第6話 悪魔みたいな子だったら良かったのに
「意外と散らかってますね」
「……そこは意外に綺麗にしてますね、って言うところじゃないのか。というか、いつまでいるつもりなんだ?」
お邪魔しまーす、とか言いながら危機感の欠片もなく上がり込んできた女子高生。
そもそも男の一人暮らしの部屋とか怖くないのか、と界人は思うが、千夏は界人を信用して疑うことがない様だった。
「ここ、お家賃いくらなんですか?」
「さぁ……いくらだっけな。ていうか早く帰りなさい」
「まだ来たばかりですし。私、喉渇いちゃいました」
「…………」
図々しい娘だ。
しかし断るとまた何か脅迫めいたことを言われそうなので、界人は仕方なく適当なところに座る様言って、パックの緑茶を振舞うことにした。
「それを飲んだら帰りなさい。というか良く知らない男の家で出された飲み物なんか、よく飲みたがるね」
「信用してますから。中村さんは変な薬とか入れないって」
「……そりゃどうも。だけど親御さんだってもうそろそろ晩御飯とか用意してるんだろ。だからちゃんと……」
「ご迷惑ですか?」
真っすぐに界人の目を見つめてくる千夏。
濁ってしまった自分の目を見つめられるのが耐えられなくて、界人は思わず目を逸らしてしまう。
「……迷惑だ。一人でいるって、楽しいからね。何でも自由なんだから」
「そうなんですね。私も高校出たらこの物件借りようかな」
「…………」
物好きにもほどがある。
大体、正面切って迷惑だと言われても顔色一つ変えないってどういうことなのか。
界人には理解できない生き物だと思った。
「君は、僕にどういうイメージを持ってるんだ?僕はこう見えても男だし、危険だと思わないのか?」
「イメージですか……しっかりした人なイメージはありますね。でも、おタバコ吸ってるのは意外でした。あとは優しそうだし、大人なイメージですかね。危険だとは思わないです。だって……何かあっても、男性の一人暮らしの部屋に入った時点で自己責任ですから。そうじゃないですか?」
「…………」
――何て言うか、僕よりずっとしっかりした考えを持っている様な。
女子高生に何となく負けている気がして、界人は複雑な気分だった。
「何かあっても、ってその何かがあったら親御さんは悲しむんじゃないのか?僕みたいな社会不適合者に傷物にされた、なんてことがあったら……」
「その何かを、中村さんはするんですか?」
「え?」
「大体社会不適合者って……何でそんなこと言うんですか?」
「いや、それは……」
「中村さんは、私にそういうこと、したいんですか?」
質問ばかりの困った女子高生。
そんな彼女の質問に、何一つ答えることができない。
「お、男っていうのは……割とそういうことも考えるものだし。そういうことになっても不思議はないだろ、この状況じゃ」
「そうですね。だから自己責任だって私も言いました。それに……私、中村さんにならいいって思ってます」
「!?」
ここ一年以上、こんなにも動揺をした経験が界人にはなかった。
一体この子は何を言っているのか。
頭ではわかっているのに、感情が追い付いていかない。
「私、わかったんです。何で中村さんにずっと会いたかったのか」
「…………」
先ほどまでよりも、ずっと真っすぐに界人の目を見つめる少女。
あどけなさが残るその顔に迷いはない。
そして先ほどまでと違って、界人は目を逸らすことができなかった。
――よく見るとこの子、可愛らしい顔をしているかもしれない。
そんなことを考えてしまって、何を考えてるのか、とすぐに考えを改める。
相手は自分の娘と言ってもいいくらい歳の離れた子どもだ。
もちろん本当の娘はまだ小学生だが、この子だって由衣とそこまで歳が離れているわけではない。
何かあった時、ゆかりに何て報告すればいいのか。
「私、中村さんのこと……」
「だ、ダメだ。それ以上言うな。僕は、君の親御さんと大して年齢だって変わらない。そんな男とどうこうなろうなんて、正気の沙汰じゃないだろ」
「年齢って、そんなに大事ですか?私、お付き合いするならちゃんと自分が好きになった人と、って決めているんです」
――言うなって言ったのに。いや、まだ誰のこととは言ってない。セーフなはず……。
