第3話 魔の民


——数ヶ月後


 街は拡大を続けていた。今まで街の中心地に留まっていた商業街は街の東側、つまり僕の家の前まで広がっていた。

 こうなった原因は止め処なくやってくる新規の顧客や移民のせいだ。

 僕が退屈にあくびをしていた日々は嵐の前の静けさだったのだ。

 予想するに、実は父やリシュリューさんが遠方のお客さんと連絡を取り合っていて、その人たちがようやく到着したのだろうと思う。


 おかげで僕はてんてこまいだ。

 暇を潰すために持って来た本も今は全く読めず、隅に居座っている。

 僕の家の前には自分の番はまだかまだかと待つ人たちがごった返し、僕は一日中紹介状を書く作業に追われている。

 簡単な仕事だと思っていたのは間違いだった。作業自体は簡単なんだけど、これだけ毎日忙しいとどうにかなってしまいそうだ。

 忙しいことはとても喜ばしいことだ。しかしそれは商人の話。僕の仕事はいわば行政の仕事のようなものだ。少しは慣れて来たけど、それでも真昼のピーク時にはカウンターの前の紹介状と目の前の客の群に辟易してしまう。

 数ヶ月前には護衛の兵士が一人駐在するだけだったが、今は紹介状を書いてくれる人やお客さんを誘導する人、そして護衛の兵士も増員された。

 更にお客さん達が加わって、この家周辺の人口密度は異常になっていた。

 こんな状況だ。ヨナとのギリア語の勉強会はここしばらくやっていない。

 そんな日々を過ごしていると、いつまで経っても働き続けの僕にリシュリューさんは突然休暇を言い渡した。「たまにはゆっくり過ごすといい」というありがたい言葉と共に。

 しかし、あまりにも突然で特にやることを思いつかない。

 とりあえず、家にいても目の前のいる人の群れに圧倒されるだけなので街に出ることにした。

 僕は街の中心までたどり着く。久しぶりだからか街の空気が新鮮に思えた。いや、それも当然だ。たくさんの人間が街に流入し、街の雰囲気も少しずつ変わりはじめているのだ。今まで見なかった東方風な店やスパイスを売っている店が見える。街を行き来する人だかりの中には初めて見る顔もいる。

 僕の元に来る業者や移民は代表者だけ直接顔を見ているから、知らない人がいて当然だ。

 でもこの街が知らない街に変わってしまったような微かな寂しさを覚えた。


 街では特別気になる物などはなかった。

 僕は大商人の息子である。この世に流通しているものの大体のものは見たことがあると自負している。それくらいこの街の貿易は素晴らしいのだ。いや街というのももうすぐ間違いになる。

 リシュリューさんが周辺の国家に認められればこの街は自由都市として認められるという話を父から聞いた。そうなれば、リシュリューさんは大都市の領主となるだろう。

 街一番の商人である父も同じくらい地位が上がるだろう。リシュリューさんから何か勲章をもらってもおかしくない。


 そうなれば、僕も都市貴族となるというわけだ。

 僕はあまり興味がないけれど、貰えるものは貰っておく。それが商人というものだ。


 余談はさておき、僕は街の中心地を出て、街の西側にきた。

 ここは農業を主に行っている場所だ。近くに川や森があり、様々な作物が取れる。いわばこの街が発展して来た地盤である。

 移民としてやって来た人たちの多くはこの地域に住むことになる。ヨナの部族もこちらの地域に住んでいると聞いた。また、僕が好きな綺麗な夕焼けがみれる高台もこちらの地域にある。


 そうだ。彼女に会いに行こう。そしてあの夕焼けを一緒に見るんだ。

 あの夕焼けを見て、彼女はどう思うだろうか。楽しみだ。


 とても良いプランを考えついたところで、彼女の部族のいる場所を探す。詳しい場所は知らないが、夕方まではまだ随分時間がある。探しながら行けば、丁度良い時間になるだろう。


