殺し屋は隠蔽種

@Hayahiro

序章として


     殺し屋は隠蔽種


 殺し屋募集の記事を見て応募した。

 あなたはまさしく殺し屋向きねと言われ、その気になった。

 隠蔽種通信は、毎日家に送られてくる。興味はないけれど、ついついページを捲ってしまうのには理由がある。だってずるいんだ。いつでも表紙は僕が好きなアイドルが飾っていて、インタビューやグラビア記事が紙面には掲載されている。見ないでやり過ごす勇気はない。ページ数は少なくとも、毎日似たような姿の写真だとしても、それに目を通すことが日課になっている。他の記事にだって、一応は目を通している。

 ちなみにだけど、僕には家族がいない。妻も子供もいたけれど、隠蔽種だっていう理由だけで、在来種に殺されてしまっている。だから僕は、自暴自棄になっていた。自分のことも他人のこともどうでもいい。誰かを殺すなんていう仕事に魅力を感じた。僕は単純に、自分以外の誰かを殺してみたかったんだ。

 隠蔽種通信の主な記事は、隠蔽種が辿ってきた歴史と、全てを欺いていた在来種への文句だった。

 正直言って、凄く退屈な記事ばかりだ。僕にとっては、隠蔽種と在来種との争いなんて意味がない。どんな歴史があったとしても、そんなのは僕が生まれる前の話だ。分裂以後に生まれた僕にはどうでもいい話だよ。

 殺し屋募集の記事は、可愛いアイドルの記事の中に紛れ込んでいた。不思議だけれど、それはまるで暗号のようだったのに、僕にはハッキリと浮かんで見えたんだ。僕はすぐに、そこへ向かった。暗号には、面接会場の場所と日時が記されていた。それがまさに、それを読んでいたその日のその時間だった。

 暗号に気がついた瞬間に、そのアイドルへの興味が消えていった。しかし、リョウコっていう名前だけは頭から離れない。僕はなぜだか知らないが、そこへ行けばリョウコに会えるって感じていたんだ。そしてそれは、現実になる。なんて言うと漫画的でつまらないなんて文句を言われそうだけれど、それが現実なんだから仕方がない。人を殺せと言ったのは、僕が憧れるアイドルだったんだよ。だから僕はそれに従おうと心に決めた。

 横浜駅の跡地に、太陽が西の山にかかる頃に待っている。殺し屋求む。そんな暗号を間に受けた僕は、隠蔽通信を脇に抱え、その日の午後にそこへと足を運ばせた。僕以外の誰かがいるなんて想像はしていなかった。目の前のその光景に、そこにいた僕だけが驚いていた。

 それはまるで、一昔前のラーメン屋のようだった。僕が生まれた当時、この世界はラーメンなる食事が大流行りだった。それは分裂以前にこの国で主食とされていた食事で、分裂以前にその味を楽しんでいた男のリクエストで蘇っていた。

 ラーメンの原料は基本的にはなんでもいい。粉に出来るものなら植物でも動物でも構わない。けれど一番作りがってがよくて味がいいのは、蕎麦の実か小麦だった。稲もまたいい味を出すけれど、稲はその実を潰さず食べる方がもっと美味しい。その粉に水を混ぜ、練っていく。すると粘土のような塊になる。それを更に捏ね繰り回す。柔らかさと弾力のバランスが難しい。出来上がった粘土状のそれを今度は押し潰しながら伸ばしていく。牛のウンチほどの大きさだった塊を伸ばし、細身の人間が十人は隠れてしまうほどの長さにする。その時の薄さは一ミリから一センチ程度と幅が広い。その太さの違いで弾力は当然として、味が変わる。本当に不思議な食べ物だった。出来上がった生地状の食べ物を細長く切っていく。切り幅は生地の厚さと同等が基本だが、意図的にばらつかせることもある。そしてその切られた生地をスープに投入する。そのスープの味がまた店毎に違って楽しいんだ。

 なんてことを話していると、無性にラーメンが食べたくなる。これこそが人気の秘密なんだ。

 ラーメンを作り出したのは、僕と同世代の女性だった。ラーメンを欲したのは、その女性の祖父だ。彼女が作ったラーメンを食べた直後に、この世を去っている。それは僕が殺し屋になる十年ほど前の出来事だった。

