第26話 彼女の本当の

 夢にまでにた二人っきりの時間を過ごしていると後ろから声がかかった。


『姫、そろそろ行きましょう』


 後ろを振り返ると、屈強な肉体を持った男がいた。僕がオオカミに襲われていた時、僕を助けてくれた人のうちの一人だ。

 ヨナは小さく


『わかった』


 とだけ言って立ち上がる。

 僕は彼女を引き止めるように質問をする。


「どこに行くの?」


 ヨナは寂しそうな顔をして、


「私たちは宛の無い旅人。ただ前に進むだけ」


 と答えた。僕は彼女を引き止めるために頭を回転させる。


「それなら! この近くに村があるんだ。魔法使いの村だよ!」


 僕の言葉にヨナは立ち止まり、僕の目の前まで戻ってくる。少し顔を前に出せば唇が触れ合うくらいの距離。僕は喉元を思わず震わせてしまう。


「どう言うこと?」


 僕はヨナの質問に答えられない。思わず言った言葉は僕の思考を停止させてしまう事態を引き起こしたからだ。


——このまま抱きしめてしまいたい。そして……


 僕は邪な思いを胸に抱えてしまう。先ほどまでは隣にいてくれるだけで満足していたはずなのに……。人の欲望は底が見えない。

 僕の手を彼女を包み込む寸前で僕は正気を取り戻す。


「こ、この山を降りると村があるんだ。ほら、あそこに切り開かれている場所があるだろう? あそこだよ」


 僕はヨナを抱きしめようとする手を制止して、村がある南の方角を指差した。

 ヨナは男に顎で指示をする。それに応じて男は南の方角を見渡す。

 ヨナに夢中で気づかなかったが、男は腰に忍ばせた剣に手を添えていた。もし僕が彼女に手を出していたら、八つ裂きにされていただろう。僕は数秒前の自制心を取り戻せた自分を心の中で褒める。


『姫、ありました! あそこでしょう」


 男はヨナに大声で呼びかける。

 僕はヨナの方に向き直ると、彼女は僕のを間近でじっと見つめていた。


「魔法使いの村って何?」


 ヨナは僕をずっと見つめ続ける。なんて綺麗な眼だろう。吸い込まれるような瞳は彼女のチャーミングポイントの一つだと思う。

 とそんなことを考えていると


「答えて」


 とヨナは催促する。僕は彼女の迫力に見惚れながら答える。


「魔法を……使う人たちが隠れ住んでいる村だよ。君たちが探しているものの手がかりがあるかもしれない」


 ヨナの旅の目的、それは魔法の力がなぜ自分たちに宿ったのか解明するためだ。そのために彼女たちは旅をしている。いや、せざるを得ない。

 彼女たちも村の人々と同じく、迫害の危険に付き纏われている。だから一定の場所に長居はせず、旅をしながら生活しているのだ。

 ヨナは俯いて顎に手を当てて考え込んでいる。


 すると山の向こう側から車輪が回る音が聞こえてきた。音のする方向、北側を見ると沢山の人と馬車が現れる。彼らは一度だけ遠目で見たことがある。フィーチェで僕が窓からみた光景。『魔の民』だ。


 ヨナはひとしきり考えがまとまったのか


「……わかった。案内して」


 とを僕にお願いしてくる。

 お安い御用だ。ヨナのためとあらば、僕は崖にだって飛び込むだろう。


「よし。じゃあ『皆さん! こっちから下れるので来てください』」


 『魔の民』の人にも分かるようにアルン語で誘導する。


 彼らは『誰だ?』と言っているが、ヨナが『魔の民』のみんなの元に駆け寄る。これまでの経緯を説明するのだろう。

 少し急ぎすぎたようだ。僕はその場で話が終わるまで立ち尽くしていた。



——————————



「ヨナ、もうすぐ着くよ」


 馬車が通りやすいように草木をかき分けて歩きながら僕はそう言った。隣には待ちわびた少女ヨナがいる。二人の初めての共同作業が馬車が通る道の整備だなんて笑えるけど、その瞬間瞬間が僕に幸せを実感させる。


「そう」


 ヨナは素っ気なく僕の声に応える。彼女の性格は分かっている。言葉数は少なく、不必要なことはあまり言わない。もしかしたら感情表現が少し下手なのかもしれない。そんな彼女が僕は好きだ。

 すると男が僕に話しかけてきた。


「あー、そのヨナってのは誰のことだ? 姫のことか?」


 その質問の意図が僕には読めない。姫というのは『魔の民』がヨナを呼ぶときにいう言葉だ。彼女は『魔の民』の首長であり、そんな人を本名で呼ぶのは失礼なことだっただろうか。