 少し歩いたところで農作業をしている男性を見かける。

 丁度良い。聞き込みをしよう。


「あの。 すみません」


「はい?」


 知らない顔だ。

 彼もこの街にきたばかりなのだろう。


「あの、ヨナっていう女の子がある部族を探しているんですけど。知りませんか?」


「ヨナ? んー知らないな」


「そうですか。ありがとうございます」


 とお辞儀をしてその場を去る。

 彼は農作業に戻り、僕は西の方向へとりあえず歩き出した。



———————————



 あれからどれくらい経っただろう。両手の指の数では足りないくらいの人に聞き込みをしたけれど、一向にヨナの部族の情報は出てこない。


 彼女は今この街にいるのだろうか。

 不安に気持ちが傾いた時にはすでに日も傾いてきていた。


 仕方ない。今日は彼女のことは諦めよう。

 一人で夕焼けを見るのも悪くない。いや、一人だろうと二人だろうとあの景色は最高だ。


 そう思い直して高台がある場所、更に南西側の森の方向へ歩き出した。

 高台は森の中を少し歩いたところにある。獣が出ることは滅多にないが、夜行性の動物が活動を始める時間でもある。多少危険であることは間違いない。

 けれど、その危険を冒してまで見る価値のあるものがそこにある。


 森の入り口に着くと「オオカミに注意!」と書かれた看板が目に入る。しかし、僕は何の躊躇もなく一歩目を踏み出した。


 森の中はいつもは静かなのに、今日は強風の音でざわざわと騒々しい。心なしか、空にはいつもより雲が厚くかかっていて、暗いような気がする。

 しかしながら、期待を持った僕の心には全く関与してこなかった。


 高台の山道を登りながら一息をつく。僕はあまり運動は得意ではない。小休憩を挟まなければ頂上までいけない。

 持ってきていた水筒の蓋を開け、水を喉に流す。

 はぁ、少し楽になった。さぁもうすぐ頂上だ。

 まだ疲れが足に残っているが、待ち受ける景色に心は耐え切れず歩き出す。


 頂上に行くと木々の天辺も足元に来る。

 急に景色が開かれ、その景色には多くの人が目を奪われ、立ち止まるだろう。

 僕も初めてここを見つけた時はそうだった。


 でも今日は別の理由で立ち止まった。

 丘に立つ大きな影の存在に気がついたからだ。


 僕を見据える眼。

 逆立った荒々しい毛並み。

 そして血で塗りたくられた口と牙。


 オオカミだ。


 突然の出来事に僕の頭は真っ白になる。

 一呼吸を置いて僕の思考を支配したのは


 恐怖だった。 


 僕は足がすくんで動けない。

 助けてという言葉を出そうとするがうまく出てこない。もっとも助けてと叫んだところで誰も助けに来てくれはしない。ここは森の高台。誰も立ち寄らない場所なのだ。


——逃げなければ……!


 すくんだ足を叩こうとするが、叩こうとする手も震えてうまく動かない。

 僕の頭は逃げろ!と急かすが肝心の体がついてこない。


 オオカミが僕に向かって低く唸る。

 それは「狙いを定めたぞ」とでも言うようにおぞましい鳴き声だった。

 

「っぁ! はぁ!はぁ!はぁ!」


 その鳴き声のお陰か僕の体はやっと僕の思うように動くようになった。慎重に下り坂を走る。ここで足を挫きでもしたら死は免れない。


 後ろを見ると、オオカミがこちらに向けて駆け出すのが見えた。どうやらオオカミはお腹が空いているようだ。


——なんて運が悪い!

 

 そうだ。今日は運が無い日だったんだ。

 ヨナにも会えなかったし、オオカミには会うし、こんな日に休暇を与えるなんて!

 僕はリシュリューさんを身勝手に恨んだ。


 このままでは間違いなく追いつかれる。

 僕の息はすでに切れていて、喉から甲高い息の音が聞こえていた。


 ——くそ!

 こんなことなら、丘の中腹でもう少し休んでいけばよかった!


 ふと、昔ジュリアが言った言葉を思い出す。


——鍛えておかないと、いざという時に困るよ?


 全くその通りだ。ジュリアを脳筋だと馬鹿にして体を動かしてこなかった自分が憎い。

 こうなってしまった以上、今更過去のことを考えても何の意味はない。けれど、何が間違っていたのだろうと考えられずにはいられない。

 そんなぐちゃぐちゃになった頭でどうすれば助かるか必死に考える。


——森を出るんだ!


 そうするしかない。森から出ればオオカミの縄張りから出られる。森の外に行けば、人がいる。そうすれば……助かる!