 そんなラーメン騒動を思い出すほどの行列が、目の前に現れた。残念ながら本家のラーメン騒動は、僅か数年で終息を迎えている。

 僕は分かり易く戸惑った。まさしくこの目玉が飛び出たんだ。これってひょっとして、面接待ち? 僕は最後尾の誰かにそう尋ねた。

 当たり前じゃん! 見て分からないの? キョトンとした目つきでそう言われてしまい、僕は無言で頭を下げ、その誰かの後ろに並んだ。

 その列は百メートルは繋がっていたと思う。ある程度進んだ時に背後を振り返ると、遥か遠くまで続いているかもと思われる程の人間の連なりが見て取れた。

 けれどその進み具合は思いの外早かった。ズッズンタンッのリズムで前に進んで行く。緊張よりも驚きが優先している間に、目の前にはリョウコが立っているという現実が現れた。僕はいつの間にかに、その会場の中に足を踏み込んでいた。周りの状況を把握していなってことは、ある意味で心強かった。

 僕はリョウコに、ずっと好きだったんだぜと歌うように独り言ちた。するとリョウコは僕のそのメロディアスな呟きに反応を示した。私もなんだけど! なぜだか怒り口調でそう言い、僕を睨みつけた。そして突然、叫び声をあげる。今日はここまで! その一言で、僕の背後に連なっていた影がさぁーっと音を立てて消えて行った。僕はその事態に戸惑うことしか出来なかった。なんなんだこれは? 三流演劇でも見せられているように感じた。

 あなたが合格よ。そう言われて、なぜか僕は喜んだ。その後の言葉にも、嬉しさしか感じなかった。有難うごさますの言葉は、とても自然に溢れていた。

 あなたはまさしく殺し屋向きね。その見た目はどこにでもいそうな中年サラリーマンだし、意外に動けるってことはその脚を見れば分かるわよ。元運動部ってところよね? 殺し屋に必要なのは、一般人に紛れ込むための凡庸な見た目と、ほんの少しの運動神経なのよ。あなた以上の適任はなかなかいないわ。特にその出っ張ったお腹の形と薄い頭皮が最高よね。

 今年で四十歳になったんだ。お腹くらい出っ張るし、頭皮の薄さも目立ってくる。それのなにがいけないのかとの訳の分からない怒りも感じたけれど、直ぐに笑顔を作ってリョウコに向けた。

 どうして本物のリョウコさんがここにいるんですか? 当然の疑問を口にした。ひょっとしてだけど、あれ程の人集りは全てがリョウコ目当てだったんじゃないかと感じた。そしてやっぱりそうなんだと知らされた。

  ここに集まった中で、本当の暗号を解いたのはあなただけじゃないかしら? みんなは私に会えるってことにしか気がついていないはずよ。残念だけど、これを殺し屋のオーディションだってことに気がついていたのはあなたが唯一だったんだから。

 僕が読んだ記事にはハッキリと殺し屋募集の文字が浮かんで見えた。僕から言わせればだけど、日時と場所を読み解く方が難しかった。

 まずは契約を交わしましょう。リョウコはそう言いながらナイフと紙切れを机に置いた。

 僕はいつの間にか建物の中に入っていて、リョウコと向き合って椅子に腰掛けていた。僕とリョウコとの間にある机が邪魔だと感じた。もっとリョウコに近づきたい。

 あまりにも想定外な出来事に、僕は現実を見ていなかった。リョウコに言われるがままにその紙切れにサインをした。そして右手の親指にナイフで傷をつけ、拇印を押した。

 僕とリョウコがいたその場所は、その日限りで取り壊されている。部屋を出て帰るときに振り返ると、今にも崩れそうなコンクリート剥き出しのビルだったと気がついた。横浜駅の跡地周辺に残されている唯一の大きな建物だ。七階建てだったようだが、今では三階までしか歩いてじゃあ登って行けない。ロープを使えば別だけれど。昔は多くの飲み屋で賑わっていた雑居ビルだって話を聞いたことがある。階段を上った二階にあったその部屋の窓に人影が二つ見えた。一つはきっと、リョウコだ。そのシルエットで分かる。コケシのよう髪形が、僕やファンからのお気に入りだ。

