『少年』

@akirataketani

『少年』

この物語を読み返し何度も書き直すことができない。

たとえ読みづらくても

表現が曖昧でも

心がもたないからしかたがない。

なぜならばこれは

真実の物語だから。




『どうして僕は生まれてきたのだろうか』


喧噪と静寂が取り巻くその空間に、全ての感情を無くしてしまった僕は、右へ左へと揺れるシートに座り、ただただ白い天井を見つめていた。時折、窓の外から射しかかる町の光が車内を一瞬照らし、そしてまた一瞬照らしていく。

 東京 中央線最終電車 高尾行き。

 〝死ぬ〟ということを選択しなければならなくなった事実に僕はむしろ安堵していた。

『これで何もかもから解放される。もう何も悩む必要は無いし逃げ続ける必要も無い。困ることも人を羨むことも無くなるし、なによりこの忌まわしい存在自体を消し去る事ができるんだ。どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。こんなに嬉しい事はない。こんな得策があるならもっと早く実行に移すべきだったんだ。』

運命の歯車が軋み、錆びついた音で必死に訴えてきたその声は残念ながらか弱くかすれて、僕の足元よりもさらにさらに深い闇の中で誰の耳にも届く事は許されなかった。逆らい続けた結果にひれ伏すというよりは自ら謂れも無い罪を背負い出頭する事を強制された。それが唯一の選択肢であり最善の結果であることにもう疑う気力さえ失っていた。

『やっと、やっと楽になれる』

それが心から言える本音だった。

 最終の各駅停車はまるで編集された物語をつなぐように停車と走行を繰り返した。その習性と同じように僕の中の心臓が鼓動を失っていくのを感じた。思考能力の限界が近づいてきたことを知らせてくれているのかも知れない。

『やり直すことができない事は身に染みてわかっているんだ。ただ、こうなった原因や責任は誰にあるのだろうか』

目的の息を吐き出すまでに、肺の奥に滞った過去を振り返るのには充分な時間があった。僕はゆっくりと目を閉じて、その重く汚い時間をさかのぼり身をゆだねることにした。

 たしか幼少期の僕は隔離された世界で作り笑いを要求される不可思議な現実に住んでいたと思う。無知で教養が無く、服従することが当然であると思っていた。夢を語る事も無く希望を持つことは不自然な事と認識していた記憶がある。そういえば僕のほかにももう一人同じような子供がいたはずだ。疲れと憔悴しきった身体のせいか顔がぼんやりとしか浮かんでこない。おかしな話だ。彼は僕にとってかけがえのない友人だったはずなのにそれが今では名前すら思い出すのが困難になっている。同じ環境と境遇で育った彼はいつも一緒にいてくれたし。本当の心の声を唯一共有できる存在であり戦友だった。

『彼は今、どうしているだろうか…』

彼がいなければ僕の人生はとっくに終わっていたし、人生の魅力というものとも向き合うことにはならなかっただろう。逆に言えばここまで僕を苦しめた張本人ともいえる。それでも僕は彼に何にも代えがたい感謝の気持ちしか無い。

 僕の瞼の裏に幼い日々がじんわりと映し出されてきた。決して振り返りたくもない悪夢のような十六年間も、彼に幾度となく救われてきたことを思えば、僕の心も自然とその時間の流れをさかのぼっていった。







一九八一年 春



 物心ついた頃には僕はもう養護施設にいた。毎日のように続く孤独で窮屈な生活は、一般的な家庭の生活を知らない僕にとって、慣れるとか慣れないとかいう問題ではなかった。知らないということは残酷にもそれが当たり前という事実を突きつけてくる。テレビの世界や小説は、『父親や母親のいる暖かな家庭』を映し出していたはずなのに、実感のない想像は、憧れや夢という姿に形を変えて『存在しないもの』として幼い僕の現実となっていた。

 彼とはこの頃から一緒に苦難を乗り越えてきた仲間だった。




施設の朝は六時の起床から始まる。

「早く起きなさい!早く起きなさいよ!」

その日当直の保母さんがみんなを起こして廻る。相変わらず朝から怪訝そうな顔で叫んでいて、毎朝のことだが目覚めが悪い。もっと優しく起こしてくれればいいのにと思いたいところだが期待するほどおかしな話は無い。特別夜更かししたわけでもないがまだ眠い。ボーッとする意識の中それでもなんとか身体を起こすと顔を洗いに洗面所に向かった。この季節になってもまだ冷たい水道の水で顔を洗っていると背中で大きな声が僕を固まらせた。

「今日も一日頑張るか!」

彼の顔が鏡越し映って見えた。その顔は朝の一番にはまるで相応しくない屈託のない笑顔だった。僕に話しかけたのではなくただの独り言だ。まるで自分に言い聞かせる様な前向きな言葉を選べる彼がいつも羨ましく思えた。

その能力の食材と調味料を教えて欲しいくらいだ。そう思いながら部屋に戻ると全開になった窓の外を見てなかなか顔を出さない朝日をじれったく思う。

『寒くてしょうがない』

僕は少し震える手をシャツの袖に通した。着古したお下がりのトレーナーはヨレヨレとして綻んでいて、袖の先と一部が破れてしまっている。寮内で着る用の普段着だ。これでもまだマシなほうである。



 施設の朝は掃除から始まる。

 僕はベランダ掃除の担当だった。ベランダは四ヵ所。まずは掃いてからバケツに汲んできた水を流す。普通ならこれで終了だが、施設の清掃基準はそんなに甘くはない。水をまいた後に雑巾で拭き取る作業が必要だった。  

寮は平屋建てなのでベランダに柵はなく、少し風が吹けば、またすぐに汚れてしまうようなところだ。冷たい水に手を入れて雑巾をしぼり、コンクリートの水を丁寧に拭き取ってから、また次のベランダへ向かう。朝と夕方の日課だ。掃除が終わると、ほうきとバケツをもとの位置に戻して、掃除を終える。

 施設には四つの寮があり、幼児から高校生までが暮らしていた。小中学生が大半で高校生はいても寮に一人程度。幼児部屋と女子部屋がそれぞれ一部屋。男子部屋は六人部屋が四部屋に分かれていた。その他に学習室や職員室などがある。与えられている個人スペースは限りなく狭く、家族生活といったものとは程遠い規則に縛られた団体生活がそこにはあった。

 彼とは同じ寮で生活していたが、あまり頻繁に話すわけでもなく、どちらかというと僕が一歩下がって彼を見ていたと言ったほうが正しいのかもしれない。僕はなるべく目立たないように生活していたし彼とは真逆な性格だった。

 七時の朝食の時間に間に合うように施設の食堂に集まらなければならない。下駄箱にあるサンダルに履き替えていた時にその声は遠くから聞こえてきた。

「ベランダ掃除ちゃんとやってねぇよ!」

高校生が掃除の確認に廻りながら叫んでいた。

『おかしい、いつもと変わらずにちゃんと掃除したはずなのに』

 原因はすぐに分かった。せっかく掃除した後に庭掃除の当番が近くで竹ぼうきを使ったのだ。当然舞い上がった砂ぼこりはベランダの上に落ちる。

「ちゃんと掃除したの?しっかりやりなさいよ」

早番の保母さんから注意された。僕は仕方なくそのベランダだけやり直すことにした。文句の一つでも言いたいところだが、施設ではそれは厳禁だ。なぜなら上下関係絶対の世界で反論などしようものなら、確認しに来た高校生にぶん殴られるからだ。もちろん保母さんのいないところでだが、恐怖はそれだけではない。泣声をあげようものなら保母さんに助けを求めているとみなされ、さらに強い制裁を受けるハメになる。年上への反抗は重罪なのだ。それでもなお施設の中では誰かの泣声が絶えなかった。常に誰かが泣いていた。四歳の女の子が

「てめぇ、ぶっとばすぞ!ヤキいれてやっかんな!」

なんて言いながら三歳の幼児を平気で殴る世界だ。そんな中の高校生は絶対的な存在である。そうでなくても、もともと理由なんて通用する世界ではない。意味も無く『ただむしゃくしゃしたから』『たまたま一番近くにいたから』と年下の顔面を思いっきり殴る。血がでることもあれば打ち身やたんこぶなど当たり前だ。もちろん泣き声をあげればさらに殴られ蹴られる。『泣く』『殴られる』の繰り返しは涙と声を腹の底から押し殺さなければ終わる事がない。そんな中でいえば今回の掃除の件なんてたかがしれている。

 寮に出勤している保母さんは一人から二人。多くて三人。子供たちは寮に三十人近くいるから保母さんなんて正直なんの役にもたちはしない。目の届かないところは山程あるし、そもそも僕がベランダ掃除をちゃんとやったかどうかなんて保母さんにとっては関係のない話だ。『厄介なこと。注意して、もう一度やらせておけばいい』ぐらいなものだ。別に僕が特別信用されていないわけではなく、面倒な仕事と対峙する大人のかわしかたに過ぎないのだ。だから保母さんを信用する児童はいないし信用されたいとも思っていない。

僕は何も言わずにもう一度そのベランダだけを掃除することにした。先程の高校生が傍で立って監視している。僕は黙々と手を動かした。

「なんだ、てめぇ、なんか文句でもあんのかよ」

 同時に頭に強い痛みが走った。後頭部をグーで殴られたのだ。目の前が一瞬真っ暗になり漫画で観るような星が飛んだ。痛みはずっしりと重く頭の中から首まで走り、何かとてつもなく固いコンクリートが落ちてきた様な衝撃だ。

『痛い!』

涙をぐっとこらえた。

どうやら何も言わない事が逆にふてくされていると捉えられたらしい。

「ごめんなさい!」

あたかも申し訳なさそうに僕は謝る。

「早くしろよ、メシの時間に遅れんだろ」

また殴られるかもしれない。恐怖が僕の心を凍らせる。

「はい」

僕は急いで手を動かした。

掃除を終えるのを見届ける事なく高校生はどこかに行ってしまった。たぶん待ちきれなくなって食堂に向かったのだろう。

『こんなことは毎日当たり前のようにあることだ』

 思えば小さな頃からやり場のない怒りや、誰にも救われない現実をぐっとこらえていた事を強く憶えている。

「早く終わらせてメシ行こうぜ」

偶然通りかかった彼が立ち止まり僕に声をかけてくれた。僕はだまって頷くと雑巾を絞った。



 

 食事は全児童が一斉にとっていた。栄養士が予算の中で考慮した献立は子供達の健康に配慮されており、不味いことは殆どなく食事をとれた。ただ欠点と言えば好きなごはんをおねだりするなんてことは不可能だった事だ。『今日はハンバーグが食べたい』

なんて口が裂けても言えなかった。というより知らなかったというほうが正しいのかもしれない。当時当たり前のようにでてきた料理を食べていた僕たちにとって思い付きもしないようなことでもあったわけだ。甘えるという行為や感情が幼い頃に欠如していた。

 彼は僕と同じで人参が大の苦手だった。野菜炒めのように他の野菜と一緒に食べてしまえば大丈夫なのだが、問題は煮物のように大きな塊になってゴロっと横たわっている場合だ。まるで悪魔のように不適な笑みさえ感じ取れる。

『こいつを何とかせねば…』

周りの児童が次々と食事を終える中、僕と彼だけが取り残されていた。食事を残す事は絶対に許されていない。このままでは保母さんの怒りをかってしまう。上級生に何か言われる心配さえある。僕がこっそりとポケットにその悪魔の人参を忍ばせようと企んでいた時にその声は聞こえてきた。

「よぉし!喰ってやる!」

彼はそう言うと人参を口に放り込んだ。小学生だった僕は思った。

『こいつはすげぇ奴だ。勢いで悪魔を喰いやがった!』



 

 ふんわりと朝の匂いを太陽の光が照らし始める風景の中、田舎の住宅地の間を学校まで歩いた。小学校まではおおよそ一・五キロくらいはあったと思う。五人から六人でグループ登校していた。彼も一緒にいたが、その他に意地の悪い同じクラスのいじめっ子がいた。奴は何かあるごとに僕につかかってくる。折れた棒で叩かれたりドブに蹴落とされることも何回もあった。僕と彼で何度か奴に立ち向かってきたが、幾度となく返り討ちにされてきた。

『いつかこいつを泣かしてやる』

そう心に決めていた。しかし同じ年齢でも力の優劣はそうそうひっくり返らない。その日もいつも通りどこからか折れた棒を振り回しながら歩いている。

『まったく、憎たらしい奴だ』

そう思っていた時、一番前を歩く六年生が急に飛び退いた。

「うわっ、汚ねぇ!」

道端に犬の糞があったのだ。全員がそれを避けて歩き始めた時、事件は起こった。奴は持っていた棒で犬の糞をいじり始め、それを僕の洋服に擦り付けたのだ。

「お前はクソみたいなもんだからちょうどいいよなぁ」

笑いながらその棒を捨てると、

「遅刻するから早く行こうぜ」

と言ってみんなを連れて歩き始めた。本気で殴ってやりたかったがここで喧嘩を始めてもこの状態はどうにもならないし、何より勝ち目がないのは過去の経験からよくわかっている。奴のパンチは恐ろしく痛いのだ。

『やばい!このままじゃ学校に行けない。寮に戻るには距離があるし、遅刻は免れない。もしかしたら保母さんに八つ当たりをくうかもしれない。でも裸で行くわけにもいかないし』

パニックだ!

『どうしよう!どうしよう!どうしよう!奴は何て事をしてくれたんだ!』

グループは僕を置いてどんどん先に行ってしまう。奴の唖然とする行動には強い怒りを感じたが今はそれどころではない。立ちすくしたまま頭の中はてんやわんやの大騒ぎ状態だ!