「私、中村さんが好きなんです。だから私は、中村さんとお付き合いしていきたいって思ってます」
「…………」
――ああ、完璧言ってしまった。
こうなったら、多少傷つけることにはなるかもしれないが……正面からお断りしよう。
界人は覚悟を決めて、千夏に返事をすることにした。
何より早くアニメが見たい、なんていう最低な思考をしながら。
大体、そんなに良く知らない相手のことを好きだなんて、一過性のものに決まってる。
そんなのが本物のはずはない、と界人は心の中で断じていた。
「き……君の気持ちはわかった。理解できた。だけど、僕はそれに応えることは出来ない」
「……何でですか?」
「さっき散々言ったはずだ。僕は一人でいるのが好きなんだ。君みたいな騒がしい子と付き合ったら僕の平穏は何処かへ行ってしまうだろう。それに、年齢を君は気にしないと言ったが僕は気にするよ。何かあって、警察に職務質問でもされたら一発アウトだ。そして僕は車なんかも持ってない。だから君と付き合うことがあっても、何処にも連れて行ってやることだってできないんだ」
「…………」
「それに……こんなことを言ったってわからないかもしれないから伏せていたけど、僕が社会不適合者なのは本当のことだよ。君が憧れた中村界人はもう、死んだんだ。死んで、こうして一人孤独に自堕落に生きているのが僕という人間、中村界人だ。今僕がどうやって生活しているのか、君は知っているのか?まぁ知らないんだろうから教えてやる……」
そう言って界人は大人げなく目の前の女子高生に全てを打ち明ける。
傷は浅い方がいいだろう、そう考える界人。
目の前の少女は黙ってただひたすらに、赤裸々に自分の身の上を語る界人の言葉に、耳を傾けていた。
「そうですか……」
全てを語り終えて、界人は漸く一息つく。
千夏は俯いて、少し後悔した様な顔をしていた。
――これでいいんだ。
この子みたいな一生懸命ないい子が、自分みたいなちゃらんぽらんな人間と関わって人生を台無しにするなんてことが、あっていいはずがない。
僕に彼女の人生をどうこうする権利なんかない。
何よりとっとと帰ってもらって、アニメが見たい。
とてつもなく失礼なことを考えながら、界人は千夏が口を開くのを待った。
「……お話は、大体わかりました。生活保護、って言うのは聞いたことがあるくらいで、具体的にどういうものか知りませんけど……」
「…………」
「今中村さんは、ニートみたいなものなんですよね」
「言い方に引っかかりは感じるが、大体そういうことだな。事実上国に養われながらのニートだ」
「ということは、無限の時間があるわけで」
「……?ま、まぁそうだけど」
「お子さん、可愛いですか?」
「ま、まぁ……それなりに」
「そうですか……」
そう言ってまた千夏は黙り込む。
たったの数分の時間なのに、数時間にも感じられる様な重い空気。
「私、今二年生なんですけど」
「…………」
「考えました。やっぱり高校卒業したらこの物件借ります」
「……は?」
この子は自分の話をちゃんと聞いていたのだろうか。
聞いていたとしたら、何でそんな答えが出るのか。
界人には不思議なことばかりだ。
「車、私が買います。それで中村さんを何処へでも連れて行きます」
「ちょ、ちょっと?」
「だから私、お母さんに言ってバイトします。デートするときのお金も、私に任せてください」
「い、いやだから……」
「中村さんが望むなら、何でもしますから!!だから私を彼女にしてください!!お願いします!!」
そう言って目の前の少女は、見事な土下座をした。
折り目正しい、それはもう綺麗な土下座。
思わず界人も見とれてしまうほどの。
しかし、ピロリン☆と電子音が聞こえて界人は現実に引き戻される。
――何だ、今の音。外じゃないな、室内で聞こえた。
千夏がやばい、という顔で界人を見ている。
「今の音、何?」
「ええっとですね……」
気まずそうにしながら千夏が手を伸ばすと、その手には携帯が握られていた。
「全部、撮影してました。容量、いっぱいになっちゃったみたいです」
「な……」
動画で、今の土下座までを全部撮影してたってことなのか?