 契約を交わしたとはいえ、具体的な仕事命令は下されなかった。リョウコはただ毎日の隠蔽種通信だけはその日のうちに目を通してと言うだけで、次に会う約束すらしなかったし、連絡先も教えてくれなかった。契約の紙には僕の名前と拇印以外は白紙状態だった。僕は一体、なにをもって殺し屋と呼べるのだろうか? 帰り際リョウコから、あなたはもう立派な殺し屋なんだから、その自覚を持って行動しなさいと言われた。意味が分からない言葉を背に受け、僕は顔だけを振り返ってリョウコに笑顔を見せた。リョウコもまた、僕に笑顔を向けていた。そしてそれが、最後に見るリョウコの姿になるとは知らず、僕は能天気にも自分が殺し屋になったことに興奮をしながら家に帰り着いた。


 次の日の朝、隠蔽種通信が届くのを待ち構えていた。僕は殺し屋だ。初仕事を心待ちにしていた。

 一人で暮らす僕は、ボロボロのアパートの一室を借りていた。以前はちょっとした広さがある一軒家に住んでいたんだ。食事をする部屋も寝る部屋も遊ぶ部屋も別々だった。トイレは二つにお風呂もあったんだ。それが今では、風呂なしトイレなしのワンルームだよ。流し場があるのが唯一の救いになっている。カセットガスコンロを隣に置き、毎食お粥かインスタントラーメンを食べている。

 玄関ドアに手紙や新聞の投入口がある。僕はその目の前にしゃがんで、隠蔽種通信が投函されるのを待っていたんだけど、その瞬間があまりにも突然だったので驚くことになった。

 ガッタンッと音がして、ポストの口から玄関の内側へと隠蔽種通信が落とされた。本来ならドアの内側に郵便物を受け入れる箱が取り付けてあったんだけれど、僕が入居した時にはもう壊れかかっていて、前日隠蔽種通信の投函によって完全に破壊されてしまっていた。

 隠蔽種通信の重みと共に崩れ落ちたその箱の騒音により、その日の僕はいつもより早く目覚めたんだ。そのおかげもあったのか、殺し屋になることが出来た。普段通りに目を覚ましていたのなら、お昼は過ぎていたはずだ。面接には間に合わなかったことだろう。

 隠蔽種通信を誰が配達しているのか、僕は確認するつもりだったんだ。足音が聞こえてくるのをじっと息を潜めて待っていた。僕の部屋は二階にある。鉄製の階段を登る際のコツコツという足音を待っていた。その階段を使用しないと、歩いて玄関に辿り着くことは出来ない。壁をよじ登れば別だけれど。

 そんな物音は全く聞こえなかった。誰かがいる気配も感じられなかった。本当に突然、なんの前触れもなく隠蔽種通信が届けられてきた。僕はほんの一瞬の戸惑いの後慌てて玄関を開けて外を確認した。誰もいない。去って行く影さえ感じられなかった。なにか特殊な技術で投函されているんだと本気で考えてしまった。念のためにと、階段を降りてアパートの周りを一周したけれど、遠くを見回しても野良猫一匹見えなかった。僕の住むアパートの周りには、他に建物なんてない。山の上にポツンと残されている過去の遺物なんだ。半径百メートル以内には草木も生えていない。アパートの住人は僕だけだ。

 玄関の床に直接落ちている隠蔽種通信を拾い、僕は直ぐにリョウコのグラビアを探した。いつも通りのページにいつも通りのリョウコが写っていた。グラビアを眺め、記事を読んだ。そこで僕は更なる驚きを抱くことになった。目玉を飛び出させてその暗号を何度も確かめた。

 当たり前だけれど、何度暗号を紐解いても、その答えは変わらない。あり得ないんだよ。リョウコのグラビアとインタビュー記事に紛れた暗号が、リョウコの殺害を指し示すなんて。

 しかしいくら僕が苦しんだところで状況は変わらない。僕は契約を交わした立派な殺し屋なんだ。手を引く手段も分からない。殺す手段も分からないんだけれどね。武器すら持っていない。お金だって僕の財布には入っていない。仕事はクビにされた。どこから漏れた情報なのか、昨夜仕事現場に向かうと、二重雇用は禁止されているんだ、殺し屋さんよ。なんて言われた。僕は特に反論なんてせず、それじゃあ帰りますと踵を返した。僕の背中には、頑張れよ! そんな言葉がぶつかった。

