あなたの約束



 ──私の養父になってくれたクラヴィス・ユーティカという人物は、孤高の人だ。


 私と彼以外この世界でまだ見たことがない黒と、整い過ぎて冷たい印象を与える彼自身の容姿がそうさせるのか、ノゲイラの人々は半年にも満たない間にすっかり敬意と畏怖の心を抱いている。

 『近寄りがたい』『すぐに切り捨てられるんじゃないか』『とても尊いとも思うけれど、とても恐ろしくも思う』

 城で暮らしていてそんな声を耳にすることは良くあるし、実際、クラヴィスさんと城のみんなとの間には何か根本的な大きい壁があるように見える。


 確かに本来理解し難いであろう別世界の知識でもすぐさま理解してくれるほど頭が回り、私からは理解し難い魔法を軽々と使って日々領地のために表でも裏でも休み無く働いている。

 本人はただの魔導士だ、なんて言っている割には王様からの信頼が厚いようで、王都からの左遷のはずが辺境の領地と公爵の地位を与えられているのだから、みんながそう思うのも無理はない。私も時々怖くなる。



 でもこれだけは胸を張って言える。

 クラヴィスさんはとっても優しくて、とっても温かい人なんだ。



 前の領主を捕らえるのに本当は一年の猶予を与えられていた。

 けれどここに来て二人が最初に見たのは、政務官達による使用人への暴力だった。

 使用人の多くは家族の元を離れて賃金を稼ぐために働くノゲイラの民だ。

 それに対し政務官達はノゲイラで有力な家の生まれがほとんどで、使用人達は何も言えず耐え忍んでいた。



 『だから主は昼夜を問わず、最速で全て片付ける事にしたんですよ』

 『傍には俺しかいないのに……相変わらず無茶をする人だよ。本当に』



 王の書状を持ってやって来た騎士ローリットを連れてクラヴィスさんが執務室を出て行った後、シドがしみじみと語っていた言葉を思い出す。

 あの頃私はまだ言葉を完全に理解できていなかったから、シドは独り言のつもりだったようだけど、生憎幼女の記憶力は一文字一句忘れていない。


 たった五ヶ月、されど五ヶ月。一緒に過ごして良く分かった。

 たった独りでも無辜なる誰かのために進む優しい人。

 何がこの人をそうさせるのかまではわからない。だけどこの身をもってそう知ったのだから、放っておけば独りで行ってしまうこの人のために、私も何かしたいと思うんだよね────





