ずかしそうにアインは言います。
「すっごいかわいい子でしょう」
とヒヨリが言うと、ちょっとアインはうなづきました。
「空も見るけど、ヒヨリちゃんのコスモスも見てる」
そう言って下の花壇を差しました。
ヒヨリはお花当番です。4月から校庭の花壇でコスモスを育てています。ほかのコスモスと違って夏には大きくなる早咲きのコスモスです。先生から、このコスモスは学校で初めて育てる早咲きコスモスだからしっかり面倒見てねと言われて、ヒヨリはサッカー以上に一生懸命にコスモスを育てていました。今は手のひらで包めるくらいの大きさですが、夏休みが終わる頃には綺麗な桃色の花が花壇いっぱいに咲くはずです。
ヒロは花にはまったく興味がないので「ふーん」というだけです。
また三人で空を見てると、急にアインが「コスモス危ない」と言って教室の中に走って行きました。
ヒロもヒヨリもアインのあとをついて走って行きました。
下駄箱まで来ると「傘もってきて」とアインが言います。ずっとおいてあったビニール傘を二人も持っていきました。
花壇につく頃には、空は真っ暗になっていました。そして急に雨が降り出しました。三人はコスモスを守るように傘をさしました。雨が急に止んだかと思うと、空から一斉に氷の塊、ヒョウが振ってきました。傘にバタバタと落ちてきます。ヒヨリは怖いと言いましたが、「もう終わる」とアインが言ったのでがまんして傘をさしつづけました。
アインのいうようにヒョウはぴたりと降り止みました。花壇の多くの花がヒョウで倒れています。けれどヒヨリのコスモスは元気にまっすぐに立っています。
「アイン、氷が振ってくるのがわかったの」
「うん」
「アインのおかげでコスモス大丈夫だった。ありがとう」
アインはまた「うん」というだけでした。
三人は学校が終わっても遊ぶようになりました。アインもヒロのサッカークラブに入りました。
ヒロがアインの家に初めて遊びに行って妹のチャインに会った時、アインがヒヨリとすぐに話せるようになった理由が分かりました。
アインの言う通り、チャインはヒヨリを少し小さくしたみたいにそっくりだったのでした。
3.山の花火
夏休みになるとヒロはいつも山梨の田舎に帰ります。
お父さん、お母さんと一緒に行って、1週間位自分一人でいて、またお父さん、お母さんと帰るのです。お婆さんもお爺さんも優しいけど、やはり友達がいないので田舎の生活に飽きてしまいます。
だからこの夏休みはアインと一緒に田舎に行くことにヒロは決めました。それにもうひとつ理由がありました。ベランダでアインが「山がない」と言っていたから山を見せてあげようと思ったのです。ヒロの田舎は山に囲まれています。家の直ぐ後ろにも山があります。
田舎の家について車から降りたアインは、懐かしそうに回りを見渡しました。まるで自分の国に帰ってきたみたいだと喜んでいます。
アインは虫取りでも、川遊びでもヒロが知らない遊びを沢山知っていました。東京の学校ではいつも静かなアインですが、ここではヒロよりも走って泳いで、大きな声で話します。お爺さん、お婆さんも、最初は外国の子供と気を使っていましたが、すぐに仲良くなりました。
明日は帰るという夜にヒロとアインは庭でスイカを食べながら山を見ていました。
すると山から花火が打ち上がりました。
暗い空にスーっと白い煙が上がっていきと、キラキラと光が一面に広がって消えていくのでした。
「ばあちゃん、じいちゃん、山に花火があがってる」
ヒロの驚いた声を聞いてお婆さんと、お爺さんが庭にでてきました。
「ヒロには見えるんか。アインも見えるんか」
お爺さんに聞かれてアインは「うん」と答えました。
「そうか、そうか。お前たちには見えるんか」
「じいちゃんには見えないの」
「じいちゃんがお前達くらいの頃は、何回か見たことがあったが、大人になったらもう見えん」
「子供しか見えない花火なの」
「山の花火と言ってるが、本当は、花火じゃなくてな、花たちが空に帰ってるんだよ」
ヒロにはお爺さんの言っている意味が分かりません。
「花たちは、空に行ってうんと力をつけて、沢山の種を生むためにまた戻って来るんだよ」
「そうかあ」とアインは納得したようにうなづいています。
ヒロはお爺さんの話しがよくわからなかったのですが、アインは分かるです。
「アインの国でも山の花火があるの」
「うん。ベトナムでは森の虹っていう。夏の夜に山から空に虹ができる。川からも空まで続く虹がでる。やっぱり子供しか見えない」
ヒロとアインはその夜、裏山に冒険に出かけました。お爺さんからは、夜の山に入ってはいけないと言われていましたが、山の花火を見たらじっとしていられません。
遠くの大きな山にいくことはできませんが、裏山なら登れます。
家からもってきた懐中電灯をかざして、登っていきました。
昼間は静かで明るい山でも、夜になると空の暗さとひとつづきになるほど黒く深くなります。ヒロは暗い山の中に吸い込まれそうで怖くてしょうがなかったのですが、アインは全く怖がっていません。
坂道を登っていくと広場にでました。木の囲まれた小さな広場で、昼間だとここで少し休憩して頂上までいく場所です。懐中電灯に照らされたところだけが見えます。
すると木々の向こうからボーと光が指してきました。
「すごいねえ。ヒロ」
アインが眩しそうにしています。
「すごいって、このぼやぼやしてるの、なんだこりゃ」
「そうか。ヒロには見えないんだね。僕の肩に手を置いてみて」
アインは、ヒロの手を取って自分の肩におきました。
アインの肩に手が乗った途端、ヒロは眩しくて目が開けられないほどの光に包まれました。
もう一度そっと目を開けるとそこは、夜の森の広場でなく、昼のお花畑が広がっていました。
赤い花、青い花、黄色い花が先の先まで並んで咲いています。
「すごいなあ、アイン」
「ヒロも見えたんだね」
「なんなのこれ」
「僕も分からない。けど綺麗だね」
花たちが一斉に種を吹き上げるように、キラキラ小さな光が宙に舞っています。
地面に咲いている沢山の花が、次々と飛び立っていきます。どの花も光に包まれていきました。
そして、赤、青、黄の花の光は柱のように集まって夜空にあがっていきました。
「森の虹」
アインが言いました。
「山の花火だ」
ヒロが言いました。
光は夜空に高く高く上がっていき、静かに消えていきました。そしてまた真っ暗な夜になりました。
暗い空から声が聞こえてきました。
「ありがとう、私たちの仲間を守ってくれて、本当にありがとう」
「コスモスだね」
夜空を見ていたアインが言いました。
「うん。学校のコスモスのことだ」
そう言ってヒロは耳を済ましてみました。けれど、夜空はもう黙ったまま、何も聞こえて来ませんでした。
二人は家に戻りました。
夏休みの冒険が終わったような気持ちになっていました。
家の前ではお爺さんとお婆さんが心配して待っていてくれました。
二人の姿と見ると、「何もなくってよかった」とお爺さんはヒロを、お婆さんはアインを抱きしめて言いました。
夏休みが終り、学校が始ました。アインとヒロはベランダから空を見ています。
ヒヨリがやってきました。
学校のコスモスが綺麗に咲いています。夏休みの間も、ヒヨリは学校に来て水をあげていたそうです。
「綺麗でしょう、コスモス」
「うん。ヒヨリがんばったな。コスモスもありがとうっていってたよ」
「何言ってるのよヒロ。コスモスがありがとうっていうわけないでしょ」
そう言うヒヨリをアインは楽しそうに見ていました。
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