 殺すかどうかは別にして、とにかくリョウコに会いたいと感じた僕は、前日の雑居ビルに向かうことにした。まさか建物ごとなくなっているとは思わなかった。綺麗とは言い難いが、瓦礫混じりの更地になっていたよ。どういうことなんだと、あたふたしながら辺りを見回していると、周辺に散らばる掘建て小屋から爺さんが現れた。ひょっとしてあんたか? 昨日知り合ったばかりのお嬢ちゃんから話は聞いている。外じゃなんだから中に入りな。そんな言葉で僕を掘建て小屋の中に引き入れようとする。しかも、半ば強引に、僕の腕を掴んで引っ張った。

 髪の毛も髭も伸ばしっ放しで風呂になんて数週間は入っていないんじゃないかっていう容姿をしているけれど、不思議と臭くはなかった。ボロボロのシャツとジーンズには、多くの穴が開き破れも目立つ。浅黒くて汚れた肌には爺さんの生活が滲み出ているように感じられる。きっと僕の親父ぐらいの年齢だと思われる。親父が生きていればだけれど。

 先に言っておくけれどな、俺はお前の仕事に興味はない。殺し屋なんてな、意味がないって俺は思っている。いい気になるなよな! 殺し屋がもてはやされる時代はとうに終わったんだよ。

 掘建て小屋の中は意外なほどに綺麗だった。と言うか、無機質でなにも物を置いていない空間だった。僕は何度も首を振り、辺りを見回した。

 驚くのはまだ早いぞ! お嬢ちゃんに頼まれたんだから仕方がない。秘密の世界に連れて行ってやるよ。

 そんな爺さんの言葉を聞いても、僕はまだ辺りを見回すことをやめなかった。壁も床も天井も真っ白で、いつの間にか閉められていた入り口がどこにあるのかも分からない。まるで距離感が掴めない空間だった。宇宙空間にポツンと浮かんでいるような気分になる。

 この世界は多くの秘密に満ちている。爺さんはそう呟きながら床をリズムよく踏み鳴らした。すると突然、爺さんの背後の床に穴が開いた。真っ白な空間に浮かんだ真っ暗な四角い穴は、まるでブラックホールのようだと感じられる。

 さてと、お前にこの世界の真実を見せてやるよ。ついて来な! 臆病者じゃないならな! 爺さんはそう言いながらその穴の中に足から落ちていった。スーッと吸い込まれるかのように消えて行く。殺し屋ならこれくらい怖くもなんともないだろ! そんな叫びが穴の中から聞こえてきた。その声はとても篭っていて、どんどんとか細くなっていく。実際には最後の二文字ほどが聞き取れなかった。

 僕はその穴を跨ぐように立ち、視線だけでその先を覗き見る。真っ暗でなにも見えない。声を出す勇気はなかった。なにかを叫ぶにしても、ちょうどいい言葉が見つからない。穴の中からの言葉を待ってみたけれど、なにも聞こえてはこなかった。

 僕は覚悟を決められずにいた。足がすくんで動かない。どうすればこの怯えた足を動かすことが出来るのかと頭を巡らせていた。そして一つの名案が浮かんだんだ。と、同時に僕は穴に落ちていった。

 考える余地もなくまずは行動に移す。僕が常に心がけていることだ。意識をせずに心のままに身体が動いてしまう。それで得をすこともあれば損をすることもある。気をつけ! そんな言葉を心の中で叫んだ。両手を真っ直ぐ腿にくっつけ、両足の膝をピタッとくっつける。自然と僕は垂直落下。

 結構な時間の落下時間だった。走馬灯を見ることが出来なかったのは、恐怖心が強く、昔を思い出す余裕がなかったからかも知れない。怖い、どうなる? その二つの言葉を何度も頭で繰り返した。

 ズボンッと柔らかい感触が足を包んだ。痛みは感じなかったけれど、その感触に股間が縮んだ。

 落下をしている間に僕は自然と目を瞑っていた。恐怖心を誤魔化すには見なかったことにするのが楽でいい。

 股間の縮みに身体が震える。そっと目を見開くと、目の前には明るく広々とした空間があった。無機質と人間味が混ざっているその空間は、なんだか懐かしさもを感じさせる。爺さん以外にも人影が見える。僕は慌てて立ち上がり、爺さんを追いかけた。爺さんはずっと僕に背中を向けたまま、先へと足を進めていく。