 みんなの優しい領主様も大体同じ事を考えていたんだろう。

 かくかくしかじか先ほどの東洋龍との会話を伝えれば、パパンは大して驚きもせず、一呼吸してから東洋龍を見上げた。



「我々が求めるのは安全に営みを行うこと。それだけだ」



 そう切り出した声は覚えがある。

 私を拾い、私を幼女にすると言ってくれた時と同じ声。

 あの時はわからなかったクラヴィスさんの緊張が、触れる手から、聞こえる声から、見える横顔から感じ取れて、私も同じく一呼吸整えて東洋龍を見上げた。



【人に害を与えねば良いのなら、湖の底ででも眠っておれば良いかのぉ……誓約の一つでも立てようか?】


「……人というのは、害は無いと言われても強大な存在に怯えてしまう者だ。

 『害を与えない』という約束を盾に貴殿に害を与えるかもしれん」


【あぁ、そうじゃろうて。

 しかしそれも我ら力持つモノの天命よのぅ?】



 まさしく彼の龍はクラヴィスさんを見定めているのだろう。

 先ほどまで近所のおじいちゃんだなんて思っていた声が威厳に満ちた声となり、震えそうになるほど重く降りかかる威圧は口を開く度に増していく。

 その眼光は真っ直ぐ逸れることなくクラヴィスさんへと注がれているはずなのに、痛みすら覚える鋭さが私まで貫いているように感じる。


 それでも、私は私にできる事をするだけ。

 噛まないように。間違えないように。

 聞こえるままの声色を、感じ取れるままの感情を、言葉の速さも音程も何もかもそのままにクラヴィスさんへと伝える。



「だから貴殿に頼みたい」



 だけどね、パパ。

 幼女になってしまって早五ヶ月、何となくだけど感じていることがありまして。

 私、どうやら肉体だけでなく、精神面も幼女に引きずられているのですよ。



「私と契約し、契約獣となってくれないか」


「パパンは魔法少女だった?」



 とても厳格な空気の中、ついて出てしまったのは心底不思議そうな子供の声で、緊張に張り詰めていた空気がぷつんと切れたのが見て取れる。

 うん、やらかした。上から圧し掛かるパパンの沈黙が苦しいよ。東洋龍の視線がなんだか可哀相な子を見る目だよ。

 いやだって、ずっと間違えないように集中してたじゃん!? 回想まで入れて緊張感を保とうとしたけどやっぱり集中力切れちゃったんだもの! 幼女にしては頑張った方だと思います!



「……トウカ」


「えーっとぉ、契約獣って何だろなぁーって」



 溜息交じりに名前を呼ばれたので、にへらーと誤魔化しつつ、どうにか空気を戻したくてそれらしい質問をしておく。

 魔物と契約ってなると十中八九従魔師関係だとは思うんだけど、その従魔師についても魔物と契約した人ってことぐらいしか知らないんだよね。

 あの重々しい空気からしてクラヴィスさんにとっても東洋龍にとっても重要な事だろうし、何だか詳しく知らないままだと駄目な気がする。



「契約獣はその名の通り、従魔師と契約した魔物の事だ。

 この契約魔法は伝承の英雄が始まりとされる古い物で、契約主の従魔師が魔物に名を与えて自身の魂に魔物を結び付け、魔物と強い繋がりを創り出す。

 魔物はその繋がりを使い、どれほど離れていようと主の呼び声に応え、駆けつけ、主の力になる。

 一度結べば従魔師が契約を解くまで続き、魔物の行動は制限されてしまう。そのため魔物の同意が無ければ弾かれ、結ぼうとした人間側へ代償が与えられる」


「……代償って死んだりは……?」


「魔物の怒りによる。重ければ死、軽くとも片腕が使えなくなるといった程度か」


「軽くないよ重いよ!?

