第19話 いつかきっと ~護衛騎士の回想~

 できれば、ゆっくりと順序を踏んでから彼女と結ばれたかった。

 あの男から遠ざけ、彼女の心が自立してから愛を告白して、求婚するつもりでいた。婚姻のドレスも腕輪もすでに準備はしていたが、この国で結婚式を挙げることになるとは予想もしていなかった。


 急な告知にも関わらず、町の沿道で大勢の人々が結婚を祝ってくれた。彼女は思いがけない人数に驚き恥じ入っていたが、ヴァランデールならもっと多くの人々に祝福されていただろう。


 それにしても、我ながら本当に下手な嘘を吐いた。嘘は不得手だ。……大体、私は間諜には向いていない。それはこのカデットリ王国の騎士になった直後、フェイ――イグナート王子に正体を見破られたことで証明されている。


 私は下級貴族の第六子。十五歳で剣技と鳥寄せの技術を認められてヴァランデール王国の騎士になった。その後オスヴァルド王子の指示を受けて間諜となり、十八歳でカデットリ王国の騎士の試験を受けた。


 この屋敷に来てからは白い鳥でフェイと手紙をやり取りし、依頼があれば近隣の村や町で、時には王都で密かに事件を片付けていた。


 黒い鳥はオスヴァルド王子とのやり取りだ。昔、私の正体がバレたと報告した際には、フェイと友人になっておけという返信があり、フェイに大笑いされた。


 私が王女を慕っていたというのは全くの嘘だ。そう言っておかなければ、彼女はこれから先、永遠に私に引け目を感じて生きることになるだろう。彼女と私が同じ立ち位置にいると思ってもらう為に嘘を吐いたが、もう少し上手い話を考えつけなかったのかと猛烈に後悔している。


 私は表向きは王女の監視役の一人として、実際はフェイが個人的に動かせる間諜としてこの屋敷へと送られ、無味乾燥した日々を過ごしていた。そこに現れたのが彼女だ。

 

 彼女があの男を盲目的に愛する姿は病的で、その一途で歪な愛をずっと見ていた。幼少の頃から両親や家族に愛されずに育ち、愛を知らず、人を信じることができなかった私は、その愛が欲しくて堪らなかった。いつの間にか、その愛を向けられたいと願うようになっていた。


 どうやって彼女の心に入り込むか、少しずつ距離を詰めることに心を砕いた。思い返せば随分滑稽な行動を繰り返していたように思う。


 あの男に裏切られても縋ろうとする彼女の姿に、彼女の精神が壊れてしまっているのだと気が付いた。彼女の愛があの男によって誘導された偽物だと理解した時、残念に思うと同時に彼女の本物の愛が欲しいと強く願った。


 医療が進んでいるヴァランデールから精神医学の論文を取り寄せ、どうすれば彼女の心の状態を回復させることができるのか、その方法を必死で探した。いくつかの論文は参考になったが、決定的な正解はまだ見つかってはいない。


 予想外の速さで彼女は私の妻となり、その体は手に入れることができた。ここからは彼女の心を手に入れる為の、長い戦いが待っていることは覚悟している。



 あの屋敷は王女とあの男の牢獄だ。それゆえに貴族の屋敷には必ず設置されている時を知らせる鐘が無い。名もない村は屋敷の監視の為に置かれていて、住んでいるのは屋敷の使用人たちの家族や間諜。


 王女は成人する前からヴェーラ夫人と自称する妖女の甘言に乗り、〝恋人たちの宴〟と称する醜悪な夜会を繰り返していた。宴の犠牲者は平民男女三百名を超えており、それまで王女を溺愛していた王ですら庇いきれるものではなかった。


 罪を重ねた第三王女を処分する舞台を模索する中、王女が最初で最後の恋をしていた。


 王女が恋したという男を調べると、王都の学校で自殺が頻発した件が浮かび上がってきた。六年間の自殺者は少年と教師、合わせて十五人。それまでは自殺者など全くいなかった。