「神社に水道あるから、そこで洗おうよ」

隣に残ってそう声をかけてくれたのは彼だった。その一言で僕も我に返る事ができた。一緒に登校途中にある神社まで着いてきてくれてなんとかその汚れを落すことができた。ただ、洗った一部分だけが濡れていてどうにもみっともないことになっている。ただこうして彼のおかげもあり、なんとか遅刻せずに学校までたどり着けたのだ。彼との二人きりの通学はいろんなことを話した。将来何になりたいかとか、早く大人になりたいとか、そんな話を気づけば熱く語っていた。教室に入るとみんなが陰でこそこそ笑っている。どうしたのだろう?女子からは汚い物をみるような冷たい視線が飛んでくる。その状況は痛いくらい僕の心に突き刺さった。奴はクラスのみんなに言いふらしたのだ。

「あいつの服にうんちついてるぞ!汚ねぇから近寄るな!あいつはうんちだ!」




 小学校での日々はただひたすらに孤独だった。僕自身がそんなに社交的ではなかったのかもしれない。当時の小学生の話題は、昨夜のバラエティ番組か週刊漫画の話がほとんどだった。アニメキャラクターの消しゴム人形が流行していたが、そんなものは一つももっていない。テレビは一時間だけ許可されていたのでわかる範囲と言えばそのくらいだが、当然、話しかけられることも自然と減っていくし、僕も無理して話すこともなくなっていった。珍しく仲良くしてくれた友達ができたと思えば、

「学校終わってから遊ぼうよ」

と言われて泣く泣く断るハメになるだけだった。 施設ではよっぽどの理由がないかぎり学校以外での外出は禁止されていたのだ。またお金を持たされることなど一切なかった。好きなものを買うという習慣がなかったのだ。だからせっかく誘ってくれる友達ができても、公園で遊ぶことすらできなかった。一度、学芸会の催し物の練習と偽って友達と一緒に近所の池まで釣りに行ったことがあるが、僕が池に落ちてしまいびしょびしょになって寮に帰ったことがあった。保母さんに相当怒られた。濡れて帰ってきたこともそうだが、嘘をついたことがばれてしまったからだ。その日から僕は要注意人物になってしまった。そうしてそのうち誰からも誘われることはなくなっていった。



 

 多分、この頃までだろう。

『僕の両親はどうしてもやむを得ない理由で、泣く泣く僕を手放すことになり、今でも僕を必死に捜し続けている。そしていつかお金持ちの両親が涙を流して迎えにきてくれるはずだ』

なんておとぎ話の様な夢物語りを信じていたのは。現実はもっと冷たいものだ。

『そんなことは絶対にありえない』

というその現実をよく理解していた。

『世の中に夢なんて期待する方が間違ってる』




 夕方の五時半からまた朝と同じベランダを掃除する。それが終わると夕食を摂り、寮に戻ってやっと自由な時間があった。七時から八時はテレビの時間だ。一日の生活の中で唯一わずかな娯楽の時間。一台しかないテレビはチャンネル争いがよく起こる。幼児から高校生までいる中で、さらに男子と女子がいるから当たり前である。

「チャンネル変えないでよぉ」

低学年の女の子が騒げば、

「うるせぇなぁ、こっちが観てぇんだよ!」

と中学生の女子が怒鳴る。

「やだよぉ、」

それでも引き下がらない女の子は顔面に鉄拳をくらうこととなり、泣きわめき、部屋の外に放り出される。

「てめぇ、大きな声で泣いて助け呼んでんじゃねぇぞ!」

 というおまけの一発がついてその場が治まる。よくあることだ。異変に気付いた保母さんがやってきて

「どうしたの?誰?泣かせたの!」

とみんなに聞くのだが、もちろん誰も答えない。

「喧嘩しないでよ、もう、」

と呆れた顔で去っていく。例えば泣いてる女の子から話を聞いてあげて、中学生の女子を呼び出して注意する。なんてことはほとんどない。それだけ日常茶飯事ということなのだ。

 保母さんにとっての愛情はドラマで観る様なそれとはまるで違う。大人の仕事なのだ。それでなくても職務はかなり大変だったと思う。反抗期の子供を常に相手にしているようなものだし、届かない愛情にさぞ悩まされたことだろう。

現に職員の入れ替わりは多かった。

 テレビの時間と並行して順番にお風呂に入らなくてはいけない。まともに一時間観れることは稀だった。お風呂は五・六人が一度に入れる大きさ。幼児から順番に入ることになっているのだが、もし、小学生高学年の順番に中学生が混ざって入ってきたらそれは恐怖の時間の始まりを示していた。

「早く脱いで入れよ」

中学生が彼の胸ぐらを掴み脱衣所に入り込んできた。今回の標的はいつも僕の味方をしてくれる彼だ。一瞬にしてその場に張り詰めた空気が流れ小学生は無言で下を向く。僕も例外ではなかった。もしここで彼をかばおうものならどういう仕打ちを受けるかは容易に想像できる。僕が何もできない事は彼にもわかっていたはずだ。ここにはそういう暗黙のマニュアルが存在するのだ。彼も無言で洋服を脱ぐと風呂場に入った。その後を中学生も服を脱いで入る。本来なら身体を洗ってから湯舟に入るのが当たり前だが、こういう時は大概そのまま湯舟に直行させられる。

「お前が取ったんじゃなけりゃ誰が取ったんだよ!」

湯舟の中で中学生が彼に詰め寄る。どうやら中学生の持ち物の何かが無くなったらしい。運悪く彼はその疑いをかけられているのだ。

『彼はそんな事する奴じゃない!』

心の中でしか言葉にできなかった。

「いや、取ってないです」

彼は恐る恐る返答した。ここは風呂場だ。男子が入っている以上、保母さんの目は絶対に届かない。普段なら気持ちよく汗を流すこの場所は標的を仕留めるのに格好の狩場なのだ。

「じゃあ、なんであの時、おめぇがあそこに居たんだよ!」

同時に彼の左の頬に張り手がとんだ。彼はグッとこらえると

「ごめんなさい、ごめんなさい、取ってないです」

と繰り返す。

「てめぇしかいねぇんだよ!」

そう言いながら中学生は彼の頭を掴んで湯舟の中に押し込んだ。彼は手足をバタバタともがき続ける。息のできない苦しさは尋常ではない。意識が遠のく間際にやっと水面に顔をだすことが許されるが、言葉を発する間もなくまたお湯の中に押し込められる。これが何度となく繰り返された。彼は顔を出した瞬間に獣のような叫びを発するが、すぐにその叫び声は湯舟の中に消えていく。僕は見ていられなくなってそのまま脱衣所に引き返した。この無抵抗で証拠のない尋問はしばらく続くだろう。僕にも経験があったからその結末はよくわかっている。彼はきっと取ってもいない物を『取りました』と泣きながら答えるだろう。そしてその物を絶対に捜しようもない場所に捨てたと説明するはずだ。実際には取ってない物だからその答えに信憑性をつけないとこの地獄からは抜け出せない。こうして『不条理な現実』と『助けは求めてはいけない事』『絶対服従の恐怖』がその小さな身体のうちから染み込まれていく。

『神様やヒーローはこの世には存在しない』




 八時から九時は勉強時間。学習室に集まって宿題やらをする時間だが、あまりまともにやっている子供はいなかった。それでも僕の成績はまだマシなほうだ。養護施設で育つ子供のなかには家庭環境の悪さから脳の発達が著しく遅い児童もいた。どこかの偉い大人の論文にあったように、その事実を僕は肌で感じて育った。成績のいい児童なんて一人も見かけなかったし、むしろ同学年から比べると知能が大幅に低い特別教室に通う児童も多くいたのだ。また、おねしょもその子供の家庭環境が大きく左右されると耳にしたことがあるが、施設でも夜尿症の子供は多かったし、実際に僕も中学二年生までおねしょが治らなかった。




 こうして養護施設の一日は何かしらの事件を繰り返し起こしながら過ぎていく。深く大きな闇を抱えた自覚の無い子供を量産していくのだ。

例えば僕と同じ歳の少年は、ある日同じクラスの女の子を何度も殴りつけるという事件を起こした。少年は普段から暴力的だったわけではなく何かを切っ掛けにして自覚のない怒りに襲われたのだろう。何かが欠落しているのだ。少年には二つ離れた兄がいたが、施設での団体という生活は兄弟という意識さえも無くなってしまう。血の通った関係という現実も本人には何のことなのか全く見当もつかない物でしかない。つまりこの少年はいじめられていた被害者でもあり、そしてまた加害者にもなってしまったのだ。幸にも少年の暴力は慢性化することはなかったが、一度おこした罪は消えることなくその存在をさらに孤立させたことだろう。また本人がこの事件を一生忘れられない苦い体験として生きていくことを思えば、その傷ははたしてどれだけ深いのだろうか。




 日曜日は朝食の後に寮の廊下のワックスがけが待っていた。掃き掃除の後に四つん這いになって水拭きをし、高校生がワックスを塗り、乾くのを待ってからまた四つん這いになって乾拭きをした。力を入れて磨かないと蹴りがとんでくるので必死になって磨いた。二時間ほどで終了すると今度は草むしり、日によってドブさらい、外壁掃除、窓ふきなど、週替わりでその課題を強いられた。まるで強制収容所にいるのかと思いそうなものだが、慣れのせいかただただ課題をこなすロボットになっていたのかもしれない。それに子供たちにとって何よりも恐ろしいのは教護院という施設だ。話によると養護施設で手に負えない児童が送られる最終更生施設と聞いていた。その噂は早朝から毎日十キロのマラソンがあり、前日のタイムを一秒でも遅れると厳しい処罰がある。など、事実かどうかはわからないがそういう噂がいつにまにか植え付けられていた。そこに比べればまだ全然マシという思いは誰の心にもあったのだろう。よく保母さんに反抗したり、言い訳すると

「教護院に入れるわよ!」

なんて脅されたものだ。



 

 日曜日の午後はスポーツだ。スポーツと言ってもみんなで仲良く楽しくボールを追いかける。なんてこととは大きくかけ離れていた。養護施設では年に何回か全国対抗や県内対抗といったスポーツ大会が催された。ドッジボール、ソフトボール、野球、バレーボールなんかが児童の男女、年齢別に参加が義務づけられていた。その練習は過酷なもので、男性の指導職員がコーチにあたるのだが、これがまさに殴る蹴るの地獄だった。通常の女性職員の保母さんは暴力は一切許されてないと聞いていたが、男性職員には許されていたのだ。練習の厳しさは高校生の部活動に匹敵するくらいのレベルは優にあった。部活動なら少なからず本人の意思があってのことだが、ここにはそれがなかった。実際僕は野球は苦手だったし、やりたいなんて気持ちはこれっぽちもなかった。嫌々ながら走らされていた苦痛を今でも憶えている。



 

 施設ではごく稀に脱走事件があった。気持ちはわからなくもない。片親や両親に問題を抱えた子供達がほとんどの中で、泣きつく場所を求めて無謀にも脱走するのである。すぐさま捜索隊が編成され上級生と一緒に夜の施設周辺に出される。誰もがもうこの辺りに居ないことはわかっている。ただの夜の散歩だ。この時間に寮の外にでることはこの時くらいだろう。僕は少しだけ自由になった気がしてその散歩を楽しんでいた。間違いなく数時間後には保護されて戻ってくるのだが、脱走する本人は本気で行動している場合が多い。最寄りの駅まではバスで三十分程かかる距離だが駅周辺で見つかることが多く、施設の周辺にいつまでもいることはまず考えられなかった。繰り返し脱走して教護院送りになった児童もいたし、自転車を盗み数十キロ近く離れた東京都内まで逃げた強者もいたのを覚えている。

『何かから逃げ出したかったし、何かにひどく怯えていた』 




 児童にとって何よりも待ち遠しいのが、親の面会である。頻度はその親によって異なるが、その一報が入れば誰もが跳びあがって喜んでいた。何よりも親に会える喜びは言葉には代えがたいものがあっただろうし、外出、外食、も許されていたのだ。みんなここぞとばかりにご馳走してもらい、行きたい場所に行って欲しいものをおねだりできるのだ。レコードやラジカセを買ってもらい、大喜びで帰ってくる児童の幸せそうな笑顔が見れるのはこの時くらいだろう。ただしお菓子の様な飲食物は保母さんに見つかると取られてしまう。自由な飲食は許されていないからだ。

 僕と彼には面会に来る人が誰もいなかった。

『羨ましい』

その心がどれだけ僕の胸を苦しめただろう。

 その日の夜、親が帰ってしまった後の寂しさはかなり大きい。布団の中で泣きわめく児童も少なくなかった。

『やはり、親の大きな存在は何にも代えがたいのだろう』 




 どんなに思い出したくない過去のなかでも楽しかったという記憶はそれはまた別物として残っている。実際、施設では年に何度か楽しい行事もあった。初めて遊園地という夢の世界に行ったことは今でもよく覚えている。楽しかったことに間違いはないのだが、どちらかというと拍子抜けした記憶の方が強い。僕は初めてジェットコースターという乗り物に挑戦してみた。彼と一緒にドキドキしながら列に並び、発進してからガタゴトとゆっくりと急な坂を上っていく間や、その頂点に達した時の高さと興奮は心臓が爆発するかと思ったくらいだ。最初の落下はそのスピードとお尻が浮いて飛び出されそうになる身体に必死に目の前の安全バーを握りしめた。しかしどうしたことだろうか。その後はどんなに揺れようが、ぐるりと一回転しようが全く何も感じなくなってしまった。自分の中だけは時間がとまったように周りの景色も地面に生い茂る草花も鮮明に映って見えた。スピードという恐怖は全くと言っていいほど無く、むしろ非常に冷静に客観的に滑走するその先の線路を見据えていた。顔面に当たる風こそは強く激しくはあるものの、この場で習字をしろと言われれば僕は何の障害もなくへたくそでもしっかりとした課題どうりの文字を書けるだろう。興奮冷めやらぬ声を上げながら降りていくみんなの姿を見ながら僕は思った。