界人はますます混乱する。
何か恨みでもあるのだろうか。
――ただただ平穏に暮らしていたいだけだったのに、何でこんな……。
そう思った瞬間、界人は女子高生に襲いかかっていた。
「その携帯、寄越しなさい……っ」
「ちょ……ち、近いです……乱暴、するんですか?」
少女の腕を掴み、いつの間にか界人はベッドに押し倒してしまっていた。
「っ……す、すまない……そういうつもりじゃなかったんだ」
「ど、ドキドキしました。ここで大人にされちゃうのかなって」
「…………」
慌てて離れるが、目の前の少女も自分も、ドキドキが収まらない。
いくら衝動的なものだったとは言っても、さっきの行動は非常にまずい。
動画に残っていないとは言っても、誰かに密告でもされたら人生が終わる。
「……君、誕生日はいつ?」
「二月です。どうしてですか?」
「そう……じゃあ来年の二月で十七になるんだね」
「そうですけど……」
「僕は、君が十八になるまで一切手を出すつもりはない」
「えっ?」
千夏の顔に、赤みがさしていく。
界人が言わんとしていることが、段々と理解できていく。
「そ、それって……」
「証拠まで残ってるんじゃ、僕には手も足も出ない。だから、取引をしようじゃないか」
「取引?」
「そうだ。君がここに来ることは、もう反対しない。場所が割れている上に引っ越しなんてすぐにできるほどの金もないから。別に好きな時に来てくれたらいい。だけど、来たからって君は僕の生活の一切を邪魔しないこと。これが条件だ」
「……どういうことですか?」
「言葉の通りだよ。僕はずっと言ってるけど、一人でいるのが好きなんだ。趣味もあるからね。それを邪魔しないこと、って意味だよ」
「ああ、そういうことですか……ちなみに趣味って何ですか?」
「君には関係ないだろ……」
知られてキモい、とか言われた方が楽かと思ったりもしたが、さすがに女子高生から心無い言葉を投げつけられると凹みそうだ、と考えて彼は口を噤んだ。
「教えてくれないんだったら、この動画をお母さんとお父さんに見せます」
「はい、アニメ鑑賞です」
「……別におかしい趣味じゃないじゃないですか。恥ずかしいんですか?」
「そうじゃないけど……女子高生からしたらそういうの、気持ち悪いとか言われるんじゃないかって思っただけで……」
「そんなこと思いませんよ。何だったら私もおすすめとかあれば見てみたいですし」
何でこの子、こんないい子なんだろう。
本当に悪魔みたいなやつだったら、心おきなく自分としても鬼畜な振舞いが出来るのに。
界人の中で少し、心境の変化が生まれ始めていることに、まだ本人は気づいていなかった。
「でも、中村さんが十八まで何もしないって言うなら、私はしたくなる様仕向けるだけですから」
「……あのなぁ……」
「ダメとは言われてませんし。今から追加とか、卑怯な真似はしませんよね?」
「…………」
やっぱり悪魔みたいな子だった。
だけど、どうしてなのか憎めない。
彼が閉ざした心を、千夏はこじ開けようとしている。
そして界人はそれを拒絶することができない。
それがまずい動画を撮られているからなのか、はたまた別の要因によるものなのか。
それに界人が気づくのはもっとずっと後のことになる。
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