「え? そうですけど……」


 僕は体格の良い男に気圧されてしまい、小さく応える。


『ゲーテ。いいの』


 ヨナは男を諌めるように言う。

 ゲーテというのはこの男の名前だろう。僕をオオカミから救ってくれた恩人の一人だ。そうか、この人がゲーテさんか。あとで改めてお礼を言わなくちゃいけないな。


『……そうですか。わかりました』


 ゲーテさんは先程の勢いはどうしたのか、意気消沈する。こうやってみると不思議な構図だ。僕はヨナには敬語を使わず、ゲーテさんに敬語を使う。対してゲーテさんはヨナには敬語、僕にはぶっきらぼうに話す。複雑な関係だ。

 それにしてもゲーテさんはギリア語が上手だ。多分教師が良かったのだろう。教えたのは多分ヨナだ。

 僕がヨナにギリア語を教えてから数年。『魔の民』の皆さんも今までギリア語圏を旅してきただろうから、身について当然だ。

 そんなことを考えてながら道を進んでいるとやがて村が見えてきた。


「あ! あそこだよ。ヨナ!」


 僕が指をさして言うと、ヨナはこくりと頷く。そして『魔の民』のみんなの方に振り返り、大きく手を振る。するとみんなはその場で止まり、ヨナだけが村の方に歩き出す。

 僕もみんなと同じように立ち止まっていると


「行きましょう」


 と短く呼びかけてくる。僕は気がついてヨナの元へ駆け寄る。

 まずはヨナだけで村長に話をしにいくのだろう。ふと思い出した。


「……僕たちが出会った時みたいだね」


 僕がヨナをマーレの村の村長の家まで案内する。それは奇しくも昔僕が彼女をリシュリューさんのいる領館に案内した時と同じ状況だった。


「そうね」


 あの時も彼女は一人で街に入って来た。そして僕の元に訪れたのだ。突然『魔の民』全員が村に入っては迷惑だろうという彼女の優しさを垣間見ることができた。


 そうして村長であるシモンさんの家まで案内し、扉の前まで来た。

 ノックはいらない。そうシモンさんに言われていたから僕は遠慮なく扉を開ける。

 僕にとっては既にお馴染みのの光景、シモンさんが暖炉の前で揺りいすに座ってパイプを吹かしている。


「おぉ、おかえり、アランくん。そちらの方はどちらさまかね?」


 シモンさんは柔和な態度で僕に笑顔を向ける。


「ただいま。シモンさん。僕の友人を紹介します。魔法使いのヨナです」


 僕は手でヨナを手で仰ぐと彼女はぺこりとお辞儀をする。

 淡々と告げられた事実にシモンさんはガタッと椅子を揺らす。


「魔法使いか……。して何用かな? ヨナさん」


 シモンさんは一度動揺したが、すぐに態度を柔和な雰囲気に戻す。

 ヨナは僕の方に首を回して申し訳なさそうに


「ごめんなさい。ここからは二人で話したいの」


 と僕の退室を促す。

 そういえばリシュリューさんの時もそうだった。魔法使い同士でしか話せないことがあるのだろう。でも、魔法を研究する者として今回は引き下がれない。

 僕は意を決して言う。


「僕もここに残らせてくれ。お願いだ」


 目に力を入れて頼み込む。ヨナは僕の言葉に驚きの表情を見せる。そしてヨナの癖だろうか、顎に手を当てて考え込む。


「……わかった。でも口は挟まないで」


 僕は彼女の静かな、しかし意志を感じる言葉にただ頷く。


「まぁ二人とも座りなされ」


 シモンさんは重い腰を上げてテーブル近くの椅子に着く。僕たちが来たときには揺り椅子に座ったままだったのに……。僕はいつもとは雰囲気が少し違う気がするシモンさんを見つめながらヨナと共に椅子に座る。


「恐らくアランくんから聞いていると思うが、この村は魔法使いの村だ。ここで暮らしたいというなら喜んで歓迎しよう」


 シモンさんはヨナにそう言って答えを待つ。対してヨナは


「私たちは旅人、長く留まることはありません」


 シモンさんは疑問を顔に浮かべる。


「では……何故ここに参ったのかな?」


「私たちの名前は『魔の民』。あなたも魔法使いなら聞いたことはありませんか?」


 シモンさんは体を震わせる。その感情は驚きだろうか、しかしその顔を驚きというよりも歓喜を浮かべている。


「まさか……。あなたが……」


 シモンさんの声が震えている。それに応えるようにヨナは頷く。


「そうです。私が『魔の民』の族長、ミカエラ・イリス=ハーディンです」

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