『僕にも感情の何かが欠如しているのだろうか?』




 一九八六年 冬


 時間の流れがゆっくりと時計の針を動かしていくお正月。三が日は殆どの児童が親元への帰省が許可され、寮には数人の児童しか残っていない。身体に刺さる寒さはより一層その静けさと寂しさを際立たせる。僕も彼もそんな寮にとり残されている中の一人だった。

中学生にもなっていたし、毎年のことだったが僕はこの正月とお盆が大嫌いだった。




 一月二日、思いもよらない訪問者が現れた。

「みんな、元気にしてたかぁ?」

去年、施設を卒業して社会にでた先輩だ。先輩は中学を卒業後、都内にある小さな町工場に就職し住み込みで働いていると聞いていた。

「お菓子買ってきたからな、みんなで食おうぜ」

お正月に帰省できない児童を思ってか、それとも施設が懐かしくてなのかは定かではないが、わざわざ東京からやってきたのだ。一足先に自由の身になった先輩には聞いてみたいことが山程ある。僕も彼も何度も先輩には殴られてきたが不思議とそのころの面影は無く、その顔は満面の笑みと優しさが溢れていた。先輩の着ているジャンパーの裾をみんなで掴んで離さなかった。

「好きなもの食べられるんでしょ?すごいよね、いいなぁ」

「ねぇ、ねぇ、おもちゃもいっぱい買えるんでしょ?」

同時に話しかけるから先輩も大変だ。

「そうだな、ヤクルトも飲み放題だぞぉ!」

施設の朝食でたまにでるヤクルトは児童には貴重だった。水やお茶以外は口にすることがないし、一人一本しか配られない為、一度でいいからヤクルトをおなかいっぱい飲んでみたいと誰もが夢みていた。その時だった。先輩の手袋をした右手を握った彼が突然その手を突き離した。まるで恐ろしい物でも触れてしまったかの様に恐怖におののいている。見開いた彼のその目は僕を直視していた。不思議に思うと特に何も考えることなく僕は先輩のその右手を掴んだ。そしてその瞬間、彼がどうして手を突き放したかが理解できた。先輩の右手にあるはずの中指と薬指が無かったのだ。手袋の指は掴むと申し訳なさそうに潰れた。

『間違いない。指が無いんだ』

彼は無言で佇んでいる。先輩は気づかれたことを悟ったのかそそくさと右手をジャンパーのポケットにしまい込んだ。

「後で教えるからな」

先輩は僕の耳元でそっと囁くと、すぐにまた笑顔に戻りみんなの質問攻めに合っていた。僕は彼と一緒にその場を離れ自分の部屋に戻った。何かわからないが、何かが僕たちの心を叩き潰した。何も言葉にしない彼と僕の間に無音の時間が流れていった。

 実際に先輩から直接話しを聞けたのは幼児と小学生が寝た後だった。

「最初によ、こっちの指を挟んじまってよ、その後こっちの指も挟んじまったんだよ」

先輩は無くなってしまった指を眺めながら話していた。僕と彼は無言で頷いていた。

「仕事だからな、しょうがねぇよ」

微笑んでいるその顔からはどうしようもない悲しみしか感じ取れなかった。先輩は工場の大きなプレス機で誤って中指を潰してしまい、大ケガをして、さらに数か月後、同じように薬指まで潰してしまっていたのだ。病院代は会社がだしてくれたと言っていた。指が二本もなくなるなんて想像もしたことがない。あんなに近くにいて、時にその拳を僕に振り上げた先輩の右手はもう無いのだ。大きな虚しさと無力感が僕を襲った。普通なら、あれだけ力という権力を使って何度も痛い目に合わされてきたのだから自業自得とでも思うところだろう。だがあまりにも事の重大さが大きすぎて、同情という言葉すら忘れていた。理由のわからない涙があることを初めて知り、そしてこらえていた。隣を見ると、彼も同じだった。

 先輩はその日のうちに帰っていった。施設に卒業生が来ることは稀にあったが、そのほとんどが長居することがなかった。児童は自分より強い立場の人間を嫌う傾向が強いし、職員からの叱咤激励もトラウマでしかなかったのだ。さらに長居すれば失敗者の烙印を押される。失敗していなくても周りからはそう思われるのだ。卒業生が来ていこごちのいい環境なんてどこにもなかった。実際、卒業してから顔をだす人はほとんどいない。他に職員の入れ替わりが早すぎて、来ても知っている保母さんがもうすでにいないということ理由の一つである。




 二月に入った頃、一月と二月生まれの児童の誕生会が開かれた。寮にいる三十人の児童が学習室に集まり夕食をとる。いつも食堂で食べている食事が寮に運ばれただけで、ただ単に食べる場所が変わるだけだ。違うことと言えば寮のみんなで誕生日の唄を歌うことぐらいだろう。

 僕は一月生まれということだった。彼も一緒だ。僕はこの誕生日というものが激しく嫌いだった。

『なんで、生まれてくる必要のなかった人間が生まれてきておめでたいのか?』 

誰かわかるように説明してほしい。僕には全く理解できないし、作り笑いを強制させられ続けるこの時間はひどく苦痛でしかなかった。もちろん嬉しくもないし、唄の歌詞や保母さんの笑顔は嫌悪感すら感じる。こういうのは歓迎されて生まれてきた人にだけ相応しいものであって、僕のような生まれてきちゃいけなかった人間には残酷でしかないのだ。毎年、毎年が嫌で嫌で仕方なかった。小さい頃から感じているこの疑問は幾つになっても解決されることはないのだろう。周りの声に

「ありがとう、ありがとう」

と笑顔で答えている彼は本当はどう思っているのだろうか。




 こうして月日は流れていき、僕もいつのまにか中学生になっていた。

 中学生になると洗濯は自分でしなければならない。僕は溜まった洗濯物を洗濯機に放り込んでいると、彼が嬉しそうに僕の背中をたたいた。

「俺さぁ、両想いなんだよね」

「なにが?」

僕はそう聞きながら洗濯物の中から靴下だけを取り出した。靴下は洗濯板で手洗いすることと決まっていたからだ。

「だから、両想いだったんだよ」

彼はクラスの女の子と付き合い始めたのだ。休み時間になると彼はその女の子と二人で、しょっちゅう楽しそうにお喋りしていたし、仲がいいところを見かけることも何度かあった。正直、今更驚きもしなかった。彼女はかわいい子だ。僕から見ても緊張するくらいだ。

僕は嬉しかった。彼が楽しそうに、幸せそうにしていると何故か自分のことのように感じたし、まるで僕に彼女ができた気分になれるからだ。ずっとずっとそんな二人をみていたいと心から思った。

 しかし翌日からクラスで二人が話している場面をみかけなくなった。休み時間になってもお互いに近寄ることなく、だんまりだ。

『喧嘩でもしたのだろうか?』

僕は彼にこっそり聞いてみることにした。

「どうしたの?なんで話しかけないの?」

彼からは思いがけない返事が返ってきた。

「実はさぁ、両想いってわっかたらなんか恥ずかしくて、怖くて、喋れなくなっちゃったんだよね。顔もみれないし、目なんて合わせられないよぉ、もう何日も話してないんだよぉ。どうしよう。」

珍しく困った顔する彼に何も言えなかった。なにせ僕自身そんな経験なんてしたことないからその気持ちもいまいちよくわからないし、どうすることもできなかったのだ。ただこの場合、彼が言う怖さとは一般に恋愛で傷つく怖さとはおそらく違っている。彼も自分が一般の普通の家庭で育っていないことに後ろめたさを感じているのだ。だから人と仲良くなれるかどうかが怖いのだ。そこに恋愛が絡めばその恐怖は計り知れない。

『恋愛って何なのだろうか。そもそも僕たち施設の人間が恋愛なんてしていいのだろうか。ちゃんと成立するはずがない。』




 彼は中学生になってから持っている自身の才能を発揮することが多くあった。クラスで発言するようになったり、文化祭があれば全校生徒の前で臆することなく一人で歌を歌いながら盛り上げ、演劇部では主役を張り、その演技たるや堂々としたものだった。さらにいつのまにかドラムが叩けるようになっていたり、応援団で太鼓を務め、花形の応援団長よりも人気があったほどだ。彼のことを好きだという女の子の噂もちらほら耳にした。僕はそんな彼を影で応援していた。いつも自分のことのように思えて嬉しかった。

 舞台が終わって数日経った頃、彼は地元の劇団にスカウトされた。文化祭でたまたま来ていた劇団の演出家が彼の演技にひとめぼれしたということだった。何度か学校にまでわざわざ彼を訪れ、劇団に入って欲しいという旨を彼に伝えに来た。もしかしたら彼の才能が大きく花開くかもしれない大チャンスだ。しかし残念ながら実現することはなかった。それはそうだろう。僕たちは養護施設の人間だし、そんなことは許されるはずはないのだから。




 毎週土曜日の夜七時から八時は反省会が行われる。テレビの時間はない。寮の児童全員が六畳の幼児室に集まり、並んで正座する。「黙とう」

高校生の一言で反省会が始まる。名前を呼ばれた児童は一週間の反省と来週の抱負を言わなければならない。幼児から順番に廻ってくるのだが、高校生は提出用に発言を全てノートに記録している。もし、先週と同じ反省や目標を言おうものなら容赦なく鉄拳制裁だ。途中で足を崩すことも目を開けることも、もちろん居眠りなんて絶対許されていない。全員が終わると保母さんを呼びに行き、クドクドとお小言がはじまる。四〇分程度で終了するのだが、これが苦痛でしかなかった。何の為にやっているのかさえわからなかった。物心つく前からの習慣とは怖いものだ。植え付けられた恐怖は疑問の声をも塞いでしまう。




 施設には、年に数回カンサという行事があった。十日ほど続くその行事は恐ろしいもので、こればかりは何度繰り返しても好きにはなれず地獄のような十日間だった。とにかくただひたすらに掃除し続けるのだ。早朝五時には起床して食事と学校以外は全ての時間を清掃時間に割り当てられた。陽が沈むと投光器を設置し外壁という外壁を小さなたわしでゴシゴシと洗った。施設内の隅から隅までをとにかく丹念に掃除するこの作業は、夏であれば照り返す猛暑の中で汗だくになりながら草をむしり、雪の降る夜は凍えながら窓を拭いた。寒さと冷たさで手はあかぎれがひどく、しもやけで赤く腫れあがっていた。辛い痛みとの闘いだった。お風呂場の水道からトイレのタイルの一枚一枚まで、廊下の壁から天井まで。ありとあらゆる場所を徹底してきれいにすることが求められた。掃除用具はほうきとたわしと雑巾のみで何をするにも素手だったし、薄着だった。まるで何かに捕りつかれたかのようだった。



 

 一九八七年 夏


 蝉の鳴声がより一層日差しの強さに拍車をかけ、青々とした木々の葉がそれを反射させては拡散させていく。

 施設には小さなプールがあり、ニ、三回入る事ができた。もちろん職員が必ず二名以上は常に監視しており、事故が無いように徹底されていた。プールの時間はかなり自由に遊ぶことが許されていた。小学生から中学生までそれぞれが楽しく水遊びや水泳の練習ができた。長さは十メートルで深さは一メートルくらいだろうか。夏休みでも施設の外にでることが許されていない児童にとっては数少ない娯楽の時間だ。僕は泳ぎ着かれてプールから上がりどこかに座って休憩しようかと思っていたときだった。二人の小学生の女の子が近くではしゃぎながら追いかけっこをしていた。一人は低学年の女の子。あどけない笑顔でキャッキャッと叫びながら追いかけられてくる。追っているのはその子よりは少し年上の高学年くらいの女の子だ。食堂で何度か見かけたことがある隣の寮の子たちだ。

「やだ、やだ」

低学年の女の子が僕の後ろに廻り、助けてと言わんばかりに僕を突き出した。濡れた髪の毛を振り回しながらはしゃぐ二人は透明で純粋な笑顔に満ち溢れていた。僕はその二人の無邪気さに嬉しくなっった。

「そんなにふざけてたら怒られちゃうぞぉ」

と言いながら逃げてきた女の子をかばうように手を広げた。半分冗談で半分は一応本当の事だ。僕はもう中学三年生だし、今このプールにいる児童の中では間違いなく一番年上だった。プールサイドであんまり派手にはしゃげば注意されるだろう。僕がこの歳になった頃には上級生による残虐ないじめや暴力はかなり減少していた。僕はそういう事を良しとしなかったし、学校で人気者の彼も必ず弱い立場の児童を守っていた。寮では以前と比べて児童の泣き叫ぶ悲鳴や鼻血をだすような光景をみかけることが無くなりつつあった。支配されてきた時代は僕たちが見守っていく時代へと変わってきたのだ。そういう意味ではプールサイドではしゃぐこの二人の女の子を注意しなくてはいけない立場でもある。でもそれは怒鳴り声や暴力では無く優しく言い聞かせることだ。それにこんなに明るくて素敵な笑い声を冷たい一声でかき消すのは心苦しかったし、できればずっと見ていたかったぐらいだ。二人の女の子はついに僕を挟んで掴み合い、それでもその小さな手はお互いを離そうとせずにいて、三人はまるで絡み合った植物のツルの様な状態だ。さすがにこれ以上放っておくと滑って怪我する可能性もあったので、上級生の女の子を捕まえると

「はい、もう終わり、終わりだよ、怒られちゃうぞ」

と言い聞かせた。上級生の女の子を止める方が丸く収まりがつき、この場も落ち着くだろうと思ったのだ。しかし、落ち着く様子は全然なかった。一度火が付いた二人は楽しくて楽しくてしょうがないのだろう。甲高い二人の声が僕の前と後ろで鳴りやむ気配がない。

仕方ないと判断した僕は上級生の女の子の脇腹を捕まえてくすぐる手段にでた。かるいお仕置きみたいなものだ。上級生の女の子は大きな声を上げて笑いながら

「わかった、わかった、もう終わりにするよぉ」

と涙目で訴えてきた。二人は肩で息をしながらその場に座り込むと、またお互いの顔を見合わせて笑い出した。僕も笑っていた。のどかな午後のほんの小さな幸せの一場面だった。




