第14話 悪夢の始まり

「中村さん……もう私、我慢できないです。そろそろ……答えを聞かせてもらえませんか」

「え?ち、千夏ちゃん……前にも言ったけど、君が高校を出るまでは……」


昼下がりの界人の部屋でまさに今、ドキドキの展開が始まろうとしていた。

動き回れない界人の代わりに甲斐甲斐しく世話を焼く千夏。

ふとした拍子に界人の手が千夏の手に触れ、千夏は衝動を抑えきれなくなっていた。


「そんなの、ダメです。何で千夏って呼ぶんですか?」

「え?彩ちゃん……」


界人が千夏だと思っていた少女はまどかで、にも関わらず界人は彩の名を口にしている。


「だって、由衣がいるから……僕には由衣がいて、ゆかりが鬼だからどうにもならないんだよ。僕の体は一つしかないし」


自分で言っていてどういう意味なんだろう、と不思議に思う。

――ああ、これは夢なのか。なら別に欲望に任せてしまっても、誰も僕を責めたりはしないだろう。


「それって、OKっていうことですよね?私、大丈夫ですから。こう見えて由衣ちゃんは私の娘なんです」

「そうだったのか!それは知らなかった……」

「だから、中村さんを今から頂きますから」


そう言って千夏なのかまどかなのか彩なのかわからない少女が、何処からともなくチェーンソーを取り出す。


「それ、何に使うんだ?ステーキを食べるんだったらそんなでかいナイフは役に立たないと思うんだけど」

「やだなぁ、中村さん……あんたを切り刻むために決まってるじゃない」

「!?……ゆ、ゆかり!!」


いつの間にか、自分の上に跨っていた少女がゆかりの顔になって、界人は仰天する。

――違う、鬼だなんて僕は思ってない!般若だと思ったことはあるけど、それだってきっと僕の愛情に違いないんだ!


「私は鬼の血を引く元嫁だから。あんたは私に刻まれて美味しく頂かれなさい」

「ダメだ!僕にはまだ女子高生が三人もいるんだから!!由衣だってそのうち女子高生になるんだぞ!こんなところで食べられてしまうのは、誠に遺憾であります!!」


――本当に、何を言っているんだろう。

そう思うのに、体が動かない。

チェーンソーの音がずっと鳴りやまないまま、界人はゆかりに頭から噛みつかれていた。


「うおおおおおおおおお!?」

「うわっ!?……びっくりした……お、起こしちゃいました?」

「……え?」


――何なんだ、今の……夢だったのか?怖すぎる……何て言うかゆかりがあんな猟奇的なことするなんて思えないけど……ちょっと見る目が変わってしまいそうだ。

肩で息をしながら、界人は部屋の中を見回す。

いつの間にか千夏が部屋にいて、掃除機をかけていた。


チェーンソーの音だと思っていたのは掃除機の音だったというわけだ。


『今回の事故に関しましては……わたくしどもといたしましても、誠に遺憾でありまして……』


テレビで何やら記者会見が行われていて、その音声が夢に影響をもたらした様だった。


「あの……寝言で私の名前呼んでたんですけど……私のこと、夢に見てくれてたんですか?」

「……え?」


寝言を言っていたということにも衝撃を受ける界人だったが、正直その内容まで割とはっきり言ってしまっていたことに更にショックを受ける。

夢は人の深層心理で……みたいな話を界人は以前聞いたことがある。

となると……。


――僕は、深層心理で千夏ちゃんを気にかけている?いや、でも彩ちゃんとまどかちゃんの名前も出ていたし……それどころか由衣もゆかりも出ていたよな……願望が出るとか言うけど、それだと僕は何だ、ゆかりに頭から食われたいとか思ってるのか?……んなバカな。


「その……少しでも中村さんの意識に私が入り込めているんだったら……嬉しいってだけですから」

「…………」


千夏は赤くなりながらも、掃除を続けていた。

時計を見るともう朝の十時を回っている。

しばらくこんな時間まで寝ていたということもなかったからか、界人は少し戸惑っていた。


この日はゆかりに、千夏の土下座を見られた翌日。

あれから界人はゆかりに連絡を何度か入れてみたが、返事は一切ない。

あの時の顔からして、相当ショックを受けていたのだろうと思われる。


――あれはまぁ、彩ちゃんが悪いんだけどな。

顔を洗いながら、界人は昨日の事件に思いをはせる。

あんなことがあったから、あんな夢を見たんだと、界人は自分を諫めた。


――何が何でも、彩ちゃんだけは何とかしないといけない。

そうは思うのに、今日に限って彩の姿が見えない。


「……今日は、千夏ちゃん一人なの?」

「そうですよ?何か用事でもありました?私一人じゃ不足ですか?」

「いや、そうじゃないよ……まぁ、用事って言うか……昨日のこともあるし、ちょっとあの子だけは何とかしないといけないかなって」

「あー……」


昨日の彩の発言が、ゆかりにとっての致命傷になったと考えられる。

これからまた、彩が爆弾を落としてどんな災厄が待っているかも想像がつかない。

そう考えると界人としては落ち着かないし、早いところ彩に再教育でも施すべきだろう、と考えていた。


「あの子、一人っ子なんですよ。しかもお母さんだけの片親で……由衣ちゃんと同じですね。家に帰っても一人でいることが多いみたいで、私がここによく来るって言うのがバレた翌日くらいに、ずるいよ、って怒られました」

