薄明の円環



「──トウカ」



 薄暗い空気なんて最初から無かったかのような穏やかな声に呼ばれる。

 ほとんど反射的に向いたそこで、クラヴィスさんが何故か微笑んでいた。



「え、と?」


「おいで」



 突如降臨した窓から差し込む光が照らす中で微笑みをたたえる美人の神々しさに戸惑うが、呼ばれた以上行くしかあるまい。

 戸惑いを露わにしつつソファを飛び降り、とてとてと幼女の歩みで近寄ると、クラヴィスさんの片手に小さな箱が収まっているのに気付いた。


 状況的に呼ばれたのと関係しているんだろうけれど、一体何だろうか。

 心なしか輝いて見える光景に脳の処理能力を取られていて頭が追い付かないものの、どうにか正気を保ちつつクラヴィスさんの前に立ち見上げれば、喜色に満ちた瞳と目が合った。

 何がそんなに嬉しいのかわからないし失礼だけれども、クラヴィスさんもそんな蕩けた瞳を浮かべれたんですね。えぇ、今回は爆撃による処理落ちになります。ちょっとフリーズしますねー。



「君にこれを」



 フリーズ中な私に構うことなく、私の前へと跪き小箱を差し出す美丈夫。

 更に言いますとね、黒地の布に金の刺繍で魔法陣の描かれているけれど、留め具のないそれは元の世界でもよく知るリングケースにそっくりで、ぐぐんとフリーズ時間が延長した。

 最早頭の中は宇宙なのですけれども。あらー? 私に向けて開きますー? まぁ、綺麗な指輪が収まっておられますわねー?



「……私に、ですか?」



 台座に鎮座している清澄な無色が太陽の光を抱えて瞬く。

 儚さすら感じる光を繋ぎとめる円環には、黒白の混じった真珠が艶やかに佇んでいる。

 これは何なのか、何故私に向けて差し出しているのか。

 どうにか絞り出した言葉は悲しいかな、聞こえていないのか聞いてくれないのか、宙で揺れた後指先の動き一つで墜落していた。


 答えのないまま指輪が台座から外され、箱が懐へと収まるのを自然と目で追う。

 微かに震えながら動く手はそのまま私へと伸ばされ、幼女の右手を取った。



 きっとこの世界での意味は違うんだろう。

 そうでなければ私は自身の庇護者に犯罪者予備軍のレッテルを貼らなければならない。

 いくら中身は二十歳を越えているといえども、今の姿は幼女である。

 十ある指の中から右手の薬指を選び、この指輪を手ずから嵌めた行為に込めたのに大した意味はないはずだ。


 わけもわからず薬指へと嵌められたぶかぶかの指輪が落ちないよう右手を握る。

 そして問うために上げた視線は交わらず、大きな手が指輪の収まる小さな手を取っていた。



「私の言葉を繰り返せ──【レガリタ】」


「れ──【レガ、リタ】?」



 指輪に視線が注がれたまま、けれどその手は指輪に触れず、私の手を掴んで離さない。

 別に逃げるつもりは一切ないのだけれど、逃すつもりのなさそうな掴み方にちょっとびっくりしつつ、言われるがままに紡がれた言葉を繰り返す。


 クラヴィスさんが紡いだ時は何も起きなかった言葉。

 それを私が紡いだ途端、指輪から儚い輝きが溢れ、朧気な輝きは私達を囲い、宙に融けながら守る壁となる。

 あの時シドが作り出した物とは違って今にも崩れてしまいそうではあるけれど、見覚えのあるその光景に、先ほどまで抱いていた疑問など吹き飛んだ。



「結界!? 結界ですよねこれ!」


「やはりこの形式なら君でも使えるのか……だからか」



 パパンが納得した様子で何やら呟いているけれど、繋がっていない方の手をブンブン振り回して結界を見回す。

 わーぎゃー興奮して騒いでしまったけどそこは許してください。

 だって魔法が使えたんだよ私が! 魔力のない私がだよ!? そんなのはしゃぐに決まってんじゃん!!


 魔法なんて使えないと諦めていたのにまさかのまさかだ。

 淡い光に囲まれた光景をいつまでも見ていたいのだが、印象通りというか何というか、結界は端から融けて消えていく。

 良く知っているだろう目の前の人が反応一つ見せないあたり、この結界魔法は僅かな時間しか持たないのかなぁ。ちょっと残念。



「随分前、私が作った結界の指輪だ。魔道具の一種だな。

 宝石に魔法陣が刻まれていて、指輪に触れた状態で鍵となる言葉を唱えれば指輪を中心に結界が展開する。

 意識すれば自分の望む箇所に結界を張ることもできるだろう。これは君に持っていてほしい」


「い、良いんですか? 随分大切そうにしてましたし、貴重な物では?」



 クラヴィスさんが居ない間、自分の身は自分で守らなければならない。

 そのための術としてこの指輪を渡してくれたのだと理解し、ちょっと安心したのと同時に新たな不安が沸いてきた。

 パパンが犯罪者予備軍じゃなくて安心したんですけどね、それはそれとしてこの指輪、明らかに貴重そうですよね。


 確か魔道具を使うには少なからず魔力が必要になるはずなのに、私でも使える時点でまず普通じゃないだろう。

 その上、指輪が収まっていた箱にはご丁寧に魔法陣が描かれていた。少なくとも普通の箱ではない。

 何よりだ。今はいつも通りだけれど、先ほどまで指輪に注がれていたクラヴィスさんの視線もなんだかいつもと違ったし、絶対大切にしてたよね?