 共通していたのは、春と夏の休暇にあの男と過ごしていたことだった。全員が遺書を残しておらず、そのうちの一人――あの男が親友と呼ぶ少年だけが、帳面に魔法による走り書きを残していた。魔法によって書かれた文字は魔力を持つ者だけが読める物で、魔力が失われて久しいこの国で読むことができたのは、若干の魔力を持つ私だけだった。


『僕は絶対に自死しない。それは僕の意思じゃない』

 当時は誰も意味がわからなかったが、泉に落ちた直後の彼女の言葉で理解できた。


 あの男は、被害者の心の奥底に自死をもたらす言葉を植え付けていた。被害者があの男の異常性に気が付いた時、それは発芽する。彼女の場合は入水だが、首を吊る、飛び降りる、走る馬車に飛び込む、そう言った行動が結び付けられていたのだと推測できる。


 魔力も何も持っていない男が、そこまでの心理誘導ができるものなのか。当初は訝しいと思っていたが、彼女の行動を見ていると可能なのだと思う。おそらくあの男は、その手法を彼女で学び実験して完成させた。


 あの男が狙うのは、真面目でおとなしい性格の人間だ。持ち物や金、研究成果を奪い取られるような明確な被害にあっていても周囲に声を上げられず、精神を絡めとられて行動を操作されてしまう。


 調査に関わった者全員が、あの男は処刑するべきだという結論に達した。生かしておけば、犠牲者が増えるという意見も一致した。


 調査内容が報告され、王女とあの男を同時に処刑すると王が決めた。当初は平民に恋をした王女が駆け落ちをして、馬車の事故で不幸にも死亡するという計画が作られていた。その計画が延期されたのは、王があの男の卒業論文に目を留めたからだ。


 あの男の親友は幼い頃から病気の母の為に不老不死の魔法薬を研究しており、その研究の副産物として一時だけ少し若返る魔法薬を作り上げていた。


 王はその成果に驚き、不老不死の魔法薬の完成を望んだ。あの男はこの不老不死の研究が失敗した場合、王女と共に殺されることを知っている。


 ただ、親友は遺した卒業論文に巧妙な罠を仕込んでいた。ほんの些細な罠だが、それに気が付かなればその研究がすべて無駄であることがわからない。魔力を持っている者なら気が付いただろうが、あの男は魔力を持っていない。

 それはフェイに報告していない。大金を食いつぶす研究が無駄だと判明すれば、あの男も王女も当初の予定どおり、事故に見せかけて殺されるだろう。


 親友は若返りの魔法薬にも罠を仕掛けていた。一度飲むと半日の間、少しだけ若返る。飲む量を増やせばさらに若返る。フェイには副作用の可能性があると言っておいたので王が飲むことはなかったが、この六年、王女は朝晩に薬を飲むことを欠かさなかった。

 この薬の副作用は、ある一定以上の摂取量を超えると効果時間が短くなり、老化が促進される。王女は屋敷に戻る直前に一定の摂取量を超えた。


 屋敷に戻ってきた王女が叫んでいたのは、薬の効果時間が切れた時、自分の現在の姿を認めたくないからだ。暴れる王女を止めて欲しいと頼まれた際に見たのは、まるで百歳を超えた老婆のような姿だった。それでもあの男は寄り添い慰めていた。


 火の精霊は親友を助けようと魔力を使い果たし、捕らわれていた。親友が作った頑強な檻を破るには強大な魔力が必要だったが、檻の中では魔力の受け渡しが制限され、割った薪に私が魔力を注ぎ込み、その薪を精霊が食べることで魔力を少しずつ補給するという方法しかなかった。


 魔力が完全回復した精霊は、自分の体内で魔力を生成することができるようになるので、もう供給は必要ない。いつでもあの檻を壊して外に出ることができるだろう。火の精霊は復讐の機会をうかがっている。研究の無駄が知られて馬車の事故で殺されるのが先か、火の精霊に焼かれるのが先か。どちらになるのかはわからない。