「へぇ……」

「ここに遊びに来る様になってから、寂しいって言うのも大分解消されていたみたいで……多分はしゃいじゃってたのと、もしかしたらゆかりさんに中村さんが取られちゃう、みたいに思ったんじゃないでしょうか」

「…………」


――何だか複雑そうな話だな……。そういうの聞いちゃうと、ちょっとやりにくいよなぁ……。

界人は人にも自分にも甘い人間だ。

彩の境遇がどんなものか、本人から聞いたわけではないが、千夏から聞く限りでは寂しさの裏返しだという。


だとすると、頭ごなしに怒ったりして歪んでしまうのも何となく可哀想だ、という気持ちが湧いてくる。


「だから……私がこんなこと言うのもおかしいかもしれませんけど、彩のこと怒らないであげてくれると嬉しいなって」


――千夏ちゃんだってばっちり被害者だったはずなのに、優しい子なんだなぁ。

まぁ、友達ってそういうものなのかもしれない。

もっとも女同士の友情は割と一般常識で測れない部分もあるから、純粋に友情だけでつながっているとは限らないわけだが。


「まぁ、千夏ちゃんの言い分はわかった。だけど、ああいうのはちょっとね……今度きたら注意する程度に留めるよ」

「……中村さんは、ああいうの迷惑ですか?」

「え?」

「その……私とか彩とかまどかがよくここに押しかけてきますけど……ゆかりさんとか由衣ちゃんにあんな風にバレたりとか……」

「…………」


神妙な面持ちで、迷惑だったら今後のことは考えなければならない、と顔に書いてある千夏を見て、界人としてもこんな顔がさせたかったわけではない、という思いが湧いてくる。

実際、迷惑をかけられたという事実はあるものの、楽しくないかと言われれば正直楽しんでいる自分もいる。

いきなりこの子たちが来なくなったら、自分はどうなるんだろうと、今まで考えたこともなかったことを考えた。


「いや、迷惑ってことは……それに、今や半分は生活の一部みたいになってるから」

「え?」

「……何でもないよ。聞こえなかったんだったら、いい」

「も、もう一回言ってくれませんか?私が、生活の一部だって」

「何だよその都合のいい解釈……そんなこと言ってない……あと近い。ちょっと離れてもらえますか……」


界人の言葉に、千夏がやや興奮気味で迫ってくる。

千夏としても界人からこんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。


「だって、私中村さんから何とも思われてないのかと思ってたから……」

「いや……それはさすがに無理だろ。あれだけ一生懸命なのに、意識するなって言う方が無理あるよ」

「そ、それって……私のこと、女の子として見てくれてるってことですか?」

「…………」


――どっちかっていうと面倒見のいい娘、みたいな感じに思えなくもないけど……。そんなこと言ったらこの子暴走しそうだよな。今こんな状態で満足に逃げられないわけだし、刺激する様なことは言えない。


「お、女の子だとは思ってるよ、もちろん」

「何ですかその煮え切らない返事……」


ジトっとした目で千夏は界人を見る。

女子高生から向けられる蔑んだ視線は、正直界人としても来るものがあったがそこは何とか耐えた。


「か、仮に……僕が君をそういう目で見たら、それはそれでまずいだろ。だから僕はあまり踏み込まない様にしてるわけで……」

「それって、我慢してるってことですか?」

「は?」

「私を、女として見ない様に、敢えてってことですか?」

「ち、近い……マジで離れてくれ」


ぐいぐいと食い下がってくる千夏に押される形で、界人はいつの間にかベッドの上まで追い詰められていた。

――この展開はまずくないか……?逃げ道がない……!


「答えてください。私、もう……」

「ちょ、ちょっと落ち着いて、千夏ちゃん……」


普通に考えて男女逆な構図で、界人は千夏に押し倒される。

――何だよあれ、正夢だったのか?だとしたら、僕はゆかりに頭から食われて……。

あり得ないことを考えてしまい、背筋が凍る様な感覚に支配される。


しかし目の前の獣はもはや、獲物をしとめることしか頭にない様に見えた。


「答えをくれないんだったら……私は事実をもらいます」

「や、やめろ……無抵抗の人間に何するつもりだ……」

「い、痛いのはきっと私の方だけですから……中村さんは怪我してますし、そのままでいてくれたらいいですから……」

「だ、ダメだって……離れてくれ、頼むから……」


辛うじて力の入る腕で、千夏が完全にこちらに覆いかぶさるのだけは回避しているが、界人には千夏に劣る部分がある。

それは体力と持久力。

そして千夏は上から圧と力を加えてくるというこの状況。


圧倒的に界人は不利だった。

――やばい!このままじゃ僕は、女子高生に本格的に手を出した犯罪者になってしまう!!誰か!誰か助けてくれ!!


「おっじゃましまーす!……ってあれ?千夏、何してんの?」

「!!」

「あ、彩ちゃん!!」


界人には昨日滅茶苦茶なことを言った彩が、女神に見えた。

これで救われる!!

しかしほっと胸を撫で下ろす界人に、神は更なる試練を与えるのだった。


「あ!千夏ずるいよ!!私も混ぜろー!!」

「……は?」


結果、敵が二人に増えて界人の状況は更に不利になっただけという。

長く苦しい界人の戦いは、始まったばかりだ。

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