 その時僕は気がついた。身体が肩まで地面にめり込んでいる。柔らかなその地面に痛みは少しも感じない。むしろ安心感で一杯だった。母に抱かれていた当時を思い出す。

 僕は両腕をその地面から引き抜いた。意外と思えるほどにスポッと抜ける。僕はその両手で柔らかな地面を押して身体を引き抜いた。不思議だけれど、柔らかいはずの地面は、しっかりと僕の体重を支えられるほどに強かった。

 地面から出ると、目の前がガラス張りになっていることに気がついた。どうやって外に出るのかなんて考えもせず、ガラス張りに突っ込んだ。ガツンッとオデコを強打するイメージがすり抜ける。

 ガラス張りの外側は、きっと僕が夢見ていた在来種が作り上げたと言われている地下街だと思った。そして自然な反応で振り返ると、ガラスなんて見当たらない。ポスターのようななにかが貼ってある壁が広がっていた。

 ちょっと待ってくれよと爺さんを呼びながら走って追いかける。その距離は思ったほどは近くなく、僕は全速力で汗だくになってようやく追いついた。やっと追いついたよ。僕がそう言いながら爺さんの肩を叩くと、遅かったじゃないかよ、殺し屋さん! 満面の笑顔で振り返り、そんな風に言われた。

 ここがどこだかは想像がつくよな? まぁ、その想像は大ハズレなんだがな。ここは在来種が作った地下街とはまるで別物だ。そもそもその起源が違うからな。作った時の理由も違う。ここはな、俺たち隠蔽種が作り出したんだよ。まぁ、いまだに未完成ではあるけれどな。

 この世界には二種類の人類が存在していた。混じり合うことが不可能だと思われていた。僕ら隠蔽種と姿形がそっくりな在来種は、実は進化の過程で交配可能になっていたんだ。だから今では三種類の人類が存在していることになる。

 早速だけど、お前の仕事は終了だ。あのお嬢ちゃんは消えた。つまりはこういうことだ。雇い主もターゲットもいなくなっちまったんだ。殺し屋でいる必要がなくなっちまったってことだ。

 平然とした口調でそう言う爺さんに対して、僕はただその時間を止めることしか出来なかった。そしてその止まった時間のまま、僕はアパートに引き返してきた。

 お前にはなにも出来ない。お嬢ちゃんはきっと、この世にはいないんだろうな。誰かに追われていたんだ。俺は助けることが出来なかった。その願いを聞くことは出来たがな。俺はお嬢ちゃんに、明日やってくる殺し屋に伝言をと頼まれたんだ。殺し屋稼業は廃業だとさ。

 リョウコがこの世にいない・・・・ そんな言葉を受け入れるなんて出来なかった。ずっと憧れていた彼女とやっと出会えたんだ。出来ることならこれをきっかけに仲良くなりたいと感じてもいた。リョウコは僕が十代だった頃から隠蔽種通信の表紙を飾っていたんだ。

 どのみちお前はあのお嬢ちゃんを殺すはずだったんだ。手を汚さなくて済んだと思うことだな。まぁ、こうして俺と出会えたことはラッキーだったよ。お前は無職だろ? 明日もまたここに来な。まともな仕事を紹介してやるよ。そう言われた僕だけど、反応は出来ない。僕の時間は完全に止まっていたんだよ。

 アパートには爺さんが運んでくれた。驚くことにアパートにもその地下通路が繋がっていた。畳を開けると一階へ降りることが出来、一階の畳を開けると真っ暗闇が見える。そこを落ちていけば地下に行ける。戻る時はその場所からジャンプをすればいい。地面の反発で上まで運んでくれる。入り口は自然と開き、自然と閉まる。いつの間にか作られていこのシステムは、隠蔽種が暮らす地上に多く隠されている。

 朝目を覚ますと、いつものように隠蔽種通信が届けられる。表紙は相変わらずリョウコで、グラビアもインタビューも掲載されていた。そして、暗号も読み取れる。あなたは殺し屋。この世界には殺し屋が必要。依頼の成就を期待する。そんなことが書かれていた。

 僕はまだ誰も殺していないし、リョウコを殺すつもりもない。けれど、殺し屋であることに変わりはない。僕はこの仕事にプライドを持つことにしている。まだなにも成し得ていないけれど。

 これからこの隠蔽種通信を爺さんに届けようと思っている。そして僕は宣言する。僕は殺し屋だ! 殺し屋として必ずリョウコを救ってみせるってね。

 そして僕は、助け出したリョウコとのロマンスも期待しているんだ。

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