 山の麓まできたところでオオカミがすぐ後ろにいることが振り返らずとも分かった。すぐ後ろから荒い息遣いが聞こえるのだ。


——まずい!


 僕がそう思った時にはオオカミが大きな口を開けて僕に飛びかかっていた。しかし、寸でのところで僕は体をひねって牙を躱す。服の後ろ側が破け、ガチンとオオカミの歯が鳴る。オオカミは仕留めたと思ったのか一瞬足を止める。

 その隙に僕は勢いに任せて駆ける。


 今のは危なかった。一瞬でも遅れていたら噛みちぎられていたのは服ではなく僕の脇腹の肉だっただろう。

 しかし、呑気にそんなことを考えている場合ではない。今考えるべきことは森を抜ける最短ルートだ。

 森の中に入る人は少なく、道は整備されていない。だから自分の記憶を辿って来た道を必死に戻る。

 そうしてようやく僕は森を抜け、木々だらけの景色から抜けられる。



——そう思っていた。



 見えた景色は少しの空き地とその先にはまた木々が連なっている。

 ……どこで間違えてしまったのか。

 頭の中が真っ白になる。ここがゴールだと思って走っていた僕は落胆に膝を落とす。


——もうダメだ。


 振り返るとオオカミが目の前まで来ている。

 大きな口が僕めがけて突進してくる。僕はとっさに出た腕でそれを受け止める。


「 っ! あァ!!!」


 痛みに声を上げる。

 牙が前腕に食い込み、血が滴る。

 必死にオオカミに抗おうとするが、力が入らない。


 オオカミが首を振るって僕の腕を引きちぎろうとする。

 僕は既に枯れ果てた体を必死に動かすが牙はどうやっても抜けそうにない。そしてだんだんと力が抜けていく。

 僕の意識は靄にまみれ、空っぽになった頭が勝手に今までの人生を振り返る。

 商人の息子としての父さんと過ごす勉強の日々、リシュリューさんやジュリアとの生活の日々。そして……ヨナとの出会い。

 こんなことを思い返していても、今となってはなんの意味を持たない。僕の人生はここで終わるのだ。諦めたその時……



 突然、周囲に轟音が鳴り響いた。



 何かが爆発したような衝撃に僕の体は吹き飛ばされ、原っぱに投げ出された。

 爆心地の方を見ると銀色に輝く人が見える。輝いているのはその人の眼とフードに隠れている髪。その銀色は忘れたくても忘れられない、ヨナの色だ。


 上体を起こして周りを見渡す。

 オオカミは吹き飛ばされて木に打ち付けられている。しかし、その眼光は未だに光を失っていない。銀色の輝きに狙いを定めている。


『何であなたが………』


 女の子の声…アルン語…間違いない。フードに顔は隠されているが彼女はヨナだ。


「よ……な………」


 逃げろと言葉を続けようとしたが、そうしている間にもオオカミは彼女めがけて突進して来る。

 彼女を巻き込んでしまった。僕は後悔の念に駆られる。

 オオカミがヨナ目掛けて飛びかかった時、彼女は手のひらを前にかざす。


 再びの轟音が響く。ヨナの目の前で爆発が起きた。


 オオカミはキャインと鳴き声をあげながら後ろに吹き飛ぶ。ヨナの体は微動だにせず、髪だけが爆風になびく。

 直後、ヨナは彼女らしからぬ大声を出す。


『レット! ゲーテ!』


 二人の男が森から飛び出す。一人は棍棒、もう一人は槍を持っている。ヨナが叫んだのは二人の名前だろう。

 棍棒を持つ男が素早く棍棒でオオカミの頭を殴り、もう一人が槍で心臓を突こうとする。しかし、血が滴らない様子を見て僕は気付いた。槍は突き刺さらず、毛皮で止まっているのだ。

 何で丈夫な毛皮なんだ! あんなものは見たことがない。

 オオカミは頭を殴られたことを物ともせず、二人の男を睨む。

 槍を持った男が声を上げる。


『姫!こいつ、進化してる!やってくれ!』


 姫? ヨナのことだろうか。

 進化? 何のことだ?