 ……王家というものは本当に恐ろしい。

 罪を重ねた王女が処刑されれば醜聞にしかならないが、幸せな結婚をした王女と平民公爵の不幸な事故死は、王家の歴史を彩る美しい悲劇の物語の一つとなる。王族は、その死すらも無駄にしない。


 彼女が長年受けてきた仕打ちを思えば、すぐにでも処刑されればいいと思うが、まだ殺せない。彼女が精神的拘束から解放される前にあの男が死んでしまっては、すべての悪行が思い出に昇華されてしまう。決して美しい思い出にしてはならない。



 結婚式後の数日を町で過ごし、出発することになった。

「町から出る前に、仕立て屋に挨拶してもいいですか?」

 私の問いに、彼女が頷く。

「はい。私も素敵な婚姻用ドレスのお礼を再度伝えたいと思います」


 彼女と二人で手を繋ぎ、仕立て屋へと向かう。この仕立て屋の主人は私と同じ、ヴァランデールの元・間諜だ。この国の女性と恋に落ち結婚して引退したものの、荷物のやり取りや急ぎでない手紙の仲介役として今もヴァランデールの為に動いている。

 この国を出ると伝えると、残念だと言いながらも祝福してくれた。


 この国の騎士になって集めた情報は、オスヴァルド王子へと報告してきた。フェイの間諜として見聞きした情報は報告していないが、それでいいとオスヴァルド王子は返事を下さった。フェイの友人として過ごす時間は、私にとって貴重な経験になるだろうと手紙に書かれていたが、思い返せば確かに貴重で楽しい時間だった。


 報奨金と帰国の旅費として、かなりの金額が送られてきた。カデットリ王国からも騎士としての給与と退職金を受け取った。彼女はあの男に取り上げられた資産の受け取りを拒み、教育係としての給与だけを受け取った。


 オスヴァルド王子の次の指示は、ヴァランデールのとある港町の貿易商たちの内偵だ。外国との取引の中で違法行為が行われているらしい。相変わらず指示が大雑把なので、自力で内部に入り込む方法を模索するしかない。


「エフィム? どうかしましたか?」

「家族から手紙です。旅行中に珍しい酒があったら送れと書かれています」

 暗号で書かれた手紙は、大抵酒の話を装っている。オスヴァルド王子は昔、家族に見捨てられた私に、俺が親父になってやると言ってくれた。当時は何と馬鹿なことを言うのかと思っていたが、今となっては家族と聞けばオスヴァルド王子とエミーリヤの顔が浮かぶ。


「先程、馬車の中から酒屋を見かけました。すぐに出掛けましょう」

 あの屋敷から離れるにつれ、彼女の笑顔が明るくなっていく。言動にも自らの意思が現れるようになっている。


 私の一方的な強制ではないことが嬉しい。人形のような反応を示す彼女より、生き生きと自分の意思を示す彼女の方が遥かに魅力的だ。



 ヴァランデールに向かう馬車はなだらかな山道を登っていた。夏の山は清々しい緑に覆われている。

「エフィム? このカデットリ王国は高い山に囲まれていて、馬車では出られないのではなかったのですか?」

「地図には嘘が書かれていることがあります。低い山もあり、馬車で越えられる道がいくつか存在します。秘密ですよ」


「……はい」

 彼女はまだ、あの男の支配から抜け出せていないとわかる瞬間がある。この秘密の抜け道をあの男に教えなければならないと、今、思っているのだろう。


 寂しさを感じる瞬間でもあるが、その頻度は低くなってきている。あの屋敷にいた頃と比べれば全く気にならない。



 彼女の体調が悪い時以外は、毎日抱いている。

 あの男と物理的に離れたこともあり、徐々に彼女の関心が私へと向かっていることを感じている。あと何度抱けば、心を捕まえることができるだろうか。


「これから一生、貴女だけを愛します。エミーリヤ」

 彼女のすべてが欲しい。絶対に逃がさない。

 赤く染まった彼女の頬に、口づける。


 いつの日にか、愛していると彼女の口から言われたい。

 心からの願いと共に、柔らかな彼女を抱きしめて口づけた。

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