 そりゃあ、ね。口が裂けても言うつもりは無いが、クラヴィスさんと離れるのはすごく不安だった。

 要らない虫も入り込んでいるみたいだし、自分は何の力も無い幼子。

 しばらくは誰かと行動するつもりではあったけど、万が一襲われれば一溜まりもない。


 領主の養女とはいえ血の繋がりは無く、表向きは記憶喪失で身元の分からない子供だ。私の存在を邪魔だと思う人は大勢いるだろう。

 だからこそ、いざという時に自分の身を守れる術があるのは有り難い。

 有り難いんだけれど……こんな貴重そうな物を渡しちゃっても良いんだろうか。

 前に見た国宝級の魔道具が頭にちらついて別の意味で不安だ。こちとら根っからの庶民だぞ。高級品を触るとなると緊張しちゃうんです。



「……いや、大した物ではないんだ。

 使われている宝石は全て私が父から授けられた物で、それを加工したのは私だ。

 施した魔法陣も私にしか使えん結界魔法でな。

 今は宝石に私の魔力を込めてあるから使えるものの、そうでなければ誰も使えん」


「えーっと? クラヴィスさんの魔力じゃないと使えなくて? 魔力を使いきればただの指輪になったり?」


「そういうことだ」


「……ただの指輪だとしても高そうですけど」


「魔法陣の効率重視で素人が作った指輪だぞ? 価値などそうなかろうよ……ただ」



 当時のことを思い起こしているのか、クラヴィスさんが懐かし気に指輪の宝石へと触れると宝石の部分から淡い光を抱いて輝きだす。

 多分、今使った分の魔力を補充しているんだろう。

 先ほど結界を張った時とは違う輝きはすぐに収まり、クラヴィスさんの手が離れていった。



「……少し、思入れがあるだけだ。

 使える者がいるなら使わない理由もない」



 きっとこの指輪にはこの人にとってとても大切な思い出が詰まっているんだ。

 立ち上がり、遠ざかりながら告げられた少しというその言葉の割には、熱の籠った瞳が注がれている。



 あぁ、この人にもちゃんと大切な物があって良かった。

 他者との間に壁を作り、どこか普通の人と違うらしいこの人だから、そういう物は無いのかも知れないと頭の片隅で思っていた。

 けれど私に向けられているわけでもないのにこちらまで恥ずかしくなってしまう程の熱に、手に収まる指輪の重さが増したのは仕方ないと思う。


 うん、これは大切に預かっておかないと、だ。

 万が一失くしたり壊したりしたらクラヴィスさんが悲しむだろう。想像つかないけど。

 見す見す美人を悲しませるわけにはいかないぞぉ……! ぜんっぜん想像つかないけど!



「肌身離さず、常に持っていてくれ。必ず君を助ける術になる」


「……わかりました、しばらくお借りします。

 でも、常に持つにはちょっとぶかぶかなのが困るというか。落っことしそうで怖いなぁなんて」



 自分の大切な物を持たせてまで守ろうとしてくれている。

 その事実に気を引き締めつつ、手を開けばくるりと回転してしまう重みに苦笑いが出た。


 下手すりゃ歩いてるだけで落としたりどこかにぶん投げてしまいそうなレベルのスポスポ感だもの。ある種の投擲武器だよ、危険極まりない。

 この状態で気を付けるにしても限界がある。クラヴィスさんの大切な物は私も大切にしたいのでどうにかならないかなぁ。



「自己修復の魔法陣も施してある。ある程度の傷なら勝手に直るが……そうだな、失くされては困る」



 私の手でゆるゆると遊んでいる指輪を見て、クラヴィスさんが首元を緩める。

 突然のお色気シーンに思わず凝視している私を置いて、当の本人は気にせず首元から銀色のチェーンを引っ張り出した。


 少し長めのチェーンの先には銀のロケットが付いており、留め具を外したかと思えばロケットをそのままに私へと手を差し出す。

 流れからして指輪だろうか。見える首元の鎖骨にそわそわちらちらしながら、どうにか差し出された手に指輪を落とす。



「今は丁度良い物が無い。

 また後日用意するからそれまでこれを使うといい」



 元々付いていたロケットはそのままに、指輪を通したチェーンを私の首に掛ける絶世の美男が満足そうに微笑んだ。

 あのですね、一度キャパオーバーして脳内宇宙になったからか今回は耐えれたが、至近距離で二度目はきっついの。よく耐えれたな私。

 このままでは処理落ち不可避。どうにか意識を逸らすべく首に掛かる重さの先へと視線を落とす。

 大人には丁度良い長さでも幼児には長かったようで、視線の先にある鳩尾の辺りでロケットと指輪が揺れていた。



「……ロケット付いてるけど、良いの?」



 私の動きに合わせて時折カチカチと音を鳴らしている二つを手に取り問う。

 こちらの世界でも名称は同じなのか、翻訳魔法がなくとも伝わった問いに対し、クラヴィスさんは私の手のひらに収まるロケットへと触れた。



「私だけが開ける物だ、気にするな」


「絶対失くしたり傷付けないようにしますぅ!!」



 ロケットへと注がれている視線は指輪と似たような色をしていて、咄嗟に声を張って決意表明をしておく。

 見たところ鍵なんて付いてない普通のロケットなのに、開けられる人が限定されている時点でお察しである。

 というか、そもそも宝石とか金銀財宝にあまり興味の無さそうなクラヴィスさんがわざわざ身に着けていた首飾りだもんね。これも大切な物確定じゃん。ひぇぇ。

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