不安は安堵に、可能性は不可避に

 ちっかいちっかいちっかい! 害は無いってわかってても圧がすご過ぎるよぅ!

 一般人には耐えられない圧にひぇぇとパパンにしがみ付いていたのだが、なぜかパパンは私の手を取って外し始めた。なにゆえそのようなことをするのです。



「パ、パパ?」


「シドの所に行きなさい」



 戸惑っていようがお構いなしに私の手を優しく且つ手早く外されたかと思えば、クラヴィスさんはそう告げて私の額にそっと触れる。

 次いで耳を風が通って行くような感覚がしたため、翻訳魔法が解かれたのはわかったけれどなんでですかね。なぜ私を降ろそうとしてるのですかね。なにゆえ。



「なんで? 翻訳魔法も?」


「契約を結ぶ際に君の魂を巻き込みかねない。シド」


「御意」



 手短な説明と共に地面に降ろされたけれど、咄嗟にクラヴィスさんの手を掴む。

 離れるのも魔法を解いたのも私のためらしいが、私はまだ契約を結ぶことに納得しきれていない。

 そりゃあ私が口を挟んで良い事じゃないとはわかっているけれど、どうしても引き留めなければならないと、失ってしまうという不安が込み上がるんだ。


 この不安の正体を突き止めるまで離れてたまるか。

 そのためにもう少し東洋龍と話をしたいと強請ろうとしたが、この主従は決断も早ければ行動も早かった。



「お嬢様」


「ちょっと待って。あの」


「危険なので待てません」


「ぎゃわ!? く、クラヴィスさん!」



 呆れた声色が聞こえたかと思えば視界が急激に高くなり、その勢いで手が離れる。

 抱っこされてしまっては幼女の力ではどうしようもない。慌てて抵抗しようとしたが、それすらも無意味だったらしい。

 急激にかかった重力と遠く離れた地面に、シドが私を抱き上げたまま軽く飛んだのだと理解が追い付いた時には遅く、遠ざかって行くクラヴィスさんの名前を叫んでもあの人は心配無いとばかりに軽く手を振るだけだった。



「この辺りなら……」



 人力ジェットコースターのせいで言葉がお腹の中でつっかえていた間に、クラヴィスさんから離れた林の方へと着地したシドはさっきとは打って変わって私をそっと降ろす。

 さっきもこれぐらいの優しさが欲しかった。いきなりジェットコースターは死んじゃう。この重力差は幼女の体には酷すぎるぞぅ。

 若干の気持ち悪さに耐えているのに構わずシドは私の手を掴み、反対の手を軽く振り上げる。

 すると水がどこからともなく現れて、淡い水色の光を発しながらくるくると私達の周りを飛び回り、気付けば薄い水の壁のような物へと変化していた。



「な、なにこれ!?」


「結界魔法です。魔法で巨大な壁を作っていると思っていただければ」



 初めて見るファンタジーな現象に吐き気は吹き飛び、驚きで固まる私に向けシドはしっかりと手を繋いだまま簡単に説明してくれる。

 空いている手を伸ばして触れてみたが、水のようにゆらゆらと揺らめくその壁は見た目と違って硬く、ぺたぺたと触っても手が濡れる事も無ければ通り抜けることもできなかった。