『わかった! 離れて!』


 僕の疑問はヨナの声に霧散した。二人の男は素早くオオカミから離れるのが横目で見えた。一人は僕の方へ向かって来ている。僕はオオカミからある程度距離が離れている。またあの爆発が起きても問題はないだろう。

 そしてヨナを凝視する。彼女はオオカミに向けてもう一度手をかざす。

 すると男の一人が僕を抱えて一目散に駆け出した。

 僕だけが状況を飲み込めないまま、男に運ばれる。

 起きたのは


 先ほどとは比にならないくらいの大爆発だった。


 周りの木々は吹き飛び、草地は焼け、木が煙を上げる。

 その爆心地、オオカミに至ってはどうなったのかわからない。

 僕は男の腕に抱かれて安心してしまったのか、そのまま気を失ってしまった。



——————————



「………………んぅ」


 微睡みまどろから醒める。

 いつもと同じようにベッドから起きようとするがベッドの感触が違うことに気づく。ここはどこだ? 家の中……でも僕の家じゃない。何というか……遊牧民族の趣がある家だ。

 僕が寝たまま辺りを見回していると


「おはよう」


 声の方へ目を向ける。ヨナだ。

 すぐ隣で僕を見ていたようで、顔を向けると優しい笑顔を浮かべてくれる。


「ヨナ……」


 そして僕は今までのことを思い返す。オオカミに襲われて、男に抱えられて、それから……。


「あ! オオカミは!?」


 僕は先ほどの事態を思い出し、飛び起きる。

 腕に痛みが走る。オオカミに噛まれた傷だ。見ると包帯が巻いてある。

 

「大丈夫。私たちが始末した。腕の怪我は大丈夫?」


「うん。……なんとか」


 僕は腕の痛みに耐えながら今までの疑問の数々を思い出した。


「あの……あれは何だったの!?」


 考えがまとまらなくてうまく言葉にできない。

 僕が聞きたいのはヨナの髪と眼が光っていたこと、爆発、通常よりも頑強な毛皮を持つオオカミ、男がオオカミに対して言った進化という言葉の意味。


 ヨナは僕の考えを読もうとしているのか、手を顎に当てて考え込む。

 僕がもっとわかりやすい言葉に直そうと考えていると、彼女は意を決した様子で僕の方に向き直る。


「魔法」


 僕は唖然としてしまう。言葉が出てこない。

 彼女は何と言ったのだ? 魔法? そんなおとぎ話を信じると思っているのだろうか。


「ま、魔法だって? からかってるのかな。新しい発明か何かだろう。大丈夫僕は秘密を守るよ。助けてもらった恩を仇で返すような真似はしないよ」


 恐らく彼女たちは独自の発明を完成させて、それを使ってオオカミを倒したんだ。魔法なんてものがこの世にあるはずがない。

 ヨナは僕の言葉に首を振る。そして手のひらを上に向けた。


「違う。魔法」


 そう言うと彼女の髪と目が輝き出す。

 目の前の光景に見惚れているとヨナがかざした手の平の上で小さな爆発が起きる。


「うわ!!!」


 ヨナは申し訳なさそうな顔で一度俯いて、上目遣いで言う。


「信じて……くれた?」


 僕は驚きに目を見開き、固まってしまう。

 手の中には何もなかった。何か粉のようなものが撒かれる様子もなかったし、摩訶不思議としか言いようがない。

 僕を騙す理由も思いつかない。それに少しの間ではあるが、彼女とともに時間を過ごしたのだ。

 僕は彼女を信じる。


「わかった。信じるよ。でも魔法なんて…」


 僕が言葉を終える前にヨナが声を出す。


「……おとぎ話、でしょ?」


 彼女は寂しそうにそう言った。


「でも在るの」


 ぽつりと一言。


「誰もが魔法を見たとき、これは悪魔の力だと言う。私たちは悪魔ではないのに。そして私たちを迫害する。だから私たちは旅をしている。でもそれは逃げるためじゃない」


 彼女は瞳に強い意志を宿らせて言う。

 僕は彼女の疑問をまっすぐにぶつける。


「じゃあ何のために……?」


 彼女は覚悟を決めた瞳で僕を見据える。


「この力がなぜ私たちに宿ったのか確かめるため。この力を解明するため。」


 強い語気で放った言葉が部屋に響く。

 そして僕はヨナの言葉の一片に疑問を持つ。


「私たち……ってことは!」


「そう、私たちは魔法を使う民、



 『魔の民』よ」

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