 今まではそう深く考えてこなかった『進路』というものに向き合わなくてはいけない時期に差し掛かっていた。施設から高校に通うことができるのは毎年数人枠しか無く、県立高校に限られていて、その選考は施設全職員の会議に委ねられていた。今年中学を卒業するのは十三名。おそらくそのうち受験できるのは三名か四名、残りはどんなに成績が良くても就職の道を選ばなくてはならない。僕は複雑だった。この施設を一日でも早く出て自由の身になりたくて仕方なかったのだ。卒業すれば好きな時に好きなことができる大きな特典がついてくるのだ。しかし、進学したい希望があることもまた事実だ。高校までは絶対に卒業したほうがいいと散々周囲の大人には言われてきたし、自分でもそれはよく分かっていた。学校の同級生はほぼ全員が進学のための受験勉強をしていたし、成績も悪くはなかったからだ。中学を卒業して就職していく卒業生と高校卒業の看板を持って就職するのとでは、その就職先の会社名に大きな違いがあったのが気になっていた。なぜならばこのまま就職した場合は〇〇工場とか○○製作所といった小さな工場が多く、もちろん寮に住み込みといった選択肢しか残されていないのだ。僕にとっては究極の選択が迫られていた。中学一年生のクラスがまるごとファンクラブになっているというまでに人気がある彼は一体どうするのだろうか?まだそんな話はしてない。もしかしたら彼も僕と同じように決められずにいるのだろう。

『どっちにしても職員会議の結果を待つしかないし、進路を自分の意思で決めることはできない』




 プールで隣の寮の二人の女の子に絡まれて、ふざけた翌日、僕は寮の職員室に呼び出された。呼びに来た保母さんの表情が重々しく、何か悪い予感を感じながらその保母さんの後に続いて職員室に入った。職員室といっても六畳くらいの部屋で、そこには一台の机と当直用にベットに変わるソファがあり、テーブルが真ん中に一台あるだけの小さな部屋だ。しかし今日のこの場にはこの寮に携わる寮長の保母さんを筆頭に全保母さん七名と男性指導職員一名が立っていた。指導員に至っては腕を組んですごい形相で僕を睨みつけている。

『何かあったのだろうか?』

自分では全く身に覚えがないし、実際、保母さんに叱られることなんて最近はほとんど無い。

「昨日、プールで自分が何をしたのか、自分の口から正直に言いなさい!」

寮長の口から放たれたその声は、興奮を隠せず怒りに震えていた。僕は面食らった。昨日プールで何をしたのかという質問の意味がよくわからない。寮の職員が全員揃ってまで呼び出すほどの事件があったのならば、間違いなく僕の記憶に残っているだろう。つまり自覚が無いわけがない。念のためもう一度記憶を辿ってみたが、何のことやら検討もつかなかった。

「自分でやっておいて、わからないわけないでしょ!はっきり言いなさいよ!自分の口で!黙ってたって通用しないからね!」

困った。この激昂ぶりはただ事ではない。

「何?何もしてないけど」

僕はかなり怪訝そうに答えた。いきなり連れてこられたと思えば理解に苦しむ自供を迫られているのだ。だんだん腹立たしくなってきた。そう思いながらももう一度考えてみる。少し変わった事があったと言えば、僕を挟んでふざけていたあの二人の女の子たちのことぐらいだろうか。静まり返り、ピンと張り詰めた空気が僕の周囲をみるみる凍らせていく。

「何もしてねぇよ!何かあるならはっきり言えばいいじゃねぇかよ、なんだよ、意味わかんねえよ!」

これも逆切れと呼ぶのだろうか?しかし、こんな自供を強要されても時間の無駄でしかない。

「じゃあ、プールで隣の寮の女の子にはなにもしてないって言うの?」

やはりあの時のことか。でもこんなに咎められる様なことは一切していない。僕はその時の一部始終を話すことにした。何かの誤解かもしれない。職員に疑われて責められ、実は違ったなんてことはよくある事だし、どうやらこの大人たちはまたありもしない事を大げさに取り上げ正義や教育だという建前を武器に間違った行いを犯そうとしている。それがあたかも本人にとって最善の解決策とでも言わんばかりに押し付けてくる。うんざりだ。僕は説明を終えると堂々と胸を張った。

『大人の間違えを正してやる』

そんな僕の意思に逆らってその言葉は返ってきた。

「それだけ?それだけじゃないでしょ!あんたね!自分が何をしたかわかってんの!」

いや、わかってない。わかるはずがない。あの後、三人で笑っていたし誰かが怪我をしたわけでもなく泣いてもいない。

「マジでわかんないんだけど」

もう怒りを通り越してその大人の過ちとやらを諭してやりたい気分だ。

「じゃあ、言うわね。隣の寮の女の子が職員に話してきたそうよ」

『何を?』

ますます疑問は深まるばかりだ。

「あの時、あんたに股間をさわられたって!どういう意味かわかる?あんな小さな女の子が恥ずかしさを我慢してまで言ってきたのよ!それがどういうことだかわかってないようね!汚らわしい!男だったら正直に自分から言いなさいよ!何を僕は何もしていませんみたいにひょうひょうとしているのよ!言わなければわからないとでも思ったの!あんた人間じゃないわよ!」

怒号が飛ぶその言葉を耳にしながら僕は大きな怒りで狂いそうになった。

「してねぇよ!そんなこと!」

まさかのまさかだった。もちろんそんなことは一切していないし、人から疑われるのにもその内容にもよって大きく変わってくる。こんな言いがかりは許されない。職員の信用なんて一つも欲しくない。もともと信頼関係なんて一ミリも無いのだ。そんなことはどうだっていい。問題はそういうことじゃない。

「あんたねぇ、本人が触れたって言ってるのに、してないわけないじゃない!どの口が平然とそんなこと言えるのよ!」

これはたまらない。

「いや、もしかしたら何かの拍子で手が当たってしまった可能性はあるかもしれないけど、そんなこと俺がするわけないでしょ!」

「まだ言い訳するつもりなの!どういう神経してるのよ!」

何がどうなってるのか全く出口が見えない。これではいくら『やってない』と主張しても、それを証明するものが何もない。あるのは僅かに残っているであろう僕自身の人間性だ。この施設で何年も何年も我慢に我慢を重ねて積み上げてきたものだ。

 押し問答は一時間以上に及んだ。指導職員には強いビンタを二発喰らい、どんなに胸ぐらを掴まれて引っ張られても僕はこの僕の人間性を信じてくれる何かがあるだろうと思っていた。その時だった。テーブルの上にある一本のボールペンが目に入った。

『いっそ、このボールペンで自分の左手を思いっきり刺してやる!身体なんてどうだっていい!自分の無実を証明してやる!絶対にやってないということを!このクソ汚い大人たちに身を持って償わせてやる!」

僕は八人の大人たちを睨みつけてた。本気だった。迷いの欠片もなかった。しかしこんなにも熱くなった僕の憤りは一瞬にして冷めてしまった。それは保母さんたちの目だ。冷たく刺すようなその視線は僕の人間性を根本から否定し、ここにある最低で最悪のものを見下していた。八人のその尖った刃は僕の心と身体を八つ裂きにした。熱くなった僕の心を冷まし、凍らせて砕け散るにはあまりあるほど充分だった。どんな重工な鈍器で何度となく殴られるよりも全身に激痛が走った。

『信用なんてこの世には無い。自分が主張することなど許される立場では無い』

それでも僕は最後まで認めなかった。それは僕の中にある何かがそれだけは拒みつづけたからだ。何もかも失ってでも決して捨ててはいけないものがそこにはあった。それが何ののかはわからない。

結局そのまま寮長に連れられて隣の寮まで謝りに行った。上級生の女の子が保母さんに連れられて出てきたが、ずっとうつむいたままでその顔を見ることはなかった。僕は丁寧に謝って頭を下げた。

『あの時、三人で笑った笑顔は本物だ。どんな事があったにしても、あの笑顔だけは嘘をつかない。あれは真実の笑顔なのだから』

 夜、布団に入った僕はただひたすらに泣いた。声を押し殺し身体の震えをこらえた。

『彼の耳にもこの事件は伝わっているのだろうか?彼にだけは絶対に知られたくない。彼は僕の人間性を信じてくれる唯一の光なんだ。絶対に失うわけにはいかないんだ』




 数日が経ったある日、いつかの正月に遊びに来た先輩がまた寮に来ていた。今度はみんなの前に顔をだすこともなく夕方から職員室に入ったきり出てくる気配がない。今日はたしか寮長が来ていたはず。何か大事な話でもしているのだろうか。気になっていたがプールの事件以降僕は誰一人職員とは口をきいていない。それに職員室のドアは閉められていて中からはなんだか重い空気が漂ってくるのを感じた。夜の八時を過ぎた頃、先輩は職員の車で駅まで送ってもらい帰ったらしい。

 後日、関係する保母さんから彼が話を聞いたというので教えてもらった。

 先輩は事故で右手の指を二本失っている。本来であれば就職して一年後には定時制高校に通わせてもらえる話になっていたそうだ。しかし、その時の治療代を毎月給料から支払い続けている事やペンを持つ事が困難になってしまった事などの理由から定時制の通学を許可してもらえなくなり断念せざるえない状況だったらしい。また、嘘か本当かお給料もごまかされていてまともにもらえてなかったらしい。自暴自棄になりおそらくは精神的にかなり不安定な状態が続き、仕事を休みがちになり、施設に相談しにきたとの事だった。結局、施設はどうするわけでもなく話を聞いて帰したという事だ。

 しばらくして先輩は仕事場とその併設された寮から何も持たずに行方不明になったという話を耳にした。行く先などあるのだろうか?




 数か月後、先輩が自殺したという噂が流れた。ただの噂だったらいいのだけれど、僕の心にまたひとつ目には見えない大きな傷がついた。




 就職するか進学するかが決まった。保母さんから伝えられたその結果は、

「就職して、希望があれば定時制高校に通いなさい」

との事だった。施設から高校に進学することは許可されなかった。数か月後には自由な生活が約束されたという喜びは何故か少なく、複雑な心境が続いた。先日の先輩の話も聞いていたし不安でしかなかった。

『普通の家庭に生まれていたら』

と思うと切なくて苦しかった。

 同日、彼も同じことを言われた事を知る。

『僕らは自分で未来を選べる権利がない。せめて誰から見られてもわからない一般で普通の人になりたい。それが僕の夢だ』




 いつもより少し早めに夕食から戻った僕と彼は、幼児部屋のテレビをつけた。何やらリポーターが山道を登り、登山道を紹介している。二人で何気なくテレビを見ていた時彼は急につぶやいた。

「こんなところで死んだら誰にもみつからないんだろうな」

確かにその山道のすぐ横には昼間なのに暗く、深々と生い茂る森が見える。その映し出された光景よりも、彼の言葉の方が気になった。僕は何も言えずにテレビを眺めた。その後の内容は全く頭に入ってこなかった。




 東京都内に全寮制の高校がある事を全国の高校が記載されている本で偶然見つける。僕は彼と相談して何とかこの高校に進学することはできないかと考える。もし入試を受けることができたとしても倍率は四〇〇倍を超えている。東京都以外の中学から入学するのは不可能に近かった。しかし、僕と彼はあきらめなかった。二人の力を合わせてまずは願書を出す許可と、入試の際の宿泊、制服や教材費、学費など山程ある問題をどうするかという困難に立ち向かい大人を説得しなければならない。

『この日から僕たちの戦いは始まった』






一九八八年 春


〝歴史は繰り返される〟と言われているが、その現実に反旗を翻し、疾風の如く剣を振るう戦士は、鍛えあげられた腕に落ちる汗をも溶かし、巨大な怪物に立ち向かっていく。勝敗は一瞬の審判に委ねられ、切り付けられた胸の傷が吉とでるか凶とでるかは大きな賭けだ。それでも勝利を勝ち取った暁には平穏と未来というかけがえのない日々が約束される。聖地への大きな扉も開かれるのだろう。そう信じて戦うのだ。

 僕と彼は様々な困難と襲い掛かる歴史の高波を乗り越え、目的地である聖地に辿り着いた。大袈裟ではなく奇跡に近い革命を成し遂げたのだ。施設から自力で高校に進学した話は過去に聞いた事がない。全寮制高校の入寮日に迎えた何とも言えない解放感は、『普通の人、一般の人』になれたという証だった。もうどこからどう見ても、その辺りを歩く人達と区別はつかない。『施設にいる児童』という足枷はもうこの足には無いのだ。

『これが自由というものか、なんて素晴らしいことだ』

 寮生活ということに変わりはないが、これからは自由という時間がある。時間に制限はあるものの外出も外泊もできる。生徒全員が同じ条件で共同生活をするわけだから後ろめたさに苦しめられる必要はないのだ。テレビが無い事や個人スペースの少なさなんて微塵も抵抗を感じなかった。そして自動販売機という発明を密かに絶賛していた。



 

 同年 五月


 高校生活は順調だった。彼は彼なりに楽しんでいる様子だし、僕にも友人ができた。毎日、授業の休み時間や消灯時間まで馬鹿な事を繰り返し、くだらない会話で盛り上がった。同じ釜の飯を喰い、よく笑った。

 ただ一つ大きな問題があった。日用品や好きな物が欲しい時に日本全国共通のお金という物が必要になるのだ。施設から受け取ったお金は入学時の教材と学生服に変わった。仕送りという便利な制度も僕の憲法には記載されていない。アルバイトという道を検討しなければ、このままだと髪を洗うことも洗濯することも出来なくなる。それにせっかく自由の身になったんだから漫画や雑誌くらいは手にいれたい。ヤクルトを腹いっぱい飲む夢も叶えなくては。