 結界って目に見える物なのね。しかもこれじゃあ脱走不可じゃないか。詰んでる。



「パパ……」


「……お嬢様、契約が結ばれるまでは決して私の傍から離れないでください」



 自分でも情けなるほどか細い声が不安から漏れ出てしまうが、最早契約を阻む術など無く、できるのは結界越しに一人東洋龍と向き合うあの人を見届けるだけだ。

 じぃっと結界に貼り付いてクラヴィスさんの方を見ていると、繋いだままの手に力が込められる。

 何かと思い少しだけ視線をずらせば、シドは傍に跪き、私と視線を合わせて来た。



「大丈夫です。事前に了承を得ていますから、代償を求められる事は無いでしょう。

 何よりあの方はそう簡単に死んだりしませんから、ね?」


「……何だかね、何かを失う気がするの。

 だからどうしてもこっちに留めなきゃいけないって、そう……怖いのよ」



 今ここで留めなければ、何かを失ってしまう。

 何かを失って──あの人が、あの人だけでなく何もかもが後戻りできなくなる。

 どうしてそう思うのか、そう感じるのかは全くわからないけれど、怖くて仕方ない。


 親とはぐれた子供をあやすような声色で宥められ、湧き上がる不安と恐怖のままに呟く。

 すると私より長くあの人を見て来たシドは一瞬息を詰めた後、静かに立ち上がった。



「魔法による契約はそう簡単に結ぶことも、解くこともできません。

 特に魔物との契約は前例がそう多くないため未知の部分が多いですから、死ぬまで契約を解けない可能性も、何か代償を支払う可能性も在り得るでしょう」



 冷静に淡々と話す声色と同じように、繋いだ手から伝わる体温は酷く冷たい。

 私が感じる不安をシドも感じているのだろうか。感じていながら何故、独り進もうとするあの人を留めないのだろうか。



「ですが、あの方は全て知った上でそれを選んでいます。

 私が言えるのは主の選択に付き従う、それだけです」



 私にはまだ解らない二人の信頼と在り方に戸惑うとほぼ同時、遠く、人と龍の間で変化が起きた。

 二つの存在を中心に眩い光を放つ魔法陣が広がったかと思えば、一拍置いて何か見えない物がぶつかったように結界が大きく揺れ始める。

 それは魔法陣が発生源のようで、水面に波紋が広がって行くように湖の水面や木々も激しく揺れていた。


 この人達は一体、どんな覚悟を抱いてここに立っているのだろう。

 結界に守られながら戸惑い横目で見たシドの横顔は、風の無い水面のように凪いでいた。




 轟々と風の唸る音が鳴り響き、水の結界が歪な音を立てて揺れ動く。

 契約には強大な魔力が必要だと言っていたから、その魔力の余波か何かなのかな。

 まるで台風の最中に居るような状況に身の危険も感じるが、それ以上にクラヴィスさん達がどうなっているのかが気になって仕方ない。



「クラヴィスさん……」



 遠い上に後ろ姿しか見えないから、いくら気になって凝視してもわかることなんて何も無い。

 こんなことならもっと魔法について勉強しておけばよかった。

 魔法は傍に詳しい人が居るからほとんどノータッチだった。大体パパンに聞けば良かったんだもの。ずっと傍に居たから甘えてたよ。


 唯一想像できる事と言えば、この世界の人達にとって魔力は在って当然の力だけど無限の力では無いはず。

 東洋龍が力を使い過ぎたから休息を取りたいと言っていたのと同じように、クラヴィスさんだって魔力を使い過ぎれば疲弊するだろう。

 魔力を持たない私からすると今あの人がどれほどの魔力を使っているのかさっぱりだけど、この状況を見てそんなに魔力を使ってないなんて思えない。



 無理はしていないだろうか、倒れそうになっていないか。

 平気で無茶をするような人だと知っているのもあって躍起になって見ようとするけれど、強風に煽られて波打つ黒曜の髪しか見えない。


 私の視力がもっと良ければ見えたのかな。でもこの距離で見えたらそれはそれでおかしいか。

 なんて考えながらも結界にへばりついていると、魔法陣がより一層強い光を放ち出した。

 その光は物理的な質量でも持っていたのかと思うほど鮮烈で、今までに無いほど結界が大きく歪み、ピシッとヒビが入った。おっと!?



「あ」


「っ、お嬢様!」



 呆然と声を漏らし結界から手を離す以外できなかった私に対し、シドは瞬時に私の小さな体を胸に抱き込み光へと背を向ける。

 頭を抱えられて何も見えなくなるまでのほんの僅かな瞬間、シドの肩越しに見えたのは、辺り一帯が全て白に染まる光の中で東洋龍が頭を垂れ、その頭へと手を伸ばすあの人の姿だった。



 ごう、としか表現できない爆音と共に聞こえた何かが割れる甲高い音が耳を劈く。

 結界が壊れたなんて言われるまでもなく理解し、衝撃に備えて体に力を込めたけれど、何が起こるわけも無くただ静寂しか感じられない。

 シドも同じように思ったのか、背中に回っていた腕の力がゆっくりと緩んだのにつられてそろりと離れる。

 光のせいで微かに痛む目に一度強く瞬きをしてクラヴィスさん達の居る方を見て、私は何故かほっと安堵の息を吐いた。



 壊れた結界の残滓が日の光を受けてキラキラと辺りに降り注ぐ。

 その先で東洋龍の下げた頭へとクラヴィスさんが触れている。




 ──あぁ、これで失わない。

 何故さっきまでと反対の事を思うのかわからないけれど、私は衝動のまま駆けだした。

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