小さな私の行ってらっしゃい
先ほどまでクラヴィスさんが身に着けていたからか、ほのかな温もりを宿して鎖骨を撫でるチェーンに少しこそばゆさを感じるが、同時にクラヴィスさんの大切な物ということを意識してしまって肩に力が入る。
失くさないように、傷なんてつけないように、何があっても外さないようにしなければ……!
あ、お風呂は流石に外しますよ。錆とかの原因になっちゃダメだもの。
とりあえずの対策としていそいそと服の中にしまって軽く服を整える。
首元にチェーンが見えるので何か身に着けているのはわかるが、パッと見た感じだと服の上からはわからないだろう。
知られたところでお守りなわけだし、何の問題もないけどね。
むしろそれで嫌な顔でもすれば相手は黒確定ですよ。身を守って炙り出しもできるなんて、まさに一石二鳥。
まぁ、そう簡単にボロを出してくれるような人は、とっくの昔に捕まえられているだろうけれど。
ささっと確認し終え、これで良いかなと顔を上げれば、クラヴィスさんが満足そうに微笑んでいた。
おっふ唐突の爆弾投下再び。最近本当に多くないですかね? 出会った頃は笑顔なんて全然見なかったのになぁ。はっ、まさか親密になれた証拠!?
なれたとしたらとても嬉しいんですけどもね、なれてなくとも笑顔でいてくれるなら嬉しい限りなんですけどもね、その圧倒的美麗を向けられると心臓に悪いんですよ。誰か理解者求む。
「……そろそろ待たせるのも限界だな」
そんなご尊顔に翳りが生まれたかと思えば、するりと頭を撫でられ呟かれた言葉に思い出す。
憂いを帯びた表情もまた美し、じゃなくて、王国から使者が来てたんだった。
使者を連れてアースさんのところへ行かなきゃだったり、王都に呼び出し喰らってたんじゃん。
いやぁ、指輪やら魔法やらロケットやら爆撃やらと色んな衝撃が多すぎてすっかり飛んでたよ。
明らかに様子のおかしい私に勘付いたらしく、呆れた様子で小さな溜息を吐かれた。
その「しょうがない子だなぁ」みたいな目は止めてほしい。
以前シドに向けられた目とそっくりなんですけど、どっちが似たんですかね。本当に心に刺さる。
こういう時は誤魔化すに限る。
にへらーと幼女全面の笑みを押し付けて全力で誤魔化しに掛かれば、時間がないのもあるからかクラヴィスさんは咳払い一つで流してくれた。
あざまっす。以後気を付けまっす。
「私が居ない間だが、なるべくシドの傍を離れないように。
あいつには私の代理も任せているから、どうしても離れなければならない状況もあるだろう。
その時は執務室か君の自室で鍵をかけてシドを待っていなさい。
それぞれ鍵をかけることで結界が発動するよう魔法陣を仕込んである」
「……本当にシドを連れて行かないんですか?」
前から聞いていたし、そうなるだろうとはわかっていたけれど、それでも思わずクラヴィスさんへと詰め寄れば、やはり否定されることなく視線だけが交わる。
詳しく教えてもらっていないけれど、クラヴィスさんは様々な理由で色々な人から虎視眈々と狙われているのは知っている。
その関係者として、一番私が狙われやすいのも理解しているし、身を守る術を持った今でも不安はなくならない。
だけど、だからといって、一番の腹心だろうシドを置いて、人質と変わらない同行者まで連れて、敵の懐へ赴くような真似を見過ごして良いわけがない。
「クラヴィスさんを狙ってる人がいて、この召喚だって罠の可能性が高いんでしょう?