 平日の外出時間は放課後から二時間程度。外泊は土曜日の午後から日曜日の夕方までという規則を考えると、平日にアルバイトする事はまず無理に等しい。外泊の時間をうまく利用できないものかと買ってきたアルバイト雑誌に目を通したが、何回見ても条件にあった仕事は見つからない。交通費や食費を考えると日払いが可能で短時間勤務。それに高校生可。ということになる。三冊の求人雑誌と揉み合いながらなんとか条件をクリアした募集を見つけることができた。が、肝心な事を忘れていた。

『泊まる家がない!』




 三連休が近づくと僕は焦っていた。何とかこの連休で仕事を見つけないと授業で使うノートも買えなくなってしまう。そんな時、仲の良い友人から思いがけない誘いを受ける。

「なぁ、俺、連休の三日間引っ越しのバイトするんだけど一緒にやんない?」

「引っ越し?」

『できることならそうしたい願望は強い』

「うちの親父の知り合いが引っ越しの運転手しててさ、親父がそこで働けって言うんだよね。履歴書いらないし、その日終わったら全額もらえるらしいよ。当日ハンコだけ持ってくればいいって。どうする?」

しかし、外泊届けを出さないと仕事はできないし、寮を出たら泊まる所が無い。施設で育ったことは誰にも言って無かった。せっかく普通の人になれたのに自らその肩書を失う発言をする理由がない。それに過去の経験から、自分が身の上を話すと相手に気まずい思いをさせてしまう。ということをよく理解していた。

例えば相手が悪意無く、むしろ僕との距離を近づけようとして『実家どこ?』と聞いてきた時、正直に『実家が無い』なんて答えてしまうとその場の雰囲気はガラリと変わって、まるでお葬式のように沈んでしまう。相手は『悪いことを聞いてしまった』と苦い表情を浮かべ言葉を失うし、僕はそれを見て申し訳ない気持ちでいっぱいになり、何か太い針が心臓の裏に刺さったような気持ちになる。僕はその相手の表情にはひどく敏感だったし、お互いに良いことが全く無いのだ。悩んでいる僕を見て友人は言った。

「やるよな。俺も一人じゃ嫌なんだよ。ずっと寮にいるって言ってただろ。一緒にやろうぜ」

何も知らない友人のその言葉は、いい意味で友情の証明を促していた。こんな僕に『俺たち仲間だよな』って言ってくれてるのだ。断るなんてできなかった。

「いいよ、一緒に行こうぜ」

泊まる所が無い。なんてとても言えない。後で断る理由を探すしかないと思った。友人には悪いが寮にいるしかないのだから。

「よっしゃ、決まりだな。じゃあ、朝早いから俺ん家に泊まって一緒に行こうぜ。遅刻したらマジでやべぇからよ。親父の顔潰すわけにもいかねぇし。どうせなら三日間泊まってお互い起こし合おうぜ。連休に家帰るって親に言ってないんだろ?」

涙を流す事ができたら一生分泣いていたかも知れない。

『こいつは神だ!』




 友人の家の両親は快く僕を迎えてくれた。一人っ子の息子が友達を連れてきた事が何より嬉しいのだろう。母親は笑顔で

「ごめんなさいね、こんな家で。ありがとね、こんなバカの友達になってくれて。困ったら何でも言ってね」

と謙遜しながら何度も頭を下げてくれた。友人はそんな母親を呆れた顔で無視しながら、自分の部屋に案内してくれた。マンションの一室で襖を開けるとそこにはすでにお客様用の布団が用意されていた。生活感があるリビングとは違ってこの部屋は時間が止まっていたかの様な空気がある。友人が寮にいる時はあまり出入りすることもないのだろう。しかしきちんと整理整頓されていて清潔感があった。多分、僕が泊まりにくることを聞かされて母親が掃除したに違いない。こいつはこんなに綺麗好きじゃないし、整頓するタイプでもない。そこに『母親の愛情』という漠然とした何かを生まれて初めて感じた。僕はとりあえず三日分の着替えを入れた少し大きめのスポーツバックを床に置くと、その場に座った。しばらく二人で明日からの仕事の内容を予想しながら話しているとリビングから母親の声がした。

「ご飯、用意できたわよ」

僕は友人と目を合わせると立ち上がった。

 夕食は、母親がどれも腕によりをかけた品々で豪勢極まりなかった。唐揚げとエビフライがテーブルの真ん中に大皿で盛り付けられていて、色とりどりの野菜がサラダボウルの中で光っていた。他にも幾つかの料理が並んでいてまるで一大行事だ。いつの間に帰宅したのか父親はすでに座ってビールを手酌で嗜んでいる。僕は友人に促されて椅子に座ると、かるい自己紹介をして頭を下げた。僕の前には綺麗な白い取り皿が用意されていて、その上にお客様用の豪華な箸が揃えてある。

「ご飯いっぱい食べるわよね」

と言って母親が茶碗に大盛のご飯と味噌汁をよそってくれた。

「遠慮しないで沢山食べてください」

父親は少し赤い顔して丁寧に言葉をかけてくれた。

『なんて幸せなことなのだろう』

もちろん普段からこんな豪勢な食事をしているわけはない。僕と友人の為に奮発して準備してくれたのだろう。何より母親がいて、父親がいる。一家団欒という素晴らしい世界を僕が経験しているのだ。それだけでお腹いっぱいだ。

『人になる。ってこんなに幸せなんだ』僕の胸に何かグッと込み上げてくるものがあった。

友人は

「いただきまぁす!」

と言ったと同時に唐揚げにかぶりついた。僕も小さくお辞儀しながら後を追う様に唐揚げに箸を伸ばした。母親の手作りの料理という物の美味しさが口の中で爆発した。愛情のこもった料理は味が違うと聞いたことがあるが、こんなにも変わるものなのだろうか。しかしどうしたことだろう?唐揚げを一つ食べ終えると僕の手は止まった。何か恐怖にも似た重い圧力が身体中に押しかかり動けない。なんだろう。間違いなく心臓が震えているのが分かる。幼い頃、上級生に詰め寄られたあの感覚だ。僕がこの状況を理解するのにそう時間はかからなかった。

『怖い!』

僕は怯えているのだ。唐揚げに箸を伸ばしたのは、隣にいる友人が始めに唐揚げを食べたからだ。僕は無意識に真似をしたのだ。では次にどうすればいいのか。何が正しいのか。どれが正解なのか。全くわからない。家族の食卓というものを知らない僕は、次に何を食べればいいのかさえ分からないのだ。恐怖はそれだけではなかった。身体が凍り付いた僕に気を使ったのか父親が話しかけてきた。

「ご両親は何をされてる方なんですか?」

この状況にこの質問は、痙攣した心臓に釘を打ち込まれたようなものだ。だが父親に悪意は無い。とりあえず食事より先にこの難題に返答しなければならない。

「サ、サラリーマンです」

間違いなく挙動不審だ。目が泳いだのが自分でも分かった。嘘をついた僕の心が罪悪感とストレスで溢れそうになる。なんてことだ。『箸を持った手を動かして料理を口に運ぶ』という今にも崩れそうな崖の中腹で岩にしがみつきながら『一家団欒の楽しい会話』という相当に重い荷物を引き上げなければならない。『悪意の無い質問』という大きな落石を交わしながら『笑顔』という杭も幾つか打ち込まなければならない。もちろん命綱なんてしていないし、どの岩の隙間に自分の足を掛けていいのかさえわからない。頂上ははるか高い雲の上だし、下は数百メートルもある。しかも意識の無くなった友人が僕の左手ひとつに運命をゆだねられている。落ちれば友人の命も無くなってしまう。

「早く喰えよ」

今度は友人の一言が豪雨となって襲い掛かってきた。もう雷の音も轟音となって大気を震わせている。叫ぶこともできないし、誰も助けには来ない。絶対絶命とはこういうことを言うのだろうか。

 僕は唐揚げを四つ食べながらよそってもらったご飯を全部食べて箸を置いた。結局何を話していいのかも分からず会話することもできなかったし、他の料理には一切手を付けられなかった。母親はさぞ悲しかっただろう。せっかくの料理を一口も口にしないなんて、なんて失礼な子供だと父親は思っただろう。普通に当たり前のことが僕には出来なかった。分からなかった。簡単なことが難関だった。友人がいなければきっと崖から飛び降りていたかもしれない。どちらにしても友人の両親をひどく傷つけたことに変わりはない。

『人の痛みというものには誰よりも敏感なはずなのに、目には見えない大きな格差と無知な自分が、結局人を強く傷つけている』




 引っ越しの仕事は大変だった。重いダンボールを持って階段を昇り降りし、さらに重い家具を持って運んだ。仕事とはこういうものかと学ばせてもらった。施設の草むしりとは違う神聖な何かを感じた。昼食はみんなで牛丼屋に入った。生まれて初めて食べたその味と、生卵をかけるという大胆な食べ方に驚きを隠せなかった。

『美味い!』

夕方に仕事が終わると、事務所で伝票に名前と印鑑を押し、事務員のお姉さんに渡すとお給料が貰えた。これもまた生まれて初めて貰う給料だ。お姉さんは小さな金庫を開けて、中から七千円を取り出し

「お疲れさまでした」

と言って手渡してくれた。七千円の嬉しさに飛び跳ねたかったが、恥ずかしいので止めた。一日汗をかいて掴んだ貴重な七千円だ。大切に使わなければならない。

「あと、これ、明日までに記入して持ってきてくださいね」

事務員さんが笑顔で渡してくれたのは何やら誓約書と記載された一枚の用紙だった。自分の氏名や年齢、住所などの記入欄がある。目を通してみると勤務中の規則が箇条書きになっていて、内容はお客様の私物を盗んではいけないとか、一般常識的なことだ。ただ、一番下にある欄を見た時に愕然とした。保護者又は保証人(親族者に限る)と緊急連絡先の記載欄が別々に書き込むようになっている。丁寧に印鑑を押す必要性まで要求されている。

「は、はい、わかりました」

僕はとりあえずそう返事してその場を離れた。どうしようか。保証人なんていないし緊急連絡先なんて無い。例えば施設の職員にお願いすることは可能だろうか。いや、施設の職員はただ一個人の従業員でしかない。親族でもなければ名字も違うただの他人だ。それに施設の歴史は古く、卒業者は相当な数になるだろう。一人一人の保証人や緊急連絡先になっていたらきりがない。卒業した以上施設を頼る事は一切できない。明日までに提出しなければならないと言われるとなす術がなかった。とにかくこの連休だけでも忘れてきたと言ってやり過ごそう。友人の紹介だし学校もわかっているのだから出勤して急に帰らされる事までにはならないだろう。僕はその用紙を小さく折りたたんだ。

『もし僕が仕事中に事故で死んだらどうなるのだろう』

 作業服から着替え終わると友人が現場から戻ってくるのを待った。友人とは引っ越しの現場が違ったのだ。十分もしないうちに友人を乗せたトラックが到着し、着替えを待って一緒に事務所をでた。

「お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」

二人の声が綺麗に重なった。




 事務所から最寄りの駅までの帰り道。友人は小さなゲームセンターに僕を誘った。

「ちょっと遊んでいこうぜ」

僕は頷くと一緒にゲームセンターに入った。面白そうなゲームが目白押しだ。僕は千円札を両替するとシューティングゲームの機械に百円玉を入れた。敵の攻撃をかわしながらミサイルを撃ち込んで撃墜する。

『爽快だ!』

だがゲームを殆どしたことがない僕はへたくそだった。あっという間に三機続けて撃墜された。画面にはゲームオーバーの文字が皮肉そうに表示されている。

『悔しい!』

僕はもう百円投入した。制限時間内に百円入れればそこから続きに挑戦できるのだ。しかし、その三機もすぐに撃墜される。

『畜生!』

また百円を入れる。また撃墜される。少しずつは先に進むが終わりは見えてこない。一つのステージが終われば次のステージに突入だ。僕は何度も両替機に通い夢中になった。楽しくて仕方がない。百円入れては撃墜され、百円入れては撃墜された。それでも敵機が強くなればなるほどその達成感は僕の満足度を満たしてくれた。また百円を入れて、さらに百円を入れて、それでも百円を入れた。何度目かの両替をしようとした時にやっと我に返った。気が付くと六千円使っていた。

『僕は大馬鹿だ。お金の使い方も分からなければ、そのありがたさなんて全然分かっていない』

六千円も使ったことは友人には内緒にした。恥ずかしくてとても言えない。

『とにかく、残りのお金で交通費と明日の昼食はなんとかなりそうだ』




 少しずつだが夕食の場にも慣れてきた。恐る恐るだが、空腹も手伝ってなんとかギリギリその時間を乗り越えることができていった。それでも僕はいつも戦場に向かう特攻隊のような気持ちだった。この不自然な感じが苦手で苦手で苦しかった。

 三日目の夜。明日は寮に帰らなくてはならない。風呂に行った友人を部屋で一人で待ちながら、この機会をくれた友人に感謝の気持ちと申し訳ない気持ちを考えていた。

「あの子、お風呂の中でちゃんと身体を拭いて出ないのよ。いつもお風呂のマットがビショビショになってるのよ。あなたからちゃんと言ってね。お母さん嫌よ。そんな子を家に入れるの」

母親が友人にかけた言葉だった。僕のことだ。一般の家庭にそんな常識があることを知らなかった。僕があまりにも家庭の常識というものを知らないせいで、友人やその両親にまで迷惑をかけていたのだ。母親の言葉とその責任は僕の心を深い闇の中に突き落とした。『施設育ち』のレッテルを背中から叩きつけられた。僕なんかが普通の人の家に入るなんて間違っていた。