 約束だけで十分じゃ……? 龍さん強そうだし普通の人なら手は出さないと思うんですけど」


「普通の人なら、な。

 生憎この世界には我欲に塗れた愚者が大勢いる。

 『私』という建前で守れるものが在るのは君が良く知っているだろう」



 いつもと変わらないパパンの説明に若干顔が引き攣る。

 代償に関してはこうして先に東洋龍の意志を確認しているから問題無いんだろう。

 パパンのいう建前は、私を養女にしたのと同じ意味に違いない。

 確かに人の方は信用できない、よなぁ……実際ここの元領主とかいたわけだし、誰が何するかわからない。



「大義名分ができるのはわかりましたけど、この契約って龍さんに利益あります?」


「契約さえ結んでいれば自由に過ごしてくれて構わない。

 魔物とはいえ領主の契約獣なら無暗に手を出さんし、民も共に在る事を受け入れることができる」


「……パパとの契約で攻撃してこないから?」


「そういうことだ」


「そういうものなの……」



 こちらに来てからというもの、言語の習得や農業の改善、産業の発展といったことばかりに時間を割いていた。

 そのためこの世界の歴史や魔法、常識といったものについて、私はそれほど詳しくはない。


 この世界において魔法の契約というのはそれほど絶対的なモノなのか。

 契約した魔物とそうでない魔物の違いはそれほど決定的なモノなのか。

 あまり理解しきれないのが顔に出ていたらしく、後ろで控えていたシドが静かに近寄り、そっと小声で話しかけてきた。



「契約には純度が高く膨大な魔力を必要とします。

 そのため契約を結べる力を持った人間も魔物もそうおらず、特に魔物の場合は『大地の化身』や『厄災』と呼ばれ、古くから人々に恐れられているのです」


「ふむふむ?」


「元々クラヴィス様は討伐するよう王命を受けていましたが、討伐するよりも契約の方が遥かに難しく、何より従魔師と契約獣の存在は貴重です。

 これなら王命を果たした事にできるだけでなく、面倒な追及も退けられるはず……!!」



 要するに契約を結べるような魔物は土地神みたいな存在なのかなぁと思って聞いていれば、シドはやけに語気を強めて語る。

 討伐に時間がかかり過ぎだとかそういった文句でも来てたのかしら。領地改善の方が優先だったからなぁ。


 殺すことも追い出すことも静観することもできないのなら、契約という鎖で縛って主従という建前を作った方があらゆる方面でお互いのための言い訳がというワケだろう。

 大人って大変だなぁと思いつつ、ある程度理解もできたので黙ってクラヴィスさんを見上げれば、横目でシドを見て微かに眉を下げるクラヴィスさんが視界に映る。

 私の視線に気付いた黒曜がこちらに向いたのに頷けば、そのまますっと東洋龍の方へと流れてった。



「嫌ならば別の方法を取る。どうだろうか」


【ふむ……自由に過ごせるのは有り難い。

 流石にずっと湖の底でいるのは気が滅入る】


「ならば」


【──良いじゃろう。しかし覚悟はあるか】



 微かに乱れていた空気が、東洋龍のたった一言で水を打ったかのように凜と張り詰める。

 乱した張本人が言うのもあれだが、急激に張り詰めた空気に心臓が妙な音を立てて苦しい。



【ワシは渡る者。ワシを縛るのは一つの約束のみ。

 ワシをその身に縛るのは世界をその身に縛ると同じと心得よ】



 渡る者って何だろう。約束って何だろう。

 疑問はあるけれどこれ以上言葉を挟める余裕などなく、ただひたすらに言葉を伝える。



【導き手よ、力持つ者よ。

 お主に世界を縛る覚悟はあるか】



 震えた声で伝えた問いに、唐突に不安が込み上がる。

 このままこの人達を進めさせて良いのだろうか。引き止めないと、留めないと、何かを失う気がする。

 唯一伸ばすことを許された手の先に力を込めるけれど、縋った先のその人はこちらを見ることはなく東洋龍に応えた。



「……世界を縛るのがどういうことか、全て理解しているわけではない。

 だが私には、交わした約束と生まれ持った役目がある」



 微かに眉間に皺を寄せ、声を張って言葉を紡ぐクラヴィスさん。

 私とは違って怯えも震えも迷いも無い澄んだ声は、東洋龍にどう響いているのか。

 何も言わずただ見つめてくる視線に揺らぐこともなく、黒曜の瞳が強い意志を持って煌めいた。



「その二つを守り、果たす。

 そのためなら私はどのような苦しみでも耐え、どのような道だろうとも進むと決めている」



 この人をそこまで突き動かす約束って、役目って何なのだろう。

 私には手を伸ばしても届かない遠い耀きを受け取った東洋龍は、数秒見届けた後、静かに頷く。



【そなたの覚悟と意志、しかと見た。

 であれば力が戻るまでの間、お主の契約獣として従おう】


「……良いのか?」


【なに、契約を調べられ疑われては困るからの。何よりお主の想いが気に入った】



 そう告げた東洋龍はゆったりとした動きでこちらに近付き、顔を間近に近寄せてきた。

 いや近いな!? 鱗びっしりなのが良く見えるね!



【さぁて、契約の儀を行おうぞ】



 息がかかるほど近くに来て、口角を上げてにやりと笑う東洋龍。

 それに対して身じろぎ一つしないパパンは何者なんでしょうね。この圧に耐えてちゃんと通訳した私を褒めてくれ。

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