それならシドも一緒の方が」
「シドしかいない」
きっとシドも同じことを考えて、同じことを言って、同じことを言われている。
たった一言でそれすらわかってしまうほど、その言葉は鋭く落とされた。
「私が留守の間、君を託せる者はシドだけだ。
アースにも念のため頼むつもりではあるが、あの状態で城に入れればそれこそ問題になりかねん」
「それ、は……」
静かに淡々と言い切られ、否定できない口が空回る。
大勢居なくなった後、着実に城内の人は増えているのに、今だシド以外に信用して良い人はいない。
まさに今、アースさんを連れていけないことを証明するために、使者を連れてヘティーク湖へ向かおうとしている。
今までの状況が、今の状況が答えの全てだと示している。
「君に何かあれば私が困る。だから大人しく守られていてくれ」
いっその事、私も王都へ付いて行けば良いんじゃないかなんて考えもしたけれど、それはそれで危険や面倒事が増えるだけだろう。
結局これが最善で、この人の中ではずっと前から決めていて。
止めとばかりに、あくまでも自分の都合だと言わんばかりの言葉と表情を向けられては、これ以上異議を唱えることなんてできなかった。
「──無事に帰ってきてくださいね。
クラヴィスさんに何かあったら困るのは私もですから」
「何だ、私が信じられないのか?」
「そりゃ信じてますよ。クラヴィスさんだもの。
それでも心配するものはするんです」
「……そうか」
詰めていた息を軽く吐いて、それから普段通りを意識して、言われたことをそのまま返す。
クラヴィスさんが私の知識を求めているように、私だってクラヴィスさんが居ないとこの世界で生きていける自信が無い。
そのため結構本気な言葉だったのだが、軽口として受け取られたみたいだ。
珍しく茶化すような物言いに、ムスメの心はちょっと傷付いたぞー。冗談だけど。
表情が真顔だからわかりにくいが、きっと明るくしようというクラヴィスさんなりの気遣いだろう。
苦笑いしつつ心からの言葉を告げれば、今度はしっかり受け止めてくれたようだ。
頷いてくれたクラヴィスさんの表情は酷く柔らかかった。
済ませておきたい用事は済ませたのか、ぽんと軽く頭を撫でて扉へと向かうその背中を、反射的に呼び止める。
そうだよ私、シドに対する対応を決めておこうと思ってたんじゃん。
ここを逃したらいつ話せるかわからないっていうのに、危うくタイミングを逃すところだった。あっぶね。
「行ってしまう前に一つだけ。
シドに普通の子供じゃないのが気付かれちゃいました。
言わないけれど隠さない方針で行こうと思うんですけど良いですか?」
扉に手をかけたままこちらへと向けていた黒曜が私の言葉に細まる。
とはいえドアノブからは手を離さないまま少し考える素振りを見せるだけで、大して驚いてはいないようだ。
他の人と違って最低限しか幼女のフリをしてなかったもんねぇ。
クラヴィスさんもある程度は容認してたし、遅かれ早かれってやつだったんだろう。
しかしクラヴィスさんが居なくなる今は本当に間が悪かった。
「その内気付くとは思っていたが、今か……出自のことは?」
「流石にそこは大丈夫かと」
「……シドにはいずれ話すつもりだが、今は時期も場も悪い。
出自だけは話さないように。それ以外は君に任せる」
「りょーかいです」
私が考えていたのとほとんど変わらない指示に、軽く額に手を当てて返す。
この世界ではこの敬礼は意味のない仕草だが、言葉のおかげでちゃんと通じてるだろう。
貴方にしかしないからそんな心配そうな顔しないでください。
いざとなれば記憶喪失の設定を引っ張り出して、記憶に残ってたのかもしれないねーって誤魔化すから。
それにしても、時期は仕方ないとはいえ、場がいつ整うのかムスメは結構不安ですよ。
人が増えたり減ったりしてるのには気付いてるけど、恐ろしくて聞けないんだよ。
昨日まで良い人そうだなーなんて思ってた人が次の日にはいなくなってた時の恐怖がわかるかい。
病気だったり揉め事起こしたりとまぁ、色んな理由で退職してますからね。お察しだ。
クラヴィスさん直属の部下らしい人も増えているので、その内整うんだろうけどそれはそれ。
以前ヴェスパーが零していたけれど、領主が変わった理由が理由なので、国からの監査が入っている。
明らかにそういう立場で働いている人もいれば、密かな立場の人もいる。
今までのことを鑑みれば理解しているし、それ以上に今の職場は良いので受け入れるけど胃が痛い。だそうだ。
常に見張られてると思えば、それは胃も痛くなるよねぇ。
確かヴェスパーなんて上の人間がほとんど捕まって、有能って判断されたから若手なのに財務のトップに抜擢されたんでしょ。
胃だけじゃなく心も痛くなりそうだ。今の仕事には満足してくれてるみたいだけど、無理してないか心配だわ。
クラヴィスさんが場を整えてくれるまでの辛抱だ。頑張ってくれ。私も頑張る。
なんて思考を飛ばしている私に、話しておくことはなくなったと判断したのかクラヴィスさんが小さく頷いて後ろ手にドアノブを回す。
その音と行動に、私はまだこちらを見ているクラヴィスさんへといつも通りの笑みを向けた。
確かに話しておくことはもうないけれど、それでも幼女ではない私としての言葉はまだあるんですよ。
「行ってらっしゃい」
次に会う時は恐らく人前で、出立の時だろう。
その時は何もわかっていない子供らしく振舞わなければならない。
言葉の裏に願いを隠すことはできても、面と向かって、表情に表して、無事に帰って来ることを願えるのは今だけだ。
「あぁ、行ってくる」
そんな私の心をわかってくれているのかいないのか。
薄く形の整った唇が弧を描き、つりがちの黒曜の煌めきが柔らかく向けられ、扉が閉まった後で私はソファに倒れた。
だから突然の爆撃は心臓に悪いって!
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