『僕はここに来てはいけなかったんだ。何を勘違いしてるんだ。人の家庭に入り込むなんてことは絶対にしてはいけないし、身分不相応なのだ』




 学校の寮に戻ると、僕はまず保証人と緊急連絡先問題について考えた。このままでは、仮に働ける仕事があったとしても雇ってもらうことができない。しかし保証人という言葉の意味を理解すればするほど答えがでてこない。世の中では『人の保証人にだけは絶対になってはならない』と聞いたことがある。僕自身は人の常識を逸脱した行為をするつもりは微塵も無いが果たしてそれを保証する術があるだろうか。もし仕事中に倒れたり誰かを怪我させてしまったりしたらすぐに駆け付けてくれるような人がいるだろうか。故意じゃ無いにしても高級家電を壊してしまった場合に赤の他人の為にお金を用立ててくれる人はいるのだろうか。いるはずがない。それに頭を下げてお願いしに行くとしても、どんな顔してこんな重大な責任を押し付けに行けばいいんだ。僕自身は、もし急に死が訪れることになったとしても死体はその辺に転がしてもらってていいと思っている。葬式も必要ないしお墓もいらない。そんなことは僕みたいな生まれてくるべきじゃなかった人間が望んではいけないし、只々周囲の人たちの迷惑にしかならない。でも保証人を引き受けた人にとってはそうはいかないだろう。葬式代もかかるだろうし、最悪の場合は病院で全身不随のまま寝たきりになった僕の治療費まで一生払わなければならなくなるかもしれない。保証人の保証という言葉の意味がどこまでなのかがよくわからないがとにかく多大なる迷惑をかけるかもしれないというリスクだけを押し付けにいくようなものだ。

 もう一つの問題はお金だ。この連休は運良く仕事と寝る場所に恵まれたが、あの友人の家にはもう出入り出来ないし、引っ越し会社も保証人問題で行くことができない。いくら節約したとしても今ある残金もそう遠くないうちに底を着くだろう。下着や靴下、スリッパだっていつまでもつかわからない。仕事探しは急務だ。ただそんな都合のいい仕事が無いのは前回の仕事探しでわかっている。アルバイトの求人雑誌だって無料で配布されているわけじゃないし無駄に購入してもいられない。もし誰かに見せてもらったとしても求人欄に保証人、緊急連絡先不要といった記載はされていない。暗闇の中を彷徨うというよりは、何か重くて冷たい窮屈な箱に無理やり詰め込まれて閉じ込められた感覚だ。身体をうごかそうにも全くそのスペースが無いし、壁が分厚すぎて壊しようもない。

『この箱は僕の存在を否定するのに十分なほど説得力がある。』




 同年 七月

 高校と寮の生活にもだいぶ慣れてきたが、相変わらず問題は未解決のままだった。せっかく人というものになる事ができたのに、施設にいた頃とは違う悪魔が捕りついていた。そしてその悪魔はまた僕の右肩で不気味に笑い始めた。



 生徒各位

七月二十日より八月三十一日まで夏休みの為、全学年の寮は閉鎖になります。期間中、寮に出入りすることはできませんので必ず必要な物を持って各自帰省してください。尚、八月三十一日の午後三時より帰寮できます。


 

 初耳だった。入寮のしおりにも入学時の説明でもそんなことは一言も言って無かった。一か月半の夏休み期間は嫌でも寮を出なければならない。窮屈で頑丈な箱は僕を閉じ込めたまま上空から広大な砂漠の真ん中に放り出された。もし何かのきっかけで奇跡的に箱から出られたとしても、食料も水もコンパスも持っていない僕が無事に生きていくことができるだろうか。世間を知らない僕にサバイバルの知識は無いし、少しの所持金は何の役にも立たない。それに何より、昼は照り返す太陽の攻撃と、夜は暗闇と寒さを防ぐ何か安全な場所が必要だ。

 僕は前回の連休で世話になった友人とは違う二人の仲の良い友人に声を掛け、家に遊びに行くという名目で宿泊の予約をとりつけた。ニ、三日ならなんとかなりそうだ。ただ五月の連休の経験から他人の家に入ることはかなり抵抗があった。しかし背に腹は代えられない。ここはまた吐き気さえ覚えたあの断崖絶壁を登る覚悟を決めることにした。そしてその後の予定は無いまま生徒全員が楽しみに待ち続けた『夏休みという地獄』に突入した。




 最初の友人の家には寮から直接一緒に向かった。姉と妹もいる家族だった。その日の夕食はまた豪華に演出された品々だった。やはりお客様として迎えられ、まるで接待のように気を使わせている。僕は申し訳ないとしか言いようのない強い罪悪感に襲われた。翌日の午後に何度も丁寧にお礼を言って家を出た。

『悪いと分かっていて行動することは悪意を持った殺人者と同じだ。自分の欠点を棚に上げて、正当化しようと凶器をもって人を傷つけている』




 二人目の友人に公衆電話から連絡をした。テレホンカードの残額も無くなってしまった。仕事をすることもできないし、交通費でお金は減っていくばかりだ。

 結局その友人の家には三日間もお世話になった。初日に人のいい母親の

「いつまででもいいからゆっくりしてね」

という言葉に甘えるしかなかった。表向きに捉えていたその言葉は三日後の夜に聞こえてしまった

「あの子いつまでいる気なの?」

という言葉でかき消された。翌日、同じように何度も深くお礼を言って家をでた。



 

 行く先のない僕はとりあえず新宿に向かった。歌舞伎町は眠らない街として有名だし、二十四時間多くの人が歩いている。人の波が自分の存在を消してくれる気がしたのだ。今日は八月の日曜日ということもあって人が多い。途方に暮れた僕にはお似合いの街だ。日が暮れても夜中になっても大きめのスポーツバックを肩に担いだまま意味も無く歩き続けた。目的も無いしお金も無い。同じ場所を繰り返し繰り返し歩き続けれるしかなかった。ただ無意識に。ただ無意識に。



 

 歩き疲れた僕は路上の隅に座り込んでいた。陽が昇り朝の太陽の光が一睡もしていない僕を狙って容赦なく照りつけてくる。その攻撃をかわそうと路地裏に移動することにした。

『もう何をどうしたらいいのか全くわからない。世の中はどんなに不公平にできているのだろうか。今の僕はただの浮浪者でしかない。』

 建物と建物の間の路地に逃げ込むと青いゴミ箱の上に捨ててあるスポーツ新聞が目に入った。いい時間潰しになると思いその新聞を手に取って開いた。昨日の日付が印刷されている。なんとなく適当に見ていると、求人欄があることに気が付いた。土方と呼ばれる日雇いの仕事があるという噂を聞いたことがある。全身泥だらけになる土木作業員のような仕事だが、もしかしたら保証人のいない自分でも働けるかもしれないという淡い希望を抱いた。似たような求人がないか喰いつくように端から端まで確認した。記載欄が小さくて詳細は記入されていないが、可能性のある求人を一件見つけた。場所は浅草。全額日払い。年齢不問。鳶または作業員募集と書いてある。この作業員というのはどうだろうか?時間はまだ朝の六時。もう少し待ってからとにかくここに電話してみよう。一筋の光が見えた。




 電話での説明はかなり間欠であっさりしていた。

「朝、六時までにウチの事務所の横の駐車場に集合してください。仕事が少なければ早く来た人から優先に現場に行ってもらいます。お弁当代で五百円かかるので持ってきてくださいね」

きっと何度も同じ電話対応をしているのだろう。マニュアルのような話し方だ。とにかく明日の朝六時に行けば仕事をすることができてお金が手に入る。あとはなんとか今日という日を乗り切ればいい。手元の残金はニ千円も無い。浅草に向かおう。




 浅草に着いた僕は、集合場所の駐車場を確認するとフラフラと街を散策した。浅草六区と言われるこの繁華街は新宿歌舞伎町とはまた違った雰囲気をもっている。色鮮やかな派手な看板もあれば細い小道に入るとまるで人気のない薄暗い路地裏へと変わる。華やかさと暗さの境界線がはっきりと感じ取れた。他人のような街並みの印象だ。僕には暗い路地裏がお似合いだが、カラフルなネオンはどちらかというと施設から一緒に育った彼を連想させる。歩いていると大きな看板が目に留まった。『二十四時間サウナ』と記されている。噂では聞いたことがある銭湯の豪華版だ。ここでなら寝ることもできる。料金は二千円。もし明日から働くことができたらここに寝泊まりすればいい。名案だ。お金さえあれば風呂も寝床も付いてくる。昼間働いて夜はここに泊まろう。この小さな人生の計画に少しだけやる気がでてきた。最近、この辺りでは暴力団同士の抗争が絶えないと聞いている。やはりどの繁華街も二つの性格があるもんなんだと感じた。




 今日の寝床を路地裏の端にあるコンクリートの上に決めた。ここなら人通りも少ない。牛丼を食べてから少しの間、また街の中をフラフラと歩き、陽が暮れてから寝床にむかった。明るいうちから路上で寝転んでいる勇気はなかった。夜の八時を過ぎたころには睡眠不足もあっていつのまにか眠ってしまった。持っていた大きめのスポーツバックの枕が気持ちよかったからかもしれない。



 

 その痛みと叫び声は熟睡していた僕を一瞬でこの世に引き戻した。

「やっちまえ!」

と声が聞こえる。全身には躊躇なく蹴られる痛みが恐怖を走らせる。若者だろうか?酔っぱらっているのか?二人か三人か?身体を丸めて顔を両腕で塞ぎ、完全防御の体制だからその様子を伺い知ることはできない。意外と冷静に判断できたのは『今、襲われている』という確かな現実だけだった。目的さえわからない。金だとしても所持金は二千円にも満たない。襲う相手を間違ったのだろうか。カツアゲならこんなところで寝ている高校生よりもっと他にいるだろう。

「もういいよ、行こうぜ」

一人の男の声でその攻撃はなくなり、この場を去っていく笑い声だけが耳に入ってきた。目的は金じゃなかったのだ。ただ誰でもいい。たまたま僕がそこにいたからというのが理由だろう。動機なんてないんだ。こんな仕打ちは施設の頃に嫌というほど受け続けてきた僕でも怖かった。恐怖で想像がどんどん膨らみ暴力団に連れ去られれるんじゃないかとまで思った。僕はすぐに立ち上がると街灯の下で腕時計を確認する。深夜三時。まだ仕事の集合時間まで三時間はある。ただこの街の路地裏は危険すぎる。僕はバックを持って歩き始めると集合場所の駐車場に向かった。時間は早いがいるところもない。




 足場組みの手元という仕事は、トラックに同乗して資材置き場に向かい、積みきれなくなるまで積んだら現場でそれを降ろすという仕事だった。逆に外壁塗装工事を終えた現場からは資材を回収して廻った。足場組みの資材はそのほとんどがかなり重い。とにかく力を使う過酷な作業だ。止まらない汗を拭いながら必死になって作業に挑んだ。なんでも肩で担ぐから午後にはもう右肩は真っ赤に腫れあがっている。僕はタオルを右肩に入れると歯を喰いしばってこらえた。

『ここしかない!僕にはもうここしかないんだ!生きる為に!生きる為に!』




 仕事が終わると手にした日当の七千円を持って定食屋にむかい、ご飯を食べてからサウナに向かった。フロントで料金を払うと大きな風呂も入り放題だ。仕事の後の風呂は格別だ。つい昨夜までこの先どうなるかどうかの境目に居た僕にとって、こんなに気持ち良く汗を流せるなんて想像もしていなかった。当たり前の事がどんなにありがたいことなのかを思い知らされた。大きな共同就寝部屋もあった。ここなら寝ていていきなり襲われることもないだろう。ただその薄暗い就寝部屋に入った僕は唖然とした。床一面が人で埋め尽くされていて横になるどころか歩くのも困難なくらいだ。そこら中から大きないびきが鳴り響いている。これじゃせっかく気持ちよく風呂に入れても意味が無い。困った僕はフロントに相談しに行くとカプセルホテルというフロアを案内された。別途料金が二千円かかるがカプセルが個々に分かれていてその中で寝ることができる。かなり狭いがテレビと照明調整、目覚まし時計がついている。僕は迷わずお金を支払うとカプセルに潜り込んだ。入ってみるとなかなか快適だ。特に目覚まし時計の存在は大きい。身体中の関節と筋肉が痛むし、とにかく眠い。朝は遅くても五時半には起きなければ集合時間に遅れてしまう。

『一日でも休めばその日の寝床は無くなってしまう』

絶対に寝過ごすわけにはいかない僕にとって、目覚まし時計はかなり強い味方だったのだ。




 朝から夕方まで全身汚れまみれになって働き、夜はカプセルホテルで床に就く。日曜日は現場がないので休みになるから、少しづつお金を残しコインランドリーでの洗濯と宿泊費用に充てた。だから日曜日が終わるとほとんどお金は残らない。月曜日からまた休まず仕事をする。どんなに疲れてても、どんなに身体が痛くても、僕は毎日必死になって働いた。

『明日の為に。ただ明日生きる為に』




 そんな生活が二週間くらい過ぎた頃、事務所からお盆休みについて知らされる。八月十二日から十五日の四日間は仕事が無いということになる。もちろん僕にとってその日仕事が無いということは生活の困窮というよりは生死にかかわる。

『とにかく何か対策を練ってこの四日間を生き延びなければならない』

僕は仕事が終わると、バイト雑誌や新聞を買い込んでカプセルの中で仕事を探した。保証人不要で緊急連絡先の提出もいらない。その日にお金が貰えて、お盆休みも仕事がある求人。そして高校生でも働ける事。諦めていても誰かが食べさせてくれるわけでも、寝る場所を用意してくれるわけでもない。駄目とか無理とかいう言葉は考える余裕もなかった。しかし現実は厳しい。その日いつのまにか眠ってしまうまで探し続けたがそんな求人は見当たらなかった。




 翌日、仕事が終わると浅草の街を歩いて廻った。目的は仕事探し。店先にアルバイト募集の張り紙が無いかを見て歩いた。確かに小さなレストランの入り口には募集の張り紙があったが、その横にはお盆休みのお知らせもはりだされている。これじゃあ意味が無い。必要なのはお盆期間の衣食住だ。しばらく歩いたが結局見つからなかった。サウナに向かう途中に思い付いたことがある。新宿ではどうだろうか?歌舞伎町ならもしかしたらお盆期間でもやっているお店があるかもしれない。明日は歌舞伎町に行ってみよう。交通費はもったいないが、これは生きる為の必要経費だ。




 その翌日は予定通り歌舞伎町を歩いた。僕の中で何となく目星をつけていた店がある。それは夜のお店だ。高校生が働けるかどうかは疑問だが確かめてみるだけの意味はあるだろう。そんなことを考えながら歩いていると、一件のお店の前で足が止まった。〝従業員募集〟確かにそう書いてある。お店はキャバレークラブだ。入口にはきちんと正装した男性が背筋をピンと伸ばして立っている。少し怖さもあったが迷うよりも先に話しかけていた。

「すいません。あの、アルバイトって募集してますか?」

きっと不審者だと思ったのだろう。男性は僕の足元から頭のてっぺんまでを舐めるように見定めると

「募集してますよ。面接、希望されますか?」

 声を聴いてみると案外、普通の人だ。

「はい、お盆の間もやってますか?」

ここは譲れない大事なところだ。

「ウチは年中無休ですよ。もしよかったら面接していきますか?」

良かった。とりあえずは第一の難関を突破だ。

「はい、お願いしてもいいですか?」

「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」

男性はそう言うと店の中に戻って行った。僅かな時間に恐ろしく不安が押し寄せてきた。『様々な事情を理解してもらえるか?』というより、『どうやってうまくごまかそうか』が課題だ。男性が戻ってきた。

「ご案内しますので、どうぞ」

そう言うと、僕を店の中へと案内してくれた。店の少し大きめの扉を入ると、階段が地下へと続いている。薄暗く、間接照明がそれとなく高級な雰囲気をかもしだしている。壁には綺麗にドレスアップした女性の写真が額に入れられて丁寧に飾ってある。額の上には入り口から順番に、第一位、第二位と並んでいる。どれも綺麗な女性ばかりだ。階段を降りると短い廊下があり、その先にはとても広いホールが顔をだした。

小規模のコンサートが出来そうな舞台を中心に、ソファーが並んでいる。天井にはおびただしい数の照明と、中心には大きなミラーボールがついている。営業の開始時間がせまっているのか他の従業員は慌ただしそうに動いている。僕は端の席に案内されて、一枚の用紙とボールペンを渡された。

「こちらを記入してお待ち頂けますか」

男性はそう言うと背中を向けて行ってしまった。用紙には従業員名簿と記載されており、氏名や住所などの記入欄がある。つまりこれが履歴書と言うことだ。僕はボールペンを持つと順番に書き始めた。氏名や生年月日は正確に。住所や電話番号は適当に。おおよその事は予想をして心構えをしてきた。せっかく仕事が見つかっても働けないんじゃ意味が無い。過去の経験を生かして嘘をついてでも働かなければもう後が無いのだ。

「はじめまして」

記入を終えて待っていた僕の前に、また別の男性従業員が現れた。さっきの男性とは明らかに違っている。頭髪をきっちりと固めて、スリーピースのスーツをビシッと着こなしている。その姿は高級なホテルのフロントマンの様にも見える。オーラがあって存在感のある男性だ。男性は名刺を取り出すと

「よろしくお願いしますね」

と言って渡してくれた。肩書が店長となっている。道理でこんなにキマッテルわけだ。




 店長との面接はニ十分くらいだったろうか。店長はとにかく優しくて、常に笑顔だった。話し方が落ち着いていて説明もとにかく丁寧だった。僕は家庭の事情で割のいい夜の仕事を探している事と、時間帯と日払いの希望を伝えた。店長はその希望を特別な措置として受け入れてくれた。

「この世界にはね。君と同じように誰にも言えない事情がある人が集まってくるんだよ。みんな何かを背負ってるんだね。本当なら高校生は雇っちゃいけないことになってるんだけど、十二時までってことならいいかな。知らなかったことにしておくよ。その代わり、一生懸命、仕事するんだよ。何かあったらいつでも言っておいでね」

 なんてことだろう。こんな世界があったとは思いもしなかった。そしてこの店長の寛大さに感謝しかなかった。時給は千二百円。夜七時から十二時まで。日払いは一日に三千円が許可された。贅沢を言えば全額日払いをお願いしたいところだが、通常二千円までの決まりを特別扱いで三千円にしてくれたのだから、これ以上、文句もわがままも言えない。

 面接を終えると店長からの提案で、早速今日から働いてみることにした。それに今日の給料は全額くれるというのだから断る理由も無い。僕は借りた制服に着替えるとお店の一通りの説明を受けた。今日の持ち場は厨房前のカウンター。ホールの客席からはカーテンで仕切られている完全に見えない裏方で、他の従業員がさげてきた食器やゴミ、おしぼりなどを片づけるのが仕事だ。他に氷の準備などもあって結構忙しかった。カーテンの向こうからは、男子従業員の怒鳴り声やお客さんの声が、大きな重低音の店内の音楽と重なり合ってかなり騒々しい。僕は大きな製氷機の中から氷をすくってはつぎ足す作業を繰り返していた。




二時間くらい過ぎた頃に店長が様子を見に来た。

「大丈夫かい?」

お客さんでもないこんな僕にも気を使ってくれている。

「はい、大丈夫です」

僕は笑顔で答えた。

「そっか、じゃあ、ちょっとホールに出てみようか。別に何もしなくて立ってるだけでいいから、どんな感じなのかを見てくれるかい。慣れたらホールの仕事もしてもらうからね」

そう言うと、店長は僕をカーテンの外にでるように促した。

 先程、面接していたホールとは打って変わって客席は満席状態だ。男性従業員もひっきりなしに動き続けている。音楽がうるさすぎてテーブルの会話は全く聞こえない。隣にいる店長の声も聞こえないくらいだ。初めて見る圧巻の光景に茫然とするしかなかった。スーツを着た中年の男性客の隣に、ベッタリと寄り添うようにドレスを着た女性が座っていた。笑顔で男性客の膝に両手を置いて何やら楽しそうに会話をしている。薄暗い店内の端から端までが同じような光景だ。そして、それは突然だった。僕の胸の中で何か大きなものが破裂した。自分の身体中に響き渡る破裂音を確かに感じた。その場に居ても立っても居られなくなり、カーテンを開けて厨房の方に逃げ込んだ。店長はその様子を見て声をかけてきた。

「どうした?大丈夫かい?」

この店長はどこまでも優しい。こんな店長に嘘をついてまで仕事をしている自分が恥ずかしいと思える。罪悪感を拭いきることができない。しかし、胸の中の破裂の原因はそれではなかった。僕は笑顔でベッタリと接客している女性を見て耐えられなくなったのだ。その作られた笑顔の裏にはどれほどに大きな悲しみがあるのだろうか?それは想像するに耐えられないほどの苦しみと痛みを伴っているはずだ。人間とはこんなにも弱いのか。僕の中で絶望の無力感が溢れ出てきて、悲しくて悲しくてたまらなくなった。

「すいません、店長、僕には、無理みたいです・・・」

 それが、その時だした僕の答えだった。自分がそんなこと言ってる場合じゃないことは百も承知していた。でも食事やベットやお風呂がないことよりも耐えがたい何かがそこにはあったのだ。




 僕は夜の歌舞伎町をトボトボと歩いて駅に向かった。道中は頭の中が真っ白で何を考えていたのかは全く覚えていない。ただ悲しい。ただ悲しさだけがいっぱいだった。看板のネオンさえもやけに悲しく見えたのを今でもはっきりと覚えている。




 八月十ニ日


 ついにお盆がきてしまった。深夜一時を過ぎても明日からの生活に希望は見いだせずにいた。カプセルの中でテレビを観ていても頭の中は不安しかなかった。明日はどこで寝ようかとか、何を食べて食い繋ごうかとか、そんなことばかりだ。それでも今日のところはもう寝ようと思い、照明のつまみに手を伸ばした時だった。

「すいません。こんばんわ。」

カプセルの出口、足元から男性の声が聞こえてきた。僕をよんでいるのだろうか?

「すいません。起きてますか?ちょっと開けさせてもらいますよ」

どうやら僕に声をかけていることに間違えないらしい。僕は自ら足元のカーテンを開けて外を見た。立っているのは大柄な男性が二人。制服を着た警察官だ。とっさに顔を隠すように斜め後ろを見ると

「どうしたんですか?」

と聞いてみた。突然の事で戸惑いが隠せていないのが自分でもよくわかる。もし、この警察官が未成年が連日宿泊しているという通報を受けて来たのだとしたら厄介な事になる。何か他の件で来たのであればいいのだが、最近はフロントの従業員にも顔を覚えられている自覚があった。それでも顔を直視される事は避けたい。どう見ても僕は若い。

「お兄さん、ちょっといいかな。君、年齢教えてくれる?」

きた!まずい!嫌な予想は的中するもんだ。僕は何も答えなかった。どちらにしても身分証明証の提示を求められ僕が渋々学生証を出し年齢はすぐにばれる。

「とりあえず出てこよっか。お話聞かせてもらうよ」

なんでもっと早く気付かなかったのだろうか?風呂場やロッカールームで観たことある常連客にも何度か視線を感じた事があった。このサウナのお客さんは若くても三十代、それでも大体が一泊する程度だ。こんな若い男の子が連日のように泊まりに来てたら嫌でも目立つ。きっと通報されたに違いない。警察官二人が相手ではどうすることもできなかった。僕は諦めてカプセルから出ることにした。

「お兄さん、幾つ?学生さん?身分証明書あるかな?」

「ロッカーにあります」

僕はそう言うと一緒にロッカールームに向かった。この後の展開は優に想像できた。年齢がばれて家出少年と間違えられて派出所行だ。

「お兄さん。ちょっと一緒に派出所行こうか、ちょっとお話きかせてもらうからね」

「はい」

僕は返事をするとサウナ専用のパジャマを脱いで自分の服に着替えた。大きなスポーツバックを持ってサウナを出る。このバックが余計に家出少年らしく見える。派出所はサウナの建物から歩いてすぐの場所にある。一人の警察官が前を歩き、もう一人が僕の左腕を軽く握っている。走って逃げないようにするためだろう。派出所に着くと僕は入口に近い古いパイプ椅子に座らされた。警察官の一人は机を挟んで椅子に座り引き出しから大学ノートとえんぴつを取り出した。もう一人の警察官は腕を組んで立っている。「じゃあ、まず名前と年齢と住所、あと家の電話番号教えてくれる?」

ロッカールームでは先に自分から十六歳であることを白状し、学生証は見せたが渡さなかった。高校がばれればそれも厄介なことだ。学生証は足元にあるバックの一番奥にしまっておいた。あとはこの質問にどこまで答えるかだ。でも『家がない』と言ってもまず信じてもらえないだろう。施設の話をしたところで何の解決にもならない。ましてやこんな夜中に電話でもかけられたりしたらそれこそ迷惑だ。僕は黙秘をすることにした。

「黙っててもしょうがないだろう。名前くらい言えるよね。歳は十六歳だったね。」

そう言いながらノートに鉛筆でメモする警察官を見て、もうひとりの警察官は派出所のさらに奥に消えてしまった。どうせ『また家出少年だろう。子供相手に二人で話してもしょうがない』と思ったんだろう。その背中が確実にそう語っていた。

「お家どこなの?、お父さんやお母さんは?」

質問の方向を変えてきた。ここから家出少年の心を諭して両親のいる自宅に連絡。迎えに来てもらう。というのがこの大人の仕事だ。

「家はないです」

僕は一言だけそう呟いた。もしかしたら明日からの生活がなんとかなるんじゃないかという思いが少なからずあったのだろう。しかし、それは叶わぬ夢だった。

「そんなワケないでしょお、なんでそんなウソつくの?ウソついてもお巡りさんには通用しないよ。」

やっぱりか。この大人の前では僕は完全に家出少年だ。どうするか。施設の事を話して施設に送り返されるのは絶対に嫌だ。わがままかも知れないがあの施設には二度と戻りたくない。しかし学校に連絡されて僕の過去が教師や生徒にばれるのも絶対に嫌だ。警察官は一人で僕をなだめ、時に怒り、同情しながら質問を繰り返した。僕はずっと下をむいてだんまりだ。足元のバックの縫い目を見ながらこの先どうなるのかを考えていた。

『まさか、何か違う、もっと他の施設に送られるんじゃないか?』

その考えが頭の中をよぎった時、僕の両手は震えはじめた。

『ありえる。このまま引き取り先不明の高校生を解放するわけがない。次は警察署。その次は牢屋か?それかやっぱりどこかそれ専用の施設だ』

 三十分は過ぎただろうか。喋り続けた警察官は大きくため息をつくと立ち上がり、そのまま奥の方に行こうと歩き始めた。もう一人の警察官に助けを求めに行ったに違いない。その姿が見えなくなった瞬間、ぼくはバックを持って派出所から深夜の浅草の街に走り出た。

『行先などどうでもいい。とにかく走れ!とにかく逃げろ!警察に捕まるな!』





 街の不良や警察官から逃げてたどり着いた場所は住宅地の中にある小さな公園だった。所持金は三千円くらい。もうあのサウナには行けないし街の中を歩くのにも充分注意しなければならない。仕事がある日は四日後だからそれまで何とかこのお金で食い繋がなくてはならない。いや、仕事の朝に支払う弁当代の五百円はとっておかなくてはいけないから、残りは二千五百円だ。

『なんとかするしかない』

僕は公園の中でも特に目立たない茂みにバックを置いて身を隠した。近くの住民に通報される恐れがある。もう昼も夜もうかうかはしていられない。人を見かけたり、すれ違うたびに顔を隠すしかなかった。この公園にもいることがばれれば不審人物として通報されるだろう。警察を敵にまわすということは日本全国民を敵にまわすようなものだ。不自然に下を向いて歩いたりすると返って目立つらしく、すれ違う人にのぞき込まれるような仕草をされたことが度々あった。翌日、悩んだ末に千円で帽子を購入した。これで使えるお金は残り千円を切った。

 昼間は公園で過ごし、たまに街を歩いてコンビニに行っておにぎりを買った。夜になると公園の奥の、茂みの裏の土の上に寝転んだ。バックを枕にして汚れる事を諦め、蜘蛛の巣を落とし、蚊や虫を追い払って眠った。かなり匂いの強い公衆便所で用を足し、水を飲んだ。濡らしたタオルで顔を拭き、頭を流した。ただ洋服だけはどうしようもなかった。洗っておいた予備はもうないから下着も服もそのまま過ごした。日に日に汚れていく服を着た僕を、果たして他の人の目にどう映っているのだろうか?




 やっとお盆休みが終わって、これで念願の仕事にありつくことができると思い、喜んで集合場所の駐車場へ向かった。もう手持ちのお金も今日の為のお弁当代すら残っていない。「今日はお弁当はいらない」と断るつもりだ。しかし今日働けば七千円は確実に手に入る。とにかく腹が減ってしょうがない。僕は、出勤している事を伝えようと事務所に顔を出した。

「ごめんねぇ、今日はお仕事無いのよ・・・」

事務のおばさんにそう言われてしまった。お盆休みの影響からか極端に現場が減っているとのことだった。これは予定外だった。今日は仕事があると勝手の思い込んでいた。当てにしていただけにその反動も大きく、ひどく落胆した。今日一日、また何も食べずに過ごさなければならない。




 八月十七日


 また同じ理由で仕事が無いと断られてしまった。この二日間は水だけで過ごしてきた。今日もまた一日、水だけで凌がなくてはならなくなった。食べ物を口にするということにこんなにも分厚い壁があるなんて想像もしなかった。養護施設で当たり前のように食事してた事がどんなにありがたいことなのかと思い知らされた。ただ、同時にそんな環境からいきなり荒野に捨てられたことへの怒りも感じていた。手を離れればどうなろうと関係無いのだろうか?それこそ死んでしまったとしても何も感じないのだろうか?正直もう限界だった。

『お願いです。明日こそ、仕事がありますように』



 

 八月十八日


 朝から今にも雨がふりだしそうな曇り。案の定、この天気を理由に仕事がないと断られてしまった。

 公園に戻ると茂みの奥で倒れるように寝転んだ。頭がひどく痛い。

茂みの中から見える公園の景色が目の前の木々の葉と土の隙間からぼんやりと見えている。

空はだんまりと暗く落ち込んだ僕のように何も話そうとしない。人の姿が時折視界に入ると、その綺麗な洋服やスマートな歩き方に、この人たちとは違う世界に住んでいることを思い知らされる。しばらくして僕の頭の上の葉がパチパチと音をたてて泣き始めた。すぐに共鳴するように周りの葉も同じ音を出して泣き始める。次第に加速してゆく音の響きと同じ早さで僕の頬に大きな雨粒が当たる。この雨を遮る場所は公園の便所くらいだろう。この格好じゃあそこ以外どこにも行けない。一瞬そんなことを考えるが身体がいうことをきかない。僕は諦めてこのままじっとしていることにした。




『日本という国は治安が良くて住みやすい』と言うが、一体どこが住みやすいのだろうか。僕は現にこうして公園の片隅で大きな雨粒にさらされている。警察や街の人々の目から隠れて、行く当てもないまま丸まっている。僕よりもっと辛く苦しい人はたくさんいるだろう。飢餓に苦しむ小さな子供達の写真を見たことがあるし、戦時中に肉親を亡くした子供達も大勢いたはずだ。それに比べれば服を着てるだけ僕はまだマシなほうだ。ただ日本という国が住みやすいとはこれっぽちも思わない。一体、日本の政治家は何をやっているんだ。『誰もが住みやすい国づくりを!』と叫んでいる大人は自分が経験してきた範囲でしか物を見ることができない。こうしている僕の姿は誰にも見えていないのだ。世界平和なんて簡単にできる。まずは殺し合いを止めて実直に子供を愛すればいい。そして全世界同時刻に一斉に銃や核兵器を放棄すればいい。怖がらせなければ怯える人はいなくなる。同じ民族を愛し、他の民族を絶やさないことが必要だ。そうすれば子供は無事に成長していくはずだ。

『僕みたいのがいるようじゃ、日本は平和なんかじゃない』



 

 雨は豪雨に変わり、雷と風の轟音とともに容赦なく僕の身体を襲い続けた。僕は持っているバックが濡れないようにお腹に隠した。汚くてもこの中には乾いた洋服がある。

『僕はどんなに濡れても大丈夫だ。・・・多分、大丈夫だ』




 ここのところまともに睡眠ができていない。朝の遅刻が怖いということもあるが、公園に人や動物の気配があると目を覚ますのだ。眠りが浅く夢と現実の区別が難しいということがほとんどだった。雨が止んだこの日も同じだった。身体中は雨に濡れてビショビショだし、寝床の土は雨水が入り込んでぬかるんでいる。寒さと冷たさに耐えきれなくなって起き上がるとおぼつかない足取りで公衆便所に向かう。バックの中の濡れなかったタオルで身体を拭き、別の汚れた洋服に着替えた。公園のベンチに行くと同じタオルで雨水を拭うとそこに腰かけた。寝る場所も無くなった。ここにいると通報されるか、あるいは巡回中の警察官に捕まるかのどっちかだ。時刻は深夜三時。警戒心とは裏腹に重い頭と身体に耐えきれなくなりベンチに横たわる。指先もつま先も力が入らない。そういえば今日は何も食べていないし水も飲んでいない。忘れていた。食欲を感じなくなっているらしい。飢えに苦しむ人の感覚はこんな感じなのだろうか。僕が父親だったら自分の子供に絶対こんな思いはさせたくない。

 僕にもいつか家族というものができるのだろうか。いつか大人になって普通に仕事して、付き合った女性と結婚するのだろうか。そして子供が生まれて家族という生活をする日がくるのだろうか?とても想像できない。・・・それに僕にその資格があるとも到底思えない。

『僕の遺伝子は残しちゃ駄目だ』

本能が僕にそう言っている。僕の子供はきっと僕と同じ運命を辿るだろう。僕がどんなに努力しても繰り返される運命というものには逆らえない。家族を知らない僕に家族というものを作れるわけがない。生まれてくるべきじゃなかった人間が子供を作るということは、また同じ過ちを繰り返すようなものだ。そう考えると育児を放棄してしまった大人の気持ちも分からなくはない。




 八月十九日


 昨日とは打って変わって太陽という奴がジリジリと僕の体力を奪っていく。朝、ベンチの上で気が付いた時には集合時間の六時を過ぎていた。もしその前に目が覚めたとしても多分仕事に行くことは出来なかっただろう。茂みの中のわずかに乾いた土の上に座り込んでいる僕は、目を閉じててもめまいがするくらい弱り切っていた。あんなハードな仕事をすることなんて不可能だし、倒れでもしたら周りに迷惑をかけてしまう。他人に迷惑をかけちゃいけないと、施設ではたしかそう教わったはずだ。無意識に僕の中に染み込まれているのかもしれない。

 何度か便所に水を飲みに行く。喉が渇いたからとか、腹が減ってるからとかではなく、多分、身体の防衛本能がそうさせているのだろう。食欲は全くないが、何か食べなくちゃいけないという自覚はあった。残った最後のお金でおにぎりを一つ買って無理矢理食べてみたがすぐに全部吐いてしまった。・・・飲み物かゼリーにしておけばよかった。




 八月二十日


 一日中横になって過ごす。乾ききった身体が、今ここにいるという感覚を失っている。水を飲みに行く気にもなれない。手に届く距離にあった木の葉を口にいれてみるがひどく苦くてすぐに吐き出した。とにかく目をつむって、現実と想像の間を彷徨っていた。




 清々しい程に良く晴れた青空だ。雲一つないこの広い大空はまるで今日の日をお祝いしてくれているように感じる。この広い世界の平和を見守ってくれている雄大な存在だ。僕は壇上に立ってからまずは大きく深呼吸をした。

『大丈夫。緊張はしていない』

舞台の先には何千万にもなる人々が僕を見つめている。白人や黒人、黄色人種。もちろん男性もいれば女性もいるし、多種多様な宗教の信者の方々がいる。全世界中から様々な人が集まっているのだ。

「私は英語が喋れません。ですから日本語のままお話させて頂きます」

 僕がマイクにそう話すと同時に、舞台の袖にある大きなスピーカーから英語で女性の声が流れる。

『同時に通訳してくれるのか』

僕は気を取り直すと、もう一度正面を向いて笑顔でゆっくりと話し始めた。

「私は、家族というものを知らないまま育ちました。自分という存在を何度否定したかわかりません。生まれてくるべき人間じゃなかったと幼少期から自分を責め続けてきました。他人の存在が羨ましく、無知なうえ、自分は人にはなれないと思い込んでいました。私と同じ様に、人は他人を羨み、時に妬み、そして争いを起こしてきました。しかし、多くの皆様の愛が私を確かに存在する一人の人間に生まれ変わらせてくれたのです。人として生まれた以上、人として多くの責任があります。この全世界同時刻平和宣言もその責任の一つです。私を含め、全人類がその責任を全うする義務があるのです。ですから、私はこの場をお借りして、まずは私から、皆様の前で誰よりも先に宣言したいと思います。この言葉はどんな神々や、親族、友人、知人に誓うことよりも、さらに重く、簡単には口にしてはいけない言葉です。もちろん自分自身、確固たる意志で、絶対なる責任を負う覚悟を持って使っていただきたい」

「私は生まれてきた以上、自分自身に何が出来るのかを問いかけ、全ての神々と人々を、そして自然と平和を愛することを誓います」

「人として」





 八月二十一日


 無理して水を飲んだらすぐに吐いてしまった。もう水も受け付けなくなったのかと思いながらフラフラといつもの茂みに戻り座り込む。それでも口の中に水分が入ったせいか夜の暗い中でも少しだけ、ぼんやりと目の前が見える。誰かが近寄ってくる足音が聞こえる。それでも僕はもう動くことなんてできない。頭に直接響いてくるその足音は僕の前で止まった。僕はゆっくりと顔を上げる。月の明かりか街灯かの区別ができないが優しい光が射しこんでいる。目の前の人影はゆっくりとしゃがみこんで僕に話しかけてきた。

「どうした?大丈夫か?」

僕は茫然とその顔と声を聴いていた。

「なんだよ、忘れちゃったのかよ」

どこかで聞いたことのある声だ。

「まぁ、久しぶりだもんな。それにしてもここまでよく頑張ったな」

意識が朦朧としていたが、やっとその姿が分かった。と同時に僕の目から涙が溢れ出てきた。もう残ってないはずの水分が沸いて出てきた。そこにいたのは幼馴染の彼だった。

「わかってるよ。何も言わなくていいよ。もう終わりにしよう。もう疲れたんだろう?・・・生きていくことに」

僕はゆっくり頷いた。

「大丈夫。もういいんだよ。無理して生きることになんの意味もないんだから。ごめんな。今まで放っておいて。」

やっぱり僕にとって彼の存在は絶対だった。その証拠に僕の頭の中は彼が全部わかっている。

「覚えてるか?いつかテレビで一緒に見た山道のこと。あそこに行こう。あそこなら誰にも見つかることはないよ。安心して全部終わりにできる。たしか、高尾山っていったはずだ。知ってるだろ?駅の名前でも高尾山ってあったじゃないか」

そうだった。覚えている。たしか昼間なのに真っ暗で樹木が生い茂る森の中だ。彼はそれを見て『誰にも見つからない場所』って言っていた。・・・たしかにそこなら。

「もう逃げ回る必要は無いし、明日の事を考える必要も無いんだ。ある意味、自由ってことじゃないか。どうせここに居たって居場所なんて無いんだから。全部終わりにしよう。こんな世界とはさよならして自由になろうよ」

そう言い終わると、僕の前から彼の姿がゆっくりと暗い闇の中に消えていった。

『ありがとう。最後に助けてにきてくれたんだね。もう迷わないよ。僕もわかっていたんだ。ただ何かが邪魔してできなかっただけなんだ。ありがとう。また僕の背中を押してくれて。ありがとう。本当にありがとう』





 分かっているんだ。彼なんて存在しないって事は。

今だけじゃない。幼い頃からいつも一緒にいた『彼』なんて人物は存在しないんだ。『彼』とは、僕の頭の中にいるもう一人の僕だ。現実の世界に耐えられず、逃げる場所もなかった僕が唯一生み出した心の拠り所であり、前向きな自分だ。だから『彼』とはずっと一緒だったし、僕に起きたことも『彼』に起こったことも全てが僕一人に起こった出来事だ。高校に入学して少しだけ自由になった僕には、『彼』という意識は必要ではなくなっていき、僕の意志で物事を解決できるようになっていった。でもこの世界の現実に脅かされ、全てを失っていく僕にその最後の決断をさせる為に、また僕の頭の中に現れたのだ。

『わかっているんだ。僕は孤独だったんだ。ずっと一人きりだったんだ』






 高尾山駅に到着した最終電車は一日の仕事を終えて、もう何も受け入れないかのように冷たく扉を閉ざした。僕はその姿を見てから朦朧とする意識の中、駅の外に出た。

『・・・山がない』

そこに高尾山の入り口はなかった。駅の名前が高尾山というだけで実際の登山口からは距離が離れていたのだ。僕にはもう歩く力なんて残っていない。人目につかない場所を見つけてその場に座り込んだ。

『もう疲れた。とにかくもう、疲れた』

僕は意識が遠くなっていくのを感じた。もう全身の力が抜けて自分でもどうすることもできなかった。

『このまま、永遠に目が覚めませんように』


『どうか、このまま永遠に目が覚めませんように・・・』 

 



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『少年』